三十二冊目 林真理子のエッセイ
地味に暮らしている私ですが、読書歴は結構長いと思う。その読み手史中、ひときわ輝く作家に林真理子の著書群があります。著作が多岐に渡り多いので、今回は十把一絡にしてみます。本人はここのサイトまでエゴサーチはしないだろうので、尊敬と親愛の情を込めて好き放題に書いてみます。
林真理子のエッセイを知らぬ人はいないでしょうが、ウィキペディアから超簡単にひっぱってみます。
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山梨県山梨市出身。山梨県立日川高等学校を経て、日本大学藝術学部文芸学科を卒業。
コピーライターとして活動の後、1982年(昭和57年)に出版したエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が、処女作にしてベストセラーとなった。さらに1986年(昭和61年)には、『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞を受賞し、小説家としての地位を確立した。林の功績は、 1980年代以降において、「ねたみ・そねみ・しっとを解放」したことであるとも評される。
林は現在直木賞の選考委員のほか、講談社エッセイ賞、吉川英治文学賞、中央公論文芸賞、毎日出版文化賞選考委員を務めている。
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直木賞選考委員……これを読んだだけで文学界の最高峰にいる権威者であることがわかるが、出始めのころは重鎮候補ではなかった。それどころかバカにされている感じがあった。それでも当時の本屋の平積みコーナーを埋め尽くすほど売れていた。初著作のルンルンを買っておうちに帰ろう……は、どちらかというと紙の質もわら半紙(ってわかる?)のような安っぽいもので、このまま寝そべってお菓子を食べるのにちょうどよいような気楽に読める装丁だった。
当時の私は例のルンルンを一読してこんなおもしろいエッセイは初めてだと思った。全然かしこぶってない。いい子ぶってない。むしろ悪いコぶっている。私はキングのキャリーと同じような、でも種類はまったく違う意味での衝撃を感じた。こういう下品とされている感情を正直に書いてもいいのだと。言いたい放題いっているようで共感を感じる。時に、はっとさせる。日常的に感じる感情を普通に小刻みに揺すられる感覚を覚え、こういうタイプの作家ははじめてだと思った。
その翌日、私はお小遣いを全部持って本屋に行った。発売中の林真理子の残りの著書を全部購入した。その時に膨れた本屋の袋が頼もしく誇らしく思ったことを覚えています。大昔の本屋でもらう袋は薄いビニールではなくてしっかりとした紙製でした。ああでも……当時愛用していた本屋は全部つぶれています。
そして林真理子のエッセイの本文中である一文が私を捕らえました。それは林真理子のアフリカ旅行の思い出話。帰国時の飛行機で男性添乗員に意地悪されたこと……。
その添乗員は引率する旅行客の座席配置ができるという権限を利用して、同行の美人の友人を囲むように配置し、林真理子だけ離れた席にしたというもの。己の容姿が劣るせいでこのあからさまな扱いの差に泣いたと書かれていました。
私はそれを読んで勝手に林真理子を自分と同類だと決めつけてしまいました……。美人や金持ちに対する妬み、そういった人々を優遇する男性に対する怒りがあからさまで、よく書いてくれたと感じたものです。当時は作家でも女性の場合、女流作家と称されていてお上品な人間ぽい扱いでしたが、林真理子は醜い感情をストレートに表現したことで私のお気に入りになったし、世間でも実際ベストセラーになりました。
当時の林真理子は新進気鋭の作家というより、言葉のプロレスラーとも称されていました。文学界では際物扱いで、取材に来た男性ライターの舐めた態度についての怒りの文面も綴っていました。この気の強さ……あっぱれだと思いました。
なんでも書いてやる! なんでも書くからね! の精神が逆に人気の固定化につながったのでしょう。文章は平易でわかりやすく、読みやすく。こういうのが実は結果として大作家として大成するに最強の素質を持たれていたと思う。
普段本を読まぬ人でも林真理子なら読むという人も多い。元々コピーライターだから短い文面でもインパクトをつけるという修練を積んでいたからこそ、読みやすいのかなあとも思う。
彼女はエッセイ分野だけで満足せず、小説にも意欲的で次々に発表し、新たなファン層も開拓、その延長で直木賞をはじめとする各賞を獲りました。直木賞受賞時には各社の編集者をずらりと集合させた写真を雑誌に載せて「これぞ女すごろく」と自ら書きました。私もそれを見て「あがったんだ」 と思いました。でもそれであがりではないことは周知のとおり。あがりではなく、ふりだし、つまり更なるステージへのスタートです。
結婚願望が強く、理想のエリートと見合いして結婚式をあげたときは全国ニュースにまでなりました。単なる作家の結婚式だと、そこまでニュースになりません。彼女の作品の影響力、凄さがわかるでしょう。ウェディングドレス姿の幸せそうな笑顔を見て私も心から祝福したものです。
本年、年号が平成から令和になりましたが、国が決めた選考委員に林真理子が入っていて私は改めて林真理子は本当に文学界の最高峰にいるのだと実感しました。その時の会見も常識的なスーツ姿で、驕りも感じさせぬ控えめな発言でかなりの好感を持ちました。
林真理子も世に出始めたころは、クラスメートからいじめを受け、社会に出ても容姿差別を受け、ベストセラーを出しても一発屋扱い。それがこんなに名誉な職に……私はここまで上り詰めた彼女はある種の超人ではないかとまで思っている。
回顧エッセイに己の分析として「野心家」だとあったが、実力が伴わないと人はついていかない。加えて好奇心とそれを表現する文才もあったからこそ。
ねたみだらけの自己卑下エッセイストは、いつのまにか他人の人生相談を受けたり国内主要雑誌でもトップ掲載の扱いを受ける堂々たる作家になった。つまり、私が勝手に同種の人間だと思っていたエッセイストはいつのまにか雲の上の人になっちゃった……そして……本がでるたびに買っていたがだんだんと買うのに躊躇するようになった……。この感覚をどういったらいいのだろう。嫌いではないから読むことは読む。医院や喫茶店で掲載週刊誌を見かけたら林真理子の記事は一番先に探して読む。それがトーンダウンしたのは、本物のセレブになって自慢めいた話が多くなったころだろうか……それでも筆がいいので、続きを読みたくなって結局買ってしまうのはどういう麻薬なのだろう。自慢話と思いきや、人間関係の機微に触れる格言をさりげなく書く。そういうところがたまらなく魅力で、一時は離れていても結局は買って読んでしまう。
自分の思ったことを他人にストレートにそのまま感情をそっくりうつすという超能力にも等しい林真理子の筆の力はわかりやすくも強い。一時は離れたが私も年を取り、セレブ界について内緒でご紹介といった自慢げな文面にも最近はむかつかなくなった。別世界のエライ人になってもなお、まだまだミーハーなところもあるのもかわいいと思えるようになった。体験したことを面白おかしく伝える筆は健在で未だ目が離せぬ作家です。でもほんと何度も書くけど、林真理子が正直こんなに偉い人になるとは思わなかった。彼女と同時代に生まれてよかったとまで思う。親しみを持てるそして「今回もセレブ話もしくはダイエット話か、でもおもしろい」 と毒づける偉人だと思っている。なんでも思ったことだけを書くだけだったらこんなに息長く第一線で作家としてやっていけない。やはり才能と人知れぬ努力もあるだろう。加えて野心も強運も。本人が自ら強運ですと著作の題名にしてさらに売り上げる。年収数億とされるのも当たり前だろう。この人が書くと何を書いても納得感がすごいのも稀有な存在でなかろうか。とても貴重だと思う。




