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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第三章 『反転』
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第三章19 『疑問、理解、無理解』



 ——拳を交える音。


「————ぁは、いいですよぉ! 最っ高ですあなた!」


「————アタシ、それぞわわってするからやめて欲しいな!」


 例に漏れず趣味の悪い灰色の部屋に響くのは、打撃の応酬、それによる痛烈な音だ。

 地を震わせ、当たれば粉微塵になるであろう一撃。一切の油断を許さず、一切の躊躇を許さないその一撃は、小さな少女と女性の二人。彼女らから放たれていた。


 一つ結びの毛先を黒く変色させ、普段の愛らしい見た目にそぐわぬ強靭な手足で女性——哀に襲いかかる少女、ユズカ。

 彼女が放つ拳突き、肘打ち、裏拳、高段蹴り、サマーソルト。いずれも奏太が最初期に目で追えなかったことに納得がいく程の速度だ。

 瞬きの一瞬でさえ油断は出来ないし、それに重さも乗っているのだから凶悪なことこの上ない。

 だが、


「あぁ、気持ちいいですよぉ? あなたの、その、一撃っ! たまりません!」


 ユズカの攻撃の全てを受け、あるいは流す彼女もまた、言動も合わせて凶悪だ。

 恍惚な笑みを浮かべているのは、狂気的な好意ゆえか、あるいは余裕か。

 どちらにせよ異常な場であることに変わりはなく、


「……すごいな」


「……うん。ユズカと互角に戦ってるなんて」


 それを離れた場所で見つめる奏太と芽空は、驚き息を呑む。


 ——隣で艶美な笑みを浮かべるHMA総長藤咲華が望んだ光景であったとしても、だ。


 十数分前、ファミレスで出会った時同様の気味の悪さを纏って会合にやって来た暗情哀。彼女の登場とともに華が述べたのは、


『HMAからも、貴方達に手を貸しましょう。私とハクアは参加しないけれど……それでも、彼女一人で相当な戦力になるはずよ』


 哀の実力への高い評価。

 強さの一切を疑わないその言葉には、紛れも無い信頼があるのだろう。ユズカも同様のことを口にしていた以上、嘘であるはずはないと思ったわけだが、


『——ねえ、ソウタおにーさん。アタシこのぞわわってする変なおねーさんと戦ってみてもいい?』


 試すように、実力者を見て気持ちが昂ぶるように。

 ユズカは立ち合いの申し込みをしたのだ。

 その愛らしい顔立ちに、好戦的な笑みを浮かべて。


「ユズカも強い。間違いなく強いはずなんだけど」


 そうした経緯で戦闘を行っている、ラインヴァント一の強さを誇る『獅子王』。

 奏太がそう称す程の強さを誇るユズカは、一切手を抜くことなく全身全霊を持って哀に相対している。それは奏太との稽古時と比べたとて、何ら差異はないはずだ。

 だというのに、相対の相手は苦戦を強いられるどころか、同等の力で均衡状態を守っていた。


 疑問……よりも大きな動揺と困惑、そして驚きが胸中の中で渦巻いているのが分かる。憧れとも言うべき熱い感情が、沸々と奏太の中で湧いてきているのも。


「普段の言動は褒められたものじゃないけれど、あの子——アイは『トレス・ロストロ』の一人よ。貴方も幹部の強さは知っているでしょう?」


 そんな奏太を見たからなのだろうか。

 先程から沈黙し場を見つめていた麗人、藤咲華はゆっくりと奏太に問いかけてくる。


 それを受け、奏太は華が指したユズカと対峙している暗情哀、改めアイを見つめると、


「……ああ。確かにあの男も強かったよ」


 不快感で顔を歪め、苦々しく呟く。

 蓮を殺した男、ハクアを頭に浮かべて。彼の強さをアイに重ねて。


「アイもそうだけど、ハクアのあれは人並み外れた力……ってだけじゃ言い表せないよな」


 それはソウゴ及び華にも言える。およそ奏太が思いつく限りの理論、可能性を述べたところで、正解にたどり着くどころかかすりすらしないだろう。


 ハクアを例にとってみれば、あの魔手だ。

 拳を握る。誰にでも出来るその動作を、誰とも変わらないそれを構えぶつけるだけで、いとも簡単に壁や柱といった建物を、人体を破壊してしまう絶大な威力をあの魔手は秘めていた。


 そしてそれは、何も腕だけに限った話ではない。

 魔手たる力をハクアは全身に宿していたのだ。


 子どものように地団駄を踏んだだけで衝撃が生まれ、地面がめくれ上がる——これを仮に『地崩し』と称するとして。

 『地崩し』は、当たらなければ問題のない魔手とは違ってかなり厄介だった。


 魔手を攻撃手段に、『地崩し』を防御にする戦闘スタイル。

 遠距離からの攻撃手段がない以上は近づいて攻撃するしかなく、魔手を避けつつようやく攻撃を繰り出せる……そう確信したところで来るのが『地崩し』だ。

 それを上回る速度がなかったため、対策方法として奏太は室内で戦うことを選んだが、とにかく言えることは一つ。


 どうしようもなく巨大で強靭で厄介な、力の塊。

 

 仮にその道何十年のアスリート、あるいは武道の達人であったとしても、彼らの実力にはたどり着けないだろうという確信があった。

 『獣人』として『トランス』を扱えるようになった奏太だからこそ。ハクアと同等か、それ以上の強さを誇るユズカと毎日のように拳を交えている奏太だからこそ、華達は人の身に与えられた限界を超えている、と。


「………あ、れ」


 ————いや、そもそも。

 そもそも彼らを、人として扱ってもいいのか。


 ユズカの拳を受け流し、余裕の表情で軽やかに舞うアイを見て、ふとそんな疑問が湧く。

 今の今まで一切気にかけたことのなかった、疑問だ。


「————っ」


 それが核心に迫る『何か』のような気がして、思わず息を呑む。


 人でもなければ『獣人』でもない。だとしたら……何なのか。『トレス・ロストロ』と藤咲華は何者なのか。

 緊張が高まり、鼓動がどんどん早まっていくのが分かる。頭が、それに呼びかけられる口が、問いたい問わなければならないと訴えかけてくる。

 華が素直に弱点をさらけ出してくれる女性とは思えないが、それでもと。

 緊張で震える手を抑え、奏太は問いかけた。


「……華、一ついいか」


「あら、どうしたの? そんな硬い顔して。質問があるなら言ってみなさい。私がそれを答えるかどうかは話が別だけれど……」


「サイボーグって作れるのか?」


「…………サイボーグ?」


 沈黙。


 返ってきたのは、驚きと呆れの混じったおうむ返しと、ただひたすらな沈黙。

 度々見せてきた奏太を嘲笑うような視線でもなければ、『不老不死の魔女』としての顔でもない。

 美麗な容貌を損なわず、眉を寄せた彼女は、ただ純粋に奏太の質問の唐突さと内容に理解を示していなかったのだから。


 その反応に言った本人である奏太ですら困惑する。

 救いを求めるように隣の芽空を見やれば、彼女もまた華同様の反応を見せており。何か問いたげに首を傾げているあたり、まだ華と違って可愛げがあるというものだが……それでも痛い。温かい視線が痛い。


「…………って、ふざけてる場合じゃなくて」


 なんだか結論を急ぎ過ぎた気がして、ひとまず徐々に恥ずかしくなってくる頭を振りつつ、切り替える。

 そして、


「えっと……確かヨーハンさんも研究者だったよな。だから芽空にも意見を聞きたいんだけど。——技術の話だ」


 声に冷静を乗せて、話を切り出した。


「技術の話?」


「そう。それもここ数年……いや、十数年の間の話なんだけど。デバイスが登場したのって、俺たちが生まれる何年か前だったよな?」


「ええ。『獣人』が世界を襲った『大災害』、ちょうどその二年後——つまり今から約二十年程前に当たるわね。私達HMAによって開発されたデバイスが、普及するようになったのは。……何かしら、奏太君」


 芽空の問いかけに頷き、華に事実確認をすると、何とも素直な反応が返ってくる。

 それに奏太は口をあんぐりと開けて驚き、


「いや、まさかそんな素直に返ってくるとは思ってなかったから」


「あら、心外ね。私は貴方を気に入ってるのよ、奏太君。私を自失させる子なんてそうはいないわ。ハクアを倒したのも貴方なんだから」


「……子ども扱いかよ」


 理由を聞き、深くため息を吐く。

 実際見た目はともかくとして、奏太とは一回り以上歳の違う彼女だ。子供扱いされたとて当然のことと言えば当然なのだが、ともあれ。


 ひとまずそれを流しつつ、話を戻すと、


「そうしてデバイスの普及で技術が発展した……っていうのは授業で習ったんだけど、さっき言ったサイボーグ、なんてのは作れないのか? 例えば、そう。身体能力を飛躍的に向上させる……みたいな」


 半年前の近代史の頭に浮かべても絶対に出てきはしない類の質問を彼女らに投げかける。

 人道的観点から研究すること自体が難しいのは知っているし、非現実的なことではあるのだが……それでも。


「デバイスの医療機能を利用したドーピングがあるくらいだし、サイボーグも——」


 存在を確かめられたのならHMAの強さのカラクリを解くきっかけになる、そう確信して抱いた期待だった。

 だがその発言は、


「——無理」


 異なる立場、性質、種族に属する二人に口を揃えて否定される。


「…………そう、か」


「あら、意外ね。鼻息を荒くして言ったものだから、何か期待していると思っていたのだけれど。ショックではなかったのかしら」


「いや、ショックは受けてるよ。受けてるけど……」


 二人から否定され、ショックゆえかどこか薄ぼんやりとする視界。だが、それよりも先にと振り払い、艶やかな笑みを浮かべる麗人から芽空に視線を移す。

 すると彼女と目が合って、


「確かにロマンがある話だから、否定されるのは心苦しいよね、そーた」


 頷いて理解を示される。

 が、奏太が求めているのはそんなことではなく。


「まあそれはまた別の機会に話すとして。……えっと、参考までに理由を聞きたいんだけど」


「何の参考にするのかは知らないけど、分かった。じゃあ早速だけど……そーたは、デバイスの医療機能に範囲外があることを知ってる?」


「医療機能の範囲…………?」


 芽空に問われたことを口の中で呟き、思考する。


 ある程度のことが可能なデバイスの本来の役割である医療機能の、その範囲。

 例外なくどの箇所、どんな傷であれ治療出来ると思っていたのだが、違うのだろうか。


「外傷は治りが遅い、っていうのも違うよな」


「うん、違うよ」


「……ごめん、分からない」


 一瞬で否定され、特にそれ以上も思いつかなかったので、一瞬で手を挙げて降参の意を示した。

 それに対し、何故だか芽空はぺこりと頭を下げたかと思えば、


「こっちこそごめんね、そーた。私も意地悪な質問したね」


「どういうことだ?」


「……私たちのような立場か、趣味で過去の文献を漁るような人でない限りは知り得ない情報である、ということよ」


 彼女は意味深な言葉を呟き、次いで呆れるような息を吐く華がその説明を口にする。

 情報とやらは二人の発言から考えるに、あまり公表されていない事実であるとかそういった類の物なのだろうか。

 まさか組織単位での大掛かりな隠蔽などではないだろうが、果たして。


「そーたはデバイスが登場するひと昔前、まだアナログでの治療が主流だった頃は知ってる?」


「ん、まあそれとなく。授業で見知った程度だけど」


「じゃあペースメーカーみたいな機器も知らないかな。えっと、ね。昔は医療機器を体内に埋め込む形式の器具があったの。デバイスの仮想ファイルが主流な現代だと想像がつかないかもしれないけど」


「埋め込む……か」


 体の内部に発生する痛み、病、怪我、ウイルス、不具合。それら全てをインストールした仮想ファイルで治し、解決出来てしまう現代では確かに芽空の言う通り想像がし難い。

 目に見えて分かるような外傷であったとしても、致命傷でもない限り手術は行われないし、ましてや埋め込むなどという話は聞いたことがないのだから。


 そうして想像するのを諦めると、奏太は続けて飛んでくるであろう芽空の言葉に耳を傾け——、


「————いや、何か問題があるから使わなくなったのか?」


 傾けるよりも、前。

 それまで頭の中でぼんやりとした繋がりでしかなかった過去と現在、二つをつなぐための問題があるのではないかと疑念を抱く。


 それに対し、芽空は頷いて肯定すると、


「…………これはそーたが言ったサイボーグにも関係するんだよね」


 耳を疑うような事実を、先の発言をひっくり返すような話を始める。

 『無理』が奏太の解釈違いだったということだろうか。

 そう希望を抱くが、


「さっき無理って言ったのは……どういう?」


「結論から言えば実現は不可能だったってこと。いつの時代も変わり者の研究者はいてね、どうにかサイボーグを作れないか研究してた時期があったんだ」


「変わり者って……いや、まあ納得出来るけど。身近に何人もいるし。ちゃんといるんだな、男のロマンを求めてくれる人は」


 結論を述べられている以上、それが夢半ばで終わったことは確定であり、『トレス・ロストロ』と華がサイボーグである……などという発想は消えてしまった。

 代わりに男のロマンを求めてくれる人が過去にはいた、ということだけが分かって。


 多少なりヒントを掴めれば、今後敵対することになった時迅速かつ適切な対応が可能かと思ったのだが、都合の良すぎる話だったか。


「そーた。話の続きだけど——ペースメーカーとサイボーグ、この二つには何の関連性があると思う?」


 とはいえ、話を続けない理由にはならないのだが。

 異常な強さの秘密とは別に、気になっているのも確かなのだから。


 デバイス、ペースメーカー、サイボーグ。

 彼女から提示された三つの材料によって問題は起きたのだろう。だとすると、そもそもこの話が始まった当初の芽空の発言を思い返すと——、


「…………そうか。体内に異物が入ってる場合、それは医療機能の範囲外なんだ」


 体内に埋め込んだり、人工的な物質、機器を使って強化する。それは生まれて以来の体からすれば、異物でしかないのだ。


「うん、その通り。デバイスは文字通り全身を駆け巡って治療を行ってくれるけど、それはあくまで人工的でない生来の身体のみに限るの」


「HMAも何もしなかった、というわけではないけれど、今いる技術者達ではそれが限界……と言ったところかしらね」


「だからそーたが想像するようなサイボーグは作れないんだ。研究者はもちろん、世間も、医療に守られていない体なんて嫌だから。広義的な意味だと、さっき言ってた義手、義足等を利用する人達はサイボーグだと言えなくはないけど……」


「医療に守られてないと嫌って、それだけ今の技術に依存してるってことだよな。便利だから頼るのは当然なんだろうけど」


「みんながみんなやっている、という安心感もあるからね。いつの時代も世間から外れるのは怖がられ、当たり前を受け入れれば安定が得られるし」


 奏太が出した結論に、口々に意見を述べていく三人。

 先程から華の口数が減っていたようだが、補足をしてくれているあたり気にかけることでもないのだろう。


 ——何故なら、この場において話を交わす以外に意識が向けられることといえば、


「————ぁは、楽しかったですよぉ」


「————っ」


 たった一つ、なのだから。


 話に夢中になり、ぼんやりと見つめ、聞いているだけだったその景色に終焉は訪れていた。


 興味を失っていたわけではない。曲がりなりにも奏太は戦いに身を置く立場だ。見ているだけであっても学ぶことは多くあるし、ましてや格上たる二人の戦闘などそう見れるものでもない。

 だから、話など中断して見ておくべきだったのだ。


「————ユズカ」


 芽空達との質疑応答を終え、視線を向けた先に広がる息を呑む光景。

 その結末に至るまでの、過程を。


 ユズカが地に伏し、アイの手刀の指先に首元を抑えられている、その敗北の成り行きを。

 交えられていた、感情を。


 奏太は、見るべきだったのだ。


「……強いね、変なおねーさん」


 ユズカの強さを信じていたからこそ。敗北を見てもなお、彼女を信じていたからこそ。


 笑みを浮かべるユズカの、その心中に奏太は気がつかない。


 変わらないと思っていた何かが、ずれ始めていることに。


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