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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第三章番外編 『空白の青空』
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第三章番外編④ 『未色の姉妹と少年』



 本人の言動の幼さも相まって忘れそうになるが、現在中学二年の葵とユズカは、一歳か二歳くらいの差である。

 それはつまり、いずれは同じような歳の取り方をして、同じ景色を見て生きていくということ。……と言いたいところだが、残念なことに現実は、夢のある話だけではない。

 「いずれ」はあくまでいずれ。現在の葵とユズカは知識差が激しく、もっと言えば主に恋愛的な意味での経験も色々と足りていない。夢のある話にたどり着くためには、あまりにも致命的な。


「いえ、我ながららしくないとは思っているのですが……告白して、もう結ばれたようなものですからね」


 ため息を吐き、ぼやく相手はユズカと入れ替わりで入ってきた少年、三日月奏太。

 なんでも彼と芽空は仕事を終えたものの、ヨーハンが少し遅れてしまう、とのことで、それを知らせるついでに他のメンバーのところを回っていたのだとか。


「じゃあ今はその気持ちを受け入れたらいいんじゃないか? 何もない今は、さ」


「ですが、少し前まで強くなろう強くあろうと考えていたボクが色恋沙汰に夢中になるなんて……いえ、本音では望んでいる部分もありますが、それでも」


「…………らしくないな」


「……そうでしょう」


 らしくないと言えば、彼は入ってきた時点からずっとそわそわしているというか、目が合わないというか。何か考えごとだろうか。

 彼ならば手が必要な時、すぐに言ってくれるとは思うのだが、言わないということは少なくとも今、葵の手は必要ないということか。


「まあ、あんまり進まないのももどかしいけどさ、焦る必要はないと思う。手を繋いだり、デートしたり。そういうのって、思ってる以上に大変で……楽しいもんだし」


「奏太さん……」


「あ、でも、ユズカが恥ずかしがるっていうのは結構意外だった。てっきり葵を引っ張るもんかと」


 まあ、その気持ちは分からなくもない。

 こう表現して良いものかは分からないが、戦っている時のように彼女は攻める側だと。そして葵はそれに微妙な顔をしてため息を吐きつつ、仕方ないなとついていって……いや、ないな。


 普段の生活ならまだしも、少女に引っ張られるなんてプライドが許さない。いや、ユズカ以外の誰かと恋愛経験があるわけでもないのだが。


「奏太さんの時はどうだったんですか? その……」


 少し口ごもり、


「蓮と、か」


「えっと……はい。個人的なイメージで申し訳ないのですが、二人は恋愛に慣れている、とまではいかないまでも、かなり上手くいっていそうなのですが」


 美水蓮が奏太の恋人だった、ということは聞いている。

 だから、こうやって問う形になってしまったことに罪悪感。けれど彼はふいに笑い声をこぼして、


「多分、葵たちと似たようなもんだったよ。俺たちは」


「奏太さんたちが、ですか?」


「ああ。クラスメイトに公表なんて恥ずかしいからできなかったし、手を繋ぐのだって結構かかったし。…………って、そんな意外なのか」


「ええ、まあ」


 葵は三日月奏太という少年に、人としても男としても憧れを抱いている。

 彼は自分がどれだけ最悪な状況にいても諦めず、常に誰かを守ろうという強い意志を持っているのだ。

 こと恋人のことに関しては、本当に大事に、一途に想っているのだということも、彼が蓮のことを語るたびに伝わってくる。


 しかし——いや、だからこそ、なのか。

 大事に想っているから、半端な感情に流されたくない。相手を大事にしたい、と。

 そしてそれは、彼の恋人であった蓮にも言えることなのだろう。


「どうした?」


「いえ、なんでも。ただ少しだけ——覚悟が足りなかったと、思っただけです」


「……えっと、よく分からないけど、そんなに気合い入れなくてもいいと思うぞ」


 葵も奏太を見習い、付き合うという行為にもっと責任を持たねば——と表情を締めるが、言われたのでやや肩の力を抜きつつ。


「まあ、何か困ったことがあったら話してくれ。俺に乗れる相談なら、乗るしさ」


 ……そういえば、彼に相談をすることはあまりなかったなと思う。元々誰かに相談することすら少なかったのだが。


「それに、もしもの時は秋吉もいるしな」


「というと、この前の方ですか」


「ああ。言い方があれだけど、恋愛には結構慣れてるんだよ、あいつ。事情を話せば真摯に付き合ってくれるはずだ」


 まるで遊び人のような言い方である。

 だが、しかし。

 彼が現在人間と関係を持っているように、これからは葵も人間と手を取り合っていくのだろうか。秋吉か、あるいは他の者か。

 他人に心を許すことはあまりない葵だが、それも悪くないのかもしれない。


「……あ、そういえば」


 そこで、葵は奏太に言っておかなければならないことがあるのを思い出した。


「今朝、非戦闘員の中の一人が、『纏い』に目覚めたんですが————」


 葵は語る。

 目元が隠れた亜麻色の髪が特徴の絢芽という少女が、ブリガンテの襲撃で抱いた強い感情によって、その力に目覚めたのだということ。

 能力は『シマリス』。じゃれつき程度のやりとりだったとはいえ、身体能力の向上具合はそれなり。

 その使い方に関して悩んでいたものの、ユズカと自分が話しておいたので、恐らくは問題ないということ。

 そして彼女が、ユズカとその仲を深めたこと。


「あの時の子か……」


「例に漏れず、彼女も奏太さんには感謝をしているようですね。ボクとの対応がかなり違ってましたし」


「俺が見た時はそんな感じの子じゃなかったんだけど、この数ヶ月で元気になった……ってことで、いいのか。いや、元気なのは良いことなんだけどさ」


 いや、本人は意識してるのか無意識かは分かりませんけど、間違いなく彼女猫被ってますよ。多分奏太さんが行ったら、あの子急に大人しくて素直な子になりますよ————とは口に出さない。

 奏太の言う通り、ただ元気になって素の自分が出てきただけかもしれないし、と。


「まだ小さいですから、戦いには参加させたくないですね。……経験が浅いと、かえって邪魔になりますし」


 …………別に、彼女が心配とかではない。


「そうだな、俺も葵と同意見だ。心配なのもそうだし——『纏い』自体、慣れてないと危ないしさ」


 言って苦い顔をするのは、以前に何度か失敗の経験があるからだろう。

 一度はそれで葵やユズカ、ハクアに敗北したのだから。


 ……ただ、そんな彼でも、フェルソナに言わせれば習得までが驚異的な速度らしいのだが。


「できれば練習に付き合いたいけど、ひとまず発表(、、)が終わるまでは難しそうなんだ。ごめん、負担かけてるよな」


「いえ。天秤にかけるわけではありませんが、今の奏太さんは『獣人』の未来を両肩に背負っているわけですからね。届かない範囲はボクたちが手を尽くしますよ」


「そう言われると、かなり重大な役割だって改めて思わされるな。…………でも、ありがとな、葵」


「……そうすることがボクの望みであり、あの人たち(、、、、、)の願いであると思っていますから」


 ありえない話だが、もし彼や彼女が無事でここにいたのなら。

 恐らく、葵と同じことをしていたのだろうと思う。

 ある者は不器用ながらに兄貴分の手伝いを、またある者は奏太に無理をさせまいとする。


 別に、彼らの行為の代行をするわけではないけれど。もし、それが奏太の負担を少しでも減らせているのなら、それは良いことなのではないかと葵は思う。


「それにしても……」


 ふと、奏太が顎に手を当てて呟く。


「どうしました?」


「ああ、いや。ラインヴァントってそれなりに人数がいたわけだけどさ。みんなの名前、全然知らなかったなと」


 言われてみれば確かに。

 普段の交流の少なさゆえに、恐らく全員の名前を把握しているのは、芽空やフェルソナ、あとは蓮くらいだったろうか。これを機に、ユズカや葵も覚えていくのだろうとは思うが。


「前にお礼言ってきた子たちも、自分から名乗ってくれた子は少なかったし、絢芽もさっき知ったばかりだし」


「ではせっかくですし、名簿でも作っておきましょうか?」


「……頼めるなら、頼みたい。今更なことだけど、今だからこそみんなのこと、ちゃんと知っておかないとだしな」


「ええ、そうですね」


 そう、今回の事件による影響は、何も世間の認識だけではない。これまではアジトにこもっていた少年少女たちが、もしかすると外に出る……という可能性もありえるのだ。

 新たな場所を得て、新たな生活をする可能性が。


「…………まだ何か、気になることでも?」


 話もひと段落ついた、と思いきや、奏太の顔は未だ晴れず。

 語っておくべきことは語ったはずだが、何か疑問に残る部分があっただろうかと考える。

 強いて言えば絢芽の『トランス』のことだが、それは実際に見て見ないとどうしようもない。とすると————、分からない。


「名前で思い出したんだけどさ」


「誰か気になる子でも?」


「まあ、そうだな。って言っても名前が知りたいんじゃなくて————ユズカとユキナ(、、、、、、、)って誰が(、、、、)名前つけたんだ(、、、、、、、)?」


 ああ、なるほど。

 確かにあの姉妹の過去を知っている彼ならば、その疑問にたどり着いてもおかしくはない。


「二人が家出してきたっていうのは、聞いた。言葉もそこまで話せなくて、自分たちの名前も知らない時に」


「しかし、だからと言ってアザミが名前をつけたわけではない。ユズカとユキナはそれぞれ、クイーンとその妹と呼ばれていた——と。ええ、その通りです。彼女たちの名前は、ラインヴァントに来たあと、つけられたものです」


 葵は懐かしむように、瞳を伏せる。

 そう、あの頃は……と。


「奏太さんが来るより前。梨佳さんと蓮さんが生きていた時の話です」


 ぽつり、ぽつりと。

 語り始める。姉妹の空白を埋めた、かの日々を。そしてあるいは——葵のあり方を決めた日のことを。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 その頃はまだ、希美がラインヴァントのアジトに来ておらず、芽空もあまり外に出ず、フェルソナは通常運転、蓮と梨佳はどこかへ出かけてばかり……と、皆の足並みは全く揃っていなかった。

 もちろんそれは葵も同様である。『トランス』の稽古も兼ねて、徐々にアジトで寝泊まりすることが多くなっていたとはいえ、他のものと行動を共にしようとか、仲良く話そうだとか、そんなことは全く考えていなかった。


 当時の心境はこうだ。

 皆『獣人』、あるいはその事情を深く知る人間だからか、葵が距離を置くと、それを察して適度な距離感を保ってくれる。

 たとえばフェルソナや蓮とは稽古の関係上、何度も話すことがあったが、逆に言えばそれだけの関係。すれ違ったら挨拶くらいはあれど、実生活にはそこまで関わらない、と。

 ひどく心地が良かった。けれど少しだけ、言葉にできない感情もその裏にはあって。


 ——というのは、ある一人を除いての話。

 そのある一人、というか戸松梨佳に関しては、気遣いも何もあったものではなかった、と当時の葵は思っていた。


「『獣人』連れて来たぞー」


「はぁ、またですか」


 雑誌を買ってきて参考にした、見よう見まねの護身術。まだぎこちないその稽古の途中に、彼女は猫でも拾ってきたかのような口ぶりで入ってきた。

 もはやわざとやっているとしか思えないくらいの毎度の報告。ため息をこぼすのも、もはや日課である。


「で、なんです。このボクに何かしろと?」


「まー、そうっちゃそうだしそうじゃないっちゃそうじゃない。けど——」


 一瞬、その瞳が細められ、


「少し話してみりゃ、何か(、、)得られるかもしんねーぞ?」


「は?」


「——連れてきたやつが蓮と互角の実力だって言ったら、分かるか?」


 彼女の低い声に、息を呑む。

 葵はアジトに来てまだ数ヶ月だが、ラインヴァントで最も実力があるのは蓮、次いで梨佳だ。

 決して口には出さないし、絶望などするはずもないが、葵が何人、いや何十人いてもまずたどり着けない領域。そこへ外からやって来た、どこの誰とも知らない子どもが、ずかずかと足を踏み入れるのか。


 しかし動揺は表情に出さない。

 なぜなら自分は天姫宮葵で、その子どももただの子どもだ。最初から比べるまでもなく、葵が本気を出せばそんなやつ————、


「言っとくけど、みゃおじゃまず勝てねーぞ?」


「だからそのみゃおというのは……ではなく。…………なんですって?」


「勝てねーって言ったんだよ。あーしならギリ勝てるだろーけど、さっきみたいなへなちょこパンチ打ってるみゃおじゃなー」


 あまりにも分かりやすい挑発だ。


 感情は表には出さない。

 それは相手との距離を保つ上で大切なことであるし、自分が強くいるためにも必要なことだ。

 普段からそれを心がけているし、ちょっとやそっとの言葉で動くほど葵は子どもではない。


 だから、ただ少し。

 ここらで梨佳に態度を改めてもらおうと思っただけだ。蓮と互角とかいう子どもを相手にし、勝てば自分は強いのだと証明できる。

 まあもちろん、そんな結果になることくらい、疑いようもないことなのだが。


「……どこにいるんです? その子どもというのは」


「ん。行くなら案内してやるけど、稽古はいいのか?」


「ええ。たまには趣向を変えてみるのも悪くありませんから」


 梨佳は「ふーん」とその表情に笑みを浮かべたまま、廊下に出る。

 彼女の後ろについて行くと、


「昼飯食ったか?」


「は? ええ、まあ」


 わけの分からない質問。


「そっかそっか。……いやー、楽しみにしてるぜ?」


「……何か良からぬことを考えてませんか?」


 けらけらと。

 前を歩く紺色のポニーテールは、それ以上の言葉を語らず、ただ笑う。


 ため息が一つ、こぼれた。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 このアジトは、所有者がかのヨーハン・ヴィオルクということもあってか、恐ろしく広い。

 梨佳の話によれば、他に本邸と別荘がいくつかあるというのだから、もはや一般家庭とは次元が違う。


 しかし、それとは別に。

 アジトについて、広さとは別に、覚えておかなければならない点がいくつかある。


 そのうちの一つが、生活しているものが皆『獣人』であるという点。

 そうそうあっても困るが、うっかり『トランス』を暴走させ、部屋を破壊してしまったなんていう事態になれば、当然色々な問題が発生してくる。

 特にここは地下だ。下手をすれば天井が落下、そのまま生き埋めなんてことも十分にあり得る。


 だからそれを防ぐために、『トランス』を使える者は加工した壁——といってもまだ試作段階だとフェルソナは言っていたが——に囲まれた部屋で、力の制御練習を行なっていた。

 このアジトに来て、稽古を行うのが習慣になってきた葵も、本来ならそちらで行うべきなのだ。

 しかし、既に自身の強さは自覚しているとはいえ、さらに強くなったと自分でも認められるくらいになってから行くべきだ……などとも考えていて。


 むろん、少年とも少女とも分からない、「蓮と互角の実力を持った子ども」はそんな葵の考えとは一切無関係だ。だからこそ葵は、子どもがそこに放り込まれたと梨佳に聞いた時、感情にもやが生まれるのが分かった。

 相手にとっては無関係でも、葵にとっては重要な部屋なのだ。努力の末にたどり着く、分かりやすい旗印なのだ。どこの誰とも知らない者がそこは軽々と踏み入っていいはずがない…………と。


「梨佳さん」


「ん、どーした?」


 二つ分の部屋を利用し、広々と取られた四方が白の空間。その手前の待合室のような場所には窓が付いている。中を覗くための、窓が。

 そこから確かに、目的の人物は見えた。いや、見えたかもしれない。

 交代で見張りでもしているのか、今は蓮が側についているが、


「子ども……じゃないですか」


「や、だから子どもって言ったろ?」


「確かに子どもですが!」


 思わず声を張り上げ、窓越しに目的の人物たち(、、)を指差す。

 それは明らかに、葵の想像していたものとは違う。

 たとえば梨佳たちと同年代か、あるいは一つ下くらいか。蓮と同等の実力を持っているというのだから、それなりに背丈も高く、鍛えられた肉体が……とか。そんな感じの、男を想像していたのだ。


 だが、現実はどうだろう。確かに見た目から想定される歳から考えれば背丈は高めなのかもしれないが、


「どうみてもただの女の子じゃないですか!」


 それも、姉妹の。

 ここからではよく見えないが、蜜柑色の髪をした少女たちだ。葵と同じか、あるいは年下か。いずれにせよ、葵の想像の斜め下を行く光景である。


「なら、確かめずに帰るか? 別にあーしはそれでも構わねーけど」


「……じゃあどう確かめろって言うんですか」


「さぁ? 話しかけて聞いてみりゃいいんじゃね?」


 ここまで連れて来ておいてこの無責任ぶりは何なのか、と文句が口を出そうになる。

 「馬鹿馬鹿しい、時間の無駄ですね」と言って帰るべきだろうか。実際近くで見てみないことには分からないが、あの姉妹のどちらかが蓮に匹敵するなど考えられないし。

 いや、それとも二人が組むことで……いやいや。何を真面目に考えているのだ。


「何かを期待されているのかもしれませんが、ボクはこれで——」


「——あいつらと仲良くしたら、あーしらが『トランス』の稽古付き合うぜ?」


 踵を返そうとした足を止める。


「見よう見まねよりも、基礎を理屈で理解してるあーしらが教えた方が、よっぽど強くなれる。……それを利用するのも悪くねーんじゃねーの?」


 少し、考える。


 仲良くする、という文面が気になるが、葵が教えを請うのではなく、口上だけだろうが向こうから利用されてやると言っている。ならば利用しない手はないのではないだろうか。

 葵も才能溢れる若者と言えど、護身術も『トランス』も見よう見まねでやるよりかは、他人の技術を盗んだ方がよっぽど習得も早い。

 そしてさらに、本来ここへ来た目的。蓮と同等の実力の少女を倒せば、経験値にも強さの証明にもなる。ならば、


「仕方ありませんね。渋々ではありますが、あなたの頼み(、、)を引き受けますよ」


 ——葵はそのまま振り返らず、奥に進んだために気がつかなかった。

 楽しげに鼻歌をふんふんと刻んでいた梨佳が、笑いを堪え切れなくなり、小さく噴き出したのを。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



 白部屋に入ると、こちらに気づいた薄青の髪が振り返った。


「あ、天姫宮君。梨佳から……って、どうしたの?」


 葵の雰囲気にただならぬものを感じたのか、桃色の瞳の少女美水蓮がぎょっとした顔をする。

 そんなに気持ちが高ぶっていたのだろうか、無表情を意識。燃える気持ちを極力抑える。

 指で後ろの梨佳を指して、


「あの人から聞きまして。様子見ですよ、様子見」


「そ、そうなんだ……。怖い顔してたから、一体何をするのかなって思っちゃった」


 そんなに感情が出ていたのだろうか。まあ、そんなこともあるかと気持ちを切り替えて——、


「ああ、蓮さん。この子たちと話をしたいので、少し離れてもらってもいいですか?」


「え、うん。珍しいね、天姫宮君が他の子と話したいって」


「ほんの気まぐれです」


 わずかに警戒の色が残っている気がするが、頷いた蓮が距離を置く。

 それを確認し、改めて葵は件の少女たちを見つめた。


 部屋の端で体を寄せ、蜜柑色の髪と空色の瞳を持った少女たち——顔の作りが似ていることも考えると姉妹だろうか、表情から見える感情にはかなりの差がある気がするが。


「……ぐるる」


 ……さて、どうしたものか。

 かなりの差がある、と言うのは表現の仕方の問題で、恐らく根底にある感情は同じだ。どちらも警戒があって、それが怯えか敵意かの表現になっているというだけ。

 となると、恐らくは後者が例の実力者だろう。怯えられるよりかはそちらの方が言葉を発してくれるだろうと判断。ぐるると唸っている方へ声をかける。


「初めまして。ボクは天姫宮葵です。あなたたちは?」


 返事はない。代わりに唸り声が激しくなった。

 今にも襲い掛かりそうな敵意がひしひしと伝わってくるが、それでも行動に至らないのは何か理由があるからだろうか。


「取り押さえられるから無駄……というわけではありませんね」


 ちらと視線を横に。

 震えている少女の方。物音一つでも立てれば消えてしまいそうな声が、「おねえちゃん」と呟くのが聞こえた。


 数秒の思考。その末に結論を出す。

 恐らく、そういうこと(、、、、、、)なのだろう。


「なら、話をしてみませんか? ちょうど今飴玉を持っていまして」


 唸り声の少女——姉がぴく、と反応する。なるほど、分かりやすい。どんな狂犬であれ、食べ物を前にすれば涎は溢れてくるということか。

 ……いや、どういう手段に出るかはともかくとして。まさか襲われはしないだろう、と自分に言い聞かせる。


 ポケットの中を探ると、ちょうど二つ見つかった。

 まあ自分の分がなくなるが、この程度なら安い出費だ。一つを手渡し——は危ないので、姉に放ってみる。


「ぐ…………るる」


 一瞬、警戒が止みかけた。

 だが、飴玉を取ってしまいこむだけで、それ以上の発展はない。あまりに一方的なコミュニケーションである。


 ならば。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。


「あなたもどうですか? 毒とかは入ってませんし、良かったら————」



 さて。

 葵が先ほど姉妹を見て、出した結論について話しておこう。


 姉は今にも葵を殺しそうなくらいの敵意を発している割に、未だに行動に出ないのは、隣の妹がいるからだ。

 詳しい経緯は聞いていないが、ここに連れてこられた以上、彼女らは下手な動きができない。それは取り押さえられるかどうかというわけではなく、今後の生活に関わるから。


 推測を交えると、それは恐らく主に妹のため。

 そもそもこれだけ唸ってるような少女がここへ来た、というのが違和感の塊なのだ。蓮と同等の実力者、ということは当然ながら経緯の中に戦闘があって、その下で証明されたはず。

 にもかかわらず、蓮と姉に戦闘の跡はあまり見られない。


 蓮との実力は互角だったけど、梨佳の介入で負けたから屈服して、という可能性はあり得るだろう。眠らせている間に連れ帰った、という可能性も梨佳ならあり得るだろう。

 だが、そのいずれかよりも可能性が高いものがあるとすれば、それは妹が止めたから、だ。


 たとえば、そう。

 「おねえちゃん。この人たちなら、だいじょうぶ」と。

 そしてその状況の中に蓮と梨佳はいて、葵はいなかった。だからこうして警戒されている。



 あくまで推測だ。

 『獣人』はその評判からも、孤独な身であることが多い。だから姉妹だったらそうなるのではないか、とか。そんな風に思ったことが大きいのだと思う。


 だが、真実それは正しかった。

 もし妹のために姉が敵意をあらわにしているのだというのなら、妹の方に触れてみれば姉にも大きく変化が出るのではないか、と。

 実際に、動きはあったのだ。


「————さわらないで」


 多少の警戒はしていた。

 下手をすれば攻撃を食らう。その時は自分も防御態勢を取るつもりだった。

 しかしそんなものを一切許さない、絶対の一撃。目にも留まらぬ速度が風を切り、体内の一切合切を逆流させる拳となって葵の腹部へ。


「ご、ふ」


 何が起きたのかは分かった。

 動きは見えなかったものの、攻撃を食らったという事実だけは。


「お、おねえちゃん!」


 視界が制止を許さず、自動的に直上へ。どこから聞こえたのかは分からないが、焦る妹の声が聞こえる。


 ——ああ、やはり推測は正しかった、ということか。


 笑みを浮かべる余裕はない。

 腹を中心に襲う全身の痛みが、壊れたビデオテープのように意識を途切れ途切れにさせる。

 だけど、一瞬。


 現か幻か、意識が失われる直前、映ったものがある。


「だれかしらないけど、おやすみ」


 光の失われた瞳。

 その口元は、笑っていたのだろうか。

 でも、葵にはそれが、なんとなく。


 泣いているように見えた。



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