言っちゃった・・・。
第十章『覚悟の冬』です。
ちょっとまずいかも……。
11月半ばの月曜日。
昼休みが終わったとき、ほっとして椅子に座りながら気付いた。
頭がぼーっとして、肩から肘、腰から太ももにかけての重い痛み。
俺の、熱が出たときの症状だ。
少しのどが痛いのも、気のせいじゃない。
原因は分かっている。
今朝のシャワーのあと、湯冷めしたのだ。
朝のジョギングは調子よく続いていた。
少しずつだけどスピードも上がってきたので、先週から走る距離を伸ばした。
一方で、ここのところ、日の出がみるみる遅くなって、朝の気温も下がってきた。
今朝、シャワーを浴びながら、もっとお湯の温度を上げなくちゃと思ったのに、面倒くさくてやらなかったのがいけなかった。
出たあと、寒いなと思いながら、濡れた髪のままウロウロして……、その結果がこれだ。
ああ……、だるい。動くのが億劫だ。
ダメだな。
さっきまでは気付かないで動いていたのに、具合が悪いって思ったら、たちまちこんな状態になったりして。
まさに、 “病は気から” のタイプ?
だけど……、体が重い。関節が痛い。
もうダメだ。
誰も見ていないし、机に突っ伏して寝ちゃおうかな……。
「あれ? 雪見さん、どうした?」
「坂口先生……。」
寝てる場合じゃないや。
ちゃんと起きて、仕事をしなくちゃ。
……と思うけど、動く気が起きない。
「ん〜? 顔も目も赤いよ。熱があるんじゃないの?」
わかりますか……?
「たぶん……。」
「大丈夫なの? 今日はもう帰ったら?」
「ありがとうございます……。でも、大丈夫です。あとで、堀内先生に解熱剤でももらって来ますから……。」
「そんなこと言ってないで、帰って休んだ方がいいよ。無理すると長引くよ。」
「でも……、仕事が……。」
「1年生の理科の授業はひと通り終わったんだろう? それに、図書委員だって、雪見さんがいなくても、たいていのことはできるよね?」
「ええ……、でも、新刊のチェックがありますし、さっき納品された雑誌が……、明日のブックトークの準備も……。」
3回おこなったブックトークは回を追うごとに参加者が増えて、借りて行く生徒や予約も増えている。
効果が出始めたばかりのところで中断はしたくない。
「その様子だと、明日だって来られるかどうかわからないだろうに。」
「いいえ……。絶対に来ます……。」
でも、体がつらい……。
「雪見さん。前にも言ったけど、そんなに無理してまで頑張る必要はないんだよ。利用者だって、10月末の累計で、もう去年の2.3倍だったじゃないか。このまま行けば、年度末に3倍は間違いなく達成できるよ。だから、ブックトークを一回くらい休んだって……。」
「……3倍じゃダメなんです。」
具合が悪いせいか、隠しておくことも面倒だ。
うん……、もう話しておいた方がいいや。
坂口先生はこんなに心配してくれているし、図書室担当の先生なんだから……。
「……どういうこと?」
「5倍が必要なんです……。」
「5倍?! なんで?!」
やっぱり驚くよな……。
「児玉先生のお父さんとの約束で……。」
「児玉先生の……お父さん?」
「はい……、結婚を許してもらう条件が……。」
「えぇ?! 条件って……利用者5倍が? 結婚の条件?」
「はい……。」
「雪見さん……。そんなこと、いつ約束したの?」
「ええと……、夏休みに入るころに……。」
坂口先生、黙ってしまった……。
きっと呆れてるんだろうな、無謀な約束をしたって。
そして、できなかったらどうするんだろうって、思ってるんだろうな……。
「何をやってるんだ!」
!!
「そういうことは、もっと早く言わなくちゃダメじゃないか!」
「は、はい。」
怒られた……。
「そんな数字、雪見さん一人で簡単にできるわけがないだろう? どうして、もっと早く言わないんだ!」
「す……、すみません。でも、個人的なことですし、先生たちには、もういろいろと協力していただいて……。」
「それは授業の話だろう? それに、個人的なことって言ったって、自分の人生がかかってるんじゃないか。そんな大事なことを。」
「はい……。」
怒られて当たり前か……。
でも、個人的な理由で仕事に力を入れていることを怒られているわけじゃないんだ……。
「で? 達成できる見込みはあるの?」
「今のところ……厳しくて……。」
「そうだろうね。はあ……、まったく……。」
「すみません……。」
無謀な約束だったということは分かっている。
「雪見さんはまだ若いから分からないかも知れないけどね、仕事でも、普段の生活でも、自分一人の力ではできないことがあるんだよ。そういうときは、周囲に助けを求めなくちゃダメだ。他人を頼ってもいいんだよ。」
坂口先生……。
「みんなで考えれば、いいアイデアも浮かぶかも知れないじゃないか。昔から、『三人寄れば文殊の知恵』って言うし、『亀の甲より年の功』とも言うだろう?」
「はい……。」
心配してくれてるんだ……。
俺を応援してくれようと……。
「ありがとうございます……。」
「もっと早く知っていれば、生徒をどんどん送り込んだのに。3年生はもうすぐ自由登校で来なくなっちゃうよ……。」
「すみません……。」
「まあ……、謝る必要はないけどね。」
そんなことはない。
3年生の担任をしている坂口先生は、今、ものすごく忙しいはずだ。
気がかりなこともたくさんあるはず。
なのに、俺のことまで心配してくれる……。
「とにかく今日は帰りなさい。ここのことは、僕ができる範囲でやっておくから。」
「でも……。」
「明日も無理はしないこと。無理をして長引く方が面倒なんだから。仕事は休んだら休んだで、どうにかなるものだよ。」
「……はい。」
そうなのかも知れない。
ああ……、もう、細かいことを考えるのも億劫だ。
とにかく横になりたくなってきた。
帰ろう。
すぐに。
「すみません。ありがとうございます。」
坂口先生。
心配してくれて、ありがとうございます。
叱ってくれたことも、嬉しかったです。
「それにしても5倍とはね……。いくら、苦労して手に入れた方が大切にするようになるとしても、5倍は目標が高過ぎじゃないの? 児玉先生って一人娘なの?」
「いえ、お兄さんがいます。お見合いのときにちらっと……。」
「お見合い?」
しまった!
「お見合いって、雪見さんと児玉先生って、もともとそういう関係だったの?!」
「い、いえ、違います。」
まずい……。
ここまで話すつもりじゃなかったのに。
頭がぼんやりしてるから、ついうっかり……。
「あの……、お見合いは2年前で……、その、断られて……、ええと、それっきり忘れてて……。」
「忘れてた? 相手を?」
「はい……。ここで会ったときも、児玉先生に言われるまで分からなくて……。」
「会っても分からなかったの? お見合いした相手なのに?」
「はい……。」
さすがに、よく見なかったからとは言えない……。
「で、一度断られたのに、また……。」
「ええ……、まあ、そういうわけで……。」
「それで5倍ね……。なるほど……。」
納得してくれたみたいだ。
多少ニュアンスが違うけど……。
「ふーん。雪見さん、児玉先生のこと、そんなに好きなんだ?」
「え? あ、の、その、ええと……。」
ああ、余計に熱が……。
息苦しくなってきたし……。
「ああ、長くなっちゃってごめん。早く帰りなさい、図書室のことはこっちに任せて。」
「……はい。よろしくお願いします。」
「お見合いの話は黙ってるから、心配しなくていいよ。」
「はい。すみません……。」
「いやー、それにしても結婚の条件とはねえ。雪見さんも頑張ってるねえ、あはははは……。」
頑張るしかないんです。
児玉さんは、世界に一人だけしかいないんですから。




