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児玉さん。俺、頑張ります!  作者: 虹色
9 十月の章
102/129

心を引き締めて


「あっ、ダメ!」


児玉さんの慌てた声に驚いて手を止めた。

お皿をテーブルに置いて近付いてきた児玉さんが、呆れた顔で俺を見る。


「もう。危ないじゃない。これは圧力鍋だから、いきなり開けたらフタが飛ぶよ。」


「あ……、そうなんですか。すみません。」


圧力鍋って、初めて見た。

どうも厳重な雰囲気だと思ったけど……。


「くく……。雪見さんて、よく鍋のフタを開けて覗いてるよね?」


「気が付いてました? 中に何が入っているのか気になるので……。」


食いしん坊みたいで恥ずかしいかも。


「普段はいいんだけど、この鍋だけは勝手に開けないでね。危ないから。」


「はい。」


児玉さんの部屋のダイニングキッチン。

マラソンにチャレンジすることになった俺のために、児玉さんが夕食を作ってくれるようになってもうすぐ2週間。

最初、毎日は無理だと彼女は言ったけれど、結局はほぼ毎日、夕食を作ってくれている。

その日その日にどうするかを決めるよりも、 “やる” と決まっている方が簡単なのだそうだ。



マラソンのトレーニングは、走るのを朝、筋トレを夜にしている。

夜は仕事の状況によって予定が立てにくいから。

それに、児玉さんと一緒に過ごせる時間をたくさん確保するため。


最初は、長く走り続けることができなかった。それに、午後2時ごろになると眠くなってしまって困った。

でも、2週間が過ぎて、どうにか予定のコースを走りきれるようになった。

今は就寝時間を早める習慣がついて、体が楽になってきたところ。


昼間、図書室に寄った児玉さんが、俺のエプロン姿に満足げに微笑んでくれた。

どううやら、ようやくカフェのマスターに行き着いたらしい。

さっき、スーツの上着を脱いだときには、ゆるくなったパンツの腰回りを見て驚いていた。

背中とわき腹を指で押して、


「もうぷよぷよしないねえ。」


と感心してくれた。(お返しに、俺もちょっと押させてもらった♪)

今度の休みに、一緒に新しいスーツを買いに行くことになっている。



俺は今、毎日が楽しくて仕方ない。

一緒に買い物をして帰る日もあるし、俺の方が遅くなってあとから児玉さんの部屋に着くと、彼女が「お帰りなさい。」と言ってくれる日もある。

児玉さんが遅くなる日や休日には、俺が夕食を作ることもある。

手際の悪い俺の作る食事は、品数が少ない分を量でカバーしてしまうことになるけど。

でも、味付けもそれなりの俺の料理を、児玉さんはいつも「美味しい」と言ってくれる。


食費用の箱を用意して、二人のお金を入れた。

お互いの合い鍵を交換した。

婚約指輪を渡して、児玉さんからはネクタイピンをもらった。

もう立派な婚約者だ!



「サラダのドレッシングは何がいい?」


冷蔵庫の前で児玉さんが尋ねている。

赤いエプロンをかけて振り向く姿は、まさしく “可愛らしい奥さん” そのもの。

どこかの雑誌の表紙にでも使いたいくらい。


児玉さんにほんとうの俺の奥さんになってもらうため、図書室利用者5倍に向けて頑張ろうと、決意を新たにする日々が続いている。

彼女は、結果がどうであれ、間違いなく結婚してくれるつもりでいるけれど。





「何かいい案はありますか?」


10月の図書委員会。

来月の計画について、委員長さんが意見を求めている。


毎年11月は、図書委員会が読書推進の取り組みをすることになっている。

去年までは、おすすめの本を選んでおいて、そのリストを掲示する程度だったらしい。

けれど、最近の図書室の盛況ぶりで委員さんたちにスイッチが入ったようで、それでは物足りないという意見が出たのだ。


「雪見さんが昼休みにやってるみたいに、直接、本を紹介するのはどうかなあ?」


ブックトークを見てくれた生徒?



今月から始めた第一、第三火曜日のブックトークは、初の試みにしては順調な滑り出しといえる。

学習コーナーのカウンター側でやっているので、図書委員にも聞こえていたのかも。


もともと昼休みは利用者が多いのだけど、開始前に図書室内を一回りして声をかけたら、初日は10人ほどが集まってくれた。

たまたま来ていた社会科の先生が一緒に聞いていて、2回目の歴史がテーマの日には話す側にまわり、一冊、熱く語ってくれた。

生徒たちは、授業とは違う先生の話しぶりを目の当たりにして、少し驚いたらしい。

先生は、その本を借りたいと言う生徒がいたし、歴史好きの生徒と会話ができたりして、嬉しそうだった。

その日はほかに2人の先生が見に来ていて、それぞれ、自分も紹介したい本があるのだと言ってくれている。

そのうち、俺の出番がない日も来るかも知れない。



「雪見さん。わたしたちにもできますか?」


「できるよ。それなりに練習が必要だけど。」


「あ〜、練習か〜。俺、時間ないな〜。」


「あたしも。部活があるし……。」


「俺たち3年は無理だな。」


何人かの発言に、みんな、なんとなく顔を見合わせる。


彼らの気持ちは分かる。

当番で来てくれたときに図書委員と話をしてみて気付いたのは、この中に二通りの生徒がいるということ。

本が好きで図書委員になった子と、仕事が少ないという理由で図書委員を選んだ子。

まあ、仕事が少ない系の生徒でも、本が嫌いなわけではないから、仕事はそれなりに興味と責任を持ってやってくれている。

けれど、普段以上に時間を取られてしまうとなると、簡単に賛成はできないのは当然だろう。


「あのう、どうしても今までと同じじゃダメなんですか……?」


進まない議論に、一年生が声を上げた。


「うーん……、そういうわけじゃないけど……、なんていうか、地味じゃない?」


地味…か。なるほど。


「せっかくやるんだったら、見る人も、自分たちも、楽しい方がいいかな、と思って。」


「ああ……。」


委員たちのあいだにほっとしたような笑顔が浮かんだ。

義務としてやるのではなく、楽しみながらやるという考え方が、受け入れられたようだ。


「あの。」


2年生の女の子。たしか、草野さんだ。

委員長が「どうぞ。」と一言。


「リストのほかに、ポップを作るのはどうかな? 本屋さんにあるみたいに、手書きで、可愛い形の……。」


「ああ! 本のところに下がってたりするあれ?」


「いいね。お薦めの本が目立つもん。」


「そのくらいなら、やってもいいな。」


「伊藤先生。画用紙とか、色ペンとか、ありますよね?」


さっきよりずっと前向きだ。

4月に初めて会ったときに比べると、生徒たちが格段に元気になっていると思う。


「大丈夫だよ。足りなかったら買えるし。」


「あ、ちょっと待って。あの、雪見さん。」


「あ、はい。」


「ポップを貼る場所はありますか?」


「特集コーナーに出す予定だよね? 30冊だと……メモばさみを利用したり、ワゴンのまわりに貼ったりすればどうにか……。」


みんなの視線が図書室中央の特集コーナーに集まる。

机一つとワゴンの一番上。

そのまわりに30枚のポップ……。


「なんか、せっかく作っても、目に留まらないような気がする。」


「ごちゃごちゃし過ぎだよね?」


たしかに。


「ねえ、棚に貼るのは?」


「棚?」


「うん。本を特集コーナーに出すのはやめて、棚に入れておくの。で、ポップはその棚に貼るの、『ここにあります。』ってわかるように。」


棚か……。


俺と伊藤先生が書架の方に歩いて行くと、草野さんも立ちあがった。

そうして、縦に並んでいる書架のこちらに向いている側面に手をかける。


「ほら、ここのところにね、この列にある本のポップを貼るの。そうすれば、あっちこっちにバラバラに貼ることになるから、逆に目立つでしょう?」


「ああ、うん、ホントだ。」


「でね、こっちの壁際の棚は一番上の枠に。どう?」


なるほどね。

目立つという利点以外にも、室内が楽しい雰囲気になりそうなところがいいな。


「いいんじゃない?」


「なんかさあ、俺たちの図書室って感じ、するよな?」


「予約がいっぱい入っちゃうかも♪」


生徒たちが笑顔になる。



“俺たちの図書室” 。



……そうか。

生徒たちに身近な図書室は、利用してもらうだけじゃなくて、一緒に作っていく作業も必要なんだ……。


そうだ。

先生たちも同じだ。


夏休みに自由席の机を選んでくれた小野先生が、夏休み明けからときどきやって来て、「この色、和むわ〜。」とのんびりしている。

通りすがりにのぞいて行く大谷先生は、マトリョーシカで遊んでいる生徒がいると、目を細めて見ている。

以前、坂口先生が怪談の朗読をしてくれたことも、先生たちがブックトークをする側にまわってくれることも、図書室を自分たちのものと気付いてもらうきっかけになるんだ。



委員さんたちの間で手順や担当が手際よく決まっていく様子を見ていたら、なんだか嬉しくなってしまった。

同時に、何年もこの仕事をしてきたのに、今になってようやく気付くこともあるのだと知り、これからも毎日が勉強だと心を引き締めた。









ここまでで、第9章「十月の章」は終わりです。

次からは第10章「覚悟の冬」です。

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