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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第二章 『忘却』
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第二章29 『終焉と』



「遅い、遅い遅い遅い遅いッ! クズが! 僕に勝てると思うなよ!」


 迫り来る魔手、魔手、魔手。

 その一撃に当たらないように気をつけつつ、広い空間を利用して反撃を繰り出す。


「食らえ……ッ!」


 ぎこちない右の打撃をハクアの横腹に叩き込む。

 彼が身をくねらせ、僅かに怯ませたところで、大きく後ろに跳び距離を取る。


「はっ、そんなものが効くと思ってるのか! クズの攻撃がこの僕に効くはずがないだろ。まだ分からないのか!!」


 戦闘は苛烈を極め、幾度も拳をぶつけているが、どこまでも彼の力は衰える気配を見せない。


「やっぱり『トランス』とは違うのか……? でもあの威力は——」


「何をごちゃごちゃ言ってる!」


 地を駆け、迫って来る彼の掌底を回避。

 その背中に蹴りを叩き込もうとするが、彼が再度地面を蹴ったことでかわされる。


「——ッ、ちょこまかと本当に鬱陶しい奴だ。お前の仲間もそうだ。僕の友達になりすまし、汚い汚いその姿を隠す。どうしようもない奴らだなあ?」


「————」


 相変わらずの罵詈雑言に、まともに取り合っていては思考が乱されるだけだと判断。

 身を深く沈め、そして、


「ふっ!」


 前方へ低く跳ぶ。

 頭を突き出すような形にして突進。

 風を切るような感覚が、奏太の全身に付きまとう。


「馬鹿が、そんなもの通用しな——ッ!?」


 白い獣を見ていたはずのハクアの視界が途端、完全な白に覆われる。

 それは光。奏太が隠し持っていた懐中電灯の明かりだ。しかし、彼がそれに気がついた瞬間にはもう遅い。


「ぐっ……!」


 太ももを深く突き刺す奏太の角。

 そこに魔手が迫って来るのを感じ、すぐさま引き抜き、彼の背後に回る。

 それを読んでいたのだろう、ハクアの裏拳が飛んで来てかわしきれずに直撃を食らう。


「はーッはっはっはァ!!」


 壁に叩きつけられ、肺の中の酸素が一気に抜けた。

 手に持っていた懐中電灯が放り出され、コロコロとその場を転がっていく。

 酸素が抜けたことで身体中が苦しく、しかしそれでもその場に留まってはいられず、全速で退避。


「逃げられると思うなよ!」


 追って来るハクアに目を向けつつ、奏太は今か今かとその瞬間を待ちわびる。


「————ッ!」


 膝を使って大きく跳び、離れたコンテナの側に着地する。

 そこから息を殺すように移動をし、隠れる。

 すぐにコンテナを挟んだハクアの声が飛んで来るが、広い倉庫の数多いコンテナだ。どこに移動したのかは分からないらしい。


「————っ」


 最初に着地したコンテナが衝撃に吹き飛ばされ、壁に激突する。


「改めて見るとやばいなあれ……」


 しかし、先の一撃で確かめなければならなかったことは全て確認出来た。

 その上で、彼がどういう性格であり、何が弱点であるのかも。

 あとはあれを待つだけだが——、


「————っ!」


「見つけたァ!」


 隠れていたコンテナがハクアによって吹き飛ばされ、再び彼と対面。

 隠れる場所もなくなり、奏太単体で打てる手は全て打ってしまった。

 当然窮地なのだが——、


「…………? お前、どうして笑っている」


 奏太は、笑っていた。


「さあ。てめェの足りない頭で考えてみろよ。ハクア」


「——ッ、足りてないのはお前達の方だろうが!」


 手招きし挑発する奏太に対して、素直に怒りを露わにするハクア。

 本来の歳を考えれば、真逆の立場であるはずだというのに。


「ああ、クソ。ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく! お前らのその目が、あのクズ女のようなその目が、ムカつくんだよ! お前らクズは僕の友達じゃない。僕は博愛主義で誰にでも平等だというのに。だというのにクズが! クズが僕の邪魔をするから、僕の前に現れるから、僕の世界に存在しているからっ! 僕の友達を怖がらせ、僕の友達でない罪人のお前らが世界を傷つける。許されると思ってるのか? そんなわけないだろ、クズが。お前は人じゃない、いい加減分かれよ。お前らに生きる価値なんてそもそもないんだよ。見る権利も、聞く権利も、感じる権利も、嗅ぐ権利も、触る権利も、味わう権利も、呼吸する権利も、発言する権利も、人としての権利を得る権利も、生きる権利もお前らにはないんだよ! 理由? そんなもの決まってるだろ、お前らが僕の友達じゃない罪人で『獣人』だからだよ。だから死ね。だから殺す。だから後悔しろ。——僕の、友達じゃなかったことを」


 血走った目をこちらに向けて、その本音の全てをぶちまけるハクア。

 彼の姿を見て、たった一言、彼を言い表す言葉が思い浮かんだ。


 ああ、そうだ。

 彼女が言っていたことは正しかったのだろう。

 だって、彼女みたいな特別な力を持っていなくたって、奏太も同じことを今思ったのだから。


「——後悔するのはてめェだよ、ハクア」


「何……?」


 激昂を全身で体現するハクアに対して、奏太は至って冷静で、今も笑みを浮かべている。


 その理由は、二つ。

 一つは、驚くことにこれまでハクアに受けた傷が一切の跡を残さず完治していること。

 強くぶつけた背中も、もう痛みはない。


 そして、もう一つは。


「————希美ッ!!」


 ——全ての準備が、整ったということ。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 ラインヴァントの面々の『トランス』の能力はかなり偏っている。


 力や素早さ、というよりかは奇抜な能力が多く、純粋な戦闘能力を確かめようとすればおおよそが同列で並んでしまうのである。

 その中で一番戦闘能力を計りやすいのは、葵とユズカだ。

 もちろん本人達は喜んで戦闘を行いはしないだろうが、だからと言って何も無理に計る必要はない。

 それぞれの実力を、少しとは言え奏太は見ているのだから。


 その上ではっきり言ってしまえば、二人は天と地ほどの差がある。

 毒や瞬発力、脚力のことを考えれば蓮とどっこいどっこいかもしれないが、現在のラインヴァントに関して言えば間違いなくユズカが一番であり、その反対が葵だ。

 その他少女達がどの辺りに属するのかは未知数なところだが、少なくとも能力の本質状ユズカとは遠くかけ離れたところにあるのは、紛れも無い事実で。


 そんなユズカを除いた女性陣と、最弱候補の葵に、ピーキーな性能の奏太。この場に集まった者達には大きな壁があった。

 葵が戦わせるかどうかはともかくとして、ユズカがこの場にいれば間違いなく解決していたであろう壁だ。

 ……つまり、簡単に言ってしまえば火力の問題である。


 瞬間火力、という意味で言えば奏太の角が使えるかもしれないが、これは先の戦闘でも分かった通り、奏太にとって最大の武器であり、最大の弱点だ。

 ただ前へ突進するという戦い方は強力だがあまりに単純なものなので、それなりに慣れれば使えるのかもしれないが、それはまた遠い話になってしまう。

 ——と、そこまで考えたところで、奏太は役割分担をすることにした。


 梨佳にはイルカの能力で索敵を。

 はっきり言って、独り言がゴチャゴチャとうるさいハクアであればある程度どこにいるのかは分かるのだが、流石に不意を突かなければやってられないような相手なのだ。

 出来る限り先に先に行動を読んでおいた方が良い。


 次に芽空にはその結果をメールで伝えてもらう。

 梨佳に比べて非力な彼女には、連続で『トランス』を使って疲れるであろうことが予想される梨佳のフォローを。

 もちろん芽空の『トランス』も多くの場面で使ってもらいたいくらい便利な能力ではあるが、奏太が彼女にあまり使って欲しく無いので、使うべき時のみ使う方針だ。


 そして最後に希美と奏太。

 この二人は——、


「蝶————ッ!?」


 奏太に迫ろうとしていたハクアの周りを、幾十もの蝶の群れが羽ばたいていた。

 それは彼の視界を覆うには充分すぎるほどの量で、さすがに鬱陶しく思ったのだろう。

 ハクアはそれを払おうとせわしく腕を動かす。


「くそ、邪魔だ! なんなんだ、こいつらは!」


 まんまと注意を引き付けられているようで、奏太は笑む。

 そもそも、彼がこの建物に引き込まれるように入ってきたのも、この能力のおかげなのだから。

 振り返り、入り口付近に隠れるようにして立つ希美に親指を立てて感謝の念を送る。


 そして再びハクアの方に向き直り、一度距離を置くと、


「————、ふっ!」


 地を這うような低い姿勢のまま、彼に向かって真っ直ぐと駆け抜けていく。

 ハクアは突如として現れた蝶の対処に追われ、奏太は直線状に進むだけで先の戦闘では叶わなかった一突きが叶う——はず、だった。


「馬鹿がッ! 僕にそんなものが通用するわけないだろ!」


 現実は奏太を裏切り、理想は幻想として砕け散る。

 皮膚に触れる寸前でこちらに気づいたハクアは、半身になりすんでのところで奏太の一撃をかわす。


「くそ……ッ!」


 苦悶の表情を浮かべる奏太。

 しかしそれで終わらず、ほぼ全速の勢いのままハクアの飛ばしたコンテナを蹴り、向きを反転させる。

 当然、それに気がついたハクアは下卑た笑みを浮かべてこちらを見やり、


「万策、尽きたようだなあ? もうここで死ねよ。あのクズ女のようにッッ!!」


 高らかな笑い声が広い空間に響くのを感じるが、駆ける奏太の表情に変化は——あった。

 いつにも増して、明るい晴れやかな笑みだ。

 蓮の元へ行こうと決めたあの時とは違う。

 かつて、蓮の隣にいて浮かべた笑顔。


「————ありがとな」


 蝶を払うハクアまでほんの十メートルばかり。

 奏太が『纏い』によって身体能力が上がっており、蝶に意識が割かれていることを考慮しても、ハクアにとっては当然のごとく避けられるような距離だ。

 奏太が単体であれば、間違いなく当てられずに反撃を食らうだろう。


 ——そう、奏太が単体であるならば。


「……お前、どうしてまた笑って——————ッ!?」


 目標であるハクアの視線が奏太の遥か後ろに向けられるのが分かった。


 それは、あの時と同じ条件。


「——ハクア。お前の嘘は気持ち悪い。でも、お前が正直でいてくれて助かったよ」


 一瞬の硬直。

 それが、この戦闘の決め手となった。

 ハクアが全ての意識を別の何かに向けた瞬間、角は彼の胸を貫いた。


「ごふッ……!」


 今度は、確かな一撃だ。心臓を貫き、そしてそれだけで奏太の勢いは止まらない。

 彼を貫き、刺したまま長い倉庫を駆け抜け、壁に激突する。

 続けてくるのは崩壊。

 ハクアがこの建物において行わなかったその行為が、奏太によって行われた。


「————」


 そして、そこから数十メートル。

 奏太は徐々にその勢いを緩めて止まり、空にハクアを掲げる。


 彼の至る所から血が漏れ、溢れ出ているが気にも留めない。

 雲が晴れ、奏太を照らすような月に。あるいは、誰かに捧げるように、奏太はじっと構えたまま瞳を閉じた。


 やがて満足したかのように頭を振って、ハクアを投げ捨てる。

 そして、


「————蓮」


 『纏い』を解除した奏太は、空を仰ぐ。


「蓮………………っ!」


 奏太は、少女の名を呼ぶ。

 既に世界から消え去ってしまった少女の名を。


 一筋。奏太の頰を、涙が伝った。

 一人の男の命を奪ったという感覚を忘れさせるくらいに、全身を駆け巡るこの感覚は、何だろう。

 分からない。分からないけれど、きっとしばらくしたらこの感覚の状態も、分かるはずだ。

 何故なら、


「————あぁああああああッッ!! クズが、クズがあああああ!!」


「なっ……!?」


 ——全てを終えた。


 そう思った瞬間に、それは再び姿を現した。

 灰色の化け物。

 全身をボロボロにし、心臓を貫いたはずの彼が最後の意地と言わんばかりに奏太に襲いかかってきて——、


「————甘いんですよ。奏太さん」


 迫る魔手が鼻先に触れる直前、どこからが現れた葵がそれを弾く。

 そして、ハクアの顎先を下から突き上げた。

 その一瞬の出来事に、一撃を受けたハクアは、


「————ッ」


 今度こそ、ぐらりと揺れてその命を終えた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「上手く、いったみたいですね」


「ああ。最後の最後、葵がいなかったら危なかったけど」


 動かなくなったハクアに目をやり、息を吐く。

 どこまでも、しぶとい男だった。


「休んでいようと思いましたが、このボクの力も必要になると判断しましたので」


「……ああ。実際本当に助かったよ。ありがとう」


「礼には及びません。皆さんも頑張ってくださっていたみたいですしね。…………それにしても意外でした。まさかあの芽空さんが『トランス』を使うとは」


 葵につられるように視線を向けた先、奏太が穴を開けた建物から希美、梨佳、芽空の三人がこちらに向かってくるのが見えた。


「…………そうだな。あとで、ちゃんとお礼言って謝らないと」


 今回、最後の決め手となったのは芽空の存在によるものが大きい。

 作戦を考える段階で、奏太と希美が協力したとて、一撃を繰り出せる程の余裕が出来るとは思えなかったがために考えた方法。

 だから、芽空が『トランス』を使って倉庫で待機、隙を作るべき場面で解除してただの人間のふりをしてもらう——というのが、メール以外に彼女に頼み込んだ役割だ。

 地割れを起こし、クレーターを生み出すハクアのあの地団駄の危険性があったものの、彼がそれを室内では行わないことは戦闘中に確認出来た。


 人並み外れた頑丈さを誇る彼であっても、三階建ての建物が崩れるのは厳しい、ということなのかもしれないが、その真意は今となっては確かめるすべを持たない。


 とにかく、だ。

 それを含めて、『獣人』であるかも分からない者がいた場合には、彼がそちらへ意識を向けること。そして、自分に危機が迫っているとはいえ、『獣人』ではない者には危害を加えず、鬱陶しいくらいの好意を向ける彼の性格を利用した、というわけだ。

 

 今まで彼に何度も遭遇し、そして曲がりなりにも一度勝利したことが作戦の成功に繋がった、と言えよう。


 ふっと口元を緩め、笑みを浮かべる。


「……なあ、葵」


 そして、体の向きをくるりと変えて、葵に向き直る。

 彼は視線をこちらへ向けると、軽く首を傾げ——、


「————え」


 ——葵の表情が一変。

 その正体、視線の先は奏太の遥か後方。

 言い知れぬ恐怖が全身を巡り、恐る恐る振り返った先には。


「…………誰だ」


 眼前には、男と女がそれぞれ一人ずつ。


 男は屈強な体をしている。

 ラフな服装だ。大柄で背丈も高いが、肉つきはそれが脂肪だと思わせないほどに引き締まっており、彫りの深いその目つきは一般人とは一線を画す静かな闘志を宿していた。


 奏太の声に反応するかのように、男は煉瓦色の短髪をかきあげ、こちらに視線を向けて、


「——ッ!?」


 瞬間、鋭いナイフで喉を裂かれたかのような衝撃が奏太を襲った。

 幻視により恐怖が生まれると、歯がカチカチと音を立てて震え、冷や汗が流れ出す。


 震える瞳で視線を逸らして梨佳達の方を見つめると、一体何が起きたのか、梨佳と希美が地に伏していた。

 遠目で見る限りでは血は流れていない。だがその詳細は分からない。

 それは芽空に取っても同様のことだったのだろう。唯一無事の彼女は二人の体を揺すり、反応がなかったのか、こちらをじっと見つめてきた。


「あなた達は一体————いえ」


 後ろにいる葵が何を言わんとしているかが分かった。

 状況的に、あの煉瓦髪の男が梨佳と希美を気絶させたことと、もう一つ。

 男の隣の女性には見覚えがあった。

 これまでに何度も見てきた顔だ。

 テレビで、あるいは街中で。ラインヴァントにとっては因縁の相手であり、奏太にとってもまたいずれ対面するはずだった、女性。


 葵と奏太の言葉が、偶然にも重なった。


「————藤咲華」


「あら、私の名前を知っているのね」


 女性は——藤咲華は、柔らかな笑みをその表情に浮かべた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 風で流れる薄赤の長髪を抑え、艶やかに微笑む女性。

 HMA総長藤咲華。かつて『獣人』から世界を救ったという、英雄だ。

 全身を覆う黒のスーツに、およそ一回り以上も離れているとは思えない、若さを保ったままの美貌。

 仮に実年齢を知っていたとしても、彼女を見れば十人中十人が振り返るようなその容姿は、間違いなく麗人だと言えよう。

 だが、それに見惚れていられる程悠長な状況ではないことは、誰の目から見ても明らかだった。


「——藤咲華。あの人達に何をしたんです?」


 いつの間にか隣に立っていた葵が、声を低くして問いかける。


 それに対し、くすくすと笑うだけで何も答えようとしない華。

 小馬鹿にされているような気がして、思わず声を荒げ——、


「…………問題ない。我の力で気絶させただけだ」


 荒げる寸前。それまで沈黙を保っていた煉瓦髪の男が口を開いたことで、言の葉は音を得ずに離散した。

 だが、その一言は身の毛がよだつような低い声で、引き締まる一方の精神がますます警戒度を増した。


「……ハクアを助けにきたのか」


 故に、ひとまず心を平常に戻すためにも、言葉を発する。

 とはいえ、仮にハクアを助けにきたのであれば時既に遅し、という状況ではあるのだが。


「あなたは何を言っているの? 彼はもう死んだのよ。助ける価値なんてないじゃない」


「なっ……っ!?」


 あまりにも冷静な返答だ。

 まるで彼の死の一切を気に留めていないかのような、飄々とした態度。

 奏太はハクアのことを許してはいないし、ましてや好意を抱くことなどあるはずもない。だが、


「てめェ、あいつが死んだこと何とも思ってねェのかよ?」


 奏太にとってのラインヴァントがそうであるように、HMA総長である藤咲華にとっても、ハクアは大事な存在であるはずだというのに。


 ふつふつと内から湧いてくる感情を感じ、首元のネックレスに触れると、いつでも『トランス』が発動出来るように身構える。


「……奏太さん。彼女の言葉に耳を傾けないでください。ひとまず、今はこの場を離れることを優先して——」


 小声で語りかけてくる葵の言葉は遮られた。

 彼女の意思によって世界が動いているのだと、そう言って見せるかのように、華は言った。


「思うはずがないでしょう? 彼は彼の行動をした。私と彼はたまたま利害が一致していたというだけ。ひょっとしてあなた、彼に同情しているのかしら? 甘いのね」


「てめェ……ッ!!」


「奏太さん!」


 嘲笑うような彼女の表情に、今度こそ声を荒げる。

 それを葵に制止されるが、彼女の言葉は止まらない。


「そうねえ。そんなに知りたいのなら教えてあげるわ。私がここに来た、目的を」


 彼女はすっと手を上に掲げ、僅かに目を細める。

 奏太は一体彼女が何をしようとしているのかが分からず、困惑していると、


「私はあなたとお話をしに来たの」


「————っ!?」


 言動を理解をするより前、奏太の体は突き飛ばされる。

 それまで抑えているだけだった葵だ。彼により飛ばされたのだ。


 突然の出来事で訳が分からず、受け身も取れないままに地面を転がり、次の瞬間。

 魔女のように妖しく、冷たい声が耳に届いたかと思えば、華が風を切るように腕を下ろし、


「——ひれ伏しなさい」


 ——『未知』。

 『未知』が奏太を、葵を襲った。

 見ることも、確かめることも、攻撃を受けたという事実すら認識出来ない。


「は、ぁ……ッ!?」


 呼吸をするように自然に、何の違和感もなくその『未知』は奏太の全身に軋むような多大な負荷を与えた。

 何かに押さえつけられているかのように体が動かず、膝をついたまま立ち上がることも出来ない。

 視線だけを動かせば、葵が地に伏しているのが分かる。分かるのは、それだけだ。


「なん、だ……これ」


 身体中が怠い。

 今すぐに地面に突っ伏し、意識を飛ばさないといけない。そう考える程の痛みなき苦痛が全身を襲う。


「あら。あなた、耐えられたのね」


 魔女の声がする。眩む視界の中で、前方にいる葵が地面に伏しているのが見える。


 ピクリとも動かない彼は気絶しているのだろうか。分からない。

 先ほど突き飛ばされた影響で自分が無事だというのなら、彼に感謝すべきなのかもしれない。


 何故なら、


「これくらいで…………ッ! これくらいで、俺を抑えられると思うなよ!!」


 無我夢中になって、『纏い』を発動させる。

 それとともに具現化する奏太の能力、ユニコーン。

 華の起こしたこの状況が、一体どのような力によるものなのかは分からない。

 だが、人としての体で耐えきれないのだとしても、『獣人』としての体ならば、耐えられるはずだ。

 だからこそ、内に眠る自身の力を再び纏い、駆けようとして、


「——ソウゴ。やって」


 奏太が最後に聞いたのは、たったのそれだけ。

 次の瞬間。ソウゴと呼ばれた男から放たれた何かによって、抵抗することも出来ずに奏太の意識はぷつりと途切れた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「————待って」


 奏太達が倒れた戦場に声が響いた。

 梨佳と希美もソウゴによって気絶させられ、残ったのはたったの一人のみ。


「あら、何かしら」


 奏太を軽々と担いだソウゴと共に、こちらへ振り返る華。


「——そーたを、どうする気なの」


 古里芽空。彼女だけが、唯一意識を奪われずに残されていた。


「言ったでしょう? 私は彼とお話をするためにここへ来た。本部へ連れて行って、お話をするだけよ」


「ふざけないでっ!」


 芽空の見せる激昂。

 それは、数時間前に奏太に見せたものとは別種だ。

 明らかな敵意と警戒心の混ざった怒りが彼女の声を鋭くし、表情をも変化させていた。


「ふざけていないわ。これは嘘偽りのない、私の本心だもの。——ああ、あなた達には手を出さないわ。しばらくしたら下の者達が来るから、それまでには逃げておくことね」


「そーたを連れて行くのは、許さない」


 自分の細い手先が怒りで震えているのを感じる。

 それは、薄気味悪い笑みをずっと貼り付けている華のせいだと、はっきり分かっていた。

 どうあがいても、この二人には敵わないことも。


「許されなくても結構よ。でも、迎えに来る権利くらいは与えてあげましょうか」


 彼女はさらに笑みを濃いものとし、懐から何か封筒のようなものを取り出したかと思えば、それを葵の側にそっと置く。


「……それは何?」


「招待状よ。あなた一人だけのパーティーの、ね。——ご参加、心から楽しみにしていますわ。プルメリアお嬢様」


「————っ! 待って!」


 ソウゴは華と奏太を抱えたまま、ただ走るだけでは到底追いつけないような速度でこの場を離れてすぐに消えてしまった。

 伸ばした手も届かず、目を見開いた芽空の叫びが虚空に響く。


 残ったのは、ソウゴと華によって気絶させられた少年少女と、その場で座り込んでしまう芽空。

 唇を強く結んで、少女は呟く。


「そーた……っ」


 前方、葵の側に置かれた招待状に目を向けて。


 こうして、娯楽エリアでの戦闘は幕を閉じた。

 それぞれに変化を与え、あるいは消えない爪痕を残して。

 月は照らす。悲痛な声を上げる少女の、その姿を。

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