いよいよ。 その1
家庭科の授業はかなり面白い経験だった。
生活に密着した学習だし、今回の課題も、生徒自身が必要だと思うことを取り上げることになっている。
そのため、今までやった理科や社会科に比べると、ずっと生徒たちが楽しそうだった。
2時間続きの授業のあいだ、生徒はそれぞれに調べたり、作品の計画を練ったりしながら、口の方もよく動いていた。
事前に先生たちが予想していたとおり、女子の3割程度は、お弁当を課題に選んでいた。男子も1割くらい。
自分のお弁当のほか、子供用のキャラ弁というのもあった。
縫い物を課題に選んだ生徒では、布製の袋が多かった。これもお弁当用が多い。
面白いと思ったのは、ある男子生徒が選んだボタン付け。
結婚しているかどうかに関係なく、それくらいはできないと、と思ったそうだ。
上着、ワイシャツ、コートなど、布の厚みやボタンの大きさによって、糸や付け方を研究していた。
男子生徒に多かったのはアイロン掛け。
自分たちが毎日着ている制服で思い付いたようだ。
授業時間内には本でコツを勉強し、自宅か被服室でアイロンを掛けながら、その過程を写真に撮って来るように言われていた。
その結果、提出日が近くなると、昼休みや放課後の被服室に、体操服姿でアイロンを掛ける男子生徒が集まるようになったと児玉さんが笑っていた。
ほかには、掃除の工夫、インテリアの色や配置、赤ん坊のおむつの研究、洗濯物のたたみ方と収納などもあった。
俺が感心したのは、山田先生の担当クラスで『妊娠中の食事』という課題を選んだ男子生徒。
「家族として必要だから。」と言っていたのを聞いて、彼の真面目さに、同じ男として感動した。
そんな様子だったので、利用された資料もほんとうにいろいろだった。
レポート提出まで一週間しかなくて、足りない資料を購入する時間が足りず、市立図書館の資料を紹介するしかなかった生徒も何人かいた。
大変だったけれど、俺も生徒も、そして、児玉さんたち先生も、それぞれに楽しめて、有意義な授業だったと思う。
同時に、俺にとっては、自分の生活の中で反省すべき点がたくさんあることを実感した授業でもあった。
結婚を前にしてこの授業があったのは、タイミングとしてとても良かったと思った。
そうして過ぎて行った2月のある放課後、どこか遠くで悲鳴のような声が聞こえたな(学校ではよくあることだ。)……と思っていたら、図書室に女子生徒が駆けこんで来た。
「雪見さん!!」
見ると、ボラ部の植田さんだ。
おとなしい彼女が、これほど取り乱しているところは見たことがない。
「ひっ、被服室でっ、だ……男子がっ、下着姿で!」
「え?」
彼女の言葉に、図書室にいた全員がそちらを向く。
「下着姿……って……?」
「ズボンを履いてないんです! し……信じられない! 真っ赤なパンツが!」
相当なパニック状態らしい。
声を小さくするとか、まったく考えられないみたいだ。
でも、ズボンを履いてないって……学校で? 被服室で?
いったい何を?
「わ、分かったよ。ちょっと見てくるから。」
興奮状態の植田さんを図書委員に頼んで、廊下に出る。
被服室だから、児玉さんか山田先生に声をかけた方がいいだろうか?
でも、もしかしたら女の先生には見せない方がいいのかも……。
とりあえず、一人で行ってみるか。
それにしても、植田さんの驚き具合は相当なものだったらしい。
図書室と被服室は向かい合った校舎なのに、両方をつないでいるA棟を抜けて、彼女の悲鳴が聞こえてきたんだから。
それに、今月は、ボラ部は活動場所を隣の調理室に移している。
だから、すぐ隣に仲良しの友達がいたはずなのに、そんなことも思い付かずに、図書室まで一気に走ってきた。
可哀想に。
それにしても、真っ赤なパンツとはねえ……。
「入るよ〜。」
念のため声をかけて、被服室の戸を開ける。
中には6人ほどの男子生徒がいて、机の上にアイロンや服を散らかしたまま、みんなでバツの悪い顔をしていた。
今は、全員が制服か体操服を着ている。
植田さんが悲鳴をあげたので、誰かが見に来ると分かっていたんだろう。逃げないでいてくれてよかった。
「誰か、下着姿だったって聞いたんだけど……?」
俺が尋ねると、何人かが一人の生徒を指差し、本人は下を向いたまま手を挙げた。
「いったい何を……?」
「あっ、あのっ、べつに変態なことは!」
「そこまでは言ってないけど……。」
「ええとー、こいつがー、体操着忘れたって言うからー。」
本人が動揺しているのを助けようと、隣の男の子が説明しようとしてくれた。
「でっ、でも、提出日、明日だし。」
「どうせ男ばっかりだしー、パンツになっても恥ずかしくねーよって……。」
「すっ、すぐに終わると、思ったんで……。」
要するに、たまたま男ばっかりだったから、調子に乗ってふざけ半分でズボンを脱いで、それにアイロンを掛けていた、ってことか。
「そういうときは、せめてワイシャツにしたらよかったのに。今の季節は、ブレザーもセーターも着ているんだから。」
俺の言葉に、彼はうつむいて言った。
「こっちの方が簡単そうだったから……。」
そうかも知れないけど……。
「でもこの学校は、一応、共学なんだからね。」
「はい……。」
こういう目に遭えば、もう二度と忘れることはないと思うけど。
忙しい授業の合間にも。結婚式の準備、新居探し、マラソンのトレーニング。
招待状にはほぼ返事が来た。
指輪はマラソン大会の翌週に出来上がる。(サイズが違うなんてことがありませんように!)
衣装合わせもした。料理も選んだ。引き出物も披露宴の演出も決めた。
新居は、今の住まいの近くで選ぶことにした。引越しが楽だし、比較的、家賃が安めだと分かったから。
そう分かっても、簡単にちょうどよい物件が見つかるわけではないけれど。
そんなふうに、2月はあわただしく過ぎて行き、あっという間にマラソン大会の日。
寒々しい曇り空の日で、朝は、道路の霜が凍っていた。
実行委員会からのハガキには、『公共交通機関をご利用ください。』と書いてあったので、児玉さんと一緒に電車で現地へ向かうことにする。
スタートが10時なので、9時前に着くように家を出た。
「今日は特に寒いですね。」
「ウォーミングアップをきちんとしないと危ないかもね。」
――― 黒川さんはどのくらいのタイムで走るんだろう?
――― 黒川さんに勝てるだろうか?
今になっても、頭に浮かんでくるのは黒川さんのことばかり。
児玉さんは「関係ないよ。」と言ってくれるけど、やっぱり、そう簡単には割り切れない。
俺って、気が小さいんだろうか?
「あれ? 児玉先生と雪見さん?」
乗り換えのホームでかけられた声に振り向くと、柳川先生 ――― 陸上部の顧問。
会う可能性があるとは思っていたけれど、こんなに早くの予定ではなかったのに……。
「お〜。たまちゃんと雪見さんだ〜。」
「なんだよ〜。あんまりラブラブじゃないねえ。学校と変わんないじゃん。」
「プ……。こらこら、やめなさい。どうしたの? デート?」
結果的に柳川先生も冷やかしてるじゃないですか。
その後ろで、6、7人の生徒がニヤニヤしている。
いつもなら赤面してしまうような場面なのに、今日は気がかりなことがあるためか、それほど動揺していないことに気付いた。
「ええと、マラソンの大会に……。」
動揺していない、というよりも、情けない顔をしているんじゃないだろうか?
「え? もしかして、鯨崎の?」
「はい……。」
「へえ。雪見さん、マラソンやるんだ? 児玉先生も?」
「いっ、いえ、わたしは応援で……。」
「そうかー。うちの生徒も出るんだよ、10kmに。」
「ええ、小野先生に聞きました。速い生徒がいるみたいですね。」
「うーん、そうなんだけど、ライバル校も出るからね。一位は難しいかな。」
生徒たちは俺たちから少し離れて、話しながらチラチラとこちらをうかがっている。
俺たちのデート現場を目撃したつもりで、気になるんだろうな。
たぶん、キミたちのデートとそれほど変わりがないと思うけど。(っていうか、今日はデートの気分じゃないし!)
もしかしたら、今日の俺たちの様子を学校で話そうと、じっくり観察するつもりかも知れない。
やっぱり黒川さんとのことを見られるのは嬉しくないな。
現地に着いたら、さっさと離れてしまわなくちゃ!




