第42話 親子
――目を覚ますと、視界いっぱいに広がっていたのは、ベルの顔だった。
「……先生?」
かすれた声でそう呼びかけられて、俺はゆっくりと身を起こした。
どうやら、ベルの膝を枕にして眠っていたらしい。
「……筋肉痛なんて久しぶりだ」
本来なら片腕を失っていたはずの俺の身体は、いつの間にか元通りになっていた。
「ユシャちゃん。ごめんね。本当に、迷惑をかけたわ」
ベルの横にはマオがいた。彼女はすでに当主の顔へと戻り、頭部にあった角も無くなっている。きっと、俺の身体を治してくれたのも彼女だ。
周囲を見渡せば、双星競技会の熱狂は跡形もなく消えていた。会場に人影はなく、代わりにそこかしこに魔族の姿。彼らは、会場の復旧作業を進めていた。
「……驚いたな。俺が眠っている間に、いったいどうなってる」
「人間たちが避難したあと、魔族のみんなが動いてくれたの」
マオが静かに答える。
魔王軍の建築技術は人間以上だという。移動型の魔王城を月に一度引っ越すほどらしい。新設も撤去もお手の物だそうだ。それを聞くと、妙に納得させられるな。
そして全体の責任を取ったのはキャンヴ。彼が総指揮を執っている。
……あの男もまた、思うことでもあったのかもしれない。
俺は、マオに身体を向けながら訊ねる。
「……ベルには?」
「ユシャちゃんが起きてから、話すことになってたの」
気が付くと、横でベルが俺の服を強く握っていた。
「……それもそうか。じゃあ、一緒に聞こう」
俺たちは並んで座り、身形を正した。
やがてマオがベルに向き直り、深呼吸をして告げた。
「ベル……落ち着いて聞いてね」
自分が魔王であること。
ベルが人間と魔王の血を継ぐ存在であること。
それをずっと隠していたこと。
勇者村との協定について。
魔族としての責務を人間であるベルに任せるつもりはないこと。
そして、母として、娘を愛していること
その一つひとつを、言葉を選びながら。
ベルは黙って耳を傾け、ただ受け止めていた。
やがて、ベルが口火を切る。
「……先生、記憶を消去する魔法はありますの?」
「……あるぞ」
「そうですか……ふふ、なんでもあるんですのね」
ベルが望めば、俺はそのつもりでいた。
彼女にとって、それだけのことが起きているからだ。
ベルは自嘲的な笑みを浮かべながらに言った。
「なら、信じます」
大人である俺たちが、この子にそう言わせてしまっているのだろう。
彼女のやるせなさの行き所を作ってあげられないことが、辛く歯がゆい。
「そんな便利な魔法がある中で、正直に、お母様の口から、事の顛末を伝えてくれたあなたのことを……信じます。そして、受け入れます」
「ベル……」
マオは、今にも泣きそうになっている。ずっと悩み続けていたことだったんだろう。
「事実は、受け入れるほかありませんから。先生がわたくしに話してくれていた魔力量の話も、それで納得できます。それにしても、魔王の娘…………ですか」
ベルが自分の掌を見つめ、小さく呟く。
その声は震えていたが、同時に強かった。
「あなたは人間よ。魔王の血が、魔力として顕現してはいるけれど」
「……わたくしは、お母様のことを尊敬していましたし、何か隠したいことがあるのはずっとわかっていたことです。でも……まさか、こんな理由があったなんて……本当に、本当に……夢の中にいるみたい」
そしてベルは、ぽろぽろと涙をこぼした。
「あ、あれ……? 涙が。どうして……? 別に、悲しいわけじゃ、ないと思うんですが……」
一生懸命に涙を拭うベルを、マオは優しく包み込む。
「…………お母様」
ぎゅっと、ベルもマオの背中に手を回す。
「あなたが……魔族でも、魔王でも……ずっと大好きです。お母様……ありがとう。競技会も……観に来てくれて、本当にありがとうっ……!」
嗚咽を漏らしながら、ベルは大粒の涙を流した。
「双星競技会で、あなたが頑張っている姿……ちゃんと見てたわ。お友達と一緒に頑張っている姿、ユシャちゃんと楽しそうに競技に参加している姿……普段は見られないあなたの……色んな横顔を見ていて…………わたしはっ……」
声にならない声でマオが、震えながらに言った。
「……ベルっ、世界でいちばん愛してるわ……大好き」
「うわぁぁぁぁぁ~ん、お母様ぁぁぁぁっ~!!」
母と娘が互いに涙を流して抱きしめ合う姿を見ながら、俺はただ思った。
この二人は、血や種族を超えて――、ただ「親子」として結びついている。
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