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第一話「孤児院」

 それから数週間が経った。

 木枠の窓から差し込む朝の光は、まるで絵の具で描かれたみたいに柔らかい。

 俺――いや、ファムと名付けられたこの幼い身体は、まだこの世界の朝に慣れきっていなかったが、それでもこの光に包まれると、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。


 名付け親は、この孤児院を併設する教会の神父様だ。

 蒼い髪と碧い瞳――この世界では珍しい色らしい俺の容姿を見て、


「神の恵みじゃな....。その深みある蒼はとても高貴な色でな、おぬしも祝福されているんじゃよ」


 微笑みながら、そう名付けてくれた。


 前世では没個性な三十歳の男だった俺。

 それがいまや、祝福を賜るような煌めく髪と瞳を持つ子ども……。


 既に一度死んでいる身であるのだが、人生というものはこれほど摩訶不思議なのか。

 数週間が経過した今でも、正直、素直に受け入れがたい現実ではある。

 しかし、慣れというものは恐ろしいもので、早くもこの生活に適応しつつある。

 これもまた、一つの現実だった。

 

(まあ、悶々と考えても仕方ないか......。そろそろ起きないとな) 


 ベッドから降りると、木の床がひんやりして気持ちいい。


 ちなみに俺の年齢は……5歳くらい、らしい。

 孤児のため正式な年齢は不詳だが。

 神父様が拾ってくれたのは、俺の意識が覚醒するほんの数日前のことだった。


(あの雨の日……)


 ぼんやりとしか覚えていないが、身体が酷く熱く、意識が朧げな中で、誰かが抱き上げてくれた。

 きっと身体に刻まれているのだろう。

 後から聞けば、それはこの町に立ち寄った、普段見かけない珍しい交易商が通った日だったという。


 出生に関しては謎が残るが、それでも転生後、直死ルートは回避したわけだ。

 家族はいないが、こうして幼き稚児が生きていて、孤児院に拾って貰えている。

 なんと幸運なことだろうか。


 実際、神父様はこう言っていた。


「捨て子だったんじゃろう。……それでも、あの日、偶然わしが見つけたのは神の導きじゃ」


 神父様はそんなふうに言いながら、俺の頭を撫でてくれた。

 その手の優しさを覚えているし、これからも忘れることはないだろう。

 顔の半分が白髪・白髭に覆われた高齢のおじいちゃんだが、この数週間で、その風貌・人格ともに聖人に相応しいことを知ったのだ。

 一生の恩を受けた身として、これから俺に出来ることがあれば尽くしていきたい。

 そう思える人だった。


 ところで、この教会は、町の中央部から少し離れた丘の上に建っている。

 町の人口は五千人ほど。

 農耕と酪農が主産業で、近くの道を通る旅商や馬車の往来が多い、小さな交易中継都市群の一つだ。


 そして俺が拾われたこの孤児院には、子どもが全部で7人ほど。

 大人の手が足りない分、皆で協力して農作業や家畜の世話をして暮らしている、そんな場所だ。


 俺は思い切り背伸びをし、欠伸とともに、窓から見える風景に目を細めた。


 神父様はまだ環境に不慣れな俺に配慮してくれた。

 ほかの孤児のみんなとは離れた、小さな個室を与えてくれたのだ。

 拾われたときに高熱だったから、その隔離かもしれなかったが、いずれにせよ有難い話である。


「お~い、ファムくーん! 起きてるー?」


 いつものように、甲高く、可愛らしい声が廊下から聞こえてきた。

 今日も、穏やかな一日が始まっていく。


 ドドドッと、足音が勢いよく近づいてきたと思うと、音を立てて扉が大きく開いた。

 金色の髪がふわっと揺れ、窓から差し込んだ朝日に照らされた、太陽のような笑顔が飛び込んできた。


「おっはよ~! あ、もう起きてた?」

「おはよう。そろそろ向かおうと思ってたんだ」


 この天真爛漫な少女はシャルロット。

 孤児院で同年代の唯一の女の子で、目覚めた俺を最初に呼びかけてくれた天真爛漫な子だ。

 みんなからはシャルと呼ばれており、「えへへ」と人懐っこい笑みが特徴で、それがまた可愛い。


「今日の朝ごはん、パンとミルクに果物も出るんだって! ファム、はやくはやく!」


 小さな手が、躊躇なく俺の手をぎゅっと握る。

 前世では職場の空調とキーボードの触感しか知らなかった手が、こうして柔らかなぬくもりを感じている。


 廊下を一緒に歩くシャルの美しい金髪が、春の陽気と相まってきらきらと輝くように見える。


(……こんな光景、夢みたいだな)


 そう思いながら、俺はシャルに引っ張られるまま食堂へ向かった。


 ***


 孤児院は石と木材を合わせた造りで、ところどころ老朽化しているものの、味わい深い雰囲気だ。

 その中の食堂にて長いテーブルを囲み、孤児たちと神父様が談話している。


「さあ、ファムも座るんじゃ。朝の祈りを始めるぞ」


 みんなが揃ったことを確認し、神父様が柔らかな声で言う。


 両手を胸に当て、祈りの儀式が始まるのだ。

 俺も見よう見まねを続け、ほんの少しだけ様になった祈りをささげる。


「聖火の光よ。輝きたまえ」

「「聖火の光よ。輝きたまえ」」


 神父様が紡ぐ言葉を、俺たち孤児も復唱する。


 短い祈りの後、パンが配られ、杯に牛乳が注がれた。

 焼きたての素朴な小麦の香りが鼻腔をかすめる。

 しっかり焼かれた外皮がカリッと鳴り響き、みな黙々と食し始めた。


 牛乳は少し甘くて、新鮮な香りがする。

 孤児院でも数頭の乳牛を育てているが、搾乳できる量には限りがある。

 本来、俺たち孤児には勿体ない代物だが、神父様の計らいで、成長のためにと俺たちにも飲ませてもらっているらしい。ありがたや。

 

 改めて神父様への感謝をしていると、隣の席に座るシャルが小声で話しかけてきた。


「ねね、今日は果物が出るって聞いたんだけど、まだかな?」

「う~ん、どうだろうね。そもそも誰に聞いたのさ?」

「え、イブに聞いたんだけど。まさか...うそ......?」


 はす向かいの席にちょこんと座る、狐耳の少女。それがイブだ。

 年齢は俺たちとそう変わらないが、ほんの少しだけ成長が早いから年上だと思われる。


 俺たちは目線を彼女に向け、じーっと見つめる。

 他方、イブもそれに気が付いたのか、たじたじして何だか忙しない。

 はて。


 そう思っていると、神父様より今日の訓示のお告げが始まった。


「さあ、皆さん食べながらで結構。耳だけ貸してくださいな」

「「はい、神父様」」


 神父様は食べながらと言ってくれるが、俺たちは一様に手を止め、姿勢を正す。

 それが暗黙の了解なのだ。

 

「ごほん。いつもなら、聖火神の一節を引用するんじゃが.......今日はちょっとした小話をしようか」

 

 神父様は左目をつぶり、もう片方の右目でちらりと誰かに一瞥した。

 そして気のせいか、イブの狐耳がしゅんと、更にしおらしくなった。

 

「あるとき、人間の畑の近くにうさぎの家族が住んでおった。人間は危険じゃから畑には近づくな、父うさぎが口酸っぱく兄妹うさぎにそう言うが、妹うさぎはニンジンが大好きなあまり、毎晩こっそり抜いて食べてしもうたのじゃ。そしたら、どうなったと思うかな?」


 みんなが少し考えた後、シャルが答えた。


「.......見つかった妹うさぎは怒られちゃう?」

「うぬ、それも一つじゃ。だが大事なのは、そこにうさぎが住んでいると、人間にばれてしまったことじゃ。これが何を意味するか。イブや、分かるかな?」


 ご指名を受けたのはイブ。

 彼女は泣きそうになりながら、口をへの字にして言った。


「......きっと罠が仕掛けられて、うさぎの家族は食べられちゃうと思うの」

「そうじゃな。人間は怖いから、家族みんなに危険が及ぶ可能性があるのう」

「......うぅ、みんなぁ、、ごめんなさいなの。ぼくが野イチゴ食べちゃったの。だから代わりにぼくを食べてもいいからぁ....」

 

 そして彼女はとうとう泣き出してしまった。

 わんわんと泣いている彼女を、隣の背筋がすっとした年長孤児がなだめる。


「うぬ、正直に謝れたのは良きことじゃ。みんなも、どうか咎めなんでくれ。清く正しき行動と祈りを心がけていれば、また神からの授かりものをいただけるじゃろう」


 神父様は続ける。


「それに、過ちを犯してしまった妹うさぎを赦すのも、また兄うさぎの務めじゃ。のう、フランツや」

「はい、神父さま。妹は、私が責任をもって正しく導きます」

「ほほほ、それで良いのじゃ」


 年長孤児は、神父様のお言葉を聞いて、ぺこりと一礼する。


 もちろん、俺たちに血のつながりはない。

 だけど、同じ釜の飯で育った孤児として、俺たちは一つの家族なのだ。

 そして、みんなが敬愛すべき神父様の導きを経て、清く正しい精神を育んでいる。


 それが健全であり、この世界でどれだけ尊いことなのか。

 前世の記憶を持って、色眼鏡が付いている俺でも、何となくわかる気がした。

 

 ***


 食後は、孤児院の子どもたち全員で、裏庭の掃除と家畜の世話をする。

 小さな農作地帯と畑もあり、野菜作りや酪農は孤児院にとって大切な仕事だ。


「ファムくーん、こっちで一緒にしよ~」


 シャルが持ってきたのは、小型の木製バケツ。

 中には草が山盛りだ。 


「これはねぇ、牛さんにあげるんだよー、美味しそうでしょ?」

「うん、新鮮そうだね」

「でしょ~!さっき取ってきたんだー、早くいこう~!」


 シャルの号令のもと放牧地に向かうと、乳白色の大きな牛たちがのんびり草を噛んでいた。

 青い空の下、牛の鼻息と草を食む音がリズムのように響く。


「わぁ....」


 思わず、感嘆の息が漏れる。

 既に何度か訪れているが、改めてこの光景には惚れ惚れする。

 さわやかな牧草の匂いを、春風に揺られて身体いっぱいで受け止めている。

 もちろん、若干の肥やし臭はあるが、そんなものは自然のなかでは些細な問題である。


 前世でモニターと書類に囲まれていた生活では想像もできない光景。

 目の前の景色は、過労死のサラリーマンが夢にまで見た“牧歌的な生活”そのものだった。


 シャルは牛の前に草の束を差し出しながら、「えへへ、たぁんとお食べ」と笑っている。


「さあ、ファムくんもやってみて! みんな優しいから大丈夫だよ~」

「……こう?」


 手を伸ばすと、牛の大きな舌が草ごとぺろりと掬っていく。

 その温かい感触に少し驚いて身を引くと、シャルが「もう、怖がりだなあ」と笑った。


 彼女の笑顔は、本当に陽だまりみたいで、見ているだけで心が柔らかくなる。

 まだ幼子だが、将来はきっと美人になること間違いないだろう。

 

(いや、何を考えているんだ...俺は....)


 ふと、癒しとしての心の安らぎなのか、異性としての心の揺れ動きなのか、自分でも分からなくなる。

 これは俺の思考も、身体に引っ張られているという現れなのだろうか......。


 ***


 午後は、教会で読み書きや簡単な算術の勉強。

 前世の知識とはいえ、ここは異世界。

 社会・文化の成り立ちが違えば、用いられる文字が異なるのは自明である。

 

「はい、フランツ先生。この熟語ってどういう意味なんでしょうか?」

「あーこれね。昔の慣用句で、聖火神のご加護があらんことをっていう意味だよ」


 ちなみに教師は年長者のフランツだ。

 神父様が先生役を務めることもあるが、当然として孤児院だけじゃなくて教会の仕事もある。

 忙しい神父様に代わって、年長者が代理を務めるのは自然な流れだ。


「こら。前にも言ったが、四則演算は基本だぞ、シャルロット」

「うーん、でも割り算ってあんまり使わなくない?よく分かんないし」

「そうでもないぞ。食卓の果物をみんなで分けるとき、不公平があったら困るだろ?」

「.......たしかに?」


 シャルは本当に分かっているのだろうか。

 そんな疑問が浮かぶが、口には出さない。齢5歳前後にして四則演算は少々レベルが高いだろうし。

 ただ逆を言えば、それだけ教育水準が良いというわけである。

 それとも俺が知らないだけで、もしかして教会教育ってめちゃくちゃ進歩的なのだろうか。


 ***


 勉強のあとは自由時間。

 裏の丘に上ると、町全体が見渡せた。


 田畑が広がり、風に揺れる麦の黄金色が波のようにうねる。

 遠くには木造の風車が回り、家々の煙突から白い煙がゆらゆらと立ち昇っている。

 馬車が石畳の道路をゆっくり通り、子どもたちが道端で遊ぶ姿が見える。


 決して、裕福で快適な生活環境ではない。

 現代社会と比較をすれば物的な豊かさは足元にも及ばないだろう。


 しかし、ここには精神的な充足が確かに得られる環境だ。


 奴隷の姿や戦争の影は感じられず、封建的な抑圧機構も感じられない。

 ここが交易中継都市群の一つという性質もあるだろうが、活発な人の往来もある地域。

 なにより孤児であっても、努力と意志さえあれば、それなりの生活が望めそうな環境なのである。


(……なんか、幸せかもな)


 前世では現代社会に生きる者として、諦めていた暮らしだ。

 たしかに、何もかも捨てて、片田舎へ移住すれば手が届く世界だったのかもしれない。


 しかし、当時の俺にそんな選択が取れただろうか。

 情報技術が発達し、資本主義が高度に先鋭化した社会で、それで精神的な幸せが手に入ったかどうか。

 今となっては検証する余地はないが、おそらく悲観的なものだろう。

 

 山々の間に夕日が沈んでいき、町全体が夕焼けに染まっていく風景。

 なんだか、急に胸がじんと熱くなってしまった。


 その温もりに、前世の孤独がひとつ、またひとつと溶けていく気がした。

 そして、俺はぼそっと呟いた。


「もし本当に神様がいるなら。俺はあなたを信じます」


 この素晴らしき世界に生きることを赦され、昂る気持ちを吐き出したかったのだと思う。


 ***


 夕食を食べ、寝る前の賛美歌を歌い終え、神父様がろうそくを消していく。

 木造の天井に薄い影が揺れ、いくつかの寝息が静かに響いている。


 今日からは俺もみんなと同じ部屋で寝ることになったのだ。

 孤児院に拾われてから既に数週間。

 もうこの生活にはかなり慣れてきた。

 冗談かと思うかもしれないけど、孤児院のみんなも、まるで本当の家族のように思えてきた。

 それだけ、数週間という期間は短いようで長いし、ひとえに周囲の優しさがあったからだろう。


 瞼が重く、訪れる睡魔に身を委ねようとしたとき。

 シャルは俺の寝ている隣のベッドで、布団にくるまりながら小声で囁いた。


「ファムくん、明日は畑のじゃがいも掘るんだって。楽しみだね」

「……うん」

「ファムくんが来てから、毎日が楽しいよ。えへへ。おやすみ」

「.......俺もだよ。おやすみ、シャル」


 目を閉じると、優しい静寂が身体を包んだ。


 この世界での生活は――

 本当に、夢のようだった。



主人公に、孤児院に拾われるより前の記憶はありせん。周囲も記憶喪失として受け入れているので、改めて神父様より名付けられました。

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