第28話 ミスティオ令嬢の本心
「――燃え立て、我が怒りよ……火ノ精の名の下に!」
ミリーの得意技である下級火炎魔法が、鮮やかに紡がれる。
「良かったわね! 今日ならどんな怪我をしても、すぐに治してもらえるわ――!」
「…………ッ!!」
ミリーの掌から、燃えさかる火球が吹き出した。
わかってはいても、やっぱり怖い。ベルは反射的に瞳を閉じ、さらに自分を守るように両手を掲げる。
その瞬間――泥の壁が、彼女の意志に応じてせり上がった。
壁はベルの身体を優に覆うほど大きく、火球をジュッと音を立てて呑み込み、跡形もなく消火する。
『――な、なんということでしょう! ベルさん、“無詠唱”で大地属性の防御魔法を展開! ミリーさんの下級火炎魔法があっと言う間にかき消されてしまいましたぁ!』
司会の声が熱を帯び、観客席もどよめきに包まれていく。
『――無詠唱魔法を扱える方がいるのは知っていますが、流石に初等部では初めて見ましたね。あまり一般的ではないと思うのですが、どうなのでしょうか』
『理論上は可能ですが、あまり実践する方もいませんね。無詠唱に慣れると、詠唱が必要な高度な魔法は習得しにくくなりますから。今日における冒険家稼業のパーティー編成では、役職ごとに役割を専業するのが主流ですから、魔法を唱える方々は、とにかく威力を向上させて、前衛に守ってもらうことが重要視されているわけです。つまり世間的には無詠唱ではなく詠唱することが重要、ということに――』
いつの間にか登場した解説者が、拡声器具を通して饒舌に語り始めていた。
――め、目立ってる……。
ベルは恥ずかしさを覚える。
ユシャの教え通り、細かい魔力操作は諦め、ただ念じて力を流す。シンプルに物量で押し切る。
結果的に、それがベルの身体に合っていた。我ながら自分の魔法が、モノになっている感覚がある。
だが――本当にこれでいいのか、無詠唱は一般的じゃない。
まだ初等部で、魔法もかけ出しのベルにとって、このイレギュラーな習得方法は、少しだけ不安もあったのだ。
未だにその懸念は捨てきれない。しかし――、
視線を正面に戻すと、ミリーは目を見開いていた。
「……な、何、今の? 大地属性の魔法……? 無詠唱……?」
驚く彼女の表情を見て、ベルは胸の奥がすこしスカッとする。
きっとミリーは、まだ自分を何もできない落ちこぼれだと思っている。
でも――この一ヶ月、ベルはずっと頑張ってきた。
ベルは駆け出すと、懐から短刀を抜き、ミリーに投げ込む。
反応が一瞬遅れたミリーの頬に、赤い線が走った。
「……っ」
陶器のような白肌に触れたミリーの手が、赤く染まる。
「――許さない、許さないからっ!!」
キッ、とその表情が鋭さを増した。
「――焦がせ、大地よ。天より舞い降るは烈火の奔流――――……」
ミリーが唱え始めたのは、中級の火炎魔法だ。
初等部にして、中級の攻撃魔法が扱えるのは、類い希な才能と言える。
だが――“もう遅い”。
「呑気に詠唱していていいの?」
ベルは距離を一気に詰め、握った拳をミリーの頬に叩き込んだ。
「……うっっ!?」
非力なベルの拳だけでは倒せない。だから――“ついでに魔法を乗せた”。
頬にまとわりついた泥が、みるみる肥大化し、ミリーの全身へと広がっていく。
「……なにっ!? なにっ!?」
「そのまま床で寝ていてくれると助かるわ」
泥が顔を覆い、やがて身体全体を拘束する。ミリーは身動きが取れなくなった。
「……大丈夫よ。シャワーで汚れは落ちるわ」
自分の非力さを補うための体術と、無詠唱魔法の組み合わせ。
日課にしていたユシャとの組み手で培った戦い方が、今ここで結実した。
――思っていたより、冷静に対処できた。“戦闘を間違えなかった”。
魔法も武技もからきしだった自分が、こんな風に立ち回れるなんて……。
ベルは、自身の大きな成長を実感するとともに、家庭教師であるユシャの手腕を無視することができずにいた。
確かに努力はした。だけど、それだけではこんな風にはなれなかったはずだ。
――本当に、あなたは……何者なの……先生……。
脳裏に浮かぶ疑念は止まない。
さきほど知り合ったゴーシャという人物がユシャに向けて言った、“じゅうななだいめ”という言葉の意味も、まだ良くわからない。
けれど、彼が自分に向けてくれている気持ちは、いつも本心だということも、ベルはよくわかっていた。
『9――! 10――! 勝者、ベル・ミスティオ! 初等部のエリートを完封です!』
歓声が爆発する。
それは、対戦カードからは想像もできない――あまりにも鮮やかな勝利だった。
ベルは観客席を見渡しながら、自席である観客席に拳を向ける。
すると、身を乗り出してこちらを見ていたユシャが、不器用な笑顔で同じように拳を向け返してきた。
「ベェェェルゥゥゥゥ~――! よくやったなぁぁぁ! 俺は誇らしい気分だぞぉぉ! とくにミリー嬢に一発ブチ込んだ瞬間、俺はなぁ――!」
「なっ――!」
――そこは黙って拳を突き上げるだけでいいんじゃ……!?
叫び出したユシャを取り押さえるゴーシャと、その連れたち。
先生は、……本当に、バカみたいな大人。
……本当に、もう。
だけど、不思議と心が温かくなる。ベルは自然と笑みをこぼしていた。
やがて競技場の端で僧侶の回復魔法で治療されたミリーが、泥にまみれたまま立ち上がる。
「……ミリー」
ベルが名を呼ぶも、彼女は視線を合わせず、沈んだまま横切っていった。
もう一度、ベルは胸の奥から声を張り上げる。
「ミリー――! わたくし、頑張ったの! それもこれも、あなたに……あなたに認められたくて……!」
震える声で本心を告げる。勝利よりも、伝えたい気持ちがあった。
――今でないと、きっと言えない。
「いつだったか、冷たくあしらってしまったこと……謝ります。魔法の才がないわたくしにみんなが呆れていたころ、あなただけは変わらず突っかかってきて……鬱陶しく思ってしまったの」
人と人のすれ違いは、複雑だ。
言葉の伝え方一つで、関係が捻れ、歪んでいってしまう。
ベルは、ミリーとの一件で、それを嫌というほど思い知らされた。
ぎゅっ――と胸を抑えて、ベルは叫ぶ。
「――でも、あなただけが、わたくしをライバルだと思ってくれていた!」
「…………」
ミリーに響いているかはわからない。
彼女は表情も変えずに、ただベルの言葉を聞いていた。
「……なにか、言ってほしいのだけど」
「………………うるさいわね」
「……え?」
「うるさいって言ってんの! 何? 一回勝ったくらいで何よ! バカみたい。たまたまだから。わたしの読みがちょっと上手く行かなかったってだけで、次は負けないから! 良い!? アンタなんて、ボコボコのボコにしてやるんだから! みてなさいよこのデコ女! フンっ」
真っ赤な顔で言いたい放題のミリー。その姿は幼い頃、よくケンカをしたときの顔によく似ていた。
ミリーの瞳には、大粒の涙が溜まっていた。
そんな姿を目の当たりにして、ベルの頬は思わず緩む。
「……そう。じゃあ、わたくしも精進しないと。楽しみにしてるわ。ミリー」
「……フンっ!」
金の髪を翻して去っていくミリー。その背は、どこか軽やかに見えた。
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