第17話 魔王軍大隊長の憂鬱
――魔王軍、キャンヴ隊、本部にて。
戦況報告を持った斥候が、荒く息をつきながら作戦室へ駆け込んできた。
机上の地図に視線を落としていた“魔王軍大隊長”のキャンヴは、その足音の焦りを、魔族特有の尖った耳で感じ取る。
「――キャンヴ様! 第三陣、壊滅しました!」
「……何?」
ゆっくりと顔を上げたキャンヴの声は低く、重く、室内の空気を一瞬で冷やした。
「さっきから、一体何が起きている。人間共は新たな兵器でも投入したのか?」
「いえ……それが、たった一人の義勇兵の男に、小隊長クラスの強者たちが軒並み倒されているとのことで……!」
「義勇兵の男……?」
耳に入った言葉は、信じがたいものだった。
本来なら、今作戦は数刻で片がつくはずだった。それが、予想もしないところで足を取られている。
――未曾有の魔族虐殺。
仲間を無惨に失った報告を聞き、魔王の命を待たずして農村への襲撃を決めたのは、他ならぬキャンヴ自身だ。
忠義ゆえ、後悔はない。
しかし、そもそもなぜ自分が単独でここまで動かねばならぬのか――答えは、近年の魔王の体たらくにある。
16代目勇者は確かに強かった。自ら命を賭して戦ったこともある。いつの世も、“勇者”とは、常に脅威たりえる存在だ。
だが17代目勇者は、パーティーの内紛で勝手に崩壊し、戦う以前の問題で姿を消した。今こそ魔王軍が世界侵略へ乗り出す好機――そのはずだった。
それなのに。
魔王は攻め時を見誤り、必要な場面で出撃命令を出さず、妙な時にだけ動く。
勝敗すら曖昧な戦いを繰り返し、問題を先送りにし続ける。まるで一生ご褒美にありつけない犬のように、ただ餌をちらつかせるだけ。
かつて切れ者だった主の姿はそこにはなく、違和感だけが募っていく。
もたもたしていると、新たな勇者が投入されてしまう。それでは、また世界侵略が遅れてしまう。
――魔王様は、一体何をお考えなんだ……!
キャンヴは、忠義に厚く義理堅い忠臣である。主が「私のために死んでくれ」と言うなら、喜んで命を投げ捨てる覚悟だってある。
魔族の証である頭部の尖った角に触れながら、キャンヴは長考する。
――この違和感はなんだ。
攻めきれない――いや、攻めきらない。……我々が、まるで舞台役者のとして振る舞っているような……この状況は。
――八百長、という言葉がよぎる。
しかし――脳裏をよぎった言葉を、キャンヴは首を振って追い払った。主がそんなことをするはずがない。
今は考えるな。この作戦が、魔王の真意を炙り出すきっかけになるやもしれぬ。
キャンヴは立ち上がり、角を指で弄びながら窓外を見やった。
遠く、陽炎の向こうに、一人の人間がこちらへ歩いてくる。腰に剣を一本差しているだけで、荷も連れもない。
歩みは一定で、威圧も、歴戦の気配もない。ただの成人村人――そう見えた。
「なんだ? あの男は……まさか、ヤツが義勇兵とかいう男か?」
「そのようです。ヤツに戦いを挑む魔族が、軒並みやられています」
「ほぅ……」
歩み続ける男の前に、小隊長でネクロマンサーのギュリオンが立ちはだかる。
幾多の人間を葬ってきた死霊術が展開された次の瞬間――男の姿がかき消えた。
そして、気づけば、我が軍屈指のギュリオンが地面に伸びている。
男は表情も変えず、歩みを再開する。
まるで、何事もなかったかのように。
「…………ずっとあんな調子なのか?」
「ほら、言ったでしょう」
軽口を叩いた部下に、キャンヴのげんこつが落ちた。
「ふむ……本当にあの男の仕業か? ギュリオンの死霊術がかかった相手はもれなく死ぬのだぞ? それが無効化された? あり得るわけが無い。体調不良が重なってギュリオンが勝手に倒れた可能性のほうが信じられる」
キャンヴは数秒瞳を閉じてから、口を開く。
「…………斥候を回せ。ギュリオンの外傷を調べろ」
キャンヴは目に魔力を集め、男を観察する。魔力の流れはごく普通――冒険者かぶれ程度の値しかない。
「……もし、ヤツが超音速で魔王軍小隊長を瞬殺するような男だとしたら、あの雰囲気は流石にありえない。もっと魔力の流れに圧を感じるはずだ」
「パッと見、弱そうですもんね」
だが、あの男の奥には、説明のつかない異物感がある。
最近は、こんな違和感ばかりだ。苛立ちが胸をざわつかせる。
「――報告! 小隊長ギュリオンは外傷なし。泡を吹いて倒れてました! 脳震とうを起こし、全治三週間とのこと!」
「……もういい。俺が行く」
仕舞いこんでいた悪魔の羽が、バサリと開く。
魔王軍大四隊・大隊長――キャンヴが、戦地に出陣する――――。
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