児玉さんの授業
1月はあっという間に過ぎた。
1年生の進路についての読書課題は、それまであまり読まれていなかった分野にも生徒の目を向けさせるという効果が出た。
先生が回覧してくれた生徒のレポートの「読んだ本」の欄には、一般的な職業紹介の本のほかに、伝記や自伝、伝統技能、コンピュータ、宇宙、環境問題、アニメ、介護、学校……、要するに、何でもありなのだ。論文集まで挙がっていた。
各自の興味のある分野だからか、2冊以上読んでいる生徒も少なくなかった。
中には実際に見に行ったという生徒もいて、一時的な盛り上がりかもしれないけれど、効果の大きさに驚いた。
3年生への図書室解放も順調で、自由登校になってからも7、8人の生徒が通って来ていた。
終わってみると、利用者数は約1800人。
目標まで、およそ3700人。
やっぱり厳しいな。
マラソンは、1kmを5分弱で走れるようになってきた。
ただ、10km全部をそのペースで走りきれるかどうかは、今のところは分からない。
黒川さんは、どのくらいの速さで走るんだろう……。
いよいよ2年生の家庭科の図書室授業が始まる。
資料が行き渡るように、8つのクラスを3つに分けて、1週間ずつずらして設定してある。
何度も児玉さんと山田先生と俺の3人で打ち合わせをして、生徒が使いそうな本も購入した。
去年からほかの科目でもやっているので、授業の雰囲気はだいぶつかめて来ている。
ただ、心配なのは、児玉さんが受け持つ授業。
半分の4クラスは山田先生の受け持ちで、そちらはそれほど問題がないと思う。
けれど、児玉さんの授業は……。
生徒たちが、 “児玉さんと俺が一緒にいる” というだけで、好奇の目で見るのではないかと思ってしまう。
もし俺が生徒だったとしたら、たぶん、興味津々になると思うから。
それを考えると、ものすごく緊張する。
授業なんだから、やたらとおしゃべりをしたりはできないはずだけど……。
「家庭科の授業は、今年が最後になる人が多いと思います。そこで、今までの家庭科のまとめとして、各自で課題を設定してレポートを提出してもらいます。」
学習コーナーに座った生徒たちに、児玉さんが説明をしている。
2年生全体の中で、このクラスがこの授業の最初だ。
「今週と来週の2時間ずつで、レポートを完成させて提出してください。さっき配ったプリントを表紙にして、後ろは何枚になってもかまいません。提出後は、各クラスの廊下に掲示します。」
生徒たちは、今はおとなしく聞いているけれど、図書室に入って来てからさっきまでは、ずっとひそひそと話していた。
顔馴染みの何人かは手を振ってくれたり、声を掛けてくれたりした。
けれど、それ以外の生徒から、チラチラと視線を向けられたり、指をさされたりしたのは、俺の勘違いではないと思う。
いつもの授業どおりやればいいと分かっているし、ある程度の覚悟もしてきたけど……。
ああ……。
俺は今、いったいどんな顔をしているんだろう?
「課題は家庭科で勉強した範囲全般から選んでください。調理、被服、住居、保育、福祉など。その際のテーマとして、そのプリントに書いてあるとおり、『自分が30歳になったときに、生活の中で必要だと思う知識・技術』とします。」
「なんで30歳なの〜? 自分が30歳だから〜?」
何てことを! ……と、睨んではいけないな。
生徒たちがくすくすと笑っても、児玉さんは全然平気な顔。
「あはは、それもあるかもね。まあ、35歳でもいいんだけど、キリがいいから。それに、30歳だったら、みんな何かしら立場が決まっていそうでしょ? 仕事を頑張っているとか、子育てをしているとか。」
言われることは予想済みだったんだろうか?
こんな受け答えにも、彼女らしさが垣間見える。
「フリーターかな。」
「婚活中かも!」
また笑い声。
でも、児玉さんは気にしない。
「作品での提出も可とします。でも、必ず表紙と、工夫した点などの解説をつけてください。料理を作った場合は写真で提出してください。それも解説は必要です。被服室のミシンを使いたい人には、昼休みと放課後に被服室を解放しますので、わたしか山田先生に申し出てください。」
「せんせ〜。雑巾を作るだけでもOK?」
「それが必要な技術だと思うならどうぞ。でも、なぜその布を選んだのか、その縫い方にはどんな理由があるのかも、高校生らしく解説してね。」
なるほど……。
生徒のからかい半分だったり、サボりたい気分満々の質問に、児玉さんが次々と答えて行く。
初めて見る児玉さんの授業は、彼女の性格そのままに、明るくて親しみやすい雰囲気だった。
ひと通りの質問と手順の説明が終わり、各自で課題を考える時間になると俺の出番が始まる。
課題に迷う生徒が書架の間をウロウロしていたら、話しながらキーワードを探して、興味のありそうな場所へ案内する。
児玉さんがチェックして課題が決まった生徒には、必要な資料の相談に乗る。
自由席で生徒の相談にのっている児玉さんの明るい声が聞こえる。
課題をうまく設定しないとレポートが書きにくいということがほかの科目の授業で分かったので、プリントを持ってきた生徒に児玉さんが質問をしながら、具体的な課題へと絞り込ませていく。
「雪見さん。あの。」
「あ、はい。」
すぐ隣に女子生徒が。
授業中に児玉さんに見惚れていちゃいけなかった。
うっかりしていると、また指をさされてしまう。
「料理の本は……。」
「料理? 普段の料理でいいのかな? 作り方?」
「ええと、おせち料理とか……。」
「おせち料理っていうと………作り方の本はこっちの棚にあるよ。あと、たとえば由来とか意味っていうと、料理の場所じゃなくてこっちにあるんだよ。」
「そうなんですか……。じゃあ、ちょっと見てみます。どうしたいか考えながら。」
「うん、そうだね。」
よし。
いつもの仕事なら、落ち着いて行けそうだ。
大丈夫、大丈夫。
「ねえねえ、雪見サーン。教えて欲しいんだけどー。」
「はーい、どれ?」
今度は男子生徒。
ふわふわした茶髪に銀色のピアスをしているけれど、顔つきがまだ幼い。
隣にいる似たような男の子と二人でくすくす笑いながら、手に持った課題のプリントを見ている。
「これなんだけどさあ、どうかなあ?」
そう言って差し出したプリントの課題部分には ――― 。
『こどものつくり方』……。
「え? これ?」
児玉さんには……まだ見せてないんだろうな。
要するに、俺をからかうためにやってるってわけか。
まるで中学生みたいだ……。
「家庭科の内容とはちょっとずれてるみたいだけど?」
「うーん、でも、家庭生活には必要じゃない?」
相変わらずニヤニヤと。
まあ、そこまで言うのなら。
「どんな方向で調べたい? 生物学的? 心構えとか? それとも、具体的な方法?」
少しきっぱりした口調で尋ねると、二人ともちょっと慌てた様子になった。
「え、あ、その、……具体的?」
あくまでも、そう来るんだな。
「そう。だとすると……まずは、百科事典で見てみる?」
「百科事典?!」
「載ってんの?!」
「僕も調べてみたことはないけど、百科事典ならたいていのことは載ってるから……。」
「どんな課題で迷ってるの?」
児玉さん!
二人の男子生徒よりも小さい児玉さんが、にこやかに俺の隣に立っている。
にこやかに。楽しげな優しい笑顔で。俺の方はまったく見ずに。
もしかしたら、様子を察して、見に来てくれたのか?
「ちょっと見せて。……ふうん、『こどものつくり方』。へえ。」
大きくはないのに、図書室中に響く声。
でも、その笑顔はいつもと同じ。
その児玉さんの前でクラスメイトに注目されて(しかも、そんな話題で)、あたふたと視線をさまよわせる二人。
「これの具体的な方法となると、残念だけど、家庭科の範囲とは違うかな。」
「……はい。」
「そうですよね……。」
「でも、もし、 “どうしても” って言うなら、男女が協力して家庭を築くという部分につながる課題として認めてあげてもいいけど?」
「え、いや、その。」
児玉さんの無邪気な笑顔に翻弄される二人……笑える。
「その場合は、ちゃんと文章にして提出してね。さっき説明したとおり、廊下に掲示するから、さすがに写真は困るから。」
周囲から男子のひそやかな含み笑いと、女子の冷たい視線。
二人は見る間に真っ赤に。
「ええと……、もう少し考えます。」
「うん、その方がよさそうね。ああ、それからね。」
「「はい。」」
「こういう行為は、場合によってはセクハラに該当することがあるから、気を付けてね。」
「「はい……。」」
あーあ。
二人とも、あんなに小さくなって。
まあ、自業自得だよ。
それにしても、児玉さん。
何事にも動じない毅然とした態度がすごく素敵です。
凛々しくて、惚れ直しちゃいました!




