お願いします! その1
「雪見さん!」
あ、児玉さんだ……。
一月一日、元旦。児玉さんの実家の最寄り駅。
改札口の正面で、笑顔で手を振っている彼女。
ベージュのコートにジーンズとブーツ、赤い手袋の児玉さん。
3日ぶりに会えたことが嬉しい。
「明けましておめでとうございます。」
そして、今年最初にあいさつをする相手が児玉さんだということも。
「あ、そうね。明けましておめでとうございます。」
微笑み合っているだけで、もう十分に満足な気がする。
このまま一日中でもこうやっていられるような……なんてわけには行かないな。
今日は、児玉さんのご両親に会いに来たんだから。
「雪見さん、バッチリ決まってるね。」
「そうですか? とにかく失礼がないようにと思って……。」
黒いコートを着込んでしまうと、正月早々、不幸があったように見えないかと不安だった。
かと言って、今日の用事を考えたら、あんまりカジュアルな服装というわけにはいかないし。
「大丈夫、颯爽としてるよ。それ、もしかして、お土産?」
「はい。甘いものがいいって聞いていたので、羊羹と花びら餅を買ってきたんですけど。」
「どうもありがとう。お正月らしくていいね。ねえ、すぐ近くに神社があるの。初詣をして行かない?」
「はい、是非。」
神頼みでも何でも、この際、頼れるものは何にでも頼りたい気分だ……。
心からのお参りをしたあと、おみくじを引くと、二人とも大吉が!
これからの試練を前に大吉とは、なんて幸先がいいんだろう!
『願い、叶ふ。結婚、よろし。家移り、よろし……。』
その他もろもろ、すべて良し。
俺の前にはバラ色の人生?
いや、これは今年だけなのか……?
「雪見さん。なんだかうまく行きそうな気がしてきたね。」
「はい。」
うん。
とにかく、今年ならすべて良し。
おみくじの……じゃなくて、俺の幸運が期限切れになる前に、児玉さんと幸せにならなくちゃ!
「まあまあ、雪見さん、いらっしゃいませ。」
家に着いて、児玉さんが玄関で声を掛けると、お母さんがパタパタと出て来てくれた。
親切そうな笑顔にほっとしつつも、やっぱり鼓動は大きくなって、手には汗が。
「あ、明けまして、おめでとうございます。しん……新年早々、お邪魔いたします。」
息が苦しくなってきたよ……。
どうしよう、お父さんのところに行き着く前に倒れたりしたら?
「明けましておめでとうございます。さあ、どうぞ。……あら、お土産? まあ、ご丁寧にありがとう。」
「い、いえ……。」
うまく声が出ない。
呼吸が規則正しくできてないし。
心臓の音がこめかみに響く……。
俺、ちゃんとお父さんにあいさつができるのか?!
「かすみ、コートを……あら? なんだか夏よりもスマートに……?」
「は、はい。あの、こだ、かすみさんの、おかげで。」
呂律が怪しい!
どうしよう?!
「まあ、そうなの。ますます素敵になっちゃったわねえ。」
「え、は、はあ。」
褒められてる? お世辞?
こういうとき、お礼を言っていいのか? 謙遜するべき?
ああ、わからない〜!!
「あなたー、雪見さんがみえたわよー。」
さあ、いよいよだ……けど。
脚の力が抜けそうだ!
俺、まっすぐに歩けてるのか?!
いや、ダメだろ、こんなところでコケたら!
頑張れ、もう少し!
「どうぞ。」
お母さんが開けてくれたリビングのドアを入ると、正面のソファに、グレーのカーディガン姿のお父さんが ――― 。
どこまで近付くべきだろう?
さすがに、いきなり土下座はないよな?
とりあえず、テーブルを挟んだ位置へ……うん、この辺だな。
「あっ、明けましてっ」
うわ〜、声が裏返った!
「おめでとうございます!」
落ち付け落ち着け。
いくらなんでも、いきなり怒鳴ったりはされないはずだ。
「む……、おめでとう。」
おお、返してくれたよ……。
一応、無視はされてないのか。
「雪見さん、どうぞそちらに座って。今、お茶を持ってきますからね。」
お母さん、ありがとうございます!
「はひ。」
「ぷ。」
児玉さん?!
いくら俺の返事が変だからって、笑うなんてひどいです!
心臓も、呼吸も、口の中も、今の状態で言葉を話せていることの方が不思議なくらいなんですよ!
立っているだけだって、そろそろ限界だったのに!
――― って。
児玉さんもキッチンに行っちゃうんですか〜?
俺、お父さんと向かい合って二人きり……?
お父さん……?
無言で新聞読んでる。
難しい顔。
やっぱり、俺のことを気分良く迎えてはくれないよな。
どうしよう?
用件をさっさと済ませてしまいたいけど……いきなり切り出したら変かな?
でも、お父さんだって、俺がどういう用事で来たのかは察しがついてるはずだ。
そうは言っても、世間話もしないまま重要な用件を切り出したりしたら、常識がないって思われてしまう?
もともとマイナス評価なのに、さらに減点?
「あ、あの、」
うわ。
新聞越しに見る目が、明らかに不機嫌だ。
どうしよう?!
「こっ、今年のお正月は、穏やか、な、お天気、ですね。」
ロクな話題が浮かばない〜!
児玉さん、早く戻って来てください!
「む……。」
それは同意ですか? 違うんじゃないかって思ってるんですか?
ああ、手のひらに汗が。うわ、額にも。
う〜〜〜〜、もういいや!
言ってしまえ!!
「あのっ。」
あ、立ってしまった。
うわ、こっち向いた。
怖いけど、頑張れ!
とにかく、床に正座だ。よし!
「あのっ、こだ…かすみさんと、結婚させてくださいっ!」
「あ?! 雪見さん、一人で先に?」
あれ?
児玉さん、戻ってきたのか?
許しをもらえるまで頭を上げないつもりだから見えないけど……。
と、思っていたら、児玉さんがやって来て、隣に座ってくれた。
「お父さん、わたしからもお願いします。雪見さんとの結婚を許してください。」
児玉さん……。
こんな状態なのに、幸せがこみ上げてくる。
児玉さんが、俺と結婚するために、一緒に頭を下げてくれているから。
このひとを幸せにしてあげなくちゃ。
一生、大切にしてあげなくちゃ……。
俺が感動に浸っている傍らで、児玉さんのお母さんがテーブルにお茶を出すカチャカチャという音だけが聞こえていた。
お父さんは何も言ってくれない。
新聞のカサカサいう音もしない。
動けないほど怒っているんだろうか……?




