十六冊目・ピアノはともだち(副題・奇跡のピアニスト、辻井伸行の秘密) こうやまのりお
こうやまのりお ピアノはともだち(副題・奇跡のピアニスト、辻井伸行の秘密)
講談社の子供向けノンフィクション「世の中への扉」 シリーズの中の一冊です。担当編集者さんは数人いるらしいですが、乙武洋匡が書かれた大ベストセラー「五体不満足」 を世に送り出したそうです。五体不満足は総計六百万部発行されたそうで、本当にすごいです。飾り気のない乙武氏の半生を綴ったこの本も私は大好きです。乙武氏誕生の折の四肢欠落に母親が見たら失神するかもという周囲の心配をよそに、「まあなんてかわいい!」 と抱きしめたそうですね。産んだ子供について母親は「かわいい」 と思うだけでいいと思います。本性や学歴や環境、財産などの人生の枝葉末節関係なしで子育ては子どもをかわいいと思うだけでいい。生母や養い親、近所の人。みんな子どもをかわいい、と思うことから良い関係がスタートすると思います。
しかしながら、一部訂正。子どもはかわいいと思うだけでよいのは、赤ちゃんの時だけです。中学生ぐらいになると、第二次反抗期というものがあります。これも正常な生育なのですが、親としては子どもと同じレベルで応戦しそうになるところをぐっと我慢して、産んだ時の感動を思い出すようにと心がけるのです……子育ては我慢です……私が今まさにそこにいます。反抗期の子どもでも、かわいいかと聞かれたら「今はかわい気がなくなりかけてますが、かわいいところも昔はいっぱいあったし、今も探せば少しはその名残はある。向こうは向こうでもっとよいお母さんが欲しいのでしょうが、双方くされ縁かもしれないけれど、とりあえず成人するまでは親の責任があるし、それまで育てにゃしようがないし」 と思いつつも、「ちゃあちゃン……」 と呼ばれていてトイレなどで私の姿が少しでも見えないと泣きながら探しまくっていた子の幼き姿を懐かしむようにしています。未だに私が朝起こさないと学校へ行けないくせになぜ私のことを……以下エンドレスで私事の(愚痴)が続くのでこのへんでやめときます。
さて、今回は辻井伸行の話です。この人は全盲のピアニストだよ、と言った方が通りがよいかと思います。私はこの本の表紙を見た時はこれもいわゆる「ヘレン・ケラー」 的書籍かと思いました。ヘレン・ケラーはもちろん尊敬していますし、辻井さんのピアノの手さばきは実際にテレビでも見てますので双方の関係者一同から表現の仕方が失礼だと怒られるかもしれません。
私はなんというか昔から「障害をもってるのにエライね~」「◎◎ができないのに、よくここまでがんばったね~」 的なものの言い方をする人が苦手です。もっとはっきりいうともやもやします。なんでここまでして言い切れるかというと、告白しますけど私もその類を言われる側だから……褒めてくれる人に対してとても複雑な思いを味わっていました。悪気はないのはもちろんわかっているが、その優しい気遣いが逆に哀しみを与えることもあるのです。近年感動ポルノという概念が新しく生まれ周知徹底されましたがそれは良い事だと思っているぐらいです。世の中、万民にわかりやすい目に見える障害だけが障害じゃないってことですよ。
テレビの特番で「ほら、これってエライじゃないの、ね? 感動するでしょ?」 と押しつけがましい編集を見ると「……」 って私は無言でスイッチ切っちゃいます。日々、生きていることに感謝し働けて時には踊り小説も書けることを有難いと思って暮らしていますが、自他問わず接する人や書籍から刺激を受けて垣間見る複雑な感情に驚くことも多々あります。
前置きはこのぐらいにしておいて、本題に入ります。
最初は盲目の、と入るのですが事実辻井伸行は全く視覚を持たない人間です。彼は胎児の頃から小眼球症という生まれつきの障碍がありました。一生涯視力を持てぬことは現在医学では決定事項でした。しかし彼は並外れたピアノ弾きの才能を持っていたのです。
超簡単にまとめます。
① 盲目ながら生まれつき天才的なピアノの才能を持っていた。
② 就学前から才能を見抜いてくれた人がいた。理解と金銭的に恵まれた両親がいた。ピアニストになれる環境文句なし。もちろん本人も努力した。
③ 最終的には著名な音楽家にも認められて国際的なピアニストになりました、めでたしめでたし。
……というサクセスストーリーです。子どもでもすんなり読めるように、やさしい言い回し。当然ストーリーにも一度もひっかかりなく、さくさくと読めました。この手の本の定番めいた運びながら、私が注目したのは母親のいつ子さんの対応です。産みの母親がその子どもに寄り添った生活をしていれば、子どものことを一番知り得る立場にいます。現在の医学では本人の視覚への希望が持てないながらも、いつ子さんは、
① 元アナウンサーだった実況能力を生かして現在の状況を正確に伝えることができた。例えば「今、花火があがったよ! ほら、ドーン」 など。
② いち早く持てる音楽の才能に気づき、それを助長すべく最良の環境を用意する財力と実行力があった。
③ その上で母子して遊びながらもピアノコンクールで優勝するイメージトレーニングを何度も積んでいたのです。
最後の③、私はこれがすごいと思いました。二人とも知らずして、プロのピアニストになるべく心理的な訓練もしていたのです。一番トップになりました~と皆から拍手される遊びを延々と繰り返していたのですからね。大群衆を相手に一人でピアノを弾く練習、トップに立つ心構えを二人とも知らずして覚えたのではないでしょうか。この勝利のイメージを与えるのは、子どもに自信をつける一種の英才教育でもあると思います。かといってナルシストになって人から相手にされない危険性もあったかもしれませんが、本人が盲目という条件がそれを避けたのでしょう。ゲームや他人の言動に心を乱されず誘惑もなくピアノを弾くことだけに専念できたというのは大きい。おまけに小学校前からこの子どもはプロになるべく才能を持っているとしかるべき人から思われていたのですからね。彼はなるべくしてピアニストになったのです。才能と運、そして母親の行動が彼にとってベストな人生の道行きを示したのです。
本人は現在の状況をどう思っているかは私は知り得ませんが、「母親偉いなあ」 です。孟母という伝説の賢いお母さんの部類に入るでしょう。
私はこの本を読んでもう一人の盲学校出身者の有名人を思い出しました。オウム真理教の教祖。麻原彰晃です。彼の生い立ちを思い出したのです。彼は辻井伸行と全く逆の環境にありました。麻原は家系的に眼疾者が多く、兄弟たちのうち数人は盲学校に在籍しています。しかし彼は左目は見えなくとも、右目は視力一.0程度あったといいます。生活苦にあった親は盲学校へ行かせると学費も寄宿舎代も食費も不要なので嫌がる麻原を無理やりに入れたそうです。見えているのに、見えないふりをしなさいと……。
まだ幼く多感な子供に対して、親はそんなことをしたのです。それが親の愛情だと誰が思うでしょう。当然麻原は親に捨てられたと感じる。そのストレスは本当の全盲のクラスメートに向かい、ひどいいじめを繰り返す。少しとはいえ麻原は目が見えているのでやりたい放題です。子分に無理に万引きなど反社会的な行動を命じたりしたといいます。のちのオウム真理教で麻原のしたことを思えば、他人に命令して自分の望むことをさせる練習を盲学校で積んだといっても過言ではない。彼の反社会的行動は、到底許されることではありませんが、根本的に無理に麻原を盲学校に入れた親はいかに生活苦があったといえども不可解でこの点だけは麻原に同情を感じます。
辻井と麻原の親は本当に天地の差がある。子どもの心理的成長履歴は家庭環境特に親の思考の影響は大でかつ計り知れず。それがようくわかる。




