ありがとうございました。
「やっぱり緊張するよ〜。大丈夫かなあ?」
駅まで迎えに来た車の中で、児玉さんが落ち着かな気につぶやいている。
今日の彼女はグレーのショートコートに茶色のロングスカート。
膝の上にはバッグとお土産のお菓子の箱。
自分のマンションに帰る荷物が、後ろの座席に乗っている。
「児玉さんでも緊張しますか?」
「当たり前だよ。わたし、ちゃんとしてる?」
児玉さんの緊張している姿を見るのは初めてじゃないかな?
それくらい、今日の対面を重要なものだと思ってるってことだ。
「いつもどおり、可愛いですよ。」
「いや〜。やめて、今日は〜。」
あれれれ。
そんなに余裕がないなんて。
「くくく……。うちの家族は児玉さんを取って食べたりしませんよ。のんびりしてますから、心配しないでください。」
「うー……。」
「それに、お見合いのときに一度会ってるじゃないですか。」
「それはそうだけど、今日は意味が違うよ。」
そりゃそうか。
「でも、本当に大丈夫ですよ。うちの親は大賛成ですから。」
「そうは言っても……。」
「今朝からみんなウキウキしてますよ。お見合いのときの印象がよっぽど良かったんですね。」
今朝、実家に来てみると、母親は上機嫌で夕食のメニューを教えてくれた。
父親は、「これで清江姉さんに、お前の結婚のことを言われなくて済むなあ。」と満足気だった。
つわりで苦しんでいるはずの姉は「馴れ初めを教えなさいよ!」としつこくせがみ、姪の夏穂まで「柊ちゃんのお嫁さんが来るんでしょ?」と尋ねてきた。
「そういえば、伯母も来るそうです。いつもは3日に来ているんですけど、今年は今日になったって。」
「伯母様って、大久保さん? お見合いのときに会ったきりだけど、大丈夫かなあ?」
「でも、児玉さんのお母さんとお友達なんですよね? 問題ありませんよ。」
もしかしたら早々と墓守の話をされるんじゃないかと心配ではあるけど。
「 ――― 着きましたよ。」
車を止めてエンジンを切ると、いつもならさっさと降りてしまう児玉さんが、シートベルトもはずさないまま深呼吸していた。
胸に手を当てているところを見ると、心臓がドキドキしているのかも。
「児玉さん。」
呼び掛けると、自信のなさそうな顔でこっちを向いた。
「児玉さんなら大丈夫です。児玉さんのことを気に入らない人なんて、いるはずがないじゃないですか。」
「雪見さん……。」
そんなに不安?
そうだ! 今日はちゃんとエスコートしてあげよう。
普段はやってないけど、あんなに不安がっているんだから。
車を降りて助手席側にまわり、張り切ってドアを開ける。
「どうぞ。」
手を差し出すと、彼女は困ったように俺の手と顔を順番に見て、脚を下ろしながら、差し出した手につかまった。
そのとき ――― 。
バン!!
玄関のドアの音?
「あ、やっぱり柊ちゃんだ!」
夏穂の声がする。
朝、俺が顔を出してからずっと、児玉さんが来るのを待ちわびていたのだ。
「柊ちゃん、柊ちゃん、お嫁さん、来た?!」
「ああ……うん。」
返事を聞く間もなく、車の前まで駆けてくる。
ボンネットに乗りかかるようにして窓からのぞこうとし、よく見えないのか顔をしかめると、助手席側にまわってきた。
走り方が変だと思ったら、父親の庭用のサンダルを履いている。
そして、車から降りた児玉さんを見て、驚いた顔をした。
「あれ? お嫁さんじゃないね。」
「え?」
俺の嫁さんになるひとに間違いないけど?
「あ……、うふふふ。」
意味がわからないでいる俺の隣で、児玉さんは楽しそうに笑った。
姪が来ていることは知らせてあったけど、あいさつもしないうちに「お嫁さんじゃない」なんて意味不明のことを言われているのに。
「白いドレスを着てくると思った?」
児玉さんが腰をかがめて尋ねると、夏穂はためらいながら頷いた。
そうか。
夏穂は、児玉さんがウェディングドレスを着てくると思ったのか。
「ごめんね、普通のお洋服で。」
「……うん。」
「今日はね、お話をしにきただけだから。ドレスはもっとあとで着るの。まだ選んでないのよ。」
「そうなの?」
「着るときには、夏穂ちゃんにも見せてあげるね。」
そう言って、児玉さんが夏穂の頭に手を乗せると、夏穂はとても嬉しそうな顔で笑った。
さすがに先生だけあって、子どもの扱いが上手だ。
「夏穂ちゃん、チョコレートは好き? たくさん入ってるのを選んできたんだけど……。」
「チョコレート? 大好き! ねえ、お家に入ろ? ええと……?」
「あ、名前? かすみ。児玉かすみ、っていうの。」
「かすみちゃん……? かすみちゃん。お家にどうぞ。」
「どうもありがとう。」
児玉さんが笑いながら、夏穂に手を引かれて行く。
夏穂、ありがとう。
児玉さんの緊張をほぐしてくれて。
「ねえ、かすみさん。柊のどこが気に入ったの?」
早めの夕食時間に正月のご馳走を食べながら、姉が児玉さんに尋ねる大きな声が響いた。
和室に座卓を継ぎ足して並べ、両親と清江伯母さん夫婦、姉夫婦に夏穂、そして児玉さんと俺の総勢9人が集まっている。
「姉さん、やめてくれよ。そんなこと知らなくてもいいだろ。」
まったく、どこが “酷いつわり” なんだか。
今朝からずっとバクバクバクバク、何かしら食べどおしじゃないか。
さっき着いたお義兄さんだって、びっくりして箸が止まってるよ。
「あら、いいじゃない。弟を褒めてもらうチャンスなんて、そうそう無いんだから。」
不出来な弟で悪うございました!
「ええと、柊さんは頑張り屋さんですよ。」
あ、嬉しい。
みんなの前で言われると恥ずかしいけど、嬉しい。
「柊、ニヤニヤしない。」
う、姉さん……。
仕方ないだろ。
「それに……よく気が付いてくれるし、優しいです。」
うわー! そんなこと、バラさないでください!
「ああ、ちゃんと優しい? よかったわー。」
なんだよ、姉さん、その言い方は?
「小さいころから役に立つ男になるように仕込んできたのよ。ちゃんと成果が出てよかったわ〜。」
「そうなんですか?」
仕込んで……?
「そうよ。柊が大人になったときに、ちゃーんと気が利く男になるように、子どものころからあれこれ教え込んできたの。そんなふうに褒めてもらえるなんて、甲斐があったわねえ。」
教え込んでって……違うだろ?!
姉さんは自分がサボりたくて、勝手な理由をつけて、何でも俺に押しつけたんじゃないか!
今日の食事の支度だって、台所で手伝ったのは児玉さんだ!
姉さんはこっちで箸を並べただけなのを、俺はちゃんと知ってるんだぞ!
「じゃあ、今の雪見さんが在るのは、お義姉さんのおかげですね。ありがとうございます。」
児玉さんがお礼を言うようなことじゃありませんよ!
しかも、児玉さんに気に入ってもらった部分が、姉さんの教育の賜物だなんてこと、絶対にありませんから!
「かすみさんにそんなに言ってもらえるなんて、柊くんも幸せねえ。あのお見合いのことを思い出すと、今の状況が信じられない気持ちだけど。」
伯母さん……。
「あのときは、すみませんでした。」
「ホントよ。あちらのご両親が良いかただから、今回は大丈夫だったのよ。あんなことは、もう二度としないでちょうだいね。」
「あの、伯母さん。俺、もうお見合いはしませんから……。」
「あら、そうだったわね。せっかくお見合い写真が詐欺っぽくなくなったのに、残念ねえ。ホホホホ……。」
いや〜、清江伯母さんが機嫌良く笑ってるのを見たのは何年ぶりだろう。
これを見たら、本当に俺の結婚話が一段落したんだって、実感が湧いてきたよ……。
「でもさあ、親同士が気が合って、よかったよね。」
「桐子。」
親同士が気が合って……?
あのお見合いのときのこと?
それにしては、母さんの慌てた様子が気になるけど……?
「あたしの友達なんかさあ、両方の親が張り合っちゃって、そのとばっちりで苦労してるんだから。やっぱり親同士は仲良くできないとねー。」
「仲良くって……、母さんたち、あのお見合いのとき、そんなに話したの?」
「ええ、あの。」
「違うわよ、柊。お父さんとお母さん…と清江伯母さんで、かすみさんの家にあいさつに行ったのよ。」
「え?! いつ?!」
「去年の夏。アンタがあちらに押し掛けてすぐよ。」
そんなに前に?!
「桐子。それは言わないことに……。」
「言わないこと」って……児玉さんは?
児玉さんも知らなかったのか?
あ、その顔。
知ってたんですね……。
「いいじゃないの、言ったって。最終的に目出度くまとまったんだから。そういうわけでね、柊、お母さんたちはそこで仲良くなって、お芝居を見に行ったりしてるわけよ。」
お芝居を見に……。
いや、違う。
注目しなくちゃいけないのはそこじゃない。
「父さん、母さん、伯母さん。お世話をおかけしました!」
「柊。」
「柊くん……。」
きちんと座り直して頭を下げると、隣で児玉さんが、何も言わずに一緒に頭を下げてくれた。
「俺の勝手な行動をフォローしてくれて、ありがとうございました。心配かけてすみません。」
「柊……、いいのよ……。」
「俺、幸せな家庭を築きます。母さんたちに心配かけないように。」
「ええ。かすみさんとなら、きっと大丈夫よ。」
母さん……、ありがとう。
「そうよ。そして、しっかりと雪見家のお墓を守ってちょうだいね。」
清江伯母さん……。
伯母さんが気になるのは、やっぱりそこなんですね。
でも、いいです。
児玉さんと一緒なら、墓守だって、きっと楽しくできると思います。
「はい。分かりました。」




