二十三冊目・"マディソン郡の橋"の心理学 ・加藤諦三
加藤諦三・"マディソン郡の橋"の心理学
加藤諦三は二千十八年現在で、なんと九百四十一も著作があります。これだけ本を出版したら、何をどれだけ書いたか覚えていられるものでしょうか。本人に聞いてみたいです。そして出版された著作の大半が心理学的な本です。氏の本は三十年前からどの本屋さんにも良い場所に置いてあった印象があります。高校生から大学生にかけて私はよく読んでいました。対人関係に悩んでいた時に氏の本を読んで心が軽くなったり、救われた面もあります。でも私は全著作読んだわけではなく、その中の三十冊ぐらいしか読んでないです。
私は氏自身の父親への感情を赤裸々に書いた文面を読んでから親近感を持っていました。私自身も肉親に対する複雑な思いがあったのです。それをわかりやすく著作を通じて解説してくれたと思った時の喜びというか、明快さと引き換えにより複雑な思いを感じたこともあります。それでも読んでよかった。私は氏の著作に出会えたことは人生にとってもよかったとまで言い切れます。実際にお会いしたことはありませんが、私は氏に感謝しています。己に自信がないというか、ワタクシメなぞこの世に生きていてもよろしいのでしょうかと思っていた一時期、氏の本をいつでも二三冊バッグの中に入れてひまさえあれば読んでいました。
」」」」」」」」」」」
しかし今回のひよこは氏が書かれたほかの作家が書いた本を心理学的に分析した本です。数多くの著作の中からどうしてまたこの本をひよこにあげるのかというと、
「モノの見方をこの本一冊でひっくり返された経験」
が斬新だったからです。だから氏の夥しい量の心理学系統の本を差し置いてこの本について書いてみます。
」」」」」」」」」」」」」」」」
先にまな板に挙げられた「マディソン郡の橋」 の話からいきます。読者さんにもこの本の内容をご存知の方が多いと思います。映画にもなってヒロインのフランチェスカはメリル・ストリープが演じています。以下はウィキから一部ひっぱってきました。
……『マディソン郡の橋』(英語: The Bridges of Madison County)はロバート・ジェームズ・ウォラーによる千九百九十二年のベストセラー小説である。千九百六十年代のアイオワ州マディソン郡に住む、フランチェスカの物語……
以上引用終わり。
一言でいえば不倫小説です。私はブームになって読みましたが、まったく感動しませんでした。でも小説自体が強い吸引力を持っていて、ラストまで引っ張られるように読みました。これは作家がすごくうまいのだと思います、一度も停滞することもなく、すらすらと読めた。
双方思い合っていながら別々の場所で死ぬ……フランチェスカは不倫の恋よりも家庭を取ったのです。う~ん……話自体はめでたしではないし、読んだ当時の私はまだ未婚で恋人なしの状態。不倫ストーリーは遠い世界の話です。フランチェスカさんは恋に酔っていて、別の人生に飛び込んだとしても後で後悔するタイプの人かなと思っていました。でも一途に恋をする女の余韻というか雰囲気は感じられて、その文面がすごくよかった。でも、フランチェスカの相手との身体の相性がよかったからこそ、の話かもと思っていました。もし相手がベッドでの愛撫がヘタであれば、またフランチェスカも上り詰めることも経験をしなかったら、あそこまで相手を終生思い詰めることはなかったとも感じました。
まあ、とにかくベストセラーかつ映画も賞も得たのではないでしょうか。この不倫小説は作者のウォラー自身が男性ながら、「主人公のフランチェスカと自分には強い共通性がある」 と述べています。ネット上ながら検索したら、それは事実で彼には長らく一緒だった結婚相手以外にずっと年若い女性との恋愛歴があります。もっとはっきり書くと不倫歴ですね……だからこそこういった作品が書けたのでしょう。この本は世界中で五千万部を売り上げたそうです。凄いなあ……。
でも私はフランチェスカよりも、相手のキンケイド自身がなんとなく気に食わない……映画を見て泣いてしまう人が続出しているというのに、私は全然平気。続編も読んだ。が、続編二つともトーンダウンしてまったく面白くなくなっていた。ベストセラーになったので無理やりにキンケイドの子どもの話まで出したのかと思ったぐらいです。続編は流し読みで終わって全く覚えていません。一連の本作シリーズが好きな人には悪いけれど、以上が私の正直な感想です。
この作品に感動しない私は不倫話が単純に嫌いだからだろうと思っていたのですが、なんと加藤諦三が分析本を出している。これは読むべきだと思って読みました。正解でした。私の漠然とした違和感を氏は明快に解いてくれた。それがまたオセロゲームのように全白だったゲーム版が一気に全黒にひっくり返された印象でした。
また心理学者ともなれば、文学作品をここまで深く読み込むことができるのかと驚きました。フランチェスカの甘ったれた心、キンケイドのわがままな心も氏にかかれば「実はこうだ」 と赤裸々に文章で暴いてみせる。週刊誌記者の書くような扇情的にあおるというか心理操作というのはナシで、淡々とストーリーを追って書く、それが私にはとても新鮮に感じました。
作者のウォラーは、現在故人ですし氏の分析本を読んだのかどうかはわかりません。もしウォラー自身が読めば驚いたかも……彼が真なる作家であれば怒らないと思います。ベストセラーには間違いがないし文面の書き方で登場人物の切ない心情がちゃんと伝わってくる。ベストセラーに出てくる登場人物を心理学的に分析されてしまうというのも、ベストセラーの宿命でしょう。時には書いた作家本人まで分析されてしまうのも。
氏はまずマディソン郡の橋の登場人物の主人公、フランチェスカの出身がイタリアからの移民であることを指摘しました。そして主人公の動作から気づかずして変化を望む気質をも書いて暴いてみせたのです。不倫すべき人は不倫する素質そのものがあるのだろうか。そして環境、夫の性格をも分析しそこからキンケイドの性格をも分析する。流れ者としてのキンケイド、つまり変化が当たり前にあるキンケイドと無意識に環境の変化を望んでいたフランチェスカ、二人は最初から結ばれるだろう相性の良さがあったのです。こういった思考は普通の読者にはできない。氏だからこその思考です。そしてまたこれは、根っこからがっちりとストーリーを忌憚なく組み立てて名作に仕立てた名作家ウォラーがあればこそ。忌憚があれば、さすがの氏も分析できないし、それ以前にウォラーのベストセラー作品にはなりえない。私はなるほどと感心しながら読みました。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
加藤諦三の本に戻ります。氏の生き様や生い立ちを何十冊も読んでいるとある程度は理解ができてくる感覚が生まれてきます。心理学本の読者感覚……読者は本を通じて作家をも理解したつもりにもなります。氏は上から目線本ではありません。氏は元々実の父親とは心理学的にうまくいってないというか……お金と地位はあっても相当に扱い? に面倒な父親でした。こういった父親に育てられる子どもは氏に限らず傷つきます……氏は長年父親から心理学的虐待を受けていたのです……氏はここまで己を赤裸々に書いてしまうので、読者側としてはかなりの説得力があります。私もまた氏が心理学を志したきっかけは父親のせいなんだと思いました。
また氏は友人関係でも不快な体験を積んでいる。その不快な気分も収めよう、心理学を学べばそれができる、またなぜ不快にさせる相手はなぜそうなったのかと考えてみる余裕もできる。
私は氏の本を通じて、人間の心理の複雑さを学びました。そして不快な心理をどうやって鎮めるかを教えてもらいました。私は大学でも心理学をとりましたが、わかりにくい文面を連ねた大学の教科書よりも氏の本の影響の方が強いです。私もまた人間関係や近親者とのかかわりで悩んでいてとても救われた気分になったのです。私の心は氏の著作に救われたといっても過言ではありません。
そのうちに私も年をとってきて他人の思惑なんかどうでもいいや、と思うようになってきました。これは私の生来のズボラさかもしれませんけど。
当時はまだ若くて未熟な当時の私に氏の本はこう教えてくれました。
「嫌いな人間は嫌いなままでもOK!」
この文面に私はどれだけ励まされたかわかりません。私はそれまでは人を嫌ってはいけない、と思い込んでいました。また家族は仲良くて当たり前、特に「兄弟姉妹はお互い助け合わねばならぬ」 幻想から救い出してくれたので感謝しています。
今回は膨大な著作を差し置いてベストセラー作の印象が一度に変わった経験を記録したくて書きました。私の心が「ひっくりかえった」 という思いを味わせてもらったのは、氏のこの「"マディソン郡の橋"の心理学」 と、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」 しかありません。




