第6話 初めての生徒にうかれる家庭教師の勇者
「それではユシャ様。こちらのお部屋をお使いくださいませ」
「おぉ……!」
セバッチュに案内され、屋敷の中をぐるっと一通り回った俺は、あまりの豪華さに目を見張っていた。どの部屋も煌びやかで、優雅で、勇者村の質素な暮らしとは比べ物にならない。
というか、勇者村では「生活」という実感すらなかった気がする。俺は本当に鍛錬ばかりしていたんだな……今にして思えば、人間の暮らしだったのかすら、怪しい。
木の温もりを感じる手作りのベッドには、太陽の匂いが仄かに香る真っ白なシーツが敷かれている。
俺は思わず、ベッドを指差した。
「……これに、飛び込んでもいいのか!?」
「はい。こちらはユシャ様のお部屋ですので、どうぞご自由に。マオ様も、リラックスして過ごして欲しいと仰っておりました」
セバッチュは両手を下腹部あたりで揃え、丁寧な口調でそう答えた。
短めの栗毛に整った使用人服。姿勢は凛と正しく、控えめな胸が緩やかな山なりを描いている。声のトーンも一定で、いかにも真面目そうな印象だ。
俺は勢いよくベッドに飛び込み、逆さになった状態でセバッチュと目が合った。
「……セバッチュも、やるか?」
「……わたし、ですか?」
「ああ。なんか、やりたそうな目をしてる」
「……そんなこと言われたの、初めてです」
表情は無いが、瞳は素直そうだ。目を見てると、意外と考えてることがわかるタイプかもしれない。
「……ご一緒したいところですが、まだお仕事がありますので」
「そうか。それは残念だ。一緒に“ベッドダイブ”で遊びたかった」
「ベッドダイブ……」
俺の即興ワードをセバッチュは小さく繰り返し、それから少し考えたような顔になって、また元の無表情に戻った。
「夕食まで時間がございます。この辺りをお散歩されてみてはいかがでしょう」
「散歩か……したことないな。でも、せっかくだし行ってみるか」
「…………ユシャ様は、不思議な方ですね」
「俺にはお前のほうが不思議に見えるぞ」
「……そうですか」
「今ちょっと喜んだろ?」
「……!? そんなことは……ありません」
「今は驚いたな」
「そ、それは……そうですねっ」
「ハハッ、変わってるが、アンタも面白いやつだな。これから厄介になる一般人を、どうかよろしく頼む」
「……ハイ。お嬢様を、どうかよろしくお願いします」
ぺこりと深く頭を下げて、セバッチュは部屋を出て行った。
* * *
勇者村では、俺は散歩すらしたことがない。
村を出てからというもの、知らなかったこと、思いもしなかったことが次々と出てくる。いかに自分が鍛錬一辺倒だったか思い知らされる。
――なのに、その鍛錬がまったく意味を成さない世界とは。なんとも虚しい。
とはいえ、散歩は悪くない。山から吹き込む風が新鮮で、しょうもないことに悩んでいた頭が少しすっきりする。
屋敷を出て、山道を少し下った先に開けた広場があった。切り株がいくつかあるくらいで、ただ広いだけの場所だ。
そこに、一人の少女――ベルが、ポツンと立っていた。
「うぉぉぉおい! ベルうううううううううううう~~~~!」
「…………??」
俺の声にベルは全く反応しない。しかたなく、のそのそと歩いて彼女の前まで向かう。
「やあ、ベル!」
「――――いや遠いのよ! どれだけ遠くから見ていたの!? 目がいいのは結構ですけど、声もデカすぎますわ!」
ベルが鋭くツッコミを入れてくる。おいおい、なかなか気持ちの良いやつじゃないか。好きだぜ。
「それは悪かった。で、ベルはこんなところで何してるんだ?」
「べ、別に……関係ないでしょ? というか、あなたまだ帰ってなかったんですか?」
「いや、むしろ住むことになった」
「……えっ!? そ、そんな……」
「正式に、君の家庭教師になった。よろしく」
俺は和やかな笑顔を作って握手を差し出した。
……あれ? ウンコしたあと手洗ったっけ? ま、いいか。たぶんバレない。
「お母様は……一体何を考えて……!? こんなヘンタイ男!」
「ヘンタイかもしれないが、君を立派な人間に育ててみせる。そして、何があっても君のことを守るよ」
――今の、ちょっと勇者っぽくないか!? 俺、今、乗ってるかもしれん! 勇者ウェーブに!
「というか……さっきからベル、ベルって馴れ馴れしいですわね! さっきは“ベル嬢”って言ってたじゃないの!」
「じゃあ、ベルちゃん?」
「もっとイヤ!」
「ベルたん」
「寒気がする!」
「ベルベル」
「気持ち悪い! 全部イヤ! もう名前呼ばないでくださる!?」
「いやいや、それは無理だろ。俺は先生で、君は生徒なんだから」
「あなたが……先生……!?」
ベルが震え出し、両腕を自分でさすり始めた。俺が教師になるという事実が、よほどショックらしい。うんうん、元気で良いね。
俺は自分の目に魔力を集中する。
――なるほど。凄まじいな。
マオが言っていた通り、魔力量がとんでもない。爆発するようにあふれ出し、空中で消え消えになってしまっている。
完全に制御できていない。自分の身体に魔力を纏う基本的なことがそもそもできていない。
これではただ無駄に浪費しているだけだ。それでもまったく底が見えないのが恐ろしいところではあるが……。
目算ではあるが、俺の魔力量の最大値は優に超えている。どちらにせよ、人間の範疇ではない。
魔力は人それぞれ性質が違う。他人が下手に手を出せば、逆に力を狂わせる危険もある。マオが直接魔力操作を教えないのは、たぶんそういう理由だ。
魔王の魔力を模倣すれば、ベルは人間ではいられなくなるかもしれない。
――これは、手ごわいな。
「……魔法の鍛錬か」
「……!? どうしてわかったの?」
「残留する魔力の流れを見ればわかる。俺は魔法が得意だからな」
「でも、あなたのステータスは――」
「ステータスなんてどうでもいい!」
「えぇ……? でも、この世界では身分証明書みたいなものじゃないの……?」
「そう言われてはいるが、じゃあ例えばステータスオールBの冒険者と、オールDの勇者が決闘したら、どっちが勝つと思う?」
「……オールBの冒険者?」
「答えは――わからない!」
俺はドヤ顔でポーズを決める。
「は、はぁ……何が言いたいの?」
「ステータスはただの“名刺”だ。その人間のすべてが、たった一枚ペラでわかるはずがない。少し魔力操作が得意なヤツなら、偽造も容易い」
「ステータスの偽造は大罪よ。わざわざそんなこと、する人がいるのかしら……」
「ま、まあ……そういうことするのは大抵悪い奴だから、近づかなくて……いいからな」
自分で言っていてなんだが……辛いな。こういう嘘をつくのは苦手だ。
「俺が言いたいのは、ステータスと戦闘時にできることの多さは別問題だということだ。勇者は、たとえステータスがDでも、攻撃・防御・癒し・支援をバランス良く習得できる。逆に、冒険者は、何かに特化していることが多い。戦闘考察力、という数値では測ることのできないセンスのようなものが、実践では大きな力になることも多いんだ」
「……なんだかよく知りませんけど、じゃあオールBの冒険者なんて存在しないじゃない!」
「…………た、たしかに。例が悪かったな」
教えるって難しいな……。
そもそも俺自身が何かを教わったことがないからな……。
勇者村では、ただ命じられた使命を黙々と果たしていただけだ。じーさんから直接何かを指導されることはなかった。
使命の他は何も考えず、気が付いたら俺は強くなっていた。
これは勇者としての、強化プロセスだ。一般人がどのような経験を通して強くなるのか、俺にはわからない。
……でも、それではいけないのだろう。
俺は家庭教師になった。もう勇者ではない。自ら能動的に考え、教えを請う生徒に自分の考えや、想いを伝えなくてはならない。
「……ミスティオ嬢。俺はまだ教師としてはド素人だ。でも、お前を立派な人間にしたい。それだけは本気で思ってる」
「教師としてというか……すべてにおいて底辺なのでは?」
「…………最善を尽くす。だから、頼む。俺に……お前の手伝いをさせてくれ」
俺は頭を下げ、手を差し出した。
どういった形が誠意なのかはわからない。自然とこの形になっていた。
「…………そうですわね。まずは“お手伝いさん”として、そばにいることは許しますわ。ただ、まだあなたを“先生”と認めたわけではありません。しっかり監視させていただきますわ」
ベルは偉そうに腕を組み、ふんっと鼻を鳴らした。
――くぅ……! この見下される感じ、新鮮だ。燃えるぜ!
「あと……もう“ベル”でいいですわ。面倒くさいですし」
「おお、じゃあ俺のことは“ユシャ先生”と――」
「イヤですわ」
つれなくて、つんけんしてるけど、ちょっとだけ可愛い――ベル・ミスティオ。
彼女が俺の最初の生徒になった。




