第9話 全●勇者の憂鬱
学校という場所は、学徒とその親以外は侵入禁止らしい。
――そういう規則は、俺にとってはあってないようなものだが、正面突破は流石にまずい。そこで俺は、しかたなく透明化の魔法を使って潜入することにした。
瞳を閉じて、集中……。
気配から何まですべてを断絶し、どこだかもわからない世界の隅の断崖で、俺は座禅を組んでいるイメージで集中する。
すると身体がふっと空気に溶け、肌に感じる世界の輪郭が薄くなる。足音も影も消え、俺は悠々と正門をすり抜けた。
校庭を歩くと、朝の空気に混じって、チョークとインクの匂いが漂ってくる。生徒たちの笑い声や、机を動かす音が遠くから響く中、俺はベルの姿を見つけ、黙って後を追った。
やがて辿り着いたのは、三十人ほどが収まる広めの教室だった。
まだ授業は始まっていないらしく、生徒たちは思い思いに机を寄せ合い、賑やかに話している。窓から射す朝の光が、木製の机や髪を柔らかく照らし、空気は温かい。
まるで、平和の象徴ともいうべき場所だ。
勇者としては、こういった光景を目にできるのはとても光栄だった。
まあ俺は勇者的な活動はほぼできなかったけどな……!
そんな中、ベルは輪の外にいた。
教室の一番端で片肘をつき、窓の外をぼんやりと見つめている。
唇は硬く閉じられ、表情には少しの影が見える。
……どうしたんだ? 皆のように会話に参加しないのか? もしかしてまだお友達が来ていないのかもしれない。
ベルは、誰にも声をかけない。
朝、俺に挨拶はしてくれたのに、「おはよう」の挨拶すら誰にもしない。
育ちが良いはずなのに。俺にだってしてくれたのに。
俺は――ベルの笑った顔が、見たかった。
しばらく見守っていると、ようやくベル目当てらしい女生徒たちがやってきた。三人組で、その中心に立つのは、自信に満ちた笑みを浮かべた金髪少女だった。
「あら、ミスティオお嬢様、いらっしゃったんですねぇ。離島から通うのは大変でしょう?」
「…………そんなことないわ」
「そういえば、今朝見かけたとき、見知らぬ男性と一緒にいましたけど……新しいボディーガードですか?」
おお……! 俺の話だ。素晴らしく頼りになる家庭教師だと、紹介してくれるかな。
「…………そうですわね」
「とっかえひっかえして、魔性の女~! さすが離島の領主のお嬢様! 私たち庶民とはお金の使い方が違いますね!」
「…………っ」
軽口に見えるが、その刃はベルの胸を浅く抉っているのが分かる。
「あ! そういえば、もうステータス開示できるようになりましたぁ?」
「…………まだよ」
ベルは唇を噛みしめた。
――そうか、あの時はステータス開示の鍛錬をしていたのか。
「あれ~? このクラスでできないの、ミスティオお嬢様だけですよね。せっかくの地位にお生まれなのに、魔法の才能が本当に可哀想。変わってあげたいくらい」
「……必要ないわ。資質はそんなに変わらないと思っているもの」
「…………え? 今の、まさかあたしに言ったの?」
少女の頬が引きつる。
空気がわずかに重くなった。周囲のざわめきが引き、机を叩く音さえ遠のく。
「ええ。他に誰がいるのかしら、ミリー。少し魔法が使えるからって調子にのって。そんなではすぐ追い抜きますわよ。わたくしを虐げて、面白い? そんな暇があるなら、もっと修練を積んだら? わたくしなら、そうしますけどね」
「……少しおとなしいと思ったら、生意気な口ね。あなたの夢……『冒険者になりたい』だっけ? ステータスも出せないのに……。どう? なれそう?」
「あなたには関係ない。もう突っかかってこないで。ただ迷惑なだけ」
「……知ってるのよ、アンタの母親が領主として全然仕事できてないこと! 王都からのお達しも伝えられてない、物流も貿易も滞ってるって。ウチのパパも迷惑してる」
「どうして今お母様が出てくるの! わたくしとお母様は関係ない!」
「そういえば……この間、王都の酒場で酔っ払ってるアンタの母親を見たわ」
「…………えっ!?」
「くたびれたおっさんと一緒に飲んでた。やたら身体を密着させて……! フフ……もしかして、新しいパパかしら?」
そして、吐き捨てるように――。
「やっぱり腐った親からは、不出来な娘が産まれるのかもね!」
――――パァンッ!
乾いた音とともに、ベルがミリーの頬を打った。
教室の空気が、一瞬にして張り詰める。
「わたくしは謝らない。間違ってないから」
「……この落ちこぼれが!」
ミリーは頬を押さえ、赤く染まった顔で両手を掲げた。
「――燃え立て、我が怒りよ……火ノ精の名の下に!」
数秒後、手のひらに小さな火球がゆらめく。
赤い光が彼女の瞳を照らし、熱気がじわりと教室の空気を揺らす。
「ミリー! やめなって! そこまで!」
ミリーの取り巻きが、焦りの表情でミリーの肩を揺らした。
「フン……ベル。アンタにこれができる? ステータス開示すらできないんだから無理よね。悔しかったら、謝りなさい」
下級の火炎魔法をチラつかせながら、ミリーが不適な笑みを浮かべる。
「謝らないわよ。悪いのはあなただから」
「この状況で、よくそんなこと言えるわね」
「脅しには屈しない。……焼けば? 別に構わないわ」
「……本気?」
「本気よ。あなたが、私の意志をねじ曲げることは絶対にできない」
「……このクソ女! 一生後悔しな! その綺麗な顔、一生戻らないから!」
火球が弾けるように飛んだ――。
赤い尾を引き、ベルの顔へ一直線に迫る。
「…………っ!!」
――――ここまでだな。
恐怖でベルが両瞼を閉じたそのとき――、
俺は息をフッと吹きかけ、火球を霧散させた。
だがそのせいで、透明化の魔法が解けてしまった。
そう、俺は――――全裸で教室の真ん中に現れることになった。
目の前の女学生たちにとって、俺は突然現れた露出狂というわけだ。
とりあえず、笑顔で口角をにゅっと上げ、親しみやすさを演出してみる。
「えっ……何? 誰!? どこから出てきたの!?」
「ぎゃあああっ! 全裸よー!! 気持ち悪い! ヘンタイー!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃ!」
逆効果だった。まあ仕方ない。俺は状況を受け入れ、ベルへ向き直る。
グッと親指を立てて、一言。
「ベル。一発殴ったの、良かったぞ」
「……は!? えっ……!? あなた……なんで? どうして……? って、いうか……!」
ベルの視線が、徐々に下へ移る。
ギンッと見開かれた瞳には、俺の立派なイチモツがしっかり映っていることだろう。
「チンコを見るのは初めてか? だが、そんなに凝視されると……さすがに恥ずかしいな」
「うるさいバカ――!!」
パァンッ――!
今度は俺の頬にベルのビンタが炸裂した。――見事な威力だ。
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