9話 動き出せメインストーリー
陰キャと陽キャみたいな安直二者択一を突きつけられれば、間違いなく俺は前者に属するのだと思う。
だけど、そんな分類になんの意味があるというのだ。陰キャ。一言でまとめてしまえば簡単で、簡単なことってのは大事なことを取りこぼす。
根暗にも度合いがある。孤独にもレベルがある。もちろん、それらの耐性にも。
戸村真広という人間を、より正確に言うのなら。取り立てるほど根暗でなく、そこそこ友人がいて、けれど普通とは感性のズレたやつだ。
陰というほど暗くはなく、けれど陽と呼べるほどの輝きもなく。その狭間にできた谷に落っこちて、出られなくなった。ただそれだけの、俺だ。
昔から、俺は誰かに嫌われていた。
確たる理由も、分水嶺になるタイミングもわからない。わからないことが、嫌われる理由だったのだろう。小さなズレが積み重なって、大きくなっていく。その過程が終わるまで、修正するために動けもしない。
ただ。それだけじゃない。
昔から、俺も誰かを嫌っていた。
自分より上手く生きているやつに、ある日現れて場の空気を持っていって、俺を脇役に退ける誰かに、嫉妬して、嫌っていた。
そんな自分の人生が。俺に与えられたメインストーリーが、嫌いで。蓋をして、遠ざけて。心の奥底に、沈めていたんだ。
息を吸う。生命力の強い木々の匂い。キャンパスのストリートを行き交う自転車。
一瞬、風が凪ぐ。
季節外れの冷たい空気が、シャツの間から入りこんでくる。湿気をはらんだ、独特の匂い。不意に暗くなる空。
そして、雨が降り出した。
息を吐いて、教室の窓を閉める。
講義が終わって少し経って、残っているのは三人しかいなかった。
俺以外の二人は、講義室の入り口に立ってこっちを見ている。
長谷伸也と、安藤治雄。去年まで俺がつるんでいたグループの、男たちだ。田代に頼んで長谷に伝えて、集めてもらった。
鞄を持って、近づいていく。
「ありがとな、長谷」
右手を挙げて礼を言えば、首を横に振って返してくる。それ、どういう意味?
唇を軽く舐めて、息を吐く。そうしないと、呼吸を忘れてしまいそうになる。
「久しぶりだな、安藤」
「なんだよ、戸村」
体育会系らしい筋肉質な体つきに、不機嫌そうな眼。明確に俺に向けられる、敵意。
思わず目を逸らしてしまいそうになる。そういう圧が、安藤治雄という男にはある。金髪とピアスで威力五割増しだと思う。真面目に。
「相変わらずこえー顔してんな。お前は」
けどな、こちとら毎日タイプの違う理不尽、心臓に悪い発言、お巡りさんへの恐怖心と戦ってんだ。
それに比べりゃ、ヤンキー陽キャの見た目なんて屁でも無い。こちとら国家権力相手にしてんだぞ? たかだか大学生にビビる道理がない。
「安心しろよ。今更また友達ごっこしようとか、俺は言わないから」
「じゃあ、なんだよ」
ビビらないから、言いたいことを、言いたいままに。
「急にいなくなって、悪かった」
ずっと胸に抱えていた重りを、そっと降ろす。
「――戸村が謝ることじゃ……」
慌てて長谷が否定するが、最後まで言わせなかった。
「いいんだよ。前も言ったけど、俺はお前らを責めてない。ただ、自分がやったことにケジメをつけたいだけだ」
「なんだよそれ……」
不機嫌そうに頭を掻いたのは、安藤で。
「てめえ一人だけ、勝手に大人ぶって、許してやりますよってか? 人のこと呼び出して、悟った顔見せつけて、言いたいことはそんだけかよ!」
「あいにく、バーサー〇ーソウルは持ってないもんでね。俺のターンは終わりだ」
「落ち着けよ安藤! 戸村も、あんまり煽らないでくれ」
間に挟まった長谷が、俺たちを宥めようとオロオロする。そういえばこいつは、元々こういうやつだっけ。どこか遠慮してるみたいで、いつも周りの顔色を伺っている。それでいて、浮かないような居場所をちゃんと把握している。
机の上に腰を下ろして、大げさにため息をつく。
「搾取される側にも非はある。とか、言うつもりはないけどさ。泣き寝入りして、相手を恨んで、後からやり返しますって――そんなの、バカのやることだ」
こいつらといる時、車の運転をしたり、店の予約をしたり、その他諸々の雑用は俺の仕事だった。そうあることを自分で選んでしまったし、求められたら断れなかった。
蔑ろにされたのは、事実だ。けれど、そうされる理由は俺にもあった。改善しない限り、また繰り返す。
「謝れってわけじゃないよ。だからもういい。時間取らせたな」
「二度と呼ぶんじゃねえ」
安藤が背を向ける。二度と、ね。
「了解」
ぷつりと、なにかが切れる音がした。僅かながらも繋がっていた俺たちの関係に、トドメがさされた音。
心が軽くなる。痛みはなかった。
二人になった教室。
「ごめんな、戸村」
「おう。わかった」
「自分から謝りにいけなくて、ごめん」
「それを言ったらお互い様だろ」
椅子から飛び降りて、着地。二番目に立ち去るのは、どうやら俺になりそうだ。
一人、また一人。確かにそこにあったものが、剥がれていく。
長谷と安藤は、これからどうなるのだろう。俺の知ったことではないが。きっと、今まで通りにはいかないだろう。
「なあ戸村。俺たち、どこで間違ったんだろうな」
真面目に答えるつもりはなかった。そんなことをしても、無意味だから。完全正答を目指したら、それだけで人生が終わってしまう。
だから答えはずるく。雑に。
「メンバー選び、じゃね?」
「そっか」
諦めたように、長谷は笑った。同調するように俺も笑って、教室を後にする。
◇
階段を降りて行くと、入り口のホールに古河がいた。雨宿りだろう。傘は忘れたらしい。
雨。
外を見ると、だいぶ止んでいた。これなら、傘無しでも帰れそうだ。
「あ、戸村くんおつかれ~」
「おうおう。お疲れ」
こっちに気がついた古河が顔を上げて、立ち上がる。
てくてく歩いてくると、すぐ目の前でぴたりと止まった。じいっと顔を見てくる。
「……なに?」
「戸村くん、ちょっと疲れてる?」
「そりゃまあ、一日授業を受ければな」
「そうじゃなくて、なんかこう……こう、疲れてるよね!?」
「語彙力。じゃあ、食材にたとえて言うと?」
「賞味期限が短そうな目をしてるよ!」
「俺は魚か?」
想像以上にスムーズにでてきてびっくりだよ。
「……誤魔化せないもんだな」
「ん?」
呟いた言葉は、古河に聞こえなかったらしい。わざわざ言い直すことでもない。
「いや、実を言うといつもの五倍くらい腹が減ってる」
「そっか。じゃあ、今日は戸村くんの好きなものを作らなきゃね」
「おっ」
「おっ!」
「おお?」
「おお?」
面白くて真似したら、さらに被せてきた。雨上がりの道。大学生の男女が、ゴリラみたいな声を出して歩く。
なんだこれ。
でも、これだよこれ。
これがいいから、俺はここにいるんだ。
投げ捨てることだって、簡単ではなかった。
あいつらと過ごした日々は、苦しかっただけじゃない。楽しい時間だってあった。もう戻ることはない、大学一年生の日々。グループ。散り散りになったメンバー。
今となっては、嫌いだけれど。
ちゃんと好きだったんだよな。あいつらのことも。昔は。
そういうふうに、今なら思える。
かつて投げ捨てたものにだって価値はあって、だからちゃんと別れを告げて。
俺はようやく、一歩目を踏む。




