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最終章です。
年始の休みが明けてすぐ、坂口先生に、児玉さんのお父さんから結婚を許してもらったことを話した。5倍の約束がどうなったかも。
坂口先生は「わははは!」と豪快に笑いながら俺の肩をバンバン叩いて、「おめでとう。よかったなあ。」と言ってくれた。
「ご心配をお掛けしました。それに、ほかの先生たちにもいろいろと……。」
「ほかの先生のことは気にする必要ないよ。もともと校長の意向もあったんだし、なにしろ、せっかくの図書室の活用の仕方を考えるきっかけになったんだから。」
「はい。ありがとうございます。でも、せっかくなので、5倍まで増やせるかどうか試してみるつもりです。」
5倍のチャレンジはたしかに終了したけれど、俺はやっぱり最後まで頑張ってみようと思っている。
とは言っても、今から新しいことを始めるわけじゃなくて、今までに始めたことを手を抜かないで続けるっていうだけだけど。
年末の予想では、3月末にちょうど5倍になるかどうか、という微妙な数字だった。
プレッシャーのないチャレンジなら、気持ちよく取り組めると思う。
「そうか。うん、そうだな。せっかくここまで頑張ったんだもんなあ。……あとはマラソンか。でも、そっちは完走できればいいんだろう? どうせもう、結婚は決まってるんだし。」
「ええ、まあ、そうなんですけど……、できれば勝ちたいと思っているんです。」
「そりゃあ、児玉先生にいいところを見せないとな! まあ、無理しないでやりなさい。」
「はい。」
「いや〜、新年早々、めでたい話を聞いたなあ。本格的な受験シーズンを前に、幸先がいいぞ。ははははは!」
「本当に、ありがとうございました。」
坂口先生のクラスのみんな、受験が上手くいくといいなあ……。
冬休みが明けた。
あと一週間ほどで、3年生が自由登校に入る。
今はまだ冬休み前と同様に、放課後に勉強にいそしむ生徒がやって来ている。
坂口先生の提案で頼まれた1年生の進路についての本の紹介は、全体の進路指導と一緒にやることになっている。
だから、会場は図書室ではなくて、講堂。
でも、坂口先生も校長先生も、俺が出向くなら図書室が出向くのと同じだと言ってくれて、利用者の数に合算していいことになった。
そのあと生徒には、「進路や将来のことを考えるための本を1冊以上読んで、感想を提出」という課題も出る予定。
これで、延べ500人くらいの人数になるはず。
坂口先生の手際は、本当に素晴らしい。
ふと気付いたら、今月は、図書室を授業で使う予定がない。
なので、坂口先生と3年生の学年主任の山口先生と相談して、自由登校になっても、1月いっぱいは3年生の勉強用に朝から解放することにした。
夏休みにも、わざわざ遠くから来ている生徒もいたことを考えると、何人かは通ってくるだろう。
昼休みは在校生が来てうるさいけれど、それも気晴らしになるかも知れない。
あとは来月の黒川さんとの勝負だ。
日程は2月20日。第三日曜日。
場所は鯨崎市の海岸に沿った道で、出発とゴールは市の運動公園、午前10時開始。
コースはホームページで公開されているので、2月に入ったら、一度走りに行こうと思っている。
それまでは、朝のジョギングと夜の筋トレ、<日曜日の遠征>と呼んでいる普段と違うコースでのトレーニング。
それと、急いでいるのは新居探し。
式場は、思いのほかあっさりと決まった。
隣の市のわりと由緒のある神社が、俺たちの希望していた日に空きがあったのだ。
披露宴も、その近所に何軒か提携しているレストランがあり、その中から選ぶことができた。
決まってほっとしている反面、神社からその店までは外を移動しなくてはならないのが不安だ。
相談係の女性に「婚礼の行列も人気があるんですよ。」と勧められたが、それは断って、車を手配してもらうことにした。
それでも、信号待ちや乗り降りで周囲の人に注目されそうで、考えただけでも恥ずかしい。
新婚旅行は春には行かない ――― というか、行けない。
児玉さんが異動する予定なので、休む日程が取れないのだ。
だから、夏休みに行くことにした。
今は児玉さんも俺も、旅行代理店の前を通るたびに海外旅行のパンフレットを集めている。
「ねえねえ、雪見さん。来月、鯨崎のマラソン大会に出るんですってね。」
一月半ばの休み時間に、そう話しかけてきたのは小野先生。
「あ、児玉先生から聞いたんですか?」
小野先生とは仲良しだからな。
まあ、結婚式の日取りも決まったし、坂口先生だって知っているんだから、べつにいいか。
「うん、そうなの。さっき、かすみちゃんにも言ったんだけど、あの大会ね、うちの陸上部も毎年出場してるんだよ。」
「え?! そうなんですか?!」
生徒に知られるのは、また別だ!
「うん。男子が高校生の部にね。たぶん、ゼッケンの色を変えて、同時にスタートするんじゃないかな。」
「そう…ですか……。」
あの大会は距離の設定が3つあったはずだけど、スタート時間はそれほど違っていなかった気がする。
ということは、現地で会ってしまう可能性が大きい。
しかも、その場に黒川さんもいるわけだし……。
「またまたウワサになっちゃうね! ねえ、負けられないなら、陸上部と一緒に練習してみたら? 顧問の先生に話してあげるけど?」
「い、いえ、そこまではしなくてもいいです。」
自分で宣伝するようなことは。
「そう? じゃあ、まあ、頑張ってね。それにしても、雪見さんとかすみちゃんの二人は、学校に楽しい話題を提供してるよね! 幸せのおすそ分け? あははは!」
「はあ……、まあ……。」
俺にとっては笑い事じゃないです。
プレッシャーが増えてしまった……。
夕食を食べながら、児玉さんと二人でため息をついた。
「そんなことがあるなんてね。場所が近いから仕方ないのかな……。」
「陸上部って、当日は何人行くんでしょう? 出場しない生徒も応援に行くんでしょうか?」
「どうだろう? 顧問の柳川先生に訊いてみる?」
「いえ、いいです。そんなことを訊いたりしたら、逆にウワサになりそうだし。」
「あ、そうか。出ることが広まったら、勘がいい子は、黒川さんと雪見さんの勝負だって気が付くかも知れないもんね。」
「はい。」
当日、現地で会ってしまうのは仕方ない。
次の日からウワサが広まったとしても、もう終わったことなんだからと思えばいいし。
でも、事前に情報が出回ると、ウワサだけじゃなくて、プレッシャーも重くなりそうだ。
「本当に、勝つ必要はないのよ。途中でリタイアしたって、わたしは雪見さんの努力を見てきたから、『頑張ったね。』って心から言うよ。」
「はい。ありがとうございます。」
とは言っても、やっぱりある程度のタイムで走りきれないと、児玉さんの前で格好がつかない。
黒川さんにだって。
「とにかく、もうベストを尽くすしかありません。」
「うん。応援してるからね。」
「はい。」
「ところで、雪見さん、披露宴のお客様のリストはできた?」
そうだった。
結婚式の準備もいろいろあるんだよなあ……。
「はい。だいたい完成しました。」
「招待状も出さなくちゃいけないもんね。あとは料理と衣装と細かいものの打ち合わせか……。」
「びっくりしますよね、思いがけない物にまでランクがあるんですから。」
「ホントだよね。神主さんの祝詞は一つだったからほっとしたよ。」
「たしかに。」
指輪も注文に行かなくちゃいけないな。
部屋探しはちょっと厳しい? インテリアも考えないといけないし。
もしかしたら、式を挙げても、しばらくは通い婚になっちゃったりして……。




