第31話 聖者ユウと、見えざる刻印
研究室での「錬金術(調理実習)」から数時間後。俺とラファル、そしてセレスの三人は、大量の『特効薬』を積んだ荷車と共に、城門の前へと到着していた。
そこは、まさに地獄絵図だった。紫色の斑点を浮かべて倒れ伏す人々。それを介抱しながら泣き叫ぶ家族。ルルやテオ、そしてアリュールたちが必死に交通整理を行っているが、パニックは収まる気配がない。
「ど、どうしようユウ様……。こんなにたくさんの人が……」
セレスが怯えたように俺の背中に隠れる。
「案ずるな、眼鏡の乙女よ。地獄があるなら、そこから救い上げるのが英雄の役目だ」
俺はマントを風になびかせ、荷車の上に仁王立ちになった。そして、腹の底から声を張り上げる。
「聞け! ニヴェアの愚民どもよ!」
よく通る声に、騒然としていた広場が一瞬静まり返る。苦痛に歪む数千の視線が、一斉に俺へと注がれる。
「貴様らの魂が乾き、死の淵にあることは理解している。だが、安心しろ。この俺が、貴様らを救う『聖水・エリクサー』を精製してやった!」
「え……エリクサー……?」
「俺たちを、助けてくれるのか……?」
「感謝して受け取るがいい! ラファル、配れ!」
俺の合図で、ラファルとセレス、そして駆けつけた兵士たちが、コップに注いだ特効薬を患者たちに配り始める。
「水……? ただの水じゃないか……」
一人の老人が、震える手でコップを受け取った。疑わしそうな目だ。だが、今はこれに縋るしかない。老人は意を決して、その液体を飲み干した。
その直後だ。
「……お、おお……?」
老人の目が大きく見開かれる。呼吸が整い、土気色だった顔に、みるみるうちに赤みが戻っていく。
「体が……熱くない! 息ができるぞ! うおおお! 力が湧いてくる!」
老人がガバッと起き上がったのを見て、周囲の人々がどよめいた。
「す、すげえ! 本当に効いたぞ!」 「聖水だ! 本物の聖水だ!」
「俺にもくれ! 私の娘にも!」
広場は一転して、歓喜と懇願の渦に包まれた。ラファルが声を張り上げる。 「慌てるな! 薬は十分にある! まずは重症者からだ! ……くそっ、塩と砂糖を混ぜただけの水が、これほど劇的に効くとは……!」
ラファルは忙しく動き回りながらも、信じられないものを見る目で俺をチラチラと見ていた。
(クックック……。どうやら俺の偉大さを、身を持って理解したようだな)
俺は満足げに頷き、自らもコップを持って群衆の中へと降り立った。
「ほら、貴様も飲め。遠慮はいらん」
俺が歩くと、人々は涙を流してひれ伏した。
「ああ、なんて慈悲深い……!」
「聖者様だ……! 救世主様が現れたんだ!」
あちこちから上がる「聖者ユウ」のコール。悪くない気分だ。これぞ英雄にふさわしい光景である。
だが、その熱狂が頂点に達した時だった。薬を求めて殺到する群衆に押され、俺の体勢が一瞬崩れた。
「おっと……」
「きゃあ! 押さないでください!」
揉みくちゃにされる中、フードを目深に被った小柄な男が、背後から俺にぶつかってきた。
ドンッ。
背中に、妙な衝撃があった。誰かの手が触れたような、あるいは、濡れた紙を貼り付けられたような、奇妙な感触。
「あ、す、すみません聖者様! 足が滑ってしまって……!」
男は弱々しい声で謝罪し、すぐに人混みの中へと消えていった。
「……ふん、気をつけるのだな」
俺は背中に手を回したが、特に何もついていない。ただの汗か。
(やれやれ。俺のオーラがあまりに眩しすぎて、目がくらんだか? 人気者は辛いな)
俺は気を取り直し、再び「聖水」の配布を続けた。
***
一方その頃。人気のなくなった路地裏で、フードを脱いだ男――組織の潜入員である男が、ニヤリと笑っていた。
「……マーキング完了です」
彼は懐から取り出した通信用の水晶に向かって、短く報告した。
「あいつの背中に、追跡用の術式を貼り付けました。これで彼がどこにいようと、手に取るように分かります」
『上出来だ、カイ』
水晶の向こうから、ノイズ混じりの低い男の声が響く。
『これで舞台は整った。次は森を使って、彼らの今の戦闘能力をテストでもするとしようか……』
闇の中で、正体不明の悪意が静かに蠢き始めていた。




