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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第三章 『反転』
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第三章12 『団欒は終わり』



 見知らぬ空間があった。


「え、エト君? 一体どうしたのだろうか、何か気に触ることをしたのなら……」


「……いや、ほんとなんでもないっス。ほんとっス」


 奏太が視線を向ける先、鳥仮面ことフェルソナに普段の平静はない。

 素っ気ない対応のエトに動揺しているらしく、彼女に何かしただろうかと頭を悩ませて。

 その裏に押してダメなら引いてみろ作戦があることを彼は知らないし、気づいた頃にはもう遅い。

 というかよくよく考えてみると決行した時点でもう遅い。エトの性格を考えれば無言を決め込まれても都合良く解釈するだろう。


 自分が迷惑になっているか、そう尋ねかけてきた時の彼女の表情。あの感情で、焦らずゆっくり接すればフェルソナと良い関係を結べそうだというのに。

 これを練習の一環だとして、何度も——いや、幾度も続ければいつかは落ち着きを得てくれるだろうか。

 一瞬とはいえ見えた彼女の変化の意思、それを信じて待てば、いつかは。


 そうし、てひとまず見守る方向性へ方針を固めたところで、


「芽空、浅漬けあるぞ」


「うん、ありがとー」


 きゅうりの大群で構成される器を右隣の芽空に手渡しつつ、ちらりと彼女の顔色を伺う。


 大群と対峙する彼女のミルク色の肌は、昨日と比べれば血の気がいくらか戻っており、表情にも硬さは見られない。

 諦観、投げやり、逃避——いずれとも異なったその表情。

 彼女の中に余裕が生まれているであろうことは明白で、


「……そーた、今日の浅漬けって誰が作ったのー?」


「おぉ、よく見抜いたな。ユキナだよユキナ。いつもの方が良かったか?」


「ううん。これはこれで美味しいよー」


 驚くくらいに冷静な反応が飛んでくる。

 左隣では、彼女の反応を聞いたユキナがほっと息を吐き、本質は違うものの奏太もまた同様に安堵の表情を浮かべる。

 昨晩芽空に対して告げたこと、それが今の様子を見る限りでは上手く飲み込めているのかもしれない、と。


 見えない過去の自分と戦っていた奏太とは違い、彼女には過去がある。記憶から消えない、確かな過去が。

 それに向き合う、なんてことは記憶のない奏太でも厳しく辛いものなのだと分かる。

 だからこそ隣の少女が——芽空が、成し得た時には。


「そーた、どうしたのー?」


「いや、何でもないよ。俺もユキナに負けてられないなって」


「え、えぇっ!? わ、わた、私はそんな全然、で!」


 そうして、謙遜と否定と照れを同時に行うユキナをなだめつつ、視線を眼前の料理へと戻す。


 芽空もユキナも……恐らくはエトも。それぞれが変化を受け入れ、進んでいる。

 薄青の少女が——蓮が、望んだように。


 今こうして胸の内からこみ上げてくる苦しくて、でも優しく温かい何かが幸せなのだろう。

 でも、まだまだこれからだ。

 奏太にもまた向き合わなければならないものがある。それを踏み出し超えて。その先で——、


「…………ユズカ、俺の肉じゃがは?」


「んぐ。んー、ソウタおにーさんの肉じゃがは知らないよ」


「じゃあ今食べてたのは?」


「ソウタおにーさんのとみゃおみゃおのっ!」


 ……その前に、いつの間にやらユズカが暴食被害を出していることに向き合わなければならないようだが。

 取り分けた肉じゃがは汁を残すのみで、ついでに言えば鍋の中も既にすっからかんである。


 とはいえ、成長の方向性を間違えてはいないだろうか、と頭を抱え悩み始める奏太の代わりに指摘をする人物はちゃんといて、


「…………ユズカ、せめて宣言してください。音もなく取られては怒るに怒れないんですが」


「んん? じゃあ、食べたよっ! これでいいの?」


「いや、そういう問題じゃなくてですね」


 兄と妹のような葵とユズカ。

 葵の現在の心境はともかくとして、彼らにも変化の時は訪れるのだろうか。

 ユズカが恋愛感情を覚え、恥じらいを感じ——、


「いや、ないな」


 すぐに否定する。

 むしろユズカは感情を隠さずに直球勝負で振り回す性質だ。エトとは方向性は違えども、それは変わらない。

 これまでの日常の中で、何度も彼女は葵を翻弄してきたのだから。


 ——とはいえ、男にしてはやや線の細い中性的な葵、彼も言う時は言う男なので、エトとフェルソナのような関係性にはならないはずだ。


「アネキ、さっきから箸止まってっけどどうかしたのか?」


「ん、ああ。まー気にすんな。あーしも止めたい時期があるんだよ」


 各々の様子を確認し、最後に見つめるのはオダマキと梨佳、それから、


「あ、まだ人参、あった」


 ぼそりと呟いたのは、蓮の妹である青髪の少女、希美だ。

 彼女は朱色の瞳で人参を捉え、注視しなければ分からないほどかすかに目を細める。

 苦手なのだろうか、器の端に人参を寄せたかと思えば、


「梨佳さん。人参、まだ、あって」


 それをそのまま梨佳へ渡そうとする。

 今まで食事時に彼女を見つめることはなかったが、意外な場面で意外な姿を目撃した。

 しかし奏太には不慣れでも、梨佳には慣れ切ったことなのだろう、オダマキを軽く流しつつ希美の方へ体を向ける。


 そして、


「————?」


 違和感が、あった。


 目を何度も開いては閉じ、その光景を見つめる。

 だが、違和感は既にそこにない。

 一瞬の気のせいか、否か。


「あー、でもあーしもう食べれないわ。オダマキ、頼んだ」


「ん、おぉ。アネキの頼みならもらうけどよ……」


「……オダマキ、さん? ありがとう」


 何ともやりづらそうな二人が人参を輸出入し終えたところで、場は平時のものへと戻る。

 当然、奏太が感じた違和感も跡一つ残らず消え去って。


「——」


 消えないしこりがあった。

 疲れで見えた幻覚、そんな一言で片付けてはならない。何かが奏太にそう告げている。


 何故なら、


「…………どうすっかな」


 皆々がそれぞれに騒ぎ、明るく振る舞う中で、ポツリと聞こえた一言。

 先に見せた、希美へ向き直る直前の、考えを振り払うように重く閉じられた瞼と皺の寄った眉間。


 いずれも、肌を刺すような衝撃とともに、奏太の中に言葉に出来ない疑問を抱かせたのだから。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「————」


 水が流れていた。

 それに触れると、冷たくひんやりとした液体の流れが指先に当たって、思考の動きを早めてくれる。


 ただし、思考が早まっても出るべき答えは出ず。

 幾つもの疑問と疑念、違和感と焦燥が返ってくるのみだ。


 ——梨佳が何故あんな表情をしていたのか。

 分からない。

 分からないから、こうして洗い物を終えても水の流れを止めず、ただひたすらにシンクの底を見つめる。


「……ダメだ」


 ため息をこぼすように、漏れた一言。

 それをきっかけに奏太は水を止め、顔を上げる。

 奏太の心中にあるのは確信ではなく、諦観。これ以上は一人で考えていても答えは出ないと判断したのだ。

 本人に問いかけるか、こういう時察しのいい葵に聞くか、あるいは普段から距離感の近い希美か……複数の選択肢が思い浮かぶがもっとも最善なのは、


「…………聞くしか、ないよな」


 本人に直接聞きに行くべきだ。

 そう、奏太の直感が告げていた。数々の失敗と経験を経て構築された、直感が。


 そうと決まれば即座に動こう。

 事態が進んでしまう前に、手遅れになる前に。誰かが誰かの手を話すことなど、ないように。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「って、え?」


 彼女の姿を見た瞬間に漏れ出たのは、そんな間抜けな声だ。

 とはいえ驚くのも無理はない。

 頰を叩いて気を引き締めキッチンを出た瞬間、食堂にいたのは、


「お、奏太。お疲れさん。今日も美味しかったぞー」


 他の誰でもない、戸松梨佳だったからだ。

 彼女は自身の紺色のポニーテールの毛先をいじりつつ、労いの言葉を奏太にかけたかと思えば、


「んで、食べ終わって早々で悪いんだけど」


 彼女は食堂を——いや、正しくは食堂に集められたメンバーを見渡した。

 奏太もつられ、各々と目を合わせながら首を傾げる。

 何故なら、そこにいたのはユズカとユキナ、エトを除いた現在のラインヴァントの主だった者達だったからだ。


 一体どうして集められたのか。

 葵に希美、芽空、オダマキ、フェルソナ……そして梨佳と奏太。

 戦闘にしては希美と芽空が疑問視され、何かを計画するにはユズカとユキナの存在が足りない。


 だとすれば何か、それを考えるよりも先に梨佳はすぅっと息を吸って、言う。


「——大事な。大事な話があるから、奏太も座ってくれ」


 表情と声、それらが材料となる。

 普段のおちゃらけた態度などなく、緊張感と冷静を帯びた表情。決して滑らかな滑りでない、重く何かに堪えるような声。

 奏太の甘い期待を吹き飛ばすのは、それで十分だった。


 すっと顎を引き、葵と芽空の間に空けられた席につく。

 たったそれだけの動作にも体が強張って来るのを感じるのは、決して奏太だけではないだろう。

 見渡してみれば、各々が厳しく表情を固めていて。


「…………葵、ユズカとユキナは?」


「…………エトさんに預けています。この話に参加させるわけにはいきませんから。勉強会も今日は中止だと伝えてありますから、安心してください」


 故に、葵と囁くやりとりを交え、疑問の解消と緊張のほぐしを同時に行う。

 彼の言葉を聞く限りでは、『トランス』を使用する有事になりかねない、それだけは確かなはずだが、果たして。


 葵が何かを考えるように目を瞑り、それが話の終わりの合図だと分かると、奏太も彼に倣って言葉を待つ。


「よし」


 そして、長くを要さず、すぐにその言葉はあった。


 再び梨佳は集まった面子を順に見つめていき、奏太達を含めた全員が聞く体制になったのを確認すると、続く言葉を紡ぎ出す。


「みんなある程度察しはついてっと思うけど、奏太は分からないよな」


 口調の軽さに対し、その表情はなおも重たい。

 そんな梨佳に問いかけられ、静かに頷く。


 すると一瞬彼女の視線が奏太の横、葵に向き、直後再び交錯した。

 恐らくは葵が説明しなかったかどうかの確認、なのだろう。彼女がそんな反応を見せたこともそうだが、葵が既に事を察していたことにも驚きだ。

 いや、場合によっては奏太の察しが悪いだけなのかもしれないが、ともあれ急かすように奏太は言う。


「えっと、俺だけ分かってないみたいだけどどういうことだ? さっぱり見当が……いや、オダマキがここに来たことが関係してるのか」


「ああ、そうだとも。昨日今日と、皆それぞれが忙しかったからこうしてずれてしまったが……本来ならば、彼が帰って来てすぐに話合わねばならないことだったからね」


「フェルソナさんはともかくとして、どこぞの身の程知らずが奏太さんに喧嘩をふっかけていましたしね」


「んだとこら、あぁん!? ……ぁ? 確かに三日月はすげー強ぇから身の程知らずか?」


「えっと……うん。まあ俺が強いかどうかはまた別の機会に話すとして」


 男二人による話の脱線を止めつつ、フェルソナの言葉を改めて飲み込んでいく。


 その結果再度確認されたのは、オダマキが元々ラインヴァントの面々と面識があった、ということだ。

 加えて、ユズカとユキナが彼のことを知らない。それを踏まえて改めてこの場を見渡してみれば、奏太を除いた全員がオダマキとその背景にある事情を把握しているらしく、


「何か訳があってラインヴァントを出ていて、昨日になってそれが戻って来た……ってとこか」


「正確にはラインヴァントに所属はしてなかったんだけどねー。あくまで梨佳の命令に従ってたからー」


「あ、でも、姉さんの、言うことも、聞いてた」


 奏太の発言に、それぞれ補足をしてくれるのは芽空と希美だ。


 確かに彼女らの発言通りならば、ユズカ達姉妹とオダマキとの間につながりがなかった謎についても納得はいく。

 だが、それと同時に浮かんでくる疑問もあり、


「じゃあオダマキはどうやって梨佳と蓮に? ……って、脱線する話になって悪い」


「構わねーよ、三日月。話してやる。オッレとアネキ、そして蓮さんの話を——」


「あーしがオダマキ黙らせて、蓮と一緒に更生させた。はい話終わり」


「ちょ、語らせてくれよアネキ!」


 奏太の問いに対し、乗り気で応じるオダマキだが、梨佳に要約され不満を唱える。

 そして、それに冷ややかな目線を返す梨佳がいて。


 保たれていた厳格な雰囲気が彼らの言動によって緩み、各々が肩の力を抜き始める。

 それぞれに笑みがこぼれ、あるいは小話を。離散していく集中とともに、会議の緩やかな停滞が訪れて。

 

「——じゃ、いい加減本題に入るか」


 だが、それを許さなかったのはこの場を仕切る梨佳。彼女だ。


 彼女の声に柔らいでいた表情が一瞬で固まったのは、奏太だけではない。

 それぞれが自省をし、ため息一つ吐くことすら耳に障る——そんな沈黙が再び訪れた。

 そして、


「————『ブリガンテ』」


 梨佳の合図を受け、沈黙を破るオダマキ。

 彼は告げる。


「オッレが今から話すのは、『ブリガンテ』の事についてだ」


 新たな波乱の幕開け。

 それを、奏太に予感させながら。

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