第3話 元勇者の俺、離島で家庭教師になることにしました。
……というわけで、勇者をクビになった俺は、ゆらゆらと船に揺られながら、離島を目指している。
クビになったときはさすがに自暴自棄になった。山から飛び降りて死ぬことも考えた。いや、考えたというか、試した。
だが、身体にまとっていた魔力が、無意識のうちに全身を防御してしまい、かすり傷ひとつ負わなかった。ちょっとお腹が痛くなっただけだった。
勇者をクビになったことは、直接村長に伝えた。
あのときのじーさんの顔は忘れられない。
そりゃそうだ。手塩にかけて育てた歴代最強の勇者が、しょうもない理由でパーティーから追放されたんだ。
じーさんはすぐさま何かの手紙を書き、それを瞬間移動魔法でどこかに送った。 内容は16代目勇者宛てだった。
…………ヤツは、行こうとしていたおねーちゃんの店をキャンセルするべきか、同行予定の16代目に相談していた。
俺は思わずじーさんを叩いた。するとヤツは泣きながらこう言ったのだ。
「だってだって! マリンちゃんがワシを待ってるんだもん!」
どうやら、俺が早々に引退したせいで、じーさんの仕事が激増したらしい。育成がまだ終わっていない18代目を、次の勇者として仕立て上げなければならないとかで、泣きべそをかいていた。
それは申し訳ないと思ったが……それにしてもマリンちゃんってのは誰だよ。巨乳なのか? チッ……聞いておくべきだったな。気になって夜しか眠れん。
とにもかくにも、勇者村からの俺への処遇は“保留”。
村長がテンパっているため、しばらくは「ゆっくりしてろ」とのお達しを受けた。
ただの冒険者になるもよし。
生まれて一度もやったことのない“労働”に挑戦するもよし。
そしてじーさんは、俺にひとつの“使命”を与えた。
「勇者という肩書きは、もうお前にはない。ワシの声がかかるまでは、絶対に一般人として生きていけ」
こんな使命を受けるために、俺は勇者になったわけじゃない。
だが……、勇者村からの使命は絶対だ。俺は使命を全うするために生きている。
たとえ、それが“元・勇者”であっても――。
もう……俺は、諦めたんだ。
勇者として魔王を倒すことも、
勇者として魔王と“なあなあ協定”を結ぶことも。
――俺は、どちらの勇者にもなれなかった。
だから、俺は……離島で家庭教師をやることにした。
なぜ家庭教師かって? ギルドの掲示板に張り紙があったからだ。
冒険者以外のいろんな仕事に挑戦もしてみた。だが、どれも上手くいかなかった。
酒場の配膳では力加減をミスってすぐに物を壊すし、日雇いの薪割り仕事では地割れを起こした。市場の呼び込み係では声がうるさ過ぎると邪険にされ、教会の鐘つき係では当然のように鐘を破壊した。
子守もできない。農作物の収穫もできない。行商人の荷運びもできない。井戸の水くみすら……できなかった。
物心ついた頃から“勇者村”という、勇者しか住んでいない幻の集落で育った俺だ。世間の常識なんて知るはずがない。
齢27、人生で一度も働いたことがない人間に、職場での振る舞いがわかるわけがないだろ!?
え? そんな奴に家庭教師なんて無理だろうって?
ノンノン。
俺は少し湿った、くしゃくしゃの張り紙を開いた。
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《求む! 武道と魔法に精通している家庭教師兼ボディーガード!》
【必要条件】
・優しく穏やかであること
・年頃の娘と円滑なコミュニケーションが取れること
・島外への送迎ができること
・容姿端麗であること(30歳まで)
・離島での住み込み勤務が可能なこと
・“元・勇者”の方、大歓迎!
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「……ふっふっふ……くくっ……」
見たか!? “元勇者の方、大歓迎”だぞ!
この文言だけで、俺は張り紙を誰にも見せないようクシャクシャにして――そのまま飲み込んだ。
この仕事は、俺のものだ。誰にも渡さん!
すべての条件を、俺は満たしている!
この仕事は――きっと俺を待っている! そんな気がするんだ。
別に仕事がしたいわけじゃない。冒険者になりたいわけでもない。
たぶん、俺はまだどこかで……“勇者”を捨てきれずにいるのかもしれないな。
* * *
船に揺られて一時間。ようやく離島の全貌が見えてきた。
正直、瞬間移動魔法を使えば一瞬で着くのだが、こうしてゆっくり向かう時間も悪くない。俺は待つのに慣れている。
船着き場に降り立つ。王都近くの離島というだけあって、寂れている感じはしなかった。王都に向かう途中の漁船の停留所としても扱われているらしく、猟師たちにとっては憩いの場であり、かつ貴族や療養中の冒険者が訪れる観光地のような扱われ方もしているようだ。
港を抜けて繁華街を通り過ぎ、しばらく森の中を歩くと、大きな洋館が見えてきた。見事な造りの邸宅。この島の領主らしく、あまり張り紙を細かく見ていなかったが、どうやらこのご令嬢の家庭教師をするらしい。
屋敷のベルを鳴らすと、若い女の使用人が出てきた。彼女に案内され、中庭へ。
パラソルの下、アンティークな椅子に座る一人の少女がいた。
「お嬢様。家庭教師の方が、いらっしゃいました」
「ごきげんよう。わたくし、ベル・ミスティークと申しますわ」
年の頃は11~12歳ほど。大きめの帽子の下で金色のブロンドが揺れ、広めのおでこがチャームポイントの、実に“ご令嬢らしい”ご令嬢だ。
「ご、ごきげんよう……」
慣れない挨拶に、俺は出鼻を挫かれる。
「あなた、張り紙を見て来てくださったの?」
「……ええ。これです」
俺は張り紙を差し出した。
「……なんか、湿ってない? それに、変な匂いが……」
「ええ。その紙は、誰にも渡さぬよう、俺が一度飲み込んだものです。他の連中が来ることはないでしょう」
「…………? どういうこと? じゃあ……このベトベトは――」
「俺の唾液ですね」
「いやぁぁぁあああ! 汚いぃぃぃっ!」
さっきまでおすましだったベル嬢が、全力で拒絶してきた。早くも打ち解けられたようで、ちょっと嬉しい。
「ちょっとセバッチュ! この方、非常識すぎるわ!」
ベルが怒鳴る。セバッチュという面白い名前の使用人が、ポリポリと頬を掻いて、無表情に言った。
「確かに、変わった方ですね……」
「“変わった”なんてもんじゃないでしょう! 張り紙飲み込むのはまだしも――いやまったくもって良くはないけど! どうしてそれをわたくしに渡すのよ! ベトベトなのを知っていて!」
「でも、ベル嬢が渡せって言ったから」
「言ってない! ていうか初対面からヘン略称で呼ばないで! この方、おかしいわ!」
「いや~、緊張してまして。『ごきげんよう』とか初めて聞いたもんで、すっかりペース乱されちゃいました。へへっ」
俺は柔らかい笑みを浮かべた。第一印象が大事だからな。
「ダメですわ……この方が家庭教師になる未来が見えませんわ……」
「お嬢様、まずはステータスを確認されては?」
「そ、それもそうね。こんなヘンなっ……いえ、変わった方でも、頼りになるステータスかもしれませんものね!」
「ではステータスの開示をお願いします。……ええと、お名前は?」
セバッチュが、俺の全身を確認しつつ、質問してくる。
「…………名前?」
――俺に“名前”なんてものはない。
あるのは、“勇者17代目”という称号だけだ。
しかし、ここでそれを名乗ったら、元勇者だと完全にバレる。
家庭教師の必要条件としては採用一発の切り札だが、勇者村の使命が果たせなくなってしまう。
考えろ……考えろ……! 一般人っぽい名前、普通っぽい名前……!
「……ユ、ユシャだ」
「変わった名前ですこと。では、ステータスをお願いしますわ」
俺は指先で空を弾き、ステータスを表示する。
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レベル15/30
生命力:E
魔力量:F+
筋力:E+
俊敏:D
魔力操作:E
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……あ、間違えた。こっちじゃないぞ!
というか、仮に本来のステータスを出したところで、元勇者ってバレてしまうな。
しまった……。仕事を見つけて浮かれて、まったく考えていなかった……!
「……あなた、本当に張り紙を見て来たのかしら?」
「えっと……その……これはですね……」
「セバッチュ、この方じゃないわ。残念だけど」
「そのようですね。私の目も節穴でした。なんだか、頼りがいがありそうに……見えたのですが」
ああ、やっちまった。
二人の幻滅した目が、まるで酒場で追放されたときのように突き刺さる。
「……こんな離島まで、わざわざありがとう。でも、さようなら」
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