第五章6 『異端者監視組織HMA』
世界が切り替わる。
記憶が流れていく。
名無しの男はソウゴという名前を得て。失敗作と称された体を鍛え、既に規格外だった力をより高めた。
アンはアイと名前を改め、ソウゴを含めた数々の強者から貪欲に技を盗み、獣のごとき強さを得た。
二人は華に協力する傍らで、自身の過去を利用して社会の闇を芋づる式に見つけ出した。文字通り、一つ残らず叩き潰すために。
その中で、いつしかソウゴは未来の光景を視るのではなく、自身の体で行き来したいと思うようになり、カミサマとの接触へと至った。
カミサマいわく、彼はそもそも概念的に死者に近いのだとか。だから接触及び契約ができたのだとか。……まあ、よく分からないけれど。
華はそんな二人を利用して、世界中を駆けていた。
学業はそれなりに優秀で、素行は真面目。優等生であることは捨てず、けれどかつての甘さは少しずつ捨てて。
非合法・非人道的な実験を繰り返す組織や、大きなバックを持っているのを良いことに、裏で好き勝手している連中を叩き潰して。
ルクセン夫妻と接触し、自身の『ラプラスの選定』を命を絞るが如く使い続けて。
その日は、やってきた。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「……さて、集まったわね?」
どことも知れない、広い空間。
壁も床も家具も、全部が全部明暗のはっきりした色で構成されたシックな部屋だ。
そこに人影が三人、——いや四人。足を組んで皆に語りかけるのがそのうちの一人、藤咲華だ。
能力の使い過ぎによるものだろうか、黒髪を侵食する赤は前よりも広がって来ている。
彼女は一度周りにぐるりと視線をやって、
「ソウゴ、アイ。卵の準備は出来ているわね?」
これに二人は頷く。
次いで、
「瀬黒裕里仁君。貴方もいいわね?」
……返事がない。
「裕里仁君?」
同じトーンで呼びかける華。しかし反応は変わらず、無言。
裕里仁と呼ばれたその人物は、紫髪の美麗な顔立ちの男だ。何か思うところがあるのか、こうべを垂れたまま動かず、しかし数秒後、ポツリと言葉を漏らす。
「……沙耶ちゃん。本当に君は、いいのかい?」
彼女の身を案ずるものだろう。
だが当の華は、
「ええ、それでいいわ。これはあたしが望んだことで、私にしかできないこと。貴方もそれが分かっていて協力してくれたのだから、今更じゃないの」
「……。それは、そうだが」
「だからもう止まらない。止まれないの。あたしが死んだあの日から、全てね」
今の華からは考えられない、強い熱のこもった言葉。けれどそれが正しく彼女の本音だと分かって、裕里仁は何も言えなくなる。
そんな彼の姿を見て、奏太は思う。
『……あの人。どこかで会ったような気がするんだよな』
見た目や名前に覚えはない。けれど話し方というか、雰囲気というか。はっきりとした確証はないのだが、なんとなく知っているような。
もしかすると、HMA本部に行った時にでも顔を合わせていたのだろうか。どうやらこの集まりはHMAに関連したものらしいし。
『カミサマは知ってるか? あの瀬黒って人のこと』
もしかすると彼なら例の如く補足説明をしてくれるかもしれない。期待をかけながら横を見て、
『断っておくと、私はカミサマだけど、全知全能っていうわけじゃあないよ。……彼のことについては、少し先を見た後で結論を出せる、とは知っているけどね』
クスクス、とからかいの笑み。暗に聞き過ぎだと言っているのだろうか。
まあ、先で分かると言うのならそれに従うけれど。
「——さて。今回の計画について、改めて説明しておくわ」
華が一呼吸を置いて、話を再開する。
表情の緩んでいた奏太も自然と真面目な顔になり、彼女の話を聞く態勢をとる。
「先日からの実験で、私たちは『ヘルメナエンリル』——『獣人』の開発に成功した。器は彼らが、種は裕里仁君の手でね」
先日からの実験、と言うと以前奏太たちが『施設』内で見たレポートの内容だろうか。
華の話も合わせると、確か『大災害』以前は『獣人』の試作品のような扱いだったはずだが、どうやらこの時点で完成にこぎつけていたらしい。
複雑な奏太の心境など知るはずもなく、三人はそれぞれに反応を見せ、
「僕の功績なんて微々たるものだよ。素材となる獣を圧縮して、人体との調和を図る。たったのそれだけだから」
「……我らの体と同じものを研究に使って、だがな」
「そういえばあの二人がいませんね? 彼らも私たちの仲間ですし、てっきり今日もここへ来るものかと」
……別に仲が悪いというわけではないのだろうが——内容は置いておくとしても——それぞれが別の方向の話をしているため、収拾をつけるのが大変そうである。
「裕里仁君。貴方が謙遜する必要はないわ。それからソウゴ、私は目的のためならば手段は選ばない。あとアイ。彼ら夫妻は忙しい身だから先に話しておいたわ。仲間じゃなくて、共犯者の方が表現として正しいけれどね」
とはいえ、彼女も何年も一緒にいるから慣れたのだろう。全てに答えた上で、「全員黙って聞きなさい」と睨む。
これだけ見れば、これからとんでもないことをしでかす者たちには見えないのだが。
軽い咳払い。
「……これから世界にばらまくのは、卵を意図的に暴走させた『獣人』。以前から度々現れていたその存在は各都市を蹂躙し、被害は個人や街だけにとどまらない。国単位が消滅するほどの傷を残し、けれどそこへ何の武器も持たない女が現れ、瞬く間に『獣人』を殲滅していく。——そういうシナリオよ」
それは正しくその通りになった。
後に『大災害』と呼ばれるほどの大きな事件となって、世界中に恐怖を刻み込んだ。
たくさんの人が死んで、たくさんの傷を抱えることになる者たちが生まれた。
「世界の中でひときわ目立つことになるでしょう。一歩間違えれば同じ恐怖として見られるほどの圧倒的な強さ。それを権力として、私たちが世界を管理する」
『英雄』。その存在はほとんどの人間にとって絶対の象徴で、都市構造を変え、かつては警察と呼ばれていた組織までもを飲み込んだ。
支配力の根本には一つの機械があり、
「——彼ら夫婦とともに開発したデバイス。国中に広がるネットワークに私たちが介入することで、監視の目をこの上ないものとする。その上でさらに件の卵を入れ、成長とともに『獣人』へと育ってもらうわ」
前者はソウゴやアイのような者が出ないように。華の言葉を借りるのなら、世界の腐敗をなくすためと言ったところか。
実際にその監視網は十分過ぎるほどに働いていて、華が意図を持って泳がせていた者たちを除けば、どこかの組織がこっそり悪巧み……などということはできないほど強大なものだった。
…………後者も、監視に役立っていたのかもしれないけれど。
奏太が知っている現実のことを思い返せば、つい暗い感情が心を刺す。
けれど続く言葉は奏太の顔を下げさせない。
「貴方達に馴染んだモノとは違い、民衆に配られる卵は出生三ヶ月以内でなければいけないけれど、そればかりは仕方ないわね」
『…………は?』
出生三ヶ月以内。
これについては『獣人』が十八歳未満の者しかいない、という条件の元だろう。体に馴染むとかまあ、そういう話なのだろう。
だが、彼女が最初に言ったのは、決して聞き逃してはいけないことであって。
「一部の者にしか馴染まないとはいえ、人の姿を保ったまま獣の力を最大限に引き出せる改良型。私は『イリエワニ』で、ソウゴ君は——」
「……『マッコウクジラ』だ」
「まさに鬼に金棒、といったところかな。もっとも君たちの場合、改良型がなくとも、『獣人』の制圧くらいなら余裕でこなせるだろうけれどね」
『いや、待て。待て待て。改良型? こいつらは何の話を……』
頭に理解が追いついていない。
えっと。獣の力を、彼らが。それはつまり。
『最初っから、俺たちは同じ力で戦ってたってことか……?』
原理的には、なんとなく分かる。
奏太の『昇華』のように、人間の姿のまま体に獣の力を宿す。そうすることで身体能力は向上し、元となった動物の力も扱える。
それは分かる、のだけど。
知らなかった衝撃の事実、というのも今更ではあるのだけど。
まさか、今まで感じてきたふとした違和感がそんな理由だったとは。
「はて、華ちゃん。私の記憶だともう一つ余っていましたよね。確か——『アフリカゾウ』でしたっけ。あれは誰が?」
間髪入れずに、
「まさか、華ちゃんが? いえいえ、それはダメですよぉ? 私としては華ちゃんには優雅でいて欲しいですし、力技でどうこう、というのは向いていないでしょう? それになにより華ちゃんは獣らしくありません。ですから考え直しましょう。華ちゃんはもっと綺麗でないと——」
息を荒げながら華に迫り、怒涛の勢いで否定しにかかるアイ。彼女に心底嫌そうな顔をしつつ、
「華ちゃんはいい加減やめなさい。それから離れなさい。そもそも私は使わないわ」
「……はい?」
華は逆に全てを否定し返す。
奏太は「そうか」、と納得して、
「適合者がいるのよ。盲目的に人間を愛しているとびきりの素材がね」
……彼ならば、力の限りを尽くして平和を保つ。それは事実だ。少なくとも、彼にとっての友人——人間の視点から見た場合には。
だからこそ騙されやすく、利用された。
自身の扱う力が、平和を脅かす『獣人』の力だということも知らずに。
「そしてその適合者を迎え入れて、組織は完成する。名前は……」
彼女は少し考えて。
薄い笑みを浮かべてから、言った。
「——Heretic Monitoring Agency。異端者監視組織、HMAよ」
「華ちゃんにしては、シンプルですね?」
「……貴方が普段、どんな目で私を見ているかはともかく。異論はないわね?」
アイを含めた三人が頷き、決まる。
さながら子どもが遊びの内容を決める時のように軽やかに、自然に。
……いや、逆か。
彼らは既に先のことを決意している。
だからこそあっさりと華の意見に従うのだ。それが大人、というものなのだろうか。今の奏太にはまだ分からない。
「方針は至って単純。この世界から、人間から見た異端者を徹底的に消し去りなさい。組織の規模を考えるに、基本的には私ではなく、幹部の貴方達に動いてもらうことになるでしょうけれど」
それでも、ハクア・アイ・ソウゴ。三人の力はそこらの組織や個人などでは相手になるはずもなく。
文字通り、彼らは異端者監視組織として世界を正常に保ってきた。
「命の有無は問わないわ。どのみち大陸が海の底に沈むことは変わらない。だから世界を一つに統一し、人類共通の敵を作る」
奏太の頰を冷や汗が流れる。
「————だから、人類は数を減らさなければいけない。この先何百年、人類が生きていくためにはね」
よろよろとその場にへたり込んで、呟く。
『…………なんだよ、それ』
表舞台に出るようになってから、改めて気がついたこと。
藤咲華は、ヨーハンとは別の意味で話術に長けた人物だ。
自信に溢れ、不思議と惹かれてしまう魅力のある言葉。聞こえの良い言葉。事情を知らない者からすれば一見正しい言葉。
それらの多くは一部の情報をぼかし、あるいは隠すことで自信はそのままに、魅力を持たせている。
嘘をつくことももちろんあるが、実は口に出すことはあまりしていない。それは別に彼女が嘘をつく行為を嫌がるわけでも、ましてや苦手というわけでもなく。
単純な話、相手を誘導しやすいからだ。
奏太が希美に対して行った方法であり、同時に彼女からも気づかぬ間に行われていた方法。
情報の一部を開示こそするが、大事な部分は相手に想像させる。それも、決定的な勘違いを生む形になるように。
だからもし、華がこの場面で。——いや、もっと前から皆を欺く言葉を選択していたのだとしたら。奏太もそれにまんまと騙されることになり、彼女の狙い通りに動くことになるのかもしれない。
……そうやって、疑ってしまう。
散々奏太は彼女に振り回されてきたからそう思ってしまう。
疑いとはそういうものだ。
大抵の者は、何度も嘘をつかれれば、やがてはその相手のことを信じられなくなる。
最初から最後まで疑わず、盲目的に「信じる」と口にできるのは、よほどのお人好しか、馬鹿か、あるいは開き直れるほど肝が座った者か。
少なくとも奏太はその部類には入らない。たくさんの人を傷つけられた過去があって、ひょっとすると両親すらも騙されていたかもしれないのだ。当然である。
——でも。
——もしかしたら。
そう思う心があって。
考えてしまう。
だからきっと、奏太は馬鹿だ。
どうしようもないくらい、馬鹿だ。
希美に裏切られて。
約束を否定されて。
信じようとして、騙されて。
それでもなお、三日月奏太は『不老不死の魔女』と称され、世界中を敵に回した沙耶という女性を嫌いになれない。信じてみたい。
だから——考えてみることにする。彼女が、彼女たちが世界にしてくれたことを。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
人類を救うために人類を減らす。
その結論ははっきり言ってぶっ飛んでいる。
しかしそれを理解した上で逆に考えていく。
もし彼女らが『獣人』を作らず、非人道的な実験を行う組織、団体を放置したままだったら。
もし『ノア計画』に協力せず、その上『ゴフェルの膜』を作れていなかったら。
もし、世界を改変していなかったら。
恐らく、人類は滅亡へ向かっていたか、あるいは運良く空か海かに逃げられたとしても、長くは持たなかっただろう。
いくら技術が発展していても、現実は現実でしかない。神様や天使様のように、生きとし生けるもの全てを救えるほど人間の手は大層なものじゃない。増えすぎた人口はやがて大きな枷となり、他種族の世話は追いつかず、保存もままならない。
遅かれ早かれ、絶滅の日は来る。
もしくはソウゴたちのような人工生命体の研究が進めば、何者かが世界の支配を企み。国がそれを獲得に動き、戦争が起きて。ますます資源は減っていき、やがて獲得した意味すら喪われる。
止められる者などいるはずがない。
何かできるとすれば、それは自然災害が起きる以前の話。
改変が起きなかった世界。何もできないまま、滅びゆく世界。本来起きるはずだった終わり。
……これはあくまで、奏太の想像だ。
詳しい者に聞けば、そんなことはないと首を振られるかもしれない。現実味のない話だと馬鹿にされるかもしれない。
けれどさらに話を逆に戻して。
華たちがいたから、この先叶うであろうことはいくつもある。
範囲や人数をある程度絞った状態で、かつ十分な準備のもとで海へ落ちるため、資源難は少なくとも何十年先では起きない。
元に戻す手段は確立していないものの、現在存在する生き物のほとんどは人間と同化しているため、種の保存に手間がかからない。
これから先は分からないが、少なくとも現時点では怪しい研究を行える組織はない。アンドロイドやサイボーグといったものもしばらくは生まれないはず。
国家間のぶつかり、団体同士の抗争。そういったものもない。
少し前までは『獣人』が。
————今は藤咲華が全ての罪を背負って、人類の敵となることを選んだから。
そして恐らく彼女はそのことを理解していた。
だから受け入れたのだ。
華が託すものを継ぎ、皆の明日へと繋ぐために。
「——これが『ノア計画』。私たちが為す最大にして最後の計画よ」
そう言って、華は話を締めた。
全部を聞いて、奏太は思う。
これはあまりにもひどく、優しい話だ。
かのブリガンテのキングを務めていたアザミも、目的のためなら手段を選ばない男だった。
彼は人間こそが罪なのだと主張し、その罰を受けなければいけないと世界に吼えていた。
彼が一体どこまで知っていたのか、今となっては分からない。
けれどそれは、奏太がそれでもと押し切った罪は、改めて否定しようのない事実だった。
だから、彼女が行なった改変は、裏切りで、報いで、救い。
決して万人に理解されることではない。仕方がなかったのだとしても、犠牲があって良かったはずがない。もしかすると他のやり方があったかもしれない。
『……沙耶。俺はお前のことが嫌いだ』
自身の何もかもを捨ててでも世界を終わらせまいとして、自身を含めた世界の全てを利用した。
その道中では奏太のように大切な人を失った者もいて、奏太すらもそれが正しいことだったとは頷けない。記憶も、恋人も、人間も『獣人』も。今まで無くしてきたものはたくさんある。
『——でも、俺は』
人も、『獣人』も、学校も、街も、都市も、国も、大陸も、社会も、歴史も、思想も、敵意も、罪も。——間違ってる。
沙耶は大罪を犯しているのだとしても、魔女なんかじゃない。
だから、三日月奏太だけが出せる、たった一つの答え。
『————世界がどれだけ間違ってるって否定しようとも、俺はお前とお前の行いに対して敬意を抱くよ。……『英雄』』
奏太は世界が彼女について知らないことを、知っている。
誰よりも優しい厳格さを持った女性。あまりにも愚直で、正直な大嘘つき。
一つの約束と、一人の少女を幸せにしたいという思いから世界を変えてしまった、栄冠なき『英雄』なのだと。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「——というわけで、しばらくの間は組織の設立で忙しくなるわ。信頼を固めるという意味でも、外へ出るのは難しくなるでしょうね」
ぼんやりと華の言葉を聞く。
奏太の中で彼女に対する意識は明確に変わったとはいえ、アイやソウゴが彼女に向けるそれとは違って、まだ拙いというかなんというか。
まあ上手くはいえないけれど、少なくとも以前ほど悪い気分ではない。
視線を横に。
徐々に時間が迫ってきているのだろうか、裕里仁は落ち着きがなく、ソワソワとしている。
「——ぁは。裕里仁君、大丈夫ですか? 顔色が良くありませんけど」
「いや、うん。大丈夫だともアイ君。ただ少し、この先のことを考えると不安が募って仕方ないというか……」
それは大丈夫ではないのではなかろうか。
アイにしては珍しく、優しげな笑みで気を遣って言葉を投げかけているようだが、あまり効果があるようには見えない。
「僕自身の心配もある。けれどそれ以上に君たちだけが非難の目にさらされ、命を失うという結末を僕は受け入れたくないんだ。……本当に今更な話ではあるけれど、ね」
その結末は実際に起きることだ。
自分たちで終わりを決め、その中で目的を達して死んでいく。
もし奏太が彼と同じ立場だったら、それを平気な顔で受け入れられるだろうか。
いやないな、と思う。
ましてや、たった数人——『五人組』で世界を変えてやろうというのだ。そんな大事な仲間が——現状と発言の内容から考えるに、瀬黒裕里仁とソウゴを除く——果てで死ぬなど、考えたくもない。
奏太にとってラインヴァントがそうであったように。
沙耶、ソウゴ、アイ、先代ヴィオルク夫妻。それから彼——。
『……あれ?』
数え間違いか、と指を順にたたんでみるが、結果は変わらない。
確か華に聞いた時は五人だと言っていたはず。まさか彼女が間違えていたとは思えないのだが、
「貴方はいずれ、私達がいなくなった後で必要になる存在。だから蚊帳の外にいてもらう他ないのよ」
「僕が大罪人の一人であっても、かい?
「ええ。私達の目的の為にね」
「もっとも、それは貴方にとって何より辛いことでしょうけれど」と華は付け足す。
その会話から、自然と疑問が湧いてくる。
『なあ、カミサマ。この二人……というより、この瀬黒裕里仁って人は一体どういう?』
先程から沈黙を守っていたカミサマに問う。
何か頭の中で引っかかっているものはあるのだが、まだ何かが足りないというか。そんな曖昧な思考を埋める期待を込めて問うたのだが、
『二人は同じ高校の同級生だったんだ。他の子たちにも華経由で知り合って——そんな仲だよ』
なるほど。現在奏太が持っている情報とは何の関連性もない話である。
と。思っていたところ、
「……貴様、今日は白衣を身につけていないのだな」
「え?」
『え?』
ソウゴの呟きに、疑問の声が被った。
「——あぁ、そういえば着ていませんね。いつもは一日中白衣だというのに。……ひょっとすると、落ち着きがないのはそのためでしょうか?」
「いや、そういうわけではないのだが……白衣も持ってきてはいるし」
そう言って、鞄の中から白衣を取り出す裕里仁。
瞬きを繰り返す。確かに記憶の端に引っかかるものがあった。
半年ほど前の発言もそうだが、何より白衣といえばどうしても連想してしまう人物が奏太の近くにはおり。
……確か、彼はこう言っていた。
「高校生のある時点から、五年前に至るまでの記憶がまるっきり抜けている」。
それが指すものは、多分。
『…………そっか。そうなんだな』
ふう、とため息を吐く。
色々なことに納得がいった。
この結論が確かなら、奏太はたくさんのことを裕里仁に——フェルソナに聞かなければいけないのだろう。
もう一度話す機会があるかはともかく、この先のことを考えると、絶対に。
「そうそう。後で記憶は封印してしまうけれど、別行動を取っている間、貴方には育ててもらいたい人材がいるのよ」
「研究者だというのなら構わないけれど……性別は?」
「…………女性だ。貴様の苦手な、な」
一部の記憶を失っても、胸の内にある好意が変わらないのだとしたら。
あの二人の片方が夫婦だの相棒だのと言っていたのも納得がいく、といったところか。
そもそも二人とも、記憶があってもなくてもやることが変わらなさそうな人物ではあるけれど、先のために必要なことなのだと思う。
後進の育成もそうだけど。きっとやらなければいけないことをやった後で、フェルソナは自分のしてきたことを責めるだろうから。誰かが側にいないとダメだと華は思ったのではないか……というのは、考え過ぎかもしれないけれど。
そうやって笑みを浮かべて。
そんな時間は、ここまでで。
「————さて」
たった二文字。程々に崩れてきた雰囲気が、華の言葉で引き締まる。
それぞれが感じ取ったのは、迫った時間とその直前、最後に彼女が何かを言わんとしていること。
ソウゴは瞳をじっと閉じたまま動かさない。ただその時を待つ。
アイはいつも通り楽しげに、けれどやや興奮気味に華を見つめる。
裕里仁は悲しげに、けれど厳しい表情を作って、覚悟を決める。
カミサマの横顔は終わりを確信していて、表面上はニコニコとしているのに、どこか寂しそうだった。
華は三人の顔を順に見ていき、ゆっくりと口を開いた。
「——彼ら夫婦には伝えたけれど、『ノア計画』が始まれば、こうして私達『六人組』が集まることはもうないわ」
それは多分、『六人組』の一人が記憶喪失という形で一旦計画の外にやられ、『五人組』になることを意味するのだろう。
隠れて接触することも難しく、いずれメンバーは消えていく。二度と元には戻らない。だからこれが最後だと言っているのだ。
「だから今のうちに伝えておくわ。……あたしについてきてくれて、ありがとう。本当に感謝しているわ」
そしてそれは、沙耶も。
皆に頭を下げる彼女は、もう数時間もしないうちに『藤咲華』として世界に現れる。
十数年の間、演じ続けるのだ。
……最後の最後、奏太にだけは素顔を見せたけれど。
記憶は記憶でしかない。
たとえその場にいるのが改変者やカミサマ、原点だとしても。決して止まることなく、時は流れていく。
世界に起こることは変わらない。
彼女らが世界を改変することは変わらない。
「……そろそろ時間ね」
数秒の間を経て、華がすっと顔を上げた。
そこにいたのは完成された美貌を持つ麗人。
街を歩けば十人のうち十人が振り返るほどに目を惹かれる容姿。無条件で従いたくなる程の圧倒的な自信と、妖しさを秘めた瞳。
薄い笑みを浮かべた彼女は立ち上がり、
「さあ、行きましょう。——世界を書き換えに」
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
空間が音を立てる。
端にヒビが入ったかと思えば、それは鋭さを増して反対側まで広がって行き。
一つの個としてあった場所は脆さを得て、間から光が差し込む。
終わりが始まりを告げる。
そっと手で触れた瞬間、軽やかな音を立てて。
一つの記憶が消えていく。
視界いっぱいに白い光が広がって、眩しさに思わず目を閉じてしまう。
どこからともなく声が聞こえてくるが、一体どこから発せられているものなのか、分からない。
「——ソウゴから伝言がある、と言ったけれど」
声は続く。
瞼は、開けない。
「——ここまではまだ半分。その意味が分かるかな?」
ぶわっと、唐突な浮遊感。
足が地を離れ、全身に感じていた不自由は羽を得て。落ちているのではない。ゆっくりとどこかへ上っている。
「——時間は限られているけれど、キミと話がしたいってお願いされちゃってね。幸せを願う私としては、それを叶えないわけにはいかない」
目が徐々に慣れてくる。
開くと、数秒チカチカとしたが、問題ない。
遥か上には白い空があって、黒い何かのそばを自分は上っている。
上って、上って、辿り着く。
五角形に切り出された黒い地面。
その上に降り立って、軽く頭を振る。
「——待っていたぞ」
そこで先の記憶のように、じっと瞳を閉じていた人物がいた。
彼は組んだ腕を解き、ゆっくりと瞳を開けて、こちらへ歩みを進めてくる。
「……随分と手の込んだ伝言だな」
「なに、この方が手っ取り早かったというだけの話だ」
ピタリと足が止まって、彼は奏太を見下ろし。
奏太は彼を見上げて、息を呑む。
「貴様に改変者として話をしに来た。——ソウタ」
HMA『トレス・ロストロ』のソウゴ。
彼の表情は厳しく、けれど以前よりは距離が近くなったような。
そんな気が、した。




