第三章60 『悪意と絶望の讃歌』
「ぬ、ォラアアア!!」
長い廊下に響く声。
それを出した張本人オダマキは、果てなく続く破砕音とともに、教室や窓、あちこちを巻き込んで獲物を捕らえんと迫る。一手を打つたび必要な体の部位を見極め、『部分纏い』で強化して。
正面に捉えた『スイギュウ』、彼に対してオダマキが取った行動は三つ。
「ぐ——ッ!?」
「甘ぇな」
一つは地を蹴る足を強化し、正々堂々と真正面から攻撃をする——ように見せかけたフェイント。速度そのままに彼の横へ回り、事態に怠けた面に全力の右拳をプレゼントしてやる。
ミシ、と骨が砕ける感触を拳の先で感じつつ、そのまま振り抜くがまだ足りない。身が地を離れるギリギリのところで、彼はその場に留まった。だから間髪入れずに加速、岩肌を体現させた左足の先でガラ空きになった胴体を突き飛ばす。
彼が近くにあった教室のドアを突き破り、起き上がってこないことを確認すると、最後にもう一つ。左後ろから迫っていた黒フードに対し、振り向きついでに左肘をぶつけようとするが、
「あははっ! 効かないよーだ!」
「うっぜぇな、こら!」
幼声の前に、至近の腕を狙った攻撃は不発。
それは攻撃自体のリーチは短くとも、本来ならば食らっておかしくない位置、タイミング、速さの鋭突だったはずだ。
『スイギュウ』——先ほど突き飛ばした彼に集中しながらも、後方の彼に意識は割いていたからこその一撃だったのだが。
「うざくて結構! 僕はヘビ。それもアルビノ個体のアオダイショウさ。珍しい見た目なんだけど、お兄さんは知ってるかな?」
「知らねぇよ、んなもん!」
オダマキの荒れた声に対し、枯れ草色の髪の幼い少年『ヘビ』は、熟れたリンゴのように真っ赤な瞳を逸らさない。
「お兄さんの攻撃はそう簡単に当たらないよ。だって僕、『ヘビ』だもん」
そう、今オダマキが相手にしているのは『スイギュウ』と『ヘビ』。いずれも、『カルテ・ダ・ジョーコ』で、シックスとセブンに位置する相手だ。
前者は角を除けばこれといって厄介なものもないため、肉弾戦でどうとでもなったが——『ヘビ』はこれまた面倒である。
「毒はないけど、面倒な相手でしょ? そうだよねえ、だって僕『ヘビ』だもん!」
心を読まれた。表情に出ていたのだろう、確かに彼はオダマキにとってかなり不快な相手には違いないのだから。
なにせ先ほどからずっと、こちらが強化した攻撃を当てようとすると、直前で彼の腕はグネグネと曲がって避けてしまう。
文字通り肩から先、両腕が蛇。赤い舌と瞳に黄ばんだ白シャツのような体色を持った蛇が、それ単体で意思を持っているかのように。
感覚的に言えば——当たる直前に敵の体がすり抜けた、というものに近いだろうか。
じゃあ腕に当てようとムキにならず、胴体や足を狙えば良いのではないか、という話になるが、
「はい、残念」
「だああああ!! うっぜえ!」
胴体に向け、引いて放った左の拳をまたしても彼はひょいと回避。
これがセブンの厄介な特性だ。
両腕を『トランス』の動物に変える、それは『ムカデ』の持ち主であったツーもやっていたことで、ラインヴァントにはいないものの何度かこの目で見たことがある。
が、彼の能力はそれだけに留まらない。
「相当キモいな、テメェ」
その姿にオダマキは頰が引きつり、思い切り眉間にしわを寄せていた。
なにせ彼は——グネグネしている。
……さすがに単純過ぎた。
いくつか付け加えて説明するのならば、首から上以外の全てに『ヘビ』の要素がかなり混ざっている。
まずその体。構成そのものから変わっている両腕ほどではないが、ある程度は胴体の関節も自由に動かせるのだろう。
柔軟体操やストレッチの類でどうこうなる体のそれとは一線を画しており、くの字どころかWの字すらも再現可能——というか、まさに今しているところだ。
オダマキの攻撃をかわした理由もこれに該当するが、見た目は文字通りヘビ人間。確かに異質で貴重な『トランス』ではあっても、奏太や希美と比べると何ともまあ、妖怪のような相手である。
「キモいってひどいなぁ。可愛い、の間違いでしょ? 何せ僕は『ヘビ』だか——」
と、自慢げに同じ句を唱えようとする途中で、彼に至近の下段回し蹴り。
いい加減何回も聞くのは飽きたし、そもそも彼の話を聞いてやる理由などない。
そう思っていることもあっての不意の一撃だったが、これをセブンは当たる寸前でバックステップ。
むっと口を尖らせて、
「話してる最中なんだから、最後まで言わせて欲しいなぁ」
「るっせぇ! テメェが可愛かったらアネキは神々しいだオラァ!!」
能力もそうだが、何とも言動が軟弱な相手だ。男の癖に自分が可愛いだの何だの、目指すのであれば超かっこいい自分だろ……などというややずれた文句はさておき。
オダマキは目を細めて、
「——そうか、テメェはヘビ人間だったな」
「ん。人間は余計だけど、それがどうかしたの?」
「単純な話だ。テメェには目潰しよりビンタ、金的より回し蹴りだろ?」
「————」
それはこの短時間で、何度も攻撃を避けられたからこそ分かったことだ。
奏太やワンを相手にしている時は、カラクリを解くような相手でもなかったため大してこの頭は回していなかったが——彼のような相手ならば、面倒であってもこの頭をフル活用する以外に手はない。
「オッレが真っ直ぐ攻撃したらぐねぐねして避けやがる。それにはムカついたけどよ」
つい先ほど、オダマキが回し蹴りを放った時だ。それまでは『ヘビ』の能力ですり抜けてばかりの攻撃だったが、彼はその瞬間だけ後ろへ跳んだ。
Wの字に曲がっていた時にある程度推測はしていたが、胴体も腕のように自由自在に動かせるのであれば、こんなことをする必要はない。むしろ隙が生まれる可能性すらあるくらいで悪手だと言えよう。
つまり。
ここから導き出せるのは、
「近くで逃げ道がないくらいの攻撃——つまりあれだ、なんつーか……ぶっ倒す攻撃をすりゃ、テメェは確実に食らう」
「……広範囲の攻撃、って言いたいのかな?」
「おぉ、それだそれ」
自信満々の顔で言い放とうとしたものの、直前で言葉が出てこなかったのはさておくとして。
ぐねぐねと動くその体には、絶対的な限界がある。オダマキと同じく彼の肉体は人間だ。どれだけ特殊な『纏い』であっても、アザミのようなものでない限り獣そのものになることなどできないのだから。
至近距離で爪の乱舞でも放てば、バラバラになって終わりだろう。
——と、オダマキが彼の能力について見抜けたのは、喧嘩を含めた実戦経験と、梨佳からかつて教わった一言によるところが大きい。
『普段頭使わねーんだし、戦う時くらい頭使えよな』
校舎に来てオダマキが冴え渡る判断を何度か見せているのも、彼女のおかげと言って良いだろう。
梨佳から言わせれば調子に乗んな、かもしれないが、遡ること一年ほど前オダマキは梨佳に敗北して————と記憶を遡りたい精神を抑え、改めてセブンに言う。
「この超頭の良いオッレにはもう『ヘビ』の弱点が分かった。だからまあ、せいぜい最後まであがけや」
あまりにも甘く、早すぎる判断とは思わぬままにオダマキは彼を指差し、勝ち誇る。
最初こそ希美かダウンしたことで二対一となり、かなり厳しい状況だと思ったのだが、これならば楽勝ではないか。そう息を吐いて、
「…………何がおかしい?」
「ぷ、ふふふ。いやぁ、だってさ。うん、確かにお兄さんの言う通り、僕はそういう攻撃には弱いけどさ」
腹を抱えて笑うセブンに対し、オダマキは声を低くする。
弱点を認め、これと言った攻撃も繰り出せない彼に一体何が。体に力を込めつつ、問いかけようとして、
「————お兄さん、焦ってるでしょ?」
瞬間。
冷や汗が頬を伝って、地面で弾けた。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
その言葉に、珍しく喉が乾くほどの緊張を覚えた。
「……何言ってんのか、分からねぇな」
「じゃあこう言った方が良いかな? お兄さんは早く勝負を決めたい。そうだよね?」
オダマキは息を呑んで、
「どうしてそう思う?」
「直感……かな? ううん、ごめんね。正直に言うと——アザミさんにそう言ってみろって聞いたんだ。でも、お兄さんの反応を見ると、本当なんだね?」
「——っ」
いわゆるカマかけ、というやつだろう。
テレビか何かで見たことがある。何やら訳の分からない難しいことだったし、戦闘には絶対使わないので全く想定も対策もしていなかったが——あの『銀狼』、舐めた真似をしてくれたものだと歯ぎしり。
「ほらほら、そこで黙るからいけないんだよ。お兄さん」
「……るせぇ」
図星を突かれて、オダマキは先ほどまでのように威勢良く言葉を返すことができない。
だからその代わりに、
「テメェをさっさと倒しゃ済む話だろうが」
「あ、開き直っちゃうんだ?」
弱点が割れている以上、『スイギュウ』が出てくる前に少年を倒せば何の問題もない。そう判断し、爪を構える。
仮に相手が子どもだろうと、希美を倒した相手であり、オダマキが倒すべき相手だ。だから手加減などせず、一瞬で——、
「……あ?」
足裏の筋肉を膨張させ、獣の力を発現させようとして、オダマキは違和感に気がつく。
最初に耳。地鳴り音が足を通して伝わってきて、眉をひそめる。
続けて目。鼻。先ほどまで楽しげだったセブンの笑いは歪み。強くなる血の匂い。激しくなる音、音音。周りを見渡すよりも先、考えるよりも先、体が反応する。つまりこれは、
「しィイイ——っ!!」
「あ、っぶねぇ…………っ!」
膝を曲げ、高く跳躍——天井にぶつかる直前で下を見て、オダマキは驚きに目を見開く。
つい数瞬前に自分がいたその位置を、白の錨状の角を突き出す黒の塊が高速で駆け抜けた。それ自身が一つの砲弾のように。
「——けど」
その威力は砲弾と比べれば段違いだ。もしオダマキが気づかず、直撃を食らっていたら、今頃は上半身と下半身がバラバラになり、無残に鮮血を撒き散らしていたに違いない。
そんな想像をしつつ、重力のままにオダマキは着地。横のセブンに確認をする。
「おい、ヘビ野郎。あいつは『スイギュウ』か?」
「大当たり! どう? ビックリした?」
「おぉ、そこらの度胸試しよかよっぽどやべえな、こら」
オダマキがセブンに構っている間に起き上がってきたのであろう、シックス。彼は角という自身の持つ武器を最大限に使う形で突進を選んだ。
つい数日前、同じ武器を持った少年が選ばなかった選択肢を。
「……そういやテメェ、歳はいくつだ?」
止まった『スイギュウ』が再度こちらに振り返り、狙いを定めていることに注意を向けながらオダマキは問う。
「僕? 今年で十一歳だよ。お兄さんは?」
「オッレは十六。いいか、よく聞けよ」
継戦により体にいくつか傷はあるが、生命活動には何の問題もない。息は荒れていても、この体は動く。戦える。考えられる。
大きく息を吸って、
「————男には負けられねぇ時がある」
「へー、どんな?」
空気が震える発射音。
射出された黒の砲弾を、今度は横に移動する形で避ける。
「一つ、誰かに頼むと任された時」
凄まじい威力と速度だ。
ここが横に狭い廊下であることを考えても、これほどの威力で攻撃を繰り出せる奴はそういない。人間にも、『獣人』にも。
「二つ、女が傷つけられた時」
時間稼ぎにセブンを使っていたというのなら、なるほど作戦としては立派だ。先ほどのカマかけと言い、相手取るにはますます厄介な相手である。
そこらの粋がっている民衆に比べれば、よっぽど倒しがいがある。
だが、それは胸の内にある怒りを収める理由にはなり得ない。
「三つ、好きなやつに良いところを見せてぇ時」
下心もある。不純で、純粋な理由だ。
でも、その原点には悔しさがある。
自分を完膚なきまでに倒し、今も届かない女性。彼女を敬ってはいるが、負けた悔しさはずっとある。
だから考えろという言葉を受け入れた。だから強くなった。だから今、ここにいる。
そしてその悔しさは、敬っているもう一人にも言える。
「でも、お兄さんは負けるよ?」
「あぁん? オッレはヤンキーでチンピラだ。反骨精神上等! 反抗なんて日常茶飯事だオラァ!」
三度目。砲弾は威力と速度を緩めることなく、地を砕いて進んでくる。さらに今度はそれに加わり、
「——二対一なら、どうするのさ?」
オダマキを逃がすつもりも、避けさせるつもりもない。そう言うかのように白が、セブンの『ヘビ』の両腕がオダマキの右手を掴んで離さない。
空いた左手で剥がし、腕に力を入れて引っ張ろうとすると、今まで何の意味も持っていなかった『ヘビ』の先、大口が開いてオダマキの手に牙を突き刺す。
「っうが!」
「あ、ごめんねお兄さん。この子たちも合わせたら四対一、かな?」
「……ハッ、面白ェ!」
無邪気ゆえの残酷さ、とはよく言ったものだ。年を考えれば、特に疑問も罪悪感も感じずにこうして戦っているのだろう。『獣人』たちのユートピアとやらを作るために。
牙が刺さったままの部分からは血がじくじくと漏れ出して来ており、動かそうとするとかなり痛む。
左手の『部分纏い』で彼を裂き、そのまま『スイギュウ』に対処するという手もあるが——思った以上に進む砲弾の速度が速い。それだと回避出来ない可能性もあるし、だからと言って爪で立ち向かうには力が足りない。『ヘビ』を盾にするのは男気に欠けるし、奏太の話を聞く限りではその程度で止まる相手でもない。
————ならば。
考えろ。足りない頭を焼けるほどに回せ。頭、腕、足、どれを使えば彼を止められる。相手は砲弾、それも角を持った巨体。当たれば即死、自分に出来ることは、
「————」
……あった。一つだけ。
だが、間に合うか。
もうすぐそこまでシックスは迫って来ている。
「おい、十一歳」
「どうしたのお兄さん? もう諦めちゃった?」
「いや、最後に一つ。言い忘れてたことを教えてやんよ」
言い、右の拳に『部分纏い』を発動。牙で貫かれた筋肉が、皮膚が、中から欠損を埋め、爆発的に盛り上がって異物を弾き出す。
牙が抜けると、オダマキは腕に巻かれたままの『ヘビ』など気に留めず、叫ぶ。
「——四つ。男が負けられねえのは、兄貴分の足元にも及ばねえ奴に、自分が負けそうな時だ!!」
三日月奏太が角を出さなかったのは、自分に対して手加減していたから。しかしそれでも彼は勝ち、実力を証明してみせた。それは彼が、本来の武器は使うと決めた相手にのみ使うもので、オダマキはそれに至らなかったから。
——と、オダマキは数日間ずっと勘違いをしていた。
真実はどうあれ、奏太が角を出している瞬間を確認したのはアザミと対峙している時のみ。
であるならば、こう考えてもオダマキならば自然のことだった。
——能ある鷹はなんとやら。実力面で遥か高みにいる奏太に比べれば、最初から手を明かすこの二人など雑魚当然。そんな相手に奏太の弟分である自分が負けてしまうとなると、『ユニコーン』の名を傷つけることになる。
むろん、姉貴分である梨佳も、だ。
そんな勘違いを勘違いだと知らぬまま、オダマキは全身に力を込める。
腹の底でゆるやかに流れていた獣を呼び起こし、激流へと変化。源を起点として、足のつま先から頭のてっぺんまで熱が走った。
直後、肉体のあちこちに現れる異常は久々の感覚に喜び、喝采。
全身を覆う岩肌と頭頂部から生えた耳。笑みを浮かべる口から覗く鋭い牙と、黒漆の爪を持った両手。
今、この瞬間。オダマキは全身に『纏い』を発動することで砲弾に相対する。
そしてすぐに衝突は起こって、
「ォオオオオ——!!」
「し、ゃああああああ!!!」
自分の行動を止めようとする『ヘビ』。それを物ともせずに、正面から『スイギュウ』をがっしりと両腕で掴んだ。
錨状に曲がった角、それこそが彼の最大の武器であり、弱点だからだ。
「ちィ……っ!」
だが、受け止めたと言うには足りない。
指の先から血が噴き出し、足を踏ん張り、地を砕き、歯を食いしばってもなお彼は止まらない。そのまま数メートル後退するも、『スイギュウ』は力を緩めない。
二人の勢いにたまらず『ヘビ』は腕を離したようだが、このままでは状況は変わらず——否、ジリ貧になって突き飛ばされるだろう。だが、全身に『纏い』を発動するという最後の手は打ってしまった。もう、オダマキには、
「…………いや、ある。あったじゃねえか」
そうだ、忘れていた。
喧嘩に明け暮れていた時からそうではないか。
——貫き通したいものがあるのならば、持てる手札を全てを使う。
自分は『獣人』。相手もまた、『獣人』。それならば出来ることがある。
「な、ぁッ!?」
ずぶ、と気持ちの悪い感触がした。
それもそうだろう。オダマキは今、『スイギュウ』に対し、牙を突き立てている。鼻先を獣のように、雄々しく。食卓に並ぶ豚や牛を食べる時とは違う、確かな生の感触。中に人間がいるのだと、そう考えるだけで嘔吐しそうになる。
しかしそれでもオダマキは離さない。全てを飲み込んで、勝つために人としての甘えを、弱さを捨てる。
そしてその弱さは、当然彼にもあって。
「——体を引いたな?」
牙の侵食による痛みから逃れようと、『スイギュウ』が砲弾の速度を緩め、距離を取る。
だが、止まった砲弾に人は殺せない。
オダマキは瞬時に距離を詰め、再度彼の角を掴んで、
「くたっばれやァ!!」
「————ぉ」
慌てて『ヘビ』が駆けてくるが、もう遅い。
相手にしているのが本物の『スイギュウ』であったならば、結果は変わっていたかもしれない。
自分は『獣人』。相手もまた『獣人』。そして中身は例外なく人間だ。
ゆえに『纏い』同士であろうとも、飛ばすことは可能。
オダマキは全力で角ごと彼の体を回し、勢いそのままに窓へとぶん投げた。
直後、軽やかな破砕音と驚きの声が上がって、黒に包まれた人体が抵抗一つできず、遮る物のない宙へと放り出されて————、
「——『 カルテ・ダ・ジョーコ』を舐めない方がいい、だったか」
オダマキは落ちゆくシックスに、ぽつりと呟く。
それから鼻を鳴らして笑って、
「舐めてたのはオッレじゃなく、テメェらの方だったな」
絶叫が一つ、こだました。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「さて、ヘビ野郎。残るはテメェだけだ」
オダマキはごきりと右手の骨を鳴らし、振り返る。
多少の無茶はあったものの、何とか一人は倒した。ならば残るはセブンのみで、直接的な戦闘力は自分より遥かに劣っていることは先の戦闘で明らかだ。
「助けてください、って言っても聞いてやらねぇ。オッレにはさっさと行かなきゃいけねぇところがあるからな」
恐らくまだ目を覚ましていないであろう希美を起こさなければいけないし、芽空から頼まれていたヨーハンのこともある。
元々躊躇する気は無いし、力は有り余ってるくらいだ。変に手を打たれる前に片付けてやろう。
そう思い、『部分纏い』を発動して————、
「…………あ?」
瞬間、不可解な現象が起きた。
「どういうことだ?」
疑問。しかしそれに答える者は誰もいない。
目の前の『ヘビ』はショックを受けているのか、俯いたまま言葉を発しないし、希美だってあの化学実験室に置いてきたままだ。
だから、彼が手を打ったわけでも、新たに敵が現れたわけでもない。
だというのに、今起きたことを、そのまま言うとこうなる。
「————『トランス』が消えた……?」
オダマキは困惑する。
意識をすれば、自分の中の獣に呼びかければたちまち湧き上がってくるはずのものが、何かによってせき止められている。
そして気がつく。
耳が、何かを捉えている。
「んだよ、この音は」
かなり高い、モスキート音のような音。
それがどこかから響いている。この耳に、届いている。
「……お兄さん。改めて僕から言わせてもらうね?」
おかしな音を聞いたからだろうか。急速に体から力が抜けていき、思わずオダマキは膝をつく。
それを見下ろして、『カルテ・ダ・ジョーコ』のセブンはにこにこと、意地の悪い笑みを浮かべながら言った。
「————ブリガンテを舐めない方がいい。ってね?」
最初から分かっていたかのように。
からかい、嘲笑うようなタイミングでそれは訪れた。例外なく、全ての戦場に。
——絶望の音が、空から降って落ちた。




