第30話 魔王軍大隊長の失態
――双星競技会開催、1日前。魔王城にて。
「……魔王様、次の案件です。東の大陸での争いについて。古くから魔族の狩猟地だった森を、人間が農地として開拓し領土を主張しております」
「……外交官を派遣して、まずは相手の言い分を聞いて。対策はそれから」
「了解しました。――続きまして、魔族の猟師が人間の港で魚を売り、市場を荒らしたと訴えられています」
「……売った魚に問題は?」
「今のところ食中毒等の報告はありません」
「なら良かった。後日、私が直接市場へ赴いてお詫びをするわ。その際、魔族の猟師たちには魔族専用港があること、売り場の徹底を約束させて」
「承知しました。ただ、魔王様ご自身より商才のある者を派遣したほうが効果的かと。こちらは私のほうで引き取ります。続きまして――」
次々と積み上がる案件。
議題書をめくるキャンヴの手が止まったのは、不意に漏れた声のせいだった。
「……ねぇ、キャンヴ」
疲れ切った様子で机に身を預ける魔王を、キャンヴは一瞥する。
「どうかしましたか、魔王様」
「……明日、休暇をとってもいいかしら」
「難しいですね。明日だけで山ほど案件が残っています」
「……やっぱり」
「珍しい。魔王様がそんなことを仰るとは。何かご予定でも?」
「…………え、ええ……まあ」
マオは頬をわずかに膨らませ、角をいじっている。
――ついに来たか。
キャンヴは確信していた。魔王に「子」がいることを――!
裏付けはない。だが前々から疑っていた。
仕事に身が入らない理由。度重なる早退。休暇をねじ込もうとする姿。
全て、家庭に理由があると踏んでいた。
職務終了後のマオの跡をつけたこともある。だが、流石は魔王。魔力を完全に断ち、一切痕跡は残すことはなかった。
尻尾を掴めなかったことから、キャンヴは独自の調査をこの数十年続けてきた。
それによると、かつてマオには人間の夫がいた。そして既に他界している。
残された子は――人間と魔族のハーフ。年の頃は十代から二十代。
そして明日。王立アストレア学院で双星競技会が開かれる。
そんなタイミングで、「休暇」を取りたいと言うのだ。
間違いなく――魔王の子が出場する。
魔王が人間を愛し、子を残すなど――許されざる暴挙。
魔族界を根本から揺るがす大スキャンダルだ。
キャンヴは悟った。
この秘密は墓まで持っていく。だが、その前にやるべきことがある。
――魔王様の子を、殺す。
「……ところで魔王様。“子供”の件ですが」
「はぇ!? こ、こ、子供……!? ェ? 私……ああ、じゃなかった、なな、なんのこと……?」
「……我が魔王軍第三隊の小隊長です。親戚に赤子が生まれたらしく、祝い品を贈りたいと」
魔王と視線を合わせる。露出した肌から汗が噴き出す様子が、答え以上に雄弁だった。
彼女は、魔族を束ねる王ではあるが、とても読みやすく、わかりやすい内面をしている。
「あ、ああ……そ、そういうことね。なら盛大にお祝いしましょう! もちろん私も参加するわ!」
「ありがとうございます。……それと、これは雑談ですが、もし魔王様にお子がいたら、どんな人物になるのでしょうね」
「えぇ!? 珍しいわね……キャンヴが例え話なんて」
「今日は疲れましたから。少しだけお付き合いください」
「……そ、そうね。妄想の域を出ないけど――私に似て、美人で、スタイル抜群で、とんでもない魔力を秘めた……愛らしい娘になるでしょうね」
「……なるほど」
願望と真実が入り混じるその言葉は、十中八九自分の子供の特徴を挙げているのだろう。そうか……やはり娘か。
「……明日の進捗次第では、休暇も可能かもしれません」
「ほんと!? じゃあ頑張らなきゃ!」
たった今、キャンヴの心でシミュレーションは完成した。
魔王様には家庭は不要。不必要な芽は事前に摘まねばならない。
――魔王様の娘には、死んでもらう。
* * *
――双星競技会、会場上空。
魔王の傍らを離れ、キャンヴは人波を見下ろしていた。
――……美人で、スタイル抜群で、膨大な魔力を秘めた娘……。
該当者は見当たらない。
正直、甘く見ていた。魔王の娘ともなれば、一目見ただけでわかるはずだと高をくくっていた。
もしかすると、魔力を断って姿を隠しているのかもしれない。マオも完璧な魔力断ちをしている。そのレベルであれば可能だが……子供ににできるとは限らない。
キャンヴの足の下では、子供たちが玉転がしに興じている。
くだらない。人間の娯楽など、低俗で見るに堪えない。
本当に魔王がこんな催しを見たがるのか――?
推理に迷いが生じたその時だった。
一人の女がトイレへ駆け込んだ。
年の頃は十代後半。豊かな胸部を上下させ、息を切らしている。
見栄えは大変よく、魔族においても美人といえる。剥製にして部屋に飾るのも良いかもしれないと思いつつも、キャンヴは魔力を瞳に集中させる。
独特の魔力の揺らぎが見える。膨大ではないが、異質で確かに“特別”だ。
とはいえ、魔王の娘かと言われると、圧倒的なオーラを感じはしない。
しかし、人間と交わったことで、その子孫は魔力が薄まった可能性もある。
――コイツ……か?
間違っていても構わない。人間が一人消えたところで世界は揺るがない。
キャンヴは迷わず行動した。
一瞬だった。
扉を開き、用を足している女を気絶させ、拘束する。
あとは殺すだけ。手刀で一瞬。蘇生も不可能なほど徹底的に。
「…………」
脳内でいくらでもシュミレートしてきた。何度だって殺した。
だけど、なぜだか浮かぶのは――、
愛娘を失い、涙するマオの顔だった。
なぜだ。理解できない。キャンヴに家族はいない。自分はそのような情は持ち合わせていない。
だけど、マオが涙を流すことを、想像してしまうのだ。
子供の死に涙する意味など、知るはずもない。いや知りたくもない。
それなのに、胸をかすめるこの違和感は、なんだ。
……いや、考えるな。先手を打って殺す計画ではあったが、勘が告げている。
今ではない――、と。
じきに魔王は職務を終えて、この場にやってくる。
それで、この娘が魔王の実子なのかもハッキリする。そのときに、この女を「事故」として殺せば良い。
そうすれば、“死”に必然性が産まれる。
魔王は責務を優先する。“仕方のない死”として、処理しやすくなる。
魔王である以上――それが当然の摂理だ。
マオは、正真正銘の魔王なのだから。
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