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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第三章 『反転』
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第三章8 『少女が踏み出すために』



 ——少女がいた。


 彼女の生まれた家は、『獣人』が現れる以前には世界でも有数の名家として知られていた。

 そしてそれは、『獣人』の出現による『大災害』後にも少なからず影響があり、領主として都心の何割かを所有するまでに至る。


 そんなこともあり、少女は何不自由なく幼少期を過ごした。

 両親共に研究職であり、年の離れた兄も同じ道に進もうとしている。

 ならば自分も、と意気込んだのがきっかけで少女は色々なことを学び始めて。

 ただ貪欲に、素直に——勤勉に。


 とはいえ少女は何も勉学ばかりに励んでいるわけではなかった。

 休みの日には兄と散歩をし、長々と話をし、遊んで笑う。

 時には議論や実験などにも付き合ったりする満ち足りた日々。


 毎日新しい発見があって、楽しくて光り輝く世界———けれど、何かが足りないと少女は思い始めるようになって。

 だからこそ、少女の元へその日は訪れた。


「————あ、あの……あなたは……?」


「——私? 私はね、プルメリア。ルメリーって呼んでね!」


 白金の少女との邂逅は、彼女が八歳の誕生日を迎えてすぐのことだった。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 梨佳や希美と別れ、奏太は一人廊下を歩く。

 ただでさえ窓がなく、時計も少ないので時間感覚が狂いそうになるが、体の疲れと物音一つない長い空間が奏太に時刻を教えてくれて。


 向かう場所は一点、奏太と芽空の部屋だ。

 オダマキという意図せぬ来客もあったが、時間を置いた上で彼女と話す。それはヨーハンとの約束を抜きにしてもやると決めていたことだ。


 ちなみにオダマキはというと、寝る部屋がないので物置部屋に向かったのだという。

 今にして考えてみれば、彼の目的が分からない。喧嘩をふっかけられたのはいいが、彼がラインヴァントであるかも、何者であるのかも奏太は知らないのだから。


「……まあ、でも」


 ひとまず彼の話はまた朝に持ち越しだ。


 再度意識をあの少女に向け、頰を何度か叩いて気を引き締める。

 そして、


「————向き合おう、芽空」


 それは彼女に語りかけるように。

 彼女自身がしなければならないことを口に出して確認するように。


 少女の本音を、聞くために。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「————」


 部屋に戻ると、やはりそこには静寂が待っていた。

 芽空は起きているだろうか、などと確認する必要もなく、彼女はそこにいて。


「…………そーた」


 いつもの光景だ。

 クッションの山に埋もれ、腰まである長い髪で肌の多くを隠す。


 一致している、いつもの彼女と。

 しかし、


「芽空、まだ着替えてなかったのか」


 異なる部分もまたあった。

 ユズカとの稽古を終えると、同じ場所で同じように過ごし——お疲れ様と、心の底から安堵しているような表情を浮かべる彼女は、そこにはいなかった。


 そして、異なるのは日常の風景だけではない。


 以前芽空がヨーハンの元へ対談をしに行ったことがあるが、それ以降というもの彼女は何度かあの屋敷へ足を運んでいる。

 数える程ではあるが、いずれも帰ってきた時の印象が強いためによく覚えていた。


 一度目は疲れて眠りにつき、以降は全てこの部屋に入ってすぐに着替えを始めていた。

 奏太が目を向けない、というのはいうまでもないが、その信じ難い行為は彼女が奏太のことを信頼しているからというだけではない。


 まるで、言葉にしているかのように。

 今では彼女の日常と化したこの場所に、少しでも早く帰りたいと。プルメリアとしてではなく、古里芽空として帰りたいのだと。


「……俺も着替えたいけど、先にお風呂入っていいから」


「……うん」


 返事をして、立ち上がった少女には先に比べて僅かには余裕が見られた。

 しかしそれでも、平常時には遠く及ばず。


「——っ」


 何かしてあげたい、しかし今は堪えるのだと奏太は拳を強く握りしめる。

 芽空が浴室から出て、交代するその時まで。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 一日の汚れを洗い落とし、髪の毛を乾かし終えたのはそれから数十分後だ。

 恐らくもう二時間もしないうちに太陽が昇り、地上は眩しさに目を瞑ることになるだろう。


「……芽空、眠くないのか?」


「……うん、大丈夫」


 そんな中で、芽空は奏太の隣——ベッドの端でクッションを抱えて丸くなっていた。

 ドレスを脱ぎ、まとめた髪を解いて。そこにいるのはいつものネグリジェ姿の鶯髪の少女だ。


 しかし、日常とは異なる部分もあって。

 まるで眠気など感じさせないその瞳にいつもの光は宿っていない。表情もどこか硬く、


「ごめんね、そーた」


「なんだよ、急に」


 そんな彼女に、変化があった。

 体を起こしたかと思えば、ぽつりと、雨の降り始めのような小さな謝罪。


 再び彼女に視線を向ければ目が合い、離れることはなくて。

 溢れるかのように、芽空の表情が少しずつ感情を取り戻していく。


「そーたに話せなくて、ごめんね」


「別に、謝ることじゃないって」


「……だって、待たせてるのに」


 彼女なりに、時間を置いて何か思うところがあったのだろう。

 こうして奏太のことを気にかける姿は何度だって目にしてきた。

 それが今になって戻ってきたのだ。


「……待つって、約束しただろ」


「でも、奏太は……」


 いや、厳密には違う。


「…………っ」


「そーた?」


「——なんで」


 奏太は疑問する。

 目の前の少女の言動に。

 どうして彼女はこうあろうとするのか、どうして彼女は。

 きっとそれが本質であるというのに、この部屋に入ってきたばかりの彼女の様子を奏太は目にしている。今までだって、何度だって。


 なのに、どうして、


「——どうして、自分のことを考えないんだよ」


「————」


 考えてみれば、それはおかしな様子でしかない。


「俺の勝手な想像かもしれないけど、あのパーティーにいたシャルロッテ。多分あいつは……芽空が話せない過去に関係してるんだよな」


「——っ! …………うん」


 びくりと肩を震わせ、彼女は肯定する。


 当然のはずだ。それならば全ての行動に納得がいって、先程までの彼女の言動も一致していて。

 芽空が芽空ではなくなるくらいに、一種のトラウマとして心の奥底に息づく闇。それがシャルロッテという少女との過去なのだ。


 ならば、普段は誰かの為に——奏太の為を想って何度も助けてくれた芽空も、誰かに気を使っている暇がないくらいに精一杯悩んで、苦しんで。

 そんな姿を前にして、奏太は彼女の声を聞くべきなのだと思って、ここに来て。


 だというのに、


「俺のことはいいんだよ! そりゃ気になるし、どうにかしてやりたい。……けど。それを無理に聞き出したって芽空が苦しむだけで。それに、待つって約束したんだから」


 どうして自分が怒っているのだろう。

 ぐちゃぐちゃに感情が混ざって、何を言っているのかもよく分からなくなってきて。


「本音を……言えよ」


 ただ一言、残った思考が言葉を漏らす。

 根底にある感情を芽空にぶつけて。


「…………本音」


 それを受けた彼女は、息を詰める。

 上手く飲み込めていないのだろう、僅かにその体を震わせて。


 奏太がこうして彼女に怒ることは初めてだった。

 だから、芽空も驚きで上手く頭が回らず動揺しているのかもしれなくて。

 唇を結んで自身の震える指先を見つめ、小さく口を閉じたり開いたり。


 その光景を何度、何秒見つめたのかは分からない。

 だが、終わりの瞬間はあった。

 彼女の声が終わりを告げた。


「——そーた。私は……」


 芽空なりに覚悟を固めたのだろう。

 小さく手を握りしめ、顔を上げてこちらを見つめる。


「私は、怖い」


「——怖い?」


 その一言を聞き、奏太を不思議な違和感が襲った。

 だが、一体それが何なのかは分からず、芽空の言葉を待つ。


「……シャロは今も私のことを許してなくて」


 ————シャロ。


 それはあの少女、シャルロッテの愛称なのだろう。


「私が私だったからシャロは……っ」


 その愛称が芽空の口から出る度に、彼女の顔色は血の気を失っていく。


「怖く、て、逃げて……」


 芽空の体は震え表情も固まり、焦点すら合わない。

 話し方もたどたどしく、記憶の中にあるものをただ必死に説明しようとしていて。

 途切れ途切れに、祈るように。

 懇願して許しを乞うようなその怯えは、果たして奏太に向けられているものなのか、それとも——。


「それで怒って、何も」


「——芽空」


「私、それで……それでまた」


 声は、届かない。

 奏太は奥歯を噛み締め、内から溢れそうになる罪悪感を押し殺す。

 自身の発言によって芽空が記憶を苦しんで掘り返す、この光景に。


 そして同時に、思案する。

 自身の発言を悔やむのなら、どうするべきなのか。

 奏太が聞きたかったことは、何なのか。


 それらが見つかった時、奏太は手を伸ばし、芽空に触れる。


「————っ」


 瞬間、細い体がビクリと大きく震えた。

 

 奏太は何も変わったことなどしてはいない。

 ただ、芽空の髪を撫でた。それだけだ。

 吐露を続け、傷つく彼女を止める方法をそれしか知らないように。


「……そーた、なんで」


「————良いんだよ」


「…………ぇ」


 いつか、奏太が聞いた音だ。

 聞き直してみれば、全然違うだろうけれど。


「もう、分かったから」


「でも、私はまだ、全然っ!」


「——怖い、ってそう言ったよな」


 問いかけに対し芽空は震える顎を引く。

 そんな表情に、目を背けたくなるくらい強く胸が痛んで。


 しかしそれでも、力なく揺れる彼女の肩を掴んで、奏太は真正面から言葉を告げる。


「ごめん。最初の一言で、もう分かってたんだ。無理をさせてるって、苦しいんだって。怖がってたのに、なのに、無理させたままにしてごめん。苦しめて、ごめん」


「……そーたは悪くないよ。悪いのは、私で」


「芽空。何も言わずに聞いてくれ」


「え…………」


 奏太は深く息を吸い込み、逸る鼓動を抑える。


 それは奏太が自身を何者であるかを確認するかのように。

 あの日奏太を救った薄青の少女ならどうしたか——否、彼女を知っている奏太だからこそ、出来ることは何か。

 何度だって間違え、激昂を聞き、後悔して。その果てに、奏太が導き出した答えは何なのか。


 整理のつかない頭で奏太が放ってしまった言葉。それのせいで傷ついた少女に、自分と似た境遇の彼女に、約束をし、今奏太がどうにかしたいと想う芽空に言わなければならないこと。

 それは——、


「俺は芽空を信じてる」


「————」


「俺には知らないことがたくさんあるし、パーティーでだって色んな間違いをして、恥をかいて。こうしてる今だって、言葉にすることでしか信じてるってことを伝えられないんだ」


 奏太はそこそこに勉強が出来る。

 ある程度の事は聞いて慣れれば素直に飲み込んで、身に付けることが出来る。


 でも、人との関わり方はいつまでだって不器用なのだ。


「今でもやっぱり、芽空の過去に何があったのかは分からないし、いつかはちゃんと芽空の口から聞きたいと思う」


「…………じゃあっ!」


「——でも、ダメなんだ。俺は怖がる芽空の口からは聞けない。耐えられないんだよ」


「……じゃあ、どうすれば」


 縮こまり、呟く彼女に微笑みかけ、穏やかな声で言う。


「簡単な話だ。俺は芽空を信じてる。だから、芽空は俺を信じてくれ。俺が信じる芽空を、認めてくれ」


 奏太は蓮のように誰をも愛し愛されるわけではない。

 あの日の蓮と同じことなど、奏太には出来ない。強引で、無茶なやり方だ。

 でも、


「芽空は蓮のことで苦しんでた俺を助けてくれようとした。心配してくれた。微笑みかけてくれた」


「————」


 奏太は目の前で俯く少女に向けて、続ける。


「俺はあの日の芽空を知ってる。だから信じる。他人ばかりを優先して、自分のことは二の次な女の子を」


 芽空は逃げていたのかもしれない。

 誰かの為に行動することで、自分の心と過去に向き合うことから。

 あるいは、過去の贖罪なのだと戒めて前へ進むことから。


 そんなものは仮定に過ぎない。

 全くの的外れかもしれないし、事実であるかもしれない。


 けれど、それでも奏太は、


「そんな芽空を信じてる。——信じてるからこそ、芽空が自分のことに怠けないで向き合って、乗り越えて欲しい」


「乗り越え、る……?」


「ああ。言うほど簡単に出来ることじゃないっていうのは分かってる。芽空の過去がどんなものかは分からないけど、俺は誰かの力を借りなきゃ無理だったから」


 瞳を閉じ、触れるのは首元のネックレスだ。

 薄青の少女——蓮がいなければ、彼女が認めてくれなければきっと、奏太は今も自身に苦しめられ続けていただろう。


「————だから。だから俺が支えてやる。そりゃ最後に決断するのは芽空だけど、一緒に横に居てくれる……それ以上に、心強いことはないから」


「でも、私はっ」


「——、過去に何があったかなんて、知ったことじゃない。芽空が過去にどんなことをしてたって、ここにいるのは俺が知ってる古里芽空だ。まずはさ、それを認めよう」


 そう口にすると、今までは意固地になっているかのように過去を気にしていた少女に、変化があった。


「……過去を乗り越えるって言うのは?」


 顔が上がって、目が合う。

 どこまでも美しいガラス玉のような碧眼が震えながらこちらを見つめていて。

 奏太の言葉を、待っていた。


「それは今の芽空を認めてからだ。今の自分を知ってさ、過去を振り返って……何が出来るかを考えよう。俺も、一緒に」


「一緒に?」


「ああ、一緒にだ。別に今すぐじゃなくてもいいんだ。芽空が今の自分を見て、少しでも踏み出したいって思った、その時で」


 子どものような、ひどく単純な問いかけに自信を持って応じる。

 それは多分彼女の心根に触れているから、なのだろう。


「……いいの?」


「当たり前だろ」


 再度、単純でありながら様々な感情の孕んだ問いかけがあり、肯定。

 その瞬間、彼女の中から何かが漏れるかのように吐息が出たかと思えば、間髪を入れずにガラス玉が揺れる。


「…………そーた」


 こうしてそれを見るのは何度目だろうか。

 こうして、彼女の口からその言葉を聞くのは何度目になるだろうか。


 いや、何度だって良い。

 いずれは彼女も、


「————ありがとう」


 一人で立って笑える。

 彼女の瞳から流れる雫を見て、そう思うのだから。

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