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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第五章 『白黒の世界』
196/201

第五章14 『美水貴妃』



 ————。


 願いの幻は失われ、奏太は現実世界へと落ちていく。


 速度に合わせて体を揉む風はあまりにも強く。祝福や見送りというには厳しすぎるものの、そのせいか、意識が徐々に覚醒へ向かっているのが分かった。

 普段から余計なことばかり考える頭は冴え渡り。神経が研ぎ澄まされ、血が巡り、肩の力は抜け、柔軟に動けるようほぐれた。

 足の指先から頭のてっぺんまで、至る所に闘気が行き渡り、いつ何が起きても対処が出来る状態になる。


「————」


 見上げると、遥か風の向こうには僅かに残った光の粒が漂っていた。

 だが、あの屋上を構成していた蓮。彼女の願いは奏太へと託された。

 だからじきに、『エデンの園』はあるべき姿へと戻る。


 ——そう遠くない未来、光が完全に消えた後で。


 

 では、その時()は何を思うのだろう。

 しばらくは孤独になってしまうであろう哀しみ? それとも、怒り?


 答えはきっと、()にしか分からない。



「——うん。そうだね」


 何の前触れもなく現れたカミサマが、奏太の隣で感慨深げに頷く。


 頭から下へ落ちていく奏太とは違い、この『エデンの園』に順応し切っている彼は慣れたものだ。奏太には見えない椅子のようなものに腰掛け、こちらと同速度で落ちている。

 とはいえ、まさかそれが奏太とともに地上へ行く、という意思表示なわけではあるまい。


「見送りに来てくれたのか?」


「如何にも。キミは久々の客人で、そもそも原点(、、)は私にとって特別な存在なんだ。黙って別れる、なんてことは出来ないよ」


 ニコニコとした表情を保ったまま、


「見送りついでに二つ。キミに用事がある」


「……用事?」


「うん。やはりこういったことは、直接伝えておきたくて。…………貴妃のことを、頼んだよ」


 表情はやはり、変わらないまま。

 いや、変えないように努めているのだろう。

 最後の感情を抑えた声は、それこそが感情の強さを意味しており、重い。


 それが他人から見ればささやかな抵抗であったとしても、抑えなければ迷いはまた増幅してしまう。そう理解しているから、彼は感情を押し殺そうとするのだ。


「……俺には俺のできることをやるだけだけど、——任された。だからカミサマも、ここで信じて見ててくれ」


 そんな彼に奏太がしてやれるのは、少しでも不安をなくしてやることだけ。

 自分の言葉にどれだけの信頼があるのかは分からないけれど、ただ、告げる。


 言った後で、気がつく。


「なあ。さっき、用事は二つって言ったよな?」


「そうとも」


 カミサマは少し考え、


「あぁ、ごめんね。話し込み、キミの時間を奪おうというわけじゃないんだ。ただ戻る前にあと一つ——」


「————いや、俺も答えを急かそうってわけじゃないんだ」


「え?」


 奏太の疑問に会話のテンポが早まり、けれど再び止まり。

 対照的にぐんぐんと速度を上げて下方向へ進む体は、恐らく明確なタイムリミットがあり、あまりうかうかしていられないはず。

 だからカミサマの用事はともあれ、簡潔に言葉を述べる。


「俺も二つ。——カミサマに聞きたいことがあるんだ」



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 ——改変者(、、、)は結末を変えるために世界を改変し続けてきた。


 その一つとして、突如歴史に出現した『獣人』。

 かつては災害そのものともされた、終わりの種。『獣人』はその二つ名に恥じぬ圧倒的な力を持っており、世界は何度も崩壊の危機に晒されている。

 事実、二十年以上前に起きた『大災害』では、世界の三分の一の人口が減り、多くの大地が文明の跡を失った。


 出現は大きく分けて三度。


 一度は『英雄』によって滅ぼされた。

 二度目は孵化を始めたが如く一斉に大陸中に現れ、けれど表沙汰にはならないよう、『不老不死の魔女』率いる巨大な組織(HMA)が順番に潰していった。

 そしその裏では、対抗するかのように『獣人』の中でも組織が作られ、最終的には大きな二つだけが残った。

 三度目はその一つ(ブリガンテ)による人類への叛逆で。しかし残った一つ(ラインヴァント)は人類を守ろうとし、犠牲は少なからずあったものの、事件は無事収束へと向かった。


 だから、結果的にそれだけのことを成した意志と実力、及びそれを賞賛する『英雄』の言葉によって、少しずつ『獣人』の評価は変わったのだ。

 各方面の取材はもちろん、地上での生活が終わる式典にも呼ばれ、表舞台に出られるだけの地位と名誉を得て——。


 しかし、『不老不死の魔女』は語った。


 『獣人』とはデバイスを通し、人間の体の中に何らかの動物を圧縮した極小の()を入れることで、獣と同化・能力を使用することができるようになった者たち。

 度々現れていたのは、それが正常に孵化した者たちだと。


 つまり、最初から決められていた計画で。

 世間の動き、ひいては世界の流れはずっと操作されていて。

 自分たちが崇めてきた『英雄』は幻。その正体は、歴史を弄んだ大罪人。


 人々はそう思っている。


「……でも」


 古里芽空は知っている。


 彼女が『獣人』を生んだのは、自然災害で文明が全て消えてしまう前に、人々と動物を無事保存するため。

 むやみやたらに殺しているように見えたそれは——彼女の言葉が確かなら、賭けの要素も含まれていたとはいえ——ある程度の数が残るように保たれていた。

 海の下へと世界が沈んだ後も、人と獣が正しく共存できるように。正しい意思を持った、力ある者たちが、人類を賛同できるように。


 とはいえそれらが本来の理由であったとしても、殺した命が戻ってくるわけでもなければ、当然罪が消えるわけでもない。

 『獣人』だからという理由で心身ともに傷つき、理不尽に奪われ、殺された者もいる。ましてや芽空は一応『獣人』組織の責任者で、代表の相棒兼秘書的立場だ。犠牲者という視点で見た場合、少数のために多数が犠牲になったなどと、許せるはずもない。


 だから彼女はやはり大罪人で——しかし同時に、世界を変えた救済者だ。


 確かに、捻くれてはいたけれど。

 正しさからはかけ離れていて、民衆には知られず、理解されることはなくとも。


 あの『英雄』は世界を一括管理し、『獣人』を生んだだけではない。

 それらを含め、人類史を冒涜した最悪として殺され、新たな(、、、)英雄(、、)を作り出す(、、、、、)ところまでを生きている間の計画として進めていた。


 だから芽空は、思う。

 根本には世界を幸せにするという目的があった。そんな彼女の意思とその行動は、間違っていなかった。

 ——繋いで、間違いじゃなかったと証明しなければいけない。


「どこ。どこへ、……どこへ行ったの!?」


 芽空は青瞳を正面に——その場で髪を振り乱し、両腕を空でも掴むように忙しく動かす、血走った目の希美を見る。


 それは芽空が普段から知る、大人しく、淡々とした言動の彼女ではない。

 かねてより姉譲りの意思の強さについては知っていた。姉を尊敬していることも知っていた。

 でも、これは。


「返して、姉さんの証! あれは大事で、大事な、手に入れなきゃいけないもの!」


 蓮の証。大事なもの。

 希美の言葉が指しているのは、蓮の『トランスキャンセラー』だ。

 それを持つ奏太を守るため、芽空は彼女と戦うことを決めたわけだが…………突如、予期せぬ事態に二人の手が止まった。


 現象的に言えば。

 そこにあった(、、、、、、)ものが唐突に消えた(、、、、、、、、、)


 ……直前にぼんやりと光ったのが見えたので、もしかすると希美の能力だろうか、と思ったが違う。

 というより、直後の彼女の反応がこれなので、真っ先にその推論を否定したのだ。


 だとすると、考えられるのは他の改変者(、、、)による仕業。

 もしくは、()が何かを起こしたのか。


 いずれにしてもその行動が引き金になったのは間違いないだろう。


「私の。私のの、ノワたシ、ワタシしししし。姉さん、姉さんをっ! 返してぇええ!!」


 ——『纏い』は心一つで形を変える。改変者(、、、)は現実を書き換える。


 それらは正しい。正しいから、彼女が今暴走状態にあるのだと分かる。


 奏太との戦闘でダメージを負ったため、分身を二体しか出せていなかった希美。それでも蝶と人型、『纏い』の使い分けや、ワイヤーと包丁という武器も加わることで、本体に迫り、攻撃をするのは至難の技だった。


 そも、芽空の『トランス』は『カメレオン』。頭が苦痛であふれていようと、必死に精神状態を保てば姿こそ消えるものの、下手を打てば奏太が狙われる可能性もあったため、状況的にも相性的にも分が悪く。

 それこそ、こちらも武器——梨佳からもらったスタンガンや、シャルロッテが持ち歩いているのだという拳銃のような——があれば良いのだが、と見渡して、都合良く転がっていたのは店内の食器類や椅子、机など。

 それらを防御・投擲に利用したのだが、やはり経験の問題だろうか。彼女に対して与えられたのは数撃で、ダメージも奏太のものと比べれば、そよそよと吹く風のようなものだった。


 倒すには至らない。けれどこちらに死なないというアドバンテージがある以上、奏太を攻撃させなければ敗北はあり得ない。ならば消耗戦に持ち込むのが最善か——そんな考えがずっと頭の中にあった。


 ——けれど、見た目の派手さに囚われ、痛みによる衝撃で頭が回りきっていなかったのだろう。


 前に聞いた希美の攻撃は、動きの遅いワイヤーを罠のように張り。相手をそこへ誘い込む。

 だから芽空も、気がついた時には狂気の刃に包囲されていて。


 死なずとも、全身をグチャグチャに切り刻まれる感覚に襲われる。死なないからこそ味わい続ける激痛の牢獄に閉じ込められ——そんな光景を幻視した。しかし、否。

 芽空の回避行動の方が早かったわけでもなく、誰かが助太刀に来たわけでもなく、その行動は結果へと至らなかった。だから、今へと至った。



 本来、それを果たすはずだった希美。目の前にいる彼女は、件の『蓮の証』の消失によって変調。

 人と獣、その境界が曖昧になっていた。


「ぁ、わの。姉さん、私、ああ。ぁアあ、アアアアアアアア————ッッ!!!」


 既に発する言葉は意味を持たず。

 向ける瞳は焦点を結ばない。


 何体もの彼女自身(等生)が出現しては消え、青い光が稲妻のように部屋の中で降り注ぐ。

 一体どういう仕組みになっているのか、それらは本体へと還元され。等しく散漫していた力が一つに集中。


 ……その姿は人型の蝶と言うべきか、あるいは蝶形の人と言うべきか。


 巨大な羽だった。

 一枚が屋敷の絨毯のような大きさで、それぞれが独立した生き物のように動く。まるで海そのものが宙で何枚も重なっている——そんなイメージ。

 しかし、その計八枚からなる海は血に染まっている。

 血を浴びた手を洗っているのか、あるいは自身が今、血を流しているのか。彼女の瞳を思わせるそれは




 いや、違う。

 あれは想像ではない、まごうことなき彼女自身だ。海を流れる血は彼女の瞳で、羽に生えたいくつものそれが一斉に覚醒し、こちらをギョロリと睨む。


 しかし、驚きはそれだけに留まらない。


 彼女は——あるいは『青ノ蝶』は、人にはない細い脚を計四本生やし、中心に位置する『一人の少女』本来の手足を半分から先全て、羽と同化させてしまっていた。


 そして、本体である『一人の少女』は。


「のぞ————」


「——こんな世界は、間違ってる」


 芽空の声を遮り、笑う。


「——だから、滅ぼす」


 芽空が反応し、即座にその場から飛ぶより、ワイヤーを持つ青い光が出現し、自分と奏太を囲む方が早い。



 ——芽空は藤咲華から不死を継いだ。

 恐らく彼女のことだ。永遠のものではなく、何らかの条件(、、、、、、)で解けるように(、、、、、、、)してあるのだろう(、、、、、、、、)


 改変者(、、、)は能力を使えば使うほど、死者に近づく。だからその分、理から外れた力を使えるようになる。

 だから華は、そんなからくり箱のような複雑な条件を設定できるようになったのだし、希美は人を超えた異形の姿になった。


 そうだ。

 そもそも、希美がこうして芽空たち、あるいは華に対して凶器を突きつけているのは、蓮が死んだことによる世界への復讐。

 手負いだったとはいえ、人をやめ、堕ちてしまえば(、、、、、、、)小細工など必要なく、何もかもを終わらせることができる。


 でも、それでもかろうじて彼女が人をやめなかったのは、姉が世界に残した痕跡があったからだ。

 そして今、ずっと求めてきたであろう痕跡は消えた。

 だからこれから、自身の意思に従って、彼女は文字通り全てを等しく死に絶えさせる。


 たとえそれが、姉の望んだ結末ではなくとも。

 彼女にとって、蓮の死が全ての間違いで。その瞬間、世界も色も反転した。だから今、彼女にとって約束は————。



「……なら。なおさらそーたは殺させない!」


 なおも痛みが続く頭を上げ、強く叫ぶ。

 たとえこの不死に制限があるのだとしても。

 彼の意思が犯されることだけは、絶対に許してはいけない。


 振り返る。


 庇った結果、全身を何度も刺され、その度に死ぬ程の苦痛を受けることも覚悟で。

 少しでも早く、一秒でも早く前へ。光が到達する前に彼に覆い被さって、苦痛を消してあげたい。


 迫る、迫る。

 風を纏った刃は止まることなく。顔も、首も、胸も、脇腹も、足も。何もかもを切り刻むために、殺意だけを乗せて。

 再び死——刃が肌に————んで。




「…………え?」


 痛みを堪えるために目を瞑り。

 全身に力を込めて耐える。

 今度こそそのはず、だったのだが。


 いつまで経ってもその時(、、、)は来ず、しん、と場が静まり返っていた。


 罠か、と思うけれど。

 このまま状況が変わらないというのなら、目を開けて確かめるほかない。


 だから恐る恐る、閉じていた瞼を開き。

 ——すぐに違和感に気がつく。

 両手両膝を地面につけ、庇う姿勢になっていた芽空。だが、その庇う対象の姿はそこにない。どこにも、いない。


「そ——」


「……待たせたな。貴妃」


 声が聞こえたのは、振り返った直後だった。

 聞き慣れた声。毎日のように聞いている声。間違えるはずもない。確かに、彼だ。


 黒髪黒目で、顔は本人いわく母親似。体格や仕草、普段の言動からはどちらかといえば頼りない印象を受けるけれど、それでも一つの意思を決めた時の彼は、誰よりも強い。

 芽空にとって、何よりもかっこいい。隣にいるだけで心が安らかになって、みんなが笑顔になれる。


 そんな少年。そういう風に、変わった少年。

 彼の瞳がこちらに向けられて、


「待たせたな————芽空」


 口元は迷いのない笑み。


 そんな彼に対して自分がどうするべきか、芽空は知っている。いや、知っていた。


「……待ったよ、そーた。あんまり遅いから、お婆さんになるかと思ったよー」


「——。そうしたらそうしたで、俺は玉手箱でも開けるよ。……あ、でもあんまり歳取ると無茶が出来なくなるかな」


 クス、と笑いを交え。


「じゃあ、今のうちに一緒に無茶しよっか」


「ああ、そうだな。——あいつを救って、みんなが幸せになれるように」


 少年の名は、三日月奏太。

 『獣人』で、原点(、、)で、大切な人。

 彼の隣に立って、芽空は立ち向かう。今度こそ二人で、全ての約束に決着をつけるために。




 芽空は不死を継いだ。

 それを継がせた華は、自分が生きている間の計画をこれでもかと練っていた。自分が死んだ後のことすらも考え、いくつもの手を打っていた。


 ——では、自身が死んだ後のことは、どこまでが計算なのか。


 それを理解するのも、全てはこの戦いが終わってからなのだろう。

 古里芽空は、そう思う。


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