第三章2 『平穏を奪う嵐』
「————」
底から響くエンジン音が座席を通し、体に伝わってくる。
窓の外をじっと見つめてみても前回同様に光が遮断されており、外の景色を見つめて気を紛らわすことすらままならない。
だが耐え切れなくなって横長な車内を見渡すも、奏太を含め見知ったどの人物もが正装に身を包んでおり、なおのこと奏太の気は休まることなくため息が漏れた。
故に、
「芽空、俺だけ唐突過ぎないか……?」
「そーたには言わない方がサプライズになるかなって思ってー」
「悪い意味のサプライズになりそうな気がするんだけど」
芽空と話すことで少しは落ち着かせようとする。
彼女を含めた女性陣は皆々が仕立ての良いドレスを着込んでおり、特にその中でも際立っているのが芽空だ。
それはこれから訪れるパーティーへの不安を嫌でも奏太に伝えてくるのだが、見た目はどうあれ度々焦る奏太に対しお気楽のんびりマイペース、というのがいつもの芽空のスタイルであり、そんな彼女と話していれば自ずと心の準備も出来よう。
そんな奏太の心中を知ってか知らずか、芽空は言う。
「大丈夫だよー。パーティーって言っても今回は小さいものだからー」
お兄様が招待した一部の人だけなのだ、と。
「そうなのか? それなら……いや、それでも難しいな。パーティーなんて参加したことないし。なあ葵?」
確かに多数の見知らぬ人達の前で恥を晒すよりかは、少数の方がよっぽど助かる。
とはいえそれは結局気休め程度で、つい半年前までは周りの目ばかり気にしていた奏太にはひどく難題には変わりない。
だからこそ数少ない男のメンバーであり、奏太と同様の不安を抱えているであろう葵に共感を求めてみるのだが、
「いえ、申し訳ありません奏太さん。ボクは——と言うか、ラインヴァントのメンバーの大半は以前に参加したことがあるんですよ。もちろん、蓮さんも含めて」
どうやらそれは儚い期待でしかなかったらしい。
はっきり言って着られている感が強すぎる葵だが、整髪料で整えられたクリーム色の髪やその落ち着きように限って言えば、芽空達と並んでも何ら違和感はない。
着られている感を除けば。それだけ見なければ。
ともあれ、後続で来ているという主要メンバー以外の者たちも奏太よりは場慣れしているはずで、
「……今回未経験なのって俺だけなのか」
「何とかなるよー」
「なるか! 何か対策とかないのか? ほら、作法とか。フォークとナイフの使い方ぐらいしか分からないんだけど」
「困ったら『ご機嫌麗しゅう』って言っときゃ何とかなるぞ?」
「人が寄り付かなくなるだけだろそれ。話しかけたのにさようならとか塩対応にも程があるだろ」
滅茶苦茶なアドバイスでけらけらと笑うのは梨佳だ。
彼女もまた芽空同様にドレス姿が似合う人物で、元々持った妖しさのある艶やかな美貌がより増している。
奏太は上流階級の事情を知らないが、仮に美人に見慣れていたとしても目を惹かれること間違い無いだろうと断言が出来るほどに。
「ご機嫌麗しゅう、で、いいの?」
「いや待て真似するな。それは色々とまずいから」
それを聞いていたらしい希美はどこからかメモ帳を取り出して唱えているが、意味は分かっているのだろうか。
言動や内面はともかくとして、見た目は蓮の妹だけあって、他の女性陣にも見劣りしない。だがそれ故に、お嬢様である芽空やなんだかんだで上手くやってのける梨佳と違い、何か盛大な事故をやらかしそうだと心配をしてしまうのだが——、
「あ、でも、姉さんの真似、してれば、いいか」
彼女には蓮という手本がいたのだ。
だから、奏太が気にかけるようなことはもとよりない。
「…………けどまぁ」
見渡す限り、本当に容姿の整ったものばかりである。
もちろん奏太の中での一番は蓮と決まっているし、未来永劫変わることはないのだが、それはさておき。
梨佳のように自分の容姿を利用した職に就いていると、そう言っても何ら疑問を抱かれないような面子だ。
全員が全員普段通りの言動と言っても、その容姿は誤魔化せない。
「ご飯楽しみだね、ユキナ!」
「お姉ちゃん、今度は走っちゃダメだよ? ソウタお兄さん達に迷惑かけちゃうし……」
しかしそれに対しこちらは、見慣れた光景。
確かに他の者達同様に正装には変わりないが、良くも悪くも少女達は素材のままなのだ。
そう、素材は良いため数年も経たないうちに二人は梨佳や芽空、そして蓮のように優れた容姿が際立つ時が来るだろうが、少なくとも今はそうではなかった。
これから向かう場所とは無縁の
ごくごく普通の少女達。
それが何よりも奏太を安堵させ——、
「……奏太君、楽しそうだね」
「うおっ!?」
意識外から声をかけられ、思わず驚きの声を上げる。
仮面を通していることでくぐもり、そして今はやけにどんよりとした声。
その声の主は、
「——フェルソナ。あんたいきなり……フェルソナ?」
いつの間にか彼は楕円状の座席をぐるりと回り、隣に来ていたらしい。
そんな彼に対し唐突に文句を口にしようとして、奏太は違和感を抱く。
——いや、違和感はもっと前からあったと言ってもいい。
ここまでの道中、ずっとそわそわしていた奏太はともかくとして、皆々が軽口を交わし、笑みをこぼしていたというのに彼だけはほとんど何も話していなかった。
しかもこの男が、である。
奏太と出会った瞬間からその変態性を隠すことなく見せつけ、自他共に認める変態。
興味関心に関しては変態と称され、日中のほとんど引きこもっているだけあって、並大抵のものではない。
それには恐らく、以前の奏太に欠損していた感情『怒り』と同様の『欲望』が関係しているのであろうが、側から見れば変態なことに変わりはない。
そんな彼が一体どうして黙りこくっていたのか、それが疑問として奏太の頭の中で渦巻き、
「……どうしたんだい、奏太君」
察したらしいフェルソナが奏太に問いかけてくる。
「あー……その、なんか元気ないけどどうしたんだ?」
「そうだろうか。僕はいつでも元気さ。確かに君の言う通り客観的に観測すれば僕という存在が元の気力を失い、悲しみに暮れているとは取れるが、しかし実のところそうではないんだ。こうしている今も、完成間近の薬品について思考を巡らせているし、次は奏太君の角を利用した回復薬を作れないかと考えているとも。——ああ、もっとも今作っている薬品は以前本人に許可を取った上で提供してもらったものだし、同様に意思決定権は奏太君にあるさ。最近になって『トランス』を見せてくれるようになった事から、この胸に期待を抱いていないといえば嘘になるが……、それはあくまで僕の主観でしかないからね」
「……元気だな」
先程までの気落ちした様子は何処へやら。
すっかり調子を取り戻したらしいフェルソナは鳥仮面からちらりと除いた紫髪をさらりと撫でつけ、身だしなみを整えると、
「……君が感じた違和感については間違いじゃない。実際遭遇すれば君も共感してくれる事だと僕は思うのだけれど、少なくとも今は出来る限りそれに触れないでもらいたい」
「おお、なんかよく分からないけど……頑張れ」
一体何が彼をそうせしめているのかは分からないが、いずれ分かるという事なのだろう。
着いた、その時に。
「————プルメリアお嬢様」
とはいえ、その時はすぐに訪れた。
奏太達が騒いでいたにも関わらず、一切口を挟む事なく運転を続けていた初老の男性が声をかけたと同時、車が徐々に減速していく。
「着いたのか?」
「そうだよー、みんな楽しんでねー」
隣の鳥仮面から妙に長いため息が漏れたような気がしたが、ひとまず無視。
そして、
「……作法は?」
会話に夢中になり、目的を忘れていたことに今になって気がついた。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
いつぞやに訪れた芽空の家よりも大きく、国の遺産になっている城だと言われても何ら不思議に思わない建物。
その中でパーティーは行われていた。
受け付けをし、会場に入るまでにも抱いた感想だが、
「……お金持ちってどうなってんの?」
「ボクも初めて来た時は同じことを思いましたよ」
人が十数人集まっても届きすらしない半円状の天井には薄っすらと絵が描かれているようで、芸術やその知識に突出しているわけではない奏太には描かれた絵の示す内容は分からないが、その道何十年の職人が趣向の限りを凝らし尽くして制作したものなのだということだけは分かった。
しかしそれだけではない。
この大きなフロア内にある大階段や赤絨毯、そこかしこに配置された従属者。
そして、それらの中で言葉を交わす大勢の者達。
「俺だけ場違い感が半端ない」
「案外、そこらに転がっている人たちの真似をしてみれば、様になるものですよ。実行するのが奏太さんですから、なおさらです」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
会場入りして一層増した不安を葵に吐露しつつ、奏太はふっと辺りを見渡して——、
「あれ。今思ったんだけど芽空は?」
共に来ていたはずの彼女の姿が見られないことに気がつく。
これだけの人とはいえ、目立つ容姿の持ち主だ。すぐに見つかってもおかしくないのだが。
現に後からやって来た非戦闘員の者達や、主要メンバーなどは皆が皆来賓と違い若いということもあって、見つけるのは容易だった。
それ故に芽空もすぐに見つかると思っていたのだが、
「ああ、芽空さんなら兄のとこへ行ってくると先程。もっとも、そろそろ挨拶が始まる頃ですが——」
葵の言葉を合図としたかのように、会場が急にしんと静まり返る。
それは突然のことで、一体何事かと周りの者達の見つめる視線の先を奏太も追って——、
「————皆様、今日はお集まり頂きありがとうございます」
会場の奥、大階段の上から男が降りてくるのが見えた。
一目で並々ならぬ役職に就いているのだと分かるようなその風貌。考えに至るよりも早く、体がそれを感じ取った。
身にまとう仕立ての良い正装は、まるで彼のために存在していると言って何ら遜色がないほどに、彼の存在感は高められていた。
ただそこにいるだけだというのに、ソウゴを見た時とも違う何か不思議な感覚が奏太を捉えて離さない。
彼は男にしてはやや長めの薄緑色の髪を翻しつつ、ぐるりと会場を見渡すと、
「——迫る『ノア計画』の都合上、皆様とこうして顔を合わせる機会が少なくなっていたことにお詫びを。そして同時に、皆様がご健勝で今日までお過ごしになられたことにお慶びを申し上げます」
奏太達を含めた会場中の者達へ、挨拶を口にする。
その様子に奏太は見覚えはないはずなのだが、何か引っかかる部分があって。
しかしそれは、現在の状況を考えてみればすぐに答えは出た。
階段上で挨拶をしているのは、このパーティーの主催者。
整った容姿に、息をするように出る丁寧な言葉の数々。
それは奏太がよく知る人物と同じ境遇という証明であり——、
「——私としたことが、失礼致しました。皆様の中には、私をご存知でない方もいらっしゃることと思います。壇上からの挨拶で誠に恐縮ではありますが、改めて名乗らせて頂きます」
ラインヴァントのアジトの当主であり、度々奏太に間接的に関わっていた人物。
そして同時に、
「——私の名はヨーハン。ヨーハン・ヴィオルクと申します。以後、お見知り置きを」
古里芽空の兄、ヨーハン。
彼は腕を引き、お辞儀をしてみせるのだった。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
会場は見知らぬもの、見知ったもの、それぞれがごちゃ混ぜになって一つの場を形成していた。
ラインヴァントの主要メンバー達もその一例であり、
「————」
梨佳のところにはやはりその容姿に惹かれるのか、時々男性が声をかけに行き、歓談。
適度に話したらすぐに別れて別の場所へ移動するあたり、彼女はこういう場所に——いや、声をかけられるという状況に慣れているのだろう。
その隣ではユズカがこれでもかと立派な食べっぷりを見せ、周りの者達がそれに感心するとともに可愛がる。
もちろん側にはユキナや葵もおり、止めようしていたであろう二人の表情には困惑の念が浮かんでいた。
そうして奏太が笑みを浮かべつつ、各メンバーに目を向けていると、
「——そーた、お待たせー」
「ん、芽空か。お疲れ様」
来賓に挨拶をし終えたらしい芽空が奏太の元へやってくる。
その表情に疲れは見えないが、実際は出していないだけで相当の気力を労していることを奏太は知っていた。
いつもの伸び切った髪は頭の上の方でまとめられ、その耳についたピアスも装飾の豪華なものへと変わっていることも少なからず影響しているのだということも知っている。
芽空は少なくともこの瞬間、このパーティーの間は奏太達以上に気を張り、自然体であることをやめなければならない立場であるのだから。
故に彼女は奏太にしか聞こえないような小さなため息を漏らしたのち、こちらをじっと見つめて、
「どうした?」
「……そーた、誰かと話さなかったの?」
「ごめん、ちょっと待った。えーと、痛いところ突かないでくれ。さっきまでは葵と居たけどさ、どうもまだ場の雰囲気に馴染めないっていうか」
温かな目で芽空を見ていたところ、まさか触れられるとは思わなかった深く心に突き刺さる一撃を食らい、やや早口になって話してしまう。
まるでその言い訳のような奏太の口ぶりに対し、彼女は、
「じゃあ奏太が雰囲気を作るのはー?」
「それは滑ると精神的にきついから遠慮しとく。いやそれはそれで、ある意味美味しいのか?」
「あ、ご飯も美味しいからたくさん食べてねー」
「……なんかこの感じすごい久しぶりだな」
「だねー。それじゃそーた、適当に回ってみよっかー」
それ以上は傷口を広げず、目を瞑ってくれたようだ。
彼女がくるりと振り返る瞬間、その表情に笑みが浮かんでいたような気がするが、それには奏太も目を瞑るとしよう。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
そんなこんなで、芽空と合流した奏太は、会場をぐるりと一周するように各地を見て回っていた。
道中には行きの車内で梨佳が言っていた『ご機嫌麗しゅう』を見事に実践し続ける希美の姿があったが、触れないでおいた。
きっとそのうち気がつくはずだと信じつつその場を離れて。
「プルメリア様ではありませんか。久方ぶりの再会、大変嬉しく思います。……おや、そちらの彼は?」
すると今度は芽空の姿に気がついた者、あるいは芽空が紹介する形でこのパーティーに呼ばれたラインヴァント以外の来賓と顔を合わせ、話を交えることとなった。
恐らくは芽空もある程度狙ってやっているのだろう、所々でちらりと視線がこちらに向く感覚があったのだが、実際のところ期待に応えられた、とは冗談ですら言えない程ぎこちない有様だったのは言うまでもない。
此の期に及んで言い訳じみたことを言えば、芽空のフォローがあるとはいえ場の経験値が圧倒的に足りないのだから仕方ないのだが。
内容も半分くらいは頭が真っ白で飛んでいるし、相手方もそれに気がついた上でいくらか手心を加えていたように思う。
——と、ここまでだと何とも情けない話ではあるが、それでも徐々に慣れて体に馴染み、終盤には詰まることなく言葉を交わしていたとだけ述べておこう。
その短時間の成長っぷりには芽空に感心されたことも。
ともあれ、そうした経緯の元自信がついて向かった先。
意気込んだ奏太のやる気が存分に発揮される——はずだった。
「——あ、いたいた」
しかしそれは離散することとなる。
それどころか、見て覚えた作法や身についたばかりの自信の全てがまるっきり飛んでしまった。
端的に言えば、完全に素に戻ったのだが、そうならざるを得なかった理由があるのだ。
それも、二つ。
「アンタ、あのハクアを倒した三日月奏太サンっスよね? そうっスよね?」
「…………は?」
二つの理由のうちの一つ。
それは、フェルソナの腕を抱いたままこちらに向かってくる女性だ。
彼女もまたこのパーティーの参加者であり、恐らくは芽空とも顔見知りなのであろうが、その芽空が隣でため息を吐いた時点で嫌な予感はしていた。
それもそのはず、白衣は制服だと言ってやまないフェルソナであっても、この場においてはさすがに身につけていない。にも関わらず、目の前の女性はドレスの上に白衣を着るという何とも珍妙な格好をしているのだから、明らかな変わり者であることは明白で、
「あー、自分っスか? すいまっせん! 自分名乗り忘れること多くてしょっちゅう怒られるっスよ」
奏太の言葉を待つことなく彼女は唐突な吐露を始めた。
その一方的な言葉の波に呼応するかのように、女性の二つ結びにした灰混じりの那須色の髪が鞭のように揺れるが、それはさながら犬か何かが振る尻尾のようで。
彼女の腕に抱かれたフェルソナが妙に無言のままであることや、先の聞き逃してはならない類の発言、それらに表情の固まる奏太に対し、満面の笑みを浮かべた彼女は言った。
「自分の名前はイス・エトイラクっス。フェルソナサンと同じ研究者やってるっス。早速っスけど、キヅカミサンって呼んでいいっスか? 三日月サンの逆で! ああ、もちろんキヅカミサンも自分のこと好きに呼んでくれていーっスよ。エトイラでもエイラでも! あ、自分のオススメっスか? そーっスね、自分的にオススメなのはエトっスけど、こればっかりはキヅカミサンが決めることっスよ。何ならフェルソナサンの相方、助手、押しかけ妻、女房……なんて呼んでくれてもいいっス。自分この人とそれくらいの仲なんで! え、お似合い? やだなー、照れるじゃないっスか。まあでも素直に嬉しいっスよ! 事実っスからね! あ、それで、あだ名どうするっスか?」
語尾がやたらしつこいのはひとまず口に出さないでおくとして、彼女の出すやたら大きな声が会場中に響いた結果、奏太が注目を集めていること。
気の長い方だと自負する奏太でも、短時間で積み上げたものとはいえ努力を崩されるようなそれには耐えきれなくなって——、
「——呼んでいいわけあるか! あとうるせェ!」
つい、ストレスを発散するように叫んでしまった。
「あ、そーたがツッコんだ」
直後、芽空がこぼした一言ではっとなり、頭を冷やすことになったのだが。




