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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
終曲 『それから』
199/201

終曲1 『落ちた世界で見上げる空の色』



 街を照らす眩しい太陽。


 その下で暮らす人々は諸事情により多少(、、)騒がしいものの、基本的な生活は変わらない。

 食べなければ動けないし、寝なければ眠たい。暇は苦痛で、忙しいのも苦痛。そこから先は人によって変わるだろう。


 誰かと話していなければ死ぬという人もいるかもしれないし、誰かと群れるなんて面倒だし何故自分が周りなどという下等で愚かな存在の数々に合わせなければいけないのだやはり世の中は腐って…………そんな者もいる。後者はごく少数な気もするが。


 さて、例えば自分の場合。


 朝は早めに起き、稽古をする。

 そのうち姉妹や両親が起きてくるので、それまでにお風呂や学校の準備などを済ませておく。

 起きてきたら、まずは挨拶。さすがにそろそろ別々にすべきではないか、とも思うが、姉妹の姉の顔を拭いたり、髪の毛を整えてあげたり。

 その後は朝食で、最近腕を上げ始めた姉妹の料理に舌鼓を打ちつつ、ぼちぼち家を出始める。

 そろそろ手続きが終わるとのことだが、まだ学校には通っていない姉妹に見送られ、学校へ。


 見慣れているようで、新鮮な景色。それを視界に入れつつ学校に着くと、授業や受験よりももっと先の予習を始める。

 話し相手がいない、というわけではないが、自分が学校に着くのは比較的皆より早い時間で、そもそも——朝のホームルームが始まっても、生徒の数がいやに少ない。


 しかし、あるいはだからこそ。


 知識を蓄えるための予習に、普段よりもやたらと時間がかかった。

 頭の中に何かが詰まっていて、覚えることを阻害しているように。今はまだその時ではないのだと、告げるように。


「……」


 ペンを進める手を止め、自分は————天姫宮葵は、窓の外を見つめる。


「あなたが望んだ世界に戻るには、まだ時間がかかりそうです。……奏太さん」


 空の色は、見えない。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 海の底に沈んだ大地。


 それはまさしく、今の都市の状態を端的に表す一つの言葉だった。


 藤咲華と『獣人』を巡るあの事件から、二週間。

 これまで地上で生活する人々にとって、当たり前だった自然の(、、、)太陽。青い空。海面より上に存在していたものは、全て観測が不可能となった。少なくとも、現時点では。


 しかし人々は皆が水死体になったというわけではなく、当然ながらしっかりと生きている。定義によっては、そうも言えないかもしれないが、ともかく。


 『ノア計画』のために準備された人工太陽と『ゴフェルの膜』。それからビニオス。それらは正しく機能して、都市を水底の中でも生存たらしめていた。

 朝昼は太陽の光を浴びることができるし、夜は自動的に光量が調整される。都市の内部ならば呼吸はもちろん水に濡れることもなく、膜の外に出れば外的生物に襲われる危険性を度外視に、水の中を酸素を気にせず歩くことができる。

 つまり、ここがまともな開拓もされていない海の底でも、今まで通りの生活を送れるのだ。


 ……それがあの藤咲華によって与えられた平穏だと考えると、大半の人々にとってはとんだ皮肉だと思うが。


「いえ。ある意味ではボクたち『獣人』にとっても……でしょうかね」


 葵の視線の方向は、自分と同じ下校中と思われる生徒たち。

 彼らはその身に何らかの動物の特徴を宿しており、見た目だけなら(、、、、、、、)、『纏い』のそれに近い。

 呟き嘲笑う自分の口は、彼らのような都市中の人々に対して向けられているのか、はたまた自分自身か。

 いずれにしても、あまり良い気分ではない。


 ——と、


「お、今学校帰りか?」


 見知った顔に声をかけられ、足を止める。


「あなたは……」


 確か、そうだ。

 あまり話したことはないが、彼の大事な友人で、かの『パンドラの散解』でも重要な役割を果たしていたという人物。

 後輩たちが普段お世話になっているらしく、どこかで挨拶はしようと思っていた、


「えーと、確かみゃお……って呼ばれてたよな。久しぶり?」


「……ええ。まあ、そうですが。——平板秋吉さん」


 長い茶髪に同色の耳と尻尾を生やした少年。

 それは葵の意図しない、不思議な邂逅だった。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「……でさ、隣の席のおばちゃんが」


「…………はあ」


 陽気な声で面白話を語る秋吉。

 それに対して葵は良く言えば当たり障りのない、悪く言えば適当な相槌を返していた。


 一応誤解のないように言っておくと、葵は別に彼のことを嫌っているじゃない。愛想を振りまくことには頰がひきつるくらいの抵抗を感じるし、作り笑いもごめんであるが、平常時なら時折笑い声を漏らす程度には、彼の話は面白いのだろうと思う。


 しかし今は、なんというか、そういう気分ではなかった。

 だからこそ彼はそんな葵を気遣って、ほとんど一方的に話しかけてくれているのだろうけれど。やや空回り気味というか。


「…………」


 ふと、声が止まっていることに気がつく。

 怒らせてしまっただろうか、と顔を上げるが、それまでとはトーンを変えた秋吉が、呟く。


「あいつは……奏太は、どんな気分だったのかな」


「————」


「いや、悪ぃ。ただふと思ったんだよ。見てくれだけ同じ姿になってもさ、それは本当に気持ちを理解できるわけじゃねえって」


 彼は続ける。


「——命を張ってまで世界を救った『英雄』遊丹奏太改め、三日月奏太。あいつが『獣人』として何を考えてきたのか、分かってたつもりだけど……全然分かってなかったのかもな」


「分かっていなかった?」


「おう。ぶっちゃけ的外れかもだけど——あの総長を倒したのはあいつじゃない。違うか?」


「————」


 葵は彼の言葉に驚き、しかし無表情を保つ。

 彼がただの人間であるということは過去に奏太に聞いている。だから恐らく、単純に三日月奏太という少年の人柄を知っているからこそ、疑ったのだ。


 ——ゆえに、彼の言葉は正しい。


 先日の一件。『ノア計画』の式典中に起こった事件。

 都市内に限らず、デバイスに仕込まれた()が一斉に孵化し、世界中の人間が姿形を『獣人』のそれへと変えたあの日。

 パニックが静まった直後には式典に参加していた三人の姿がなく、会場はそれまでとは違う騒ぎに包まれたのだという。

 だが、しばらくして藤咲華を三日月奏太が討ち取ったのだと発表されて。

 世界中を巻き込む大事件を起こした華は歴史的大罪人とされ、奏太は世界を救った『英雄』として讃えられた。


 むろん、疑いの声もあった。

 けれど信頼は、築き上げるのは難しくとも、一度崩れればあっという間だ。

 『獣人』を虐殺していたという事実を隠し、幹部以上の四人によって世界を牛耳っていた彼女を非難する声はあれども、擁護する声は瞬く間に消え。

 現在自分たちが『獣人』の姿としてあるのは、いわば無知の償いなのだ……と。世間の意見はおおよそそんなところだ。

 だが、


「俺には分かんねえけど、何か事情があったんじゃねえのか?」


「……」


 彼の言葉は正しい。


 あの日、葵を含めたごく少数が、停止した世界——『ラプラスの選定』を体験している。

 だから事情説明のためにも、後日外部へ漏らさないことを約束に、少数は裏で何があったのかを聞いた。


 ——そして、一部の情報を伏せられた少数とは違い、葵は改変者(、、、)を含めた全ての事の顛末を芽空本人から。


 だから話そうと思えば、補足込みで秋吉に話すことも可能だ。それを知る権利が彼にはあり、口外する危険性もない。


「……秋吉さんは、奏太さんがどういう人物だと思いますか?」


「は?」


 少し考え、


「普段はパッとしないっていうか、正直頼りない部類に入る。一人じゃ危なっかしいし。けど……」


「けど?」


「自分が正しいって思うことを、あいつはやってた。好きな子のためにクラスどころか世界も敵に回せるくらい、男らしいやつだよ」


 懐かしむような、遠い目。

 話す声は最初に比べれば抑えめではあるが、まるで自分のことのように嬉しそうで、


「——でしたら、それが答えです」


 ——同時に、笑んだ葵は、彼に話さないことを選択する。


「……話せない事情、ってやつか。ま、しゃーねーか」


「すみません」


「いや、いいよ。映画とかでよくあるやつだろ? ……お前は知りすぎた、とかそんな感じの」


 小芝居を交えて、笑って済ませる秋吉。

 よくあるかは知らないが、巻き込むべきではないと思ったのは確かだ。だから、こちらが気を遣ったつもりが、いつの間にか逆に遣われていた……そのことに、内心感謝する。


「——と。そろそろ駅か」


 言われてみれば。

 元々二人とも駅に向かっていたので問題ないが、


「みゃお——じゃねえか。天姫宮はどこ向かうんだ?」


「ボクは資源区です。秋吉さんもですか?」


「俺も、……って言いたいとこだけど。今日は先約があるんだ。また遊びに行かせてもらうな」


「ええ。伝えておきます」


 まさか彼と帰ることになるとは思いもしなかったが、まあたまにはこんなこともあるだろう。

 だから次は、


「……もう大丈夫そうだな」


「え?」


 小さな呟き。

 何と言ったかよく聞こえなかったが、彼はにっと笑みを浮かべ、


「奏太に似てきてるな、って言ったんだよ。……頑張れよ、あいつの分までさ」


 そう言って、「またな!」と元気よく駆けて行った。

 なんとも最後まで元気の良い人だと思いつつ、その背中に、葵は。


「言われなくても、そのつもりです。——ボクにはボクの意地と、あの人との約束がありますから」


 ふふんと鼻を鳴らし、仮初めのものではない誇りと自信を携えて。

 学校を出る前より、少しだけ。

 前を向いて歩き出した。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 資源区を領地として管理しているだけあって、大きな敷地。

 『ノア計画』の後でも相変わらず手入れの整った外装が葵を迎えた。


 ちょうど庭の手入れをしていた使用人に声をかけると、どうやら目的の人物たちはおおよそ中にいるとのこと。それなら早いうちにと足を踏み入れ、


「あ、お兄ちゃん(、、、、、)。来てたんですね」


「おや、絢芽じゃないですか。こんにちは」


 廊下に出てすぐ出会ったのは、目元の隠れた亜麻色の髪の少女。絢芽だ。

 彼女は何か考え事でもあるのか、そわそわとしており、


「……今日は稽古しませんよ?」


「え。いや、今日はそういう日じゃないんです。いや、私はしたほうがいいかもなんですけど」


 いやいや、そう気づいているのなら立派なことだ。まあ口に出すと調子に乗るので、言わないが。


「では探し物か、あるいは人を?」


「あー。え、ええっと……まあ、そんなところです?」


 曖昧な返事。

 妙な焦りようからして間違いではないのだろうけれど、一体どうして何を焦っているのか。考えられる理由としては、


「また何かやったんですか?」


「またって何ですか!? 私何もやってません!」


 必死に訴えかけられる。どうやら違ったようだ。


 しかしそれで答えを諦めるわけではない。答えを詰めていくか、はたまたそのうち話すのを待つか、頭の中で選ぼうとして、


「……芽空さん、見ませんでしたか?」


 ふむ。


「いえ、見ていませんよ」


「そう、ですか……」


 しょんぼりと、彼女は分かりやすく落ち込み、


「……ですが、先ほど使用人の方に聞いたところ、あの人はつい先ほど外出されたとか」


 少し意地悪な答え方だっただろうか、と言ってから思う。

 抗議の声が聞こえる気がするが、気にしない。


「それで? その用事、差し支えなければ内容を教えていただきたいのですが」


 ぽかぽかと体を殴って——葵は何でもないような顔をしているが、彼女の『トランス』が漏れているのか結構痛い——いた絢芽はギクリと肩を跳ねさせ。息を呑んで「あ」「え」と壊れたロボットのように言葉を詰まらせて、沈黙。


 最終的に出した答えは、


「——用事を思い出したのを思い出したので、失礼します!」


 そう言って、絢芽は来た道を全力で引き返して行った。……内容は訳が分からないことこの上ないが。思い出したのを思い出すって何だ。


 一人ポツンと残され、ため息混じりに引き止め損ねた右手を握る。


「……一体、何だったんでしょうか」



 ——答えは数時間後。

 思わぬ形で知ることになるのだが、この時の葵は知る由もなかった。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 ルクセン邸の一室——今では様々な事情から、執務室として使われている大きな部屋。その主となっている少女は、今代(、、)の親友でもある人間。


「こんにちは。あれ以降、体調にお変わりは?」


「……おかげさまで快調よ。頭痛(、、)はなかなか治らないけれどね」


 頭を抑える白金の髪の少女。

 シャルロッテ・フォン・フロイセンだ。

 彼女は相変わらずと言うべきか、不機嫌づらで机——正しくはデバイスの画面だろうか——に向き合っており、個人の仕事量が多く、相当な苦労となっていることは想像に難くなかった。


 葵はソファに座り、あれこれと作業しているであろう二人(、、)のいる隣の部屋に目をやりつつ、


「HMAの抜けた穴を埋める新政府の設立。それにまさか、ボクたちとほぼ同年代の方々が関わっているなんて、誰が思うでしょうかね」


 淹れてもらった……わけではなく、自分で淹れたコーヒーをすすりながら呟く。


「別に、おかしな話でもないでしょう。ワタクシは元々当主を務めていたし、あの子(、、、)もあの子で直接的にも間接的にも世間と関わっていた。遅かれ早かれ登壇することを決められていたようなものよ、あの子は」


 彼女が指す『あの子』。

 それは新政府の中心となる予定の、『魔女』を継いだ少女だ。

 本人の意思が伴っている、という点で見れば、それは憂いげというより喜ばしいと述べる口調ではあるけれど。


「……あなたと、隣の部屋で作業している二人(、、)はどうなんです?」


 ピタ、とシャルロッテが作業の手を止め、一度視線が隣の部屋とこことを繋ぐ扉へ。閉まっているのを確認して、こちらを向く。


「…………ひどいものだったわ」


 小声で。

 しかし、そこから漏れた悲痛な感情は、声のボリュームなど関係なしに葵に直接突き刺さる。


「一番心を許してるはずのあんたや姉にも本音を晒さず、ワタクシのところへ来て、——仕事をください、なんて。無理を通り越して壊れてるも同然だったもの」


「……ジャックもですか?」


「そうね。元々分かりづらい子ではあるけれど、仮にも救ってもらった相手がああなれば、ね」


 奏太の一件で深い傷を負ったのは、葵や秋吉だけではない。彼が関わって来た皆が同様に傷つき、悲しんだ。

 そのうち特に酷かったのは、彼女の語ったユキナとジャック。

 口や表情には出さないだけで、恐らく彼女自身も、また。


「全力で泣いて全力で苦しむ。それが出来ないのも辛いものよ。……あの二人も、大変だったわ」


「…………申し訳ありません。あなた一人に任せてしまって」


「構わないわ。ワタクシはある程度割り切れるし、そもそも事情を知るあんたからすれば、あの子たち——ユキナを励ますのも難しいでしょう」


 事情を知っている。

 その条件で言うならば、シャルロッテも同じだろう。ある程度割り切れるからと言って、それは全てではない。ましてや、ただでさえ忙しいこの時に、二人を抱えて。


「あなたは、大丈夫なんですか?」


「……」


 沈黙。

 弱音を晒すことを嫌う、という意味で彼女は葵に似た人物だ。聞いたところでそうそう本音を晒すとは思えなかったのだが、


「大丈夫、とは言えないわね。正直辛いわ」


 ……コーヒーをすする。


 彼女は「だってそうでしょう?」と続け、


「元々ワタクシには重い仕事ばかりが来ていたけれど、今回はワケが違う。新政府の設立なんて身の丈に合ってないにも程があるわ。なのに右も左も泣いていて、ほとんど仕事にならない。……ここ数日でようやく落ち着いたけれど、それでも厳しいことに変わりはないもの」


「——。では、どうしてあなたは断らなかったんです?」


「それは……」


 考えること数秒。

 シャルロッテは言った。


「ワタクシは何より自分が大切。けれど、今のワタクシにとっては周りも大切だから」


「————」


 あっさりとしていて、けれど生半可な感情ではなく強い回答。


 外見を含め、似ているところはそれほど見当たらないのに。

 何故かその言葉に、()彼女(、、)を思い出して。


「……単純な結論ですね」


 妙に、懐かしい気分になった。

 

「確かに単純ね。でも、好きな子のために頑張ろうって時は、意地でも格好付けたくなるものよ」


「ええ。その気持ちは、よく分かります」


 互いに、柔和な笑み。

 もしかすると今二人は、後になって思い返せば恥ずかしくなるような言葉を言っているのかもしれない。


 けれどそれで良いのだと思う。

 成長を求められる時はあるけれど。甘えを許される立場ではないのだろうけれど。

 彼女も、自分も、これから大人になっていく。


 そのためには必要なこと。

 色んなことを知って、皆は————。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 綺麗な、少女がいた。


 ウェーブがかった、鶯色の長髪。

 ガラス玉を思わせる碧眼。

 正装に身を包んだその容姿は、ややシルエットとして細めではあるが、それは女性としての魅力に欠けている、というわけではない。しなやかな肢体だ。

 動作一つにも品の良さが目立ち、表情には確かな自信が備わっている。


 だから彼女を知らない者が見た時には、きっとお金持ちのお嬢様で、頭脳明晰・文武両道・品行方正……そんな想像を抱くことだろう。

 けれど大体想像と現実は違う。


「……はい。もしもし、プルメリ——え? うん。絢芽、どうしたのー?」


 彼女は先日の一件のみならず、『獣人』の代表の相棒として知られている。

 その時には相棒の少年に比べ、歳不相応の場慣れや落ち着きっぷりを見せたものだが。




「——そーたからの、伝言?」




 想像と現実は違う。

 しかしこの時、偶然にも少女の表情を見た者はいなかった。



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