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黒と白の世界と  作者: 夕陽ゆき
第三章 『反転』
102/201

第三章39 『壇上の狂詩曲』



 作戦開始時刻の数分前。

 一階の大階段手前の廊下にて、奏太と梨佳の二人は警備に当たっていた。


 襲撃者のおおよその戦力をここで引き受けるため——というのが、二人がここを受け持った理由の半分であるが、はっきり言ってこの広い邸内で、馬鹿正直に正面から全員攻め込んでくる、などということはありえないだろう。たとえアザミの性格を念頭に入れたとしても。

 せいぜい戦力を分割し、正面と裏口、あるいは窓からの侵入を試みるか。


 外から壁をよじ登ったり、跳躍で一気に二階や三階へ……という可能性を考えなかったわけではないが、『獣人』と言えどもそう簡単に出来るものでもないことは主に梨佳に確認済みだ。

 ゆえにある程度の敵は任せろと皆の前で言ってみせたわけだが。


 加えて言うならば、理由の半分もその前提があるからこそのもので——、


「……オダマキが迷った?」


「ん。あの野郎、何やってんだか。わりーけど奏太、代わりにあのお嬢様のとこ行ってきてくれねーか?」


 そろそろかと、梨佳に確認を取ろうとしたところで、彼女の元へオダマキから連絡が入った。


 ——コンビニ行って戻って来たら場所が分からなくなった、と。


 奏太達とすれ違わなかったことを考えると、裏口等を使って出入りしたのだろうが、タイミングが悪いにもほどがある。

 しかし、一部の者に対しては忠犬のような振る舞いをする彼が持ち場を離れるに至ったのは、何となく外的な要因な気がする。一緒にいるメンバーがメンバーだし。


 もっとも、芽空については普段ならともかく、シャルロッテのこともあり、今この事態の中ならばそういう対象にはならないようにも思うのだが、ともあれ。

 奏太は一度心配事を頭から追いやり、ふっと視線を梨佳に向ける。


「……あん? どうした?」


 こうして奏太と警備している彼女は、作戦前だというのにその表情と言動には緊張の色が見られず、限りなく普段通りの自然体に近い。

 それは恐らく、『獣人』として奏太よりも長く、場数を踏んでいるからこその彼女なりの気構えというものなのだろう。

 せいぜい変わっていると言えば、紺色のポニーテールがお団子状にまとめられていることくらいで。


「いや、あーしのうなじに見惚れてる場合じゃねーから」


「いや、見惚れてないから」


「蓮だったら?」


「絶対見惚れてた」


 何気にうなじを見せている女性ばかりのラインヴァント、その筆頭の梨佳は奏太の即答に満足を得たのか、からかいの笑みを浮かべたまま小突き回してくる。

 いや、実際その通りなのだから否定はしないが。


「……あれ、ふと思ったけど芽空のアレって梨佳直伝なのか?」


「あん? ——ああ、直伝っつーと必殺技みたいだけど、一応あーしが教えたぞ。奏太がハクアを倒して、捕まったすぐ後くらいか」


 『アレ』——つまりは、芽空のポニーテールのことだ。

 「話がしたいから」との理由でHMAに連行された奏太を迎えにきた芽空。彼女がプルメリアと名乗り、奏太の前に姿を現した時にはその髪型とドレス故に気がつかなかったのだが、


「……女の子って髪型で結構印象変わるよな」


 それは本人と認識できるかどうか、ではなくギャップという意味でなら、梨佳だってその一人だ。


 容姿は読者モデルをやってるだけあってまつ毛が長く、パッチリと開かれた翠眼には宝石のような輝きがあり、同い年とは思えないほどの妖艶さが全身から漂っている。

 そんな彼女の、普段から見慣れていたポニーテールがお団子になっている姿を見ると、可愛いと美しいは両立可能だと実感させられるというか何というか。


 ……いや、どこまでいっても奏太には蓮が最上であることに変わりはないのだが。

 などと、そんな奏太の視線に気がついたのか、梨佳は壁にもたれ、片目を瞑ってこちらを見つめる。


「ま、あーしはともかく芽空の場合は気合い入れみたいなもんだけどなー。……ちなみに蓮のポニーテールの写真あるけど、見たいか?」


「見たい。見せてくれ。何なら俺に送ってくれ」


「がっつきすぎだっての。その態度で蓮に接してやりゃ……いや、それはそれで色々やべーか。ま、この事件が終わったらな」


 それだけ言って、まあまあと奏太をなだめつつ。


 誰がどう見ても、不思議なやりとりだ。とてもではないが、ブリガンテと事を構えようとしているなどとは思われないだろう。

 本当にごくありふれた日常的な一コマで、緊張感は欠片ほどもなくて。


 だから奏太はゆるゆると笑みを浮かべて、ほっと息を吐くと、


「——ここを一人で任せても、大丈夫か?」


「もちのろん、ってな。……つーか、代わりにオダマキも降りてくるから問題ねーよ。奏太よか弱いけど」


 真剣みを帯びた声の奏太に対し、梨佳は片目を瞑って右手を振ってみせる。

 ただでさえ時間が迫っているのだから、早く行けと。


 事実、視界の中にある仮想現実、その端をちらりと見やれば時刻はもう日付が変わるところだ。全力で走ったとて一、二分の遅れは出てしまう。

 だからこそ奏太は、梨佳の言葉を疑わず、彼女にこの場を任せることにする。


「……ヨーハンの所にユズカが来たら、あいつは戦えると思うか?」


「さーな。でもま、そのことも考えて希美を付けたんだろ? なら信じてみろよ、奏太」


 最後に一言、こちら側の懸念要素を一つだけ、問いかけて。

 そうして奏太は駆けて行った。

 オダマキの代わりに護衛を務めるべく、エトやシャルロッテ、芽空がいる三階へと。


 梨佳が小さく、


「今は…………」


 後に続かない言葉を呟いたことにも気がつかずに。

 そして、予定時刻の零時は訪れて————。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「おい、オメェら! もう一度言っとくけどな、捕まえんのは二人のうち一人でいい! アザミさんから言われてんのは片方だけだかんな!」


 ヨーハン邸、正面玄関前。

 合計十五名からなる黒フードの集団と、それを指揮し、甲高い声を上げるのは先頭に立った一人の小柄な少年だ。

 頭に被ったニット帽は彼の眉下までをすっぽりと覆っており、大抵の者から見ればどうしてこんな子どもがこんな所に——といった印象を受ける。


 だが、見た目で判断するべからず。

 どれだけ子どものような見た目をしていても、中身は大器そのものであるというのが少年の主張だ。

 実際彼は『カルテ・ダ・ジョーコ』の一人として選ばれ、今こうして自分よりも背丈の大きな者達を指揮している。

 それもアザミがリーダーであったからこそ、なのだが。


「今回は大きな作戦だから、オレ達の他にも何人か部隊は出てる。でもな、手柄を立てんのはオレ達だ! 行くぞ!」


 そこまで言い放ったところで、少年は踵を返して扉に向き直りつつ、思う。

 あえて他の部隊の話を出すことで黒フード達の士気も高めるなんて、自分は何と出来た指揮官なのだろう、と喜びに右の拳を握りながら。


 ——もっとも、少年の浮かれた妄想と実情は異なるのだが、それに気がつくことなく少年率いる黒フードの集団は扉を開け、暗い城内を明かり一つないまま進んで行く。


 アザミの話によれば、既に襲撃することは相手方に伝わっているらしく、扉を壊す手間が省けてこちらとしては助かるやら残念やら。

 恐らくは他の場所についても同様のことが言えるはずだ。自分達が来ることを想定し、多少なり対策を講じてきている。

 ならば、自分達がすべきなのは、それを叩き潰した上で、目標を捉える。考えるまでもない、当然のことをこなすだけだ。


 ゆえに、これは襲撃作戦であるにもかかわらず、少年達は柱の影に隠れ、わずか数十メートルの距離をちまちまと進む。

 無人の短い廊下を抜け、広間の大階段前に出ても敵という敵には一切遭遇しないで、


「————?」


 何かがおかしい。


 自分の後に続く黒フード達と共に大階段に足をかけようとして、少年はようやく遅すぎる違和感に気がつく。

 そう、どう考えてもおかしいのだ。


 以前から『カルテ・ダ・ジョーコ』にいた者からラインヴァントがどういう組織かは聞いていた。

 少数精鋭、たった数人ではあるが個人の秘めた力は強く侮れないと。

 ただし、計画には何の影響も及ばさない程度の者たちで、唯一例外があるとすれば、アザミに啖呵を切ったという少年の実力が未知数であるということ。

 だが、それだけだ。


 クイーンを手に入れたブリガンテに対し、向こう側の手札は物量が圧倒的に劣る。

 ならばこそ、各自分散、一人か二人がこの場所で監視に当たっていると思っていたのだが。


「…………誰もいない?」


 声を出してみても、当然ながら反応はない。右に左に、辺りを見渡しても誰も。

 だから少年は、気がつかない。


 ——隠れていたとて、人の存在を感知できる者の存在を。


「————!」


 突如、声にならない声が叫びとなって現れ、それに少年は確信を得ると同時振り返る。

 間違いなく今自分達は攻撃を受けている、と。


 だが、忘れてはいけない。

 アジトへの襲撃でそのほとんどが減ってしまったものの、ブリガンテは物量で勝っており、特に少年のところには十五名も手札がある。

 たとえ少数精鋭であろうと、『カルテ・ダ・ジョーコ』の自分がそこへ合わされば負けるはずなどなく——、


「チッ、雑魚かよお前ら」


 冷や汗が頬を伝うのを感じながら振り返った先、表情で、声で不快感を表す少女がいた。

 紺色のお団子髪で、八重歯が特徴的な妖しい魅力と美貌を持った少女だ。

 起伏に富んだ女性らしい体つきをしており、それを強調するようにはだけた制服。チラチラと見える肌色に思わず少年は生唾を飲み込む。


 ——が、少年の心を惑わす肢体、その周りに視線を落とした瞬間に、少年の胸中は一気に色を変えた。


「オメェがやったのか……?」


 少年の問いかけに対し、お団子髪の少女は答えるでもなく、ただ鼻から息を吐くのみ。

 しかしそれは、肯定の意だ。

 たとえギャルのようであっても、見た目で判断するべからず、ということか。


 お団子髪の少女はその翠眼を細め、ギラリとこちらを睨むと、


「——あーしは梨佳。『青薔薇の姫』の元相棒だ」


 倒れた黒フード十五名の中心で、短くそう名乗るのだった。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「『青薔薇の姫』ってーと……前にアザミさん達が戦ったっていう、あの?」


「そ、あの姫だ。本人はその名前気に入ってねーけどな」


 何やら驚愕しているらしいニット帽の男に対し、梨佳は一切気を緩めることなく応じる。

 実際、彼が驚くのも無理はないような気もするが。以前の掃討戦では葵が加わっていたとはいえ、もとより自分と『青薔薇の姫』は悪を懲らしめ、救える奴は救うというヒーローごっこをしていたのだから。


「ま、そんなわけでだ。あーしはここで戦闘したくねーんだけど、場所移していーか? ——二人きりで篭れるいい場所があるから、な?」


「な——っ!」


 後半はやや湿り気を帯び、誘惑するようにして声を出す。

 それを受けた少年は、見た目同様に子どもなところがあるのだろう。一瞬で顔を赤くし、戸惑って、


「……いや、でも」


「悩むなよ。せっかくのカッコいい顔が台無しだぜ?」


 そしてそのまま強引に丸め込んで頷かせる。

 そんな彼を手招きしつつ、梨佳は大階段から降り、奥の廊下へと歩き出す。


「そういえばあーし、名前聞いてなかったな。名前、なんて言うんだ?」


「は、ぇえ!? あ、いや、うん。オレはツー。本名は別にあるけど、ツーの方がかっこいいし」


「確かにな。あーしも好きだぜ、その名前」


「……そ、そうだよな! オレ、まだ中一なのに『カルテ・ダ・ジョーコ』に選ばれるしさ!」


 相当焦っているらしい少年——ツーに爽やかな笑顔を浮かべて好意を示してみると、彼は胸を張って何の疑いもなく梨佳との距離を縮めてくる。

 誰の声もしない廊下を進み、二つ三つ、部屋を通り過ぎて、ようやく足を止めたのは一番奥の部屋だ。


 その扉の前で梨佳は軽く息を吐くと、


「わりーけどさ、この中で待っててくんねーかな?」


「え、なんで——」


「そりゃお前、あーしだって……着替えとか、見られたくねーしさ。だから、ダメか?」


 前屈みになって、胸元を見せるかのような姿勢でツーに上目遣い。

 側から見ればどう考えても怪しさ満点の地雷源なのだが、


「よよ、よよっし! おっ、オッケー! 待ってればいいんだな!」


 ツーは一切疑わずにこれを承諾。格好をつけているのか、親指を立てつつ部屋へと入っていく。


 梨佳をたった一人、廊下に残して。


「…………チョロい通り越してバカだろ、あいつ」


 足止めするための方法を何通りも用意していたというのに、たった数言の、しかも見え透いた色仕掛けに応じるとは思わなかった。

 あまり余裕はないし、助かるのだが。


「う、し……」


 とりあえず一人は足止めに成功した、と梨佳は一息ついて扉を一瞥。「ドンマイ」と小声で唱えると、『憑依』を発動し、長い廊下を駆ける。


 と、


「っち、危ねーな!」


 大階段前に飛び出したところ、物陰から黒フードの男が掴みかかってくるので、これを背負い投げる。

 続けて、肺いっぱいに酸素を取り込み、腹筋に力を込めて、


「————!」


 叫ぶように、梨佳は口から異音を出し始める。

 超高音のそれを時間にしてきっかり十秒、周囲に向けて。


「……っは、二十人ちょっと、ってとこか」


 息が荒くなり、異音を放った喉にわずかな痛みが生じるが、梨佳はこれを飲み込んで地を蹴る。

 風のように滑らかに駆けていく梨佳には迷いが一つもなく、ただあるのは確信のみ。


「ぅ、ら!」


 左右の廊下のうち、右側を進み、柱のすぐ側で身を潜めていた黒フードを膝蹴りで襲撃、そのままくるりと反転して、カバーに来た別の黒フードを裏拳気味に真っ直ぐ壁へ叩きつける。


 ——まるで、それぞれのいる場所が最初から分かっていたかのように。


「あーしにはお見通しだっての、男なら正面からかかってこい!」


 挑発するように張り上げた声。

 それはこの廊下だけではない、既に侵入したものたち全てへ届くような、音量だ。


 これに反応は物音で、返事は行動によって梨佳に意を示す。


「上等だ! そこのアマ!」


「お、その意気その意気。鬼さんこちら、ってな!」


 反対側の廊下からもその声が聞こえて、目測ではあるが、先ほど確かめた数とさして変わりがないことを確認、梨佳は再度大階段前へと駆ける。


 ——どうして梨佳は襲撃者の場所と人数を把握できていたのか。

 それは梨佳の『トランス』が『イルカ』だからだ。


 超音波を口から放つことで、短い距離ではあるが周囲の物理的状況をある程度把握出来る。

 一階のフロア全体ともなれば装備やポケットの中身等の細かい部分は調べられないのだが、それでも侵入者の位置特定くらいは容易。

 結果、梨佳はあのバカ——改め、ツーや彼の周りにいた黒フード達もそうだし、その前にも何人かを探知、一人残らず蹴散らしていた。そして、今も。


「……ま、疲れるしあんま使わねーけどな」


 まずもって『纏い』を発動させなければ使えないこと。加えて、『イルカ』の超音波にも種類があり、中でもエコーロケーションと呼ばれるこの探知方法は、特に疲れるためそう何度も使いたいとは思わない……が、こういった有事ならば話は別だ。


「なんせ、あーしは——」


 先から何度も行き来している大階段。その中心で未だ寝たままの黒フード達を蹴散らし、今走って来た廊下を、そして反対側の廊下を交互に見ていき、言う。


「みんなのお姉さん、だからな」


 楽しげに笑みを浮かべ、迎え撃つために。

 敵は十八。どいつもこいつも黒フードを被っているために分からないが、『獣人』か、あるいは人か。

 いずれにしても梨佳のやることは変わらない。


 彼女自身が強く気高く、決して揺るがないように。



*** *** *** *** *** *** *** *** ***



「…………おっかしーな」


 それからほんの数分、どこからともなく湧いて出る黒フード達を殴り蹴り飛ばし、全滅させた梨佳は、大階段の途中で腰を下ろし、疑問していた。


 結局数は二十ぴったり、に加えて最初の十五名とちょっとで合わせて四十名。

 『カルテ・ダ・ジョーコ』も結局はツーだけしか確認出来なかった。

 一般構成員は奏太がおおよそを削ったと言っていたし、今こうして倒したのがその生き残りだったというのなら、まあ納得だ。

 だが、それはあくまで一般構成員に限った話。アザミにユズカ、ジャック、そして『カルテ・ダ・ジョーコ』の残り九名は少なくともこの城に来ているはずだが————。


「——おい、オメェ! オレを騙したなっ!?」


「あん?」


 しかしその思考は唐突に阻害される。

 ふっと顔を上げて声の方を見やれば、そこには先ほど適当な色仕掛けで引っかかったニット帽の少年ツーがおり、


「オレが期待したのがバカだったよ! この、性悪女っ!」


 からかった時同様に顔を真っ赤にし、怒りをあらわにしていた。

 それはもう、純粋な反応で、


「ま、男心をからかったのは悪ぃけど、あーしは出会ったばっかのやつに心を許せる人間じゃねーからな」


「……じゃあ、仲良くなったら?」


「信用出来なきゃそこまでだな。未来はどうか知らねーけど、少なくとも今のあーしはお前を敵としか思ってねーよ」


 例外はいるけどな、と付け足しつつ。

 騙されたと分かっても、それでも少しばかりは抱いてしまうらしい彼の期待を梨佳はばっさりと切り捨て、目を細めて身構える。

 一瞬で倒した……というにはやや時間がかかった黒フード達ではあるが、それでも彼らははっきり言って雑魚だ。

 数が集まったとて、奏太やオダマキ、梨佳であれば問題なく退けられる。


 だが——幻想を完膚なきまでに砕かれ、怒りのあまり、皮膚の所々を黒光りさせた『纏い』状態に入っている彼は違う。

 たかだか中一、されど『纏い』を使えるブリガンテの幹部『カルテ・ダ・ジョーコ』であることに変わりはない。


「オメェだけは許さねーからな、性悪女……!」


「いや、あーしは許されなくても構わねーし」


「——! ワン、オメェも来い!」


 感情的なツーに対し、凍るように冷たく、声を低くする梨佳。

 それに対し、彼が行ったのは呼びかけ。一体どこへ向けているとも分からないその内容は、聞き間違いでなければ残りのメンバーに対してのもので。


「————『カルテ・ダ・ジョーコ』のワン。……よろしく」


 梨佳が声を上げるよりも、小さく呟かれた声が届く方が早い。

 唐突に後方へ姿を現し、焦点の合わない瞳でこちらを見つめているのは、口元まで伸びた茶髪で顔の八割が覆われた少年だ。


「……ちっ、やっぱりかよ」


 嫌な予感が的中してしまった、と梨佳は舌打ちして唇を噛む。


 端的に言えば、かなり面倒な状況。

 前には今にも襲いかかって来そうなツー。後ろには彼の呼びかけに応えたワン。

 『カルテ・ダ・ジョーコ』の二人に、梨佳は囲まれていた。

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