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児玉さん。俺、頑張ります!  作者: 虹色
9 十月の章
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二人の出会いは


「本気でやらなくてもいいからね。」


指輪を買いに行った日曜日、ランチを食べながら、2月のマラソン勝負の話題になった。

児玉さんが日曜日に用事があるかも知れないと言ったのはただの口実で、不安が解消した今では、指輪を買うことに何の障害もなかった。


二人の関係に不安なくなってみると、児玉さんは今度はマラソン勝負のことを気に病みはじめた。

いくら俺が児玉さんのせいじゃないと言っても。


「でも、ちょうどいいんです。最近、体重が減らなくなっているし、ジョギングにはいい季節になってきましたから。」


体重は80キロを切ったところで、減るのが止まっている。

堀内先生は今の体重なら標準の範囲内に収まっていると言ってくれているし、児玉さんも今の体型をカッコいい(♪)と褒めてくれている。

けれど、俺としてはあと2キロくらい減らしたい。それも、できれば運動で。

せっかく痩せるなら、引き締まった体型になりたいのだ。


「そう……? でも、無理はしないでね、忙しいんだし。」


「はい。」


こうやって児玉さんに優しくしてもらえるのも嬉しい。

黒川さんはあんなことを言っていたけど、児玉さんが俺との結婚をやめて、黒川さんのもとに戻ることなどあり得ない!


「あ、そうだ! これからは、夕食はうちで食べない?」


え?


「毎日は無理かも知れないけど……。ほら、本には、食事も大切だって書いてあったでしょう?」


「あ、ええ、はい。」


“本” とは、俺がトレーニングを始めるにあたって買った、マラソンの入門書のこと。

走るフォームや日を追うごとの練習メニューのほかに、食事やレースでの注意事項、各地の大会の制限時間なども載っていた。


「黒川さんは、やると決めたら本格的にやるひとだから、たぶん、スポーツクラブなんかでトレーナーについてもらったりすると思うの。だったら、雪見さんにはわたしが食事で協力するから。ね?」


「いいんですか? 児玉さんだって忙しいのに。」


「いいの。わたしも雪見さんの役に立ちたいんだもの。でも、片付けとか、お手伝いはしてね。」


「はい、もちろんです。ありがとうございます。」


児玉さんの手料理を、一日に2回も食べられるなんて!

もう、半分結婚したようなものじゃないか!


黒川さんはあの勝負で児玉さんを取り返すつもりでいるけど、結果的には、俺たちを近付ける手伝いをしている。

気の毒なことだ。


「そういえば、児玉さん。黒川さんは、児玉さんが変わったって言ってましたけど……。」


「ああ、その話?」


やっぱり気軽に肯定してる。

変わったことを前向きにとらえている証拠?


「俺とお見合いをしたころは……?」


「ああ、あれ? あれはね、変わる前。」


「そうなんですか?」


「うん。 ……うふふふ。」


「どうして笑うんですか?」


「あれが、一番大きなきっかけになったから。」


「え……?」


「あれで吹っ切れたって言うかね……。」


思い出すように少し遠い目をして、児玉さんはもう一度笑った。


「だってね、自分が……何ていうか、取るに足りない人間だって分かったから。」



!!



ズキン、と胸が痛んだ。

浮かれていた気持ちが重くなって、鳩尾のあたりに固まっていく。


「児玉さん……。」


自分のことを「取るに足りない人間」だなんて。


俺がそんなふうに思わせたんだ。

児玉さんに興味がないことを態度で示して……。


「あ、やだな、雪見さん。雪見さんは悪くないのよ。むしろ、感謝してるくらいで。」


「え……?」


感謝?

俺に?


「あのとき、最初はね、もちろん腹が立ったよ。でも、わたしだって興味半分だったのは間違いないし、相手がわたしなんかじゃね。」


「児玉さん。そんな ――― 」


「まあ、とにかく聞いて。」


先生らしい笑顔を浮かべて俺を制すると、そのままにこにこしながら、児玉さんは話し始めた。


「わたしね、あのお見合いで、それまでの価値観から解放されたの。それまでは、女性としての評価ばかりを考えていたの。」


「女性としての評価……?」


「うん。その基準がね、まあいわゆる古いタイプの “理想の女性” って感じでね。男の人より一歩下がって控え目で、家庭内のことには優秀で、見た目も綺麗で、 “良妻賢母” って言われるような。で、幸せは、王子様みたいな男の人と結婚することで得られるものだって思っていたの。だって、昔話にはよくあるでしょう? 王子様と結婚したら、『めでたし、めでたし。』で終わるの。」


「ええ……、ありますね。」


女の子なら、そういう結末を夢見ることはきっとあるはず。


「でもね、そういう価値観に、あのお見合いが見切りを付けさせてくれたの。あのお見合いっていうよりも、雪見さんが。」


「俺が……?」


児玉さんが変わった理由に……?


「自分が綺麗じゃないことはもともとわかっていたけど、」


「児玉さん。それは」


「いいから聞いて。」


楽しそうな笑顔。

本当に何とも思っていない……?


「それまではね、誰の基準かわからない “女ならこうあるべき” っていう価値観を追いかけていたの。それに従って、髪を伸ばしたり、服を選んだり……、大学で家政学を選んだ大きな理由もそうだった。もちろん、好きではあったんだけど。黒川さんは、そういうわたしを選んだのよ。当時のわたしの価値観が、黒川さんの価値観と一致していたの。」


価値観の一致。

一緒に暮らすためにはとても重要なことだ。

だから黒川さんは、あんなに自信を持って……。


「雪見さんとお見合いしたのは、黒川さんと別れて間もなくのことよ。たぶんね、それまでにも少しずつ、自分の中に違和感が生じていたんだと思う。だから黒川さんのプロポーズを断って……。」


「プロポーズ?!」


黒川さんからプロポーズをされていた?

単に別れたわけではなく?


「そうよ。あのとき、黒川さんには仕事を辞められないからって説明したけど、本当は自分の中に結婚に踏み切れない何かがあったのね。」


「そこで踏みとどまってくれてよかったです。」


「ふふふ。で、お見合いのときの雪見さんの態度を見て、自分が理想のために努力をしても、所詮はこんなものなのかって思って。」


「児玉さん……。」


俺を責めてないって、本当ですか……?


「もう、そんな理想を追いかけるのはやめようと思ったの。だって、努力したって無駄だってわかったんだもの。」


「そんなことを伝えたかったわけではなかったんですけど……。」


やっぱり申し訳ない。

ほんとうに、俺はどうしようもないヤツだった。


「でも、それでよかったのよ。そのおかげで、わたしは自分らしさを見付けることができたんだから。」


「そうなんですか……?」


「そうよ。『わたしが好きなことは何?』、『わたしがやりたいことって何?』って考えて、それを表に出してみたら、とても気持ちが軽くなったの。自由な気分っていうか。」


自由……。


「それまでだって家庭科の教師だったのに、そのときから家庭科のことを、それまでよりもずっと好きになったのよ。」


理想から解放されて、ほんとうに好きなことに気付いた?

誰かからの押し付けじゃなく、自分の中の目標を見付けた?


「4月に会ったとき、雪見さんはわたしのことを覚えていなかったでしょう?」


「あ……、はい……、すみません。」


「違うの、責めてるんじゃないの。お見合いのときのわたしには個性がなかったのよね。それってたぶん、自分とは違う、どこかで作り上げられた女性像を演じていたからなのかもね。」


「あの! 4月に会ったときには、初日に児玉さんを見付けましたよ!」


そうだよ。

これだけは言っておかなくちゃ!


「お見合いで会った相手だとは分かりませんでしたけど、あの最初の日、俺の目には児玉さんが一番、印象に残りました!」


「あ、そうだったの? じゃあ、わたしと雪見さんは、出会いをやり直したのね。」


「そうです。そして、2回目は成功したんです。絶対に。間違いなく。」


俺の言葉を聞いて、児玉さんは優しく笑った。


「じゃあ、雪見さんは、あのお見合いのことを気に病む必要はないのよ。」


「でも……。」


「うーん、何て言えばいいのかな……。そうだ! あれはきっと、ああじゃなくちゃダメだったんじゃない?」


「ああじゃなくちゃ……?」


「だってね、あの時点では、わたしは今のわたしじゃなかったんだもの。」


「それはそうかも知れませんけど……。」


「そうでしょう? あれをきっかけにして、わたしは変わったんだもの。あのときに雪見さんが真面目にお見合いに挑んでいたとしても、わたしのことは気に入らなかったと思う。」


あ……。


「だから雪見さんは、あの日のわたしを覚えている必要がなかったのよ。あれは、 “あれでよかった” っていうよりも、 “ああじゃなくちゃダメだった” のよ。」


“ああじゃなくちゃダメだった” ………。


「よかったよね、あんな出会いで。」


“あんな出会い” ……。


「そう…ですね。」


俺は、児玉さんのことを覚えていなかった。

覚えていなかったから、出会いをやり直せた。


児玉さんに、俺は失礼な態度をとった。

それが児玉さんの中で消化されて、今の児玉さんがいる……。


そして、今ここで、児玉さんと俺は一緒にいる。


「今が幸せだと、過去のことも全部 “よかった” って思えるよね?」


「……はい。」


そのとおりだ。

俺は今、ものすごく幸せで、今の職場に来たことや、太ってしまったこと、あとの2つのお見合いを断られるように仕向けてきたことも……とにかくすべてのことが、あれでよかったのだと思える。

あの日の俺が愚か者だったのは間違いのないことだけれど……。


「児玉さん。俺、今の児玉さんに会えて、ほんとうに幸せです。それと、その児玉さんに、俺を気に入ってもらえたことも。」


2年前の馬鹿な俺を許して、それを自分を変えるきっかけにした児玉さんは素晴らしい女性です。

しかも、あんな俺を許すどころか、肯定してくれるなんて。

そして今は、俺が頑張っている姿に期待して、一緒に人生を歩いて行こうと思ってくれている。


「うん。わたしも、雪見さんが気に入ってくれるような人間になれてよかったよ。だって雪見さんは、ほんとうにいいひとだもの。」


児玉さんの言葉が胸に沁みる。


ありがとうございます。

そう言ってくれる児玉さんが大好きです。



過去の積み重ねが今。

そして、今の積み重ねが未来……なんだ。


過去にしでかしてしまった失敗を、くよくよと後悔しても仕方がない。

失敗を含めて全部、今の自分そのものなんだから。


失敗したら、次は間違わないようにすればいい。

また失敗するかも知れないけど、これからは、そのときにできる一番いい方法をよく考えることにしよう。

安易な方法を選択をして他人を傷つけることは、二度としたくない。たとえ、 “傷つける” という同じ結果になるとしても。



児玉さん。

俺、これからも、児玉さんに似合う男になれるように頑張ります。


見ていてください。

そして、応援してください。








今回は、少し長くなりました。

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