拗ねてやる~!
「これから忙しくなるね。」
夜の9時すぎに実家を出発してすぐ、助手席の児玉さんが言った。
「式場を決めて、新居を探して、家具を選んで……、そうだ、指輪を注文しないとね。」
「そうですね。」
結婚式は3月の最後の日曜日、3月27日にしようと、両方の親には話して来た。
「来月のマラソン大会があるから、それまでは日曜日の遠征は続けるんでしょう?」
「できればそうしたいですけど、近所を走るだけでも間に合うと思いますよ。」
「日曜日の遠征」とは、休日にいつもと違うコースを走りに行くことだ。
ジョギングコースがある公園や公営の運動場、海沿いの道などを、朝のジョギングよりも本格的なトレーニングとして走る。
今までも児玉さんはたいてい一緒に来てくれて、そのあとに式場探しに行ったりしていた。
「大会は2月20日なので、2月に入ったら、実際のコースを走ってみることにします。大会のホームページでコースが発表されていますから。」
「そう? でも、いろんなことが早く決まっちゃえば、時間が取れるようになるよね。頑張ろうね。」
「はい。 ――― あ、そうだ。児玉さん、神社で結婚式ってどうですか?」
「神社?」
「ええ。今、思い出したんですけど、うちの姉は神社で挙げたいって言ってたんですよ。」
「式場の神殿じゃなくて、本当の神社で?」
「はい。でも、相手の高志さんのお母さんが通ってる教会があって、言えなかったんです。」
あの図々しい姉にも、そんな奥ゆかしい部分があったのかと驚いたっけ。
「神社ね……。なんとなく、由緒正しい雰囲気があるね。」
「ですよね? あ、でも、白無垢よりウェディングドレスの方がいいですか?」
「ううん、それは構わない。うちの父は教会式の方を嫌がると思うし。」
「ああ、あのバージンロードですか?」
「そう。注目の的になるもんね。」
「あはは、たしかに。じゃあ、明日にでも、ネットで調べてみましょう。あんまり遠くないところで。」
「そうだね。」
白無垢の方が、いかにも “花嫁衣装” って感じがするなあ。
綿帽子をかぶってうつむき加減の児玉さんなんて、想像するだけでも嬉しくなってしまう。
しかも、それが俺の奥さんなんだから!
――― あ。そういえば。
「児玉さんはいつから知ってたんですか?」
「え? 何を?」
「うちの親が児玉さんの家にあいさつに行ったことですよ。知ってたんですよね?」
そう。
俺だけが知らされてなかったなんて……。
「ええと、9月の半ばかな。ほら、プロポーズしてくれた次の日。」
「そんなに前に?!」
「うん。あのとき、一応ね、うちの母親には、わたしがOKしたことを言っておかなくちゃと思って電話したの。そのときに。」
そんなに前から……。
「どうして教えてくれなかったんですか?」
「だって、言わなくていいって言われたんだもの。本当はね、親同士の間では、本人には何も知らせないで見守ろうってことだったんですって。ほら、最初はわたしの気持ちも決まってなかったし。」
それは分かるけど……。
「あのう……、お義父さんは……?」
あんなに頑張ったのに、実は無駄だったみたいな……。
「あ、お父さんはね、その場にいなかったんだって。」
「そうなんですか?」
一番重要なポイントだったんじゃないのか?
「うん。ちゃんと家にいるはずだったんだけど、仕事で急に呼び出されちゃったらしいの。」
「そうでしたか……。」
「お母さんから事情を話してくれたそうだけど、お父さんは何も反応がなかったって言ってた。だから、あの5倍の約束はそのままだったのよ。」
そうか……。
じゃあ、頑張ったことは無駄ではなかったんだな。
「でも、児玉さん。やっぱり教えてくれればよかったのに。」
なんとなく、仲間外れにされていたような気がしてしまう。
「そう? でも、覚悟を決めて頑張ってる雪見さんには言いづらかったよ。」
「そうかも知れませんけど……。」
「うふふふ……。」
「何ですか?」
「実はね……ごめんね、今回の訪問も、最初から予定に入っていたの。」
今回の日程って……?
「え?! もしかして、正月にお互いの家に行くことですか?!」
「うん。そう。」
「そんな! いつ?!」
「あ……、それも同じときに……お母さんから言われて……。」
9月から?!
「雪見さんと春に結婚するって言ったら、『じゃあ、お正月には連れていらっしゃい。』って……。」
「児玉さん!」
「ほら、前を向いてないと危ないよ。……ごめんね。でも、わたしだって困ってたのよ。雪見さんは5倍の約束を果たさないとあいさつに行かないって言ってたし、それを待っていたら3月になりそうだったし……。」
「それはそうですけど……。」
いつ決めたんだっけ?
ええと……クリスマスだ。
児玉さんが、「式はあげなくてもいい。」って言って。日程的に決められないからって。
あれは、児玉さんの作戦……?
「つまり、クリスマスに、俺は罠に嵌められたんですね。」
あれは俺なりに、結構大きな決断をしたつもりでいたのに。
「罠って……、違うよ。そりゃあね、雪見さんは優しいから、ああ言えば、わたしのために、意地を張るのをやめてくれるかな、とは思ったけど……。」
「ん……。」
ずるいですよ。
「優しいから」なんて言われたら、怒っていられないじゃないですか。
「『式をあげなくてもいい』って言った気持ちは本当よ。だって、雪見さんが頑張ってる姿を見ていたから、無理に『あいさつに来て。』とは言えなかったの。」
…………。
「それに、わたしも春には結婚したかったのよ。それ以上、遅らせるのは嫌なの。…………雪見さん?」
「はい?」
ダメだ。
不機嫌な顔をしていられない。
児玉さんも結婚を遅らせたくないなんて……ああ、嬉しいよ♪
口元を隠しても、にやけているのが分かってしまうかな?
「そんなにふくれっ面しなくてもいいのに。」
ふくれっ面? そう見えるんだ? 暗闇バンザイ、だな。
いいや。
このまま、しばらく黙っていよう。
俺が拗ねてると、児玉さんはいつも優しくしてくれるから。
「ねえ、雪見さん?」
それくらいじゃ、まだです。
「柊くん?」
うわ、「柊くん」?
なんかくすぐったい。
でも、もう一声!
「ふて腐れてるならもういいよ。今日は緊張で疲れちゃったから寝る。着いたら起こしてね。」
え?!
「あの……、児玉さん?」
「ごめんね、朝も早かったから……。あと何分くらいかな?」
「ええ、と、30分……くらい、かな。」
「そう。それくらいあれば、いい感じで眠れそう。ごめんね。」
「あ、はい……。」
なんか……残念なことに……。
――― いいですよ。
俺の相手をしてくれないなら、俺にも考えがありますから。




