第15話 魔王と話していて眠くなる勇者って存在するの?
「――家庭教師を始めて、そろそろ一週間だけど……調子はどう?」
「順調だ。双星競技会に向けて、魔法と武技、その両方を鍛錬している。どちらかというと、魔法の才に部があるな」
ベルが学校に行っている間、俺はマオと中庭でランチを共にしている。
その時間を使って、ベルとの間にあった出来事や、課題の進み具合、家庭教師としての様子などを報告するのが日課になっていた。
「泥の攻撃魔法を鍛錬中なんでしょう? なんで泥なのかしらね」
「さぁな、理由は聞いていない。でも、似合っていると思うぞ」
魔法と使い手との“フィーリング”は軽視されがちだが、実は極めて重要な要素だ。
なんとなく好きだとか、説明できない心地よさだとか――そういう曖昧な感覚でも、「自分に合っている」と思えることが大切だ。
それだけで魔法の効力は大きく高まり、副次的な効果が現れることさえある。
「この間も洋服を泥だらけにして帰ってきて……玄関も汚れて、本当に、子供みたいで……」
「ベルはまだ子供だろう」
「そうなんだけど……もっと小さかった頃を思い出しちゃって……」
不意に、マオの瞳が潤む。
ポロリと、透明な雫が彼女の膝を濡らした。
「なぜ急に泣く? 俺……傷付けるようなことを言ったか?」
「フフ……違う違う。子供のことを考えてると、自然と涙が出るときがあるの」
ハンカチを取り出し、目頭を押さえながら、マオは穏やかに微笑む。
「……そういうものなのか?」
「あなたも子を持てばわかるわ。世界一冷酷非道だった魔王が言うんだから、間違いない」
俺には子供どころか家族の一人もいない。
故にその感情は、まったくわからない未知の領域だ。
だが――目の前のマオの涙に嘘はないと、自然に信じられた。
「……あなたが例の全裸事件を起こしたときはちょっと心配したけど、なんだかんだ上手くいっているみたいね。あの子には、そういう慌ただしい日々が……合っているのかも」
花壇で風に揺れる薄紅色の花を、マオがそっと撫でながら微笑む。
「…………最近、あの子の顔色が変わってきた気がするの。なんだろう……毎日、楽しそうというか」
「俺もだ。毎日刺激的で楽しい」
「なら良かった。あなたがあの子の先生で良かったって思ってる」
穏やかな午後、温かい陽光の中でサンドイッチを頬張りながら、魔王と娘の話に花を咲かせる――そんな元勇者は、きっと俺くらいだろう。貴重な経験だ。
「……さて、ここからはあの子の話だけじゃなくて、あなた自身へのお願いよ」
「新たな使命か?」
「いいえ、使命じゃない。ただのお願い」
「お願いかぁ……」
使命じゃないとわかると、急にやる気が半分ほどどこかへ消えた。
「フフ、顔に出てるわね。でも、あなたはもう勇者じゃない。私との協定もないわ。家庭教師をしてもらっている“知人”としてのお願い、引き受けてくれないかしら」
そういう話なら18代目勇者に回してほしいところが……今、勇者村もいろいろと問題を抱えているらしいからな……。
「聞くだけは聞こう」
「フフ、ありがとう。――近頃、魔族が大量に虐殺されているの。それも無差別に。どれも魔力を帯びた剣による傷だから、おそらく人間の仕業ね」
「……魔法剣士か。珍しいな」
「そうね。武技か魔法か、極端に偏る冒険者の中では、あまり見ないタイプよ。それで、この件をきっかけに、魔王軍が私を介さず独自に動き出してしまった。農村ひとつを壊滅させようとしてるの」
「穏やかな日だまりの中で、ずいぶん血なまぐさい話だな」
「あなたには、この件の仲裁をお願いしたいの」
……お願いと言うには、随分と規模が大きい。
あくまでも“元勇者”としての俺に頼んでいる、ということか。
魔族の無差別虐殺。
これは勇者時代に俺が背負うはずだった“使命”に近い。
「……仲裁か。勇者時代、それが上手くいかなくて、今こうしてるんだが」
「そうね。でも、あなたも私やベルと関わって、少しは変わったでしょう?」
……大きく変わったと思う。
使命しか頭になかった頃よりも、多くのことを考えるようになった。
他人の考え方も、少しずつ理解できるようになった。
「……わかった。詳細を教えてくれ」
「ありがとう。詳しくはまとめておくわね。――それから、もし可能なら、魔族を虐殺している人物の正体も教えてほしい」
「……始末するのか?」
「さあ、それは相手次第ね」
マオは特に表情を変えず、ブラッドオレンジジュースを口にしながら淡々と言った。
今の世界では、魔族と人間の争いが拮抗しているほど平和だとみなされる。
どちらか一方に力が傾くのは危険。
つまり、その虐殺犯は意図がどうあれ、現状の平和を壊している存在だ。
そして――かつての俺も、そうなっていた可能性がある。
勇者として「悪を滅する」ことしか考えていなかったからだ。
「……俺は、人助けが好きだ。ただ、その結果、不幸になる人間がいるかもしれないなんて……今まで考えたこともなかったな」
空を見上げてぼそりと言うと、マオがくすりと笑った。
「……ユシャちゃんって、なんだか赤ちゃんみたいね」
「俺が赤子? 27歳だぞ。まあ……おっぱいは好きだが」
「違うわ。とっても素直って意味よ。複雑な人間関係を知って、毎日すくすく成長してる。ベルの件も含めて、あなたが変わっていくのも、わたしは楽しみなの」
「……今、初めて“母親”という成分を感じたような気がする」
「えぇ~本当? 私のママ成分、どんな感じ?」
「……温かくて、優しくて……穏やかな日だまりみたいだ。眠くなる」
「何それ。私の話がつまらないってこと?」
「いや、面白い。ただ……眠くなるんだ」
「ふぅん…………――まあ、話を戻すけど、私も暴力的な行為は好まない。最善を尽くすわ」
「俺も平和を望んでる。対話で済むなら、それが一番だ。そのためなら何でもやるよ、マオ」
「ありがとう。ユシャちゃんと知り合えて、本当に良かった」
「俺もそう思う。だから、これからも新鮮な刺激をくれ。そして、まだ知らない自分を発見させてくれ」
「重っ! でもきっと大丈夫。あなたはこれからも成長し続けるわ!」
マオがノリノリで俺の肩をペチーンと叩く。
……もう少し強ければ、関節が外れていたかもしれない。
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