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二十一冊目・伽羅の香  宮尾登美子

  宮尾登美子  伽羅の香



 宮尾作品は女性の人生一代記というのが多い。それも何かを極めたもしくは極めていこうという芯の強い女性。直木賞をとった「一絃の琴」 然り。「天璋院篤姫」 然り。「序の舞」「蔵」 ……。たくさんある。

 私は宮尾の作品が好きで、ページをめくるのももどかしいし、読み終わるのも惜しいと思いつつ時間を忘れて読む。エッセイも楽しい和風味のものが多い。宮尾のエッセイではじめて知った言葉や風習も多い。

たとえば「耳しぶとい」 という言語。これは音楽の上手い下手を聞き分けられるという意味合いもあるが、悪いものも即座に聞き分けられる意味もあるらしい。宮尾は己のことを「耳しぶとい」 と書いた。確か祇園かどこかの舞曲を聞いたときのエッセイだったと思うが、音の取り方に違和感を抱いたらしい。その時に舞妓の着付けが近年はどうもおかしいなどと書いてもいたので、しきたりや躾の厳しかった時代を知っている人らしいと思った。そしてかなり昔人間なんだろうなあ、と思った。今となっては正式の曲の弾き方や着付け、立ち居振る舞いを知る人自体いない。遊郭、色里育ちならではの宮尾の逸話である。幼いころからいろいろな和楽器を聴き慣れている人なのだから。舞曲だけではなく、着物にも大変な目利きだったはずだ。だから着物エッセイも多い。そのあたりは、一部の関係者には宮尾という作家はごまかしがきかぬと恐ろしがられたのではないだろうか。画像を見るとショートカットの小柄な優しい顔の人ではあるけれど。

 しかし芯の強い女性ばかり書くかと思えば例外もある。初期作品にあたる「陽暉楼ようきろう」 は主人公が状況におぼれるだけで自らの行動はゼロ、結局死んでしまったのもある。つまり他人の思惑に流されていくだけの主人公も書いている。知恵も教養もないがための人生が書かれ、かわいそうにと思いました。遊郭の酷いしきたりなどに親しみがもてないと思いつつも、別世界のルールがこれなのだと宮尾の書いた別世界を私は想像で旅をする。


 宮尾作品のほとんどが映画やドラマ化されています。映画でヒットしたものもあるのでご存知の方も多いかと思います。「鬼龍院花子の生涯」 など。この作品は原作がよかったので映画もみにいきました。映画の感想は私の想像と女優さんの違いが大きすぎて、やっぱり原作の方がいいなーと思いました。男性の監督だったので、男性が映像化すると女性の裸を男性向きに撮っているとも感じた。綺麗でしたけれどね……。赤と黒の色彩が美しいシーンがあり、花魁の着物にはっとさせられたりもしました。映画も悪くないなと思ったものです。でもやっぱり原作の方が好き。私は。原作から入って行ったのですでに私の頭の中では主人公のイメージが私限定でできあがってますし。

 その上私、花子さん嫌いなんですよね~。花子さんの生涯に寄り添うというか迷惑されるというかの語り手の人が好き。映画では扱いの違いに、ビジュアル面重視の映画だとこうなるのかと思いました。

 当時の流行語になった「なめたらいかんぜよ」 は実は映画の中でのセリフです。高知弁ですね。でも原作ではそのセリフは一言も出てこない。ストーリーも違う。私は作家が出した作品が独り歩きしてしまった例だと思っています。

 他の作品でも昭和初期の昔の盛り場、遊郭や赤線の話も多いのですが宮尾は事実芸妓紹介業の父親の手元で育ちました。女中も多く、大事にされて育ちました。内々ではそうでも、世間的には遊郭経営や芸者の斡旋業は「女衒ぜげん」 の扱いになり、軽蔑されたりもあったようです。今よりも女性の「操」 というものが尊重されていた時代の話。操って言葉もすでに死語だろうけど。

 思春期の頃は引け目を感じて家の話を一切しなかったというエッセイも残されています。しかしそのおかげで誰にも書けない遊郭経営の苦労話を父の遺品である手帳を元に書きました。私は「岩伍覚え書」 も読んでいます。血も涙もない貧乏人の娘を金で買う女衒は悪役のイメージがあります。しかし娘を売る貧乏人の人助けの意味合いもある。娘が身を売ってくるお金を当てにする虐待親の現実も書く。女衒にもこんな苦労もあるのだとびっくりしました。もっと話をそらしますが満州時代の宮尾の父の斡旋(直接はしていない)で高額報酬の慰安婦に関わった話もあります。宮尾作品とは話がそれますが、従軍慰安婦(日本軍によって無理やり慰安婦にさせられた被害者)を世界記憶遺産にという運動に「?」 と思っています。多分それは私がバカだからとは思いますが国連の議題にあげられること自体、私は国内にある日本下げのパワーの源をとても恐ろしく思っています。



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 さて伽羅の香は香道をベースに一人の女性の一代記を書いた長編です。昭和初期の時代の上流階級の話でもあります。実は宮尾の新人の頃、出版社に持っていったらボツになった原稿だそうです。このまま捨ててしまうには惜しいストーリーだったのでしょう。私は宮尾ほどの人でもボツ原稿があるのか、と驚いたのですがでもそれでもあきらめずに改稿して無事日の目をみました。本作もまた私の好きな話でもあります。

 主人公のあおいは、田舎の資産家の娘であり無限大に使える財産をもっていながらにして苦労する。彼女はいくつかの不幸を経験しながら香道を極めるべく努力する。そして香道から派生したつきあい……生まれながらの元華族や公家に対しても引け目を感じる。身分の上下は一応ないとされてはいても、やっぱりありますね。ラストは人々の裏切りにあい、失意のうちに死ぬのかと思いました。が、死なないで田舎の実家に帰ろうとするもの。

 つまり本作は夫や子どもの死に目にもあって悲しい思いはするが、生活にはまったく苦労していない乳母日傘おんばひがさのお嬢様の一代記でもあります。

 この手の話には、人を使った経験がある育ちでないと書けません。それと上流階級の人々の所作なども知っている人でないと書けない。当然香道も知ってないと書けない。香道といえば本式の作法は茶道華道同様着物でしょう。私自身は正座が元から苦手で我ながら和風のモノ一切縁がなさそうな人生……なので勉強させていただいています。着物自体は見るのも着るのも好きですがそのくらいですね。

 メインテーマは読む人によって感じ方は違うでしょうが、私は近親者の裏切りがテーマになっていると感じました。幼いいとこ同士の恋を実らせたかと思うと夫の死後、次いで葵を香道にいざなった伯父でもある舅の死。親しい人を亡くして呆然とする葵。しかし舅のその遺書に亡き夫の不倫と義父の隠し子を知らされるというダブルパンチ! おまけに隠し子を産んだ芸者のことを「葵に似てるんだよ♡」「隠し子のことも、よろしくね♡」 という非常に厚かましい文章。それを恥を忍んで書くのは、葵の夫の不倫を気取らせぬ生き方が見事だと書いた。葵は何も知らなかったのに! しかも亡き夫の不倫相手が葵の学生時代の友人だっ!

 うわーそれはないわ……大人しい葵が逆上して位牌に向かって「嘘つき!」 と叫ぶ。そりゃそうだわー誰だって怒るわーと私は葵に感情移入する。私なら姑にこの事実をばらしてやる。それから一緒に嘘つきーと叫ぶ。でもそれをしないのはやっぱり育ちかな……? 隠し子や妾の存在を耐え忍ぶのは当時の正妻の美徳でしたね。ハシタナイと言う言葉も今では死語でしょう。


 しかし葵は優しいのでその隠し子もちゃんと引き取り、一人娘なので有り余る財産を背景に香道にまい進する。香道を広めるべく公家の人を代表に迎える。でも数年後には引き取って可愛がっていた例の舅の隠し子から酷いとしかいいようのない裏切りをされる。葵の財産や人脈、社会的声明をもはく奪するという血も涙もないことをされる。地味で狭い世界の和モノながらねっとりと話をすすめていく。

 葵は財産を好きなように使い、なお人に対して綺麗というか尽くす気持ちが、かえって妬みを買ったのではないかという指摘を友人から受けてはっとする。これを指摘する人はさっさと帰って行く。

 このあたり宮尾の筆のすごさを感じます。病床に残されて他人の心の難しさを知る葵……。確かに一瞬先は闇ですね……。最後の最後は実家に帰って隠遁者として静かに余生を送るのであろうということを読者に予想させて終わりです。

 宮尾作品は腹黒い人物から迷惑を受けたり耐えるシーンが多い。人から振り回されることが実際に多かったのかな? 出自に引け目を感じたりはエッセイにもあったので、それは良作を生み出す原動力にもなったと思います。しかしこの手の女の一代記は女性の作家でないと書けない。他にも好きな作家はいるのでおいおいと書いていくつもりですが、伽羅の香は主人公の葵に対する他人には見えぬ仕打ちがひどすぎて、ちょっと忘れられない。葵はヒトが良すぎて逆に嫌われ裏切られるというまさかのストーリーで印象に残る。いや、宮尾に限らず作家の書く作品は、どれも主人公は苦労はしてますけどね。はらはらさせるのも一代記系の作品だと言い換えてもいいぐらい。

 しかし金持ちであってもやっぱり苦労ってあるのね、と思った作品です。それではまた……。







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