(4)
そのとき、椅子に腰かけていたウィルフリッドがすっくと立ちあがった。
「これはどうだろう?」
ウィルフリッドが指さしたのは、部屋のはじ──カーテンの陰にひっそりと置かれた水色のドレスだった。銀糸で刺繍が施され、襟元や袖、裾部分に白いファーが付いている斬新なデザインだった。
「あ。申し訳ございません。こちらはまだ試作品でして──」
仕立て屋は慌てたようにそれを片付けようとする。しかし、アリスは目が釘付けになった。
(可愛い!)
水色の生地とふわふわした白のファーが相まって、とても可愛らしい印象を受けた。
「わたくし、それがいいです」
アリスはすかさず仕立て屋に伝える。
「ですが、納品までにだいぶ時間をいただいてしまいます。よろしいでしょうか?」
仕立て屋はおずおずとアリスに尋ねる。サイズ直しの調整をするだけの他の商品と違い、このドレスは一から作る必要があるのだろう。
「構わないわ」
アリスは頷く。
「いいのか?」
念を押すように、ウィルフリッドがアリスに尋ねる。
「はい。だって、陛下に選んでいただいたものですから」
アリスが笑顔で告げると、ウィルフリッドは僅かに目を見開く。
「そうか……」
ふいっと目を逸らされる。
「では、それとは別にすぐに納品できる品も頼もう」
「かしこまりました」
何着か選ぶと、仕立て屋は気が変わらないうちにとばかりに、注文書を記入する。一気にドレスの発注が複数入り、ほくほく顔だ。
「妃殿下は採寸のため、隣のお部屋へ」
仕立て屋の職員がアリスを隣室へと招く。
別部屋で採寸を行ってからアリスがウィルフリッドのいる部屋に戻ると、彼は仕立て屋の主人と何か話し込んでいた。
「では、そのように手配させていただきます」
仕立て屋の主人はアリスが戻ってきたことに気づくと、そう言って話を終わらせる。きっと、ドレスをいつどこに運ぶかなどを話していたのだろう。
「陛下。ありがとうございます」
店を出たアリスはウィルフリッドにお礼を言う。
「構わない」
ウィルフリッドは懐から懐中時計を取り出す。
「まだ時間があるから、庭園でも行くか?」
「え?」
アリスは驚いて、まじまじとウィルフリッドを見つめる。今日は買い物に付き合ってくれただけでも驚いたのに、まさか更に庭園にまで誘ってもらえるとは思っていなかったから。
ウィルフリッドはアリスの反応にハッとしたような表情をし、気まずそうに視線を逸らす。
「気が進まないならいい」
「いいえ。行きたいです! 行きます!」
勢いよく主張するアリスの様子に、ウィルフリッドがフッと笑う。
(今、笑っていらっしゃった?)
普段見ない表情に、胸がどきんと跳ねる。
「では、行こうか。遅咲きの秋桜の名所があるんだ」
ウィルフリッドが歩き出したので、アリスは慌ててあとに続く。
そのとき、靴のつま先が石畳に引っかかり体がぐらりと前に傾いた。
(転ぶ!)
咄嗟に手を突こうとしたが、その手が地面に着く前にアリスの体はふわりと浮いた。
「大丈夫か?」
アリスのお腹に片手を回したウィルフレッドが、彼女の顔を覗き込む。
「はい。ありがと──」
ありがとうございます、と言おうとしてウィルフリッドのほうを見たアリスは、その距離の近さにドキッとする。
体を起こせば鼻先が届きそうな距離感に、心臓が早鐘のように鳴る。
「申し訳ございませんっ」
アリスは慌てて、ウィルフリッドと距離を取る。
「謝らなくていい。行くぞ」
「はい」
アリスはウィルフリッドの後ろにおずおずと続く。彼は振り返って手を差し出した。
(……?)
アリスが目を瞬かせると、ウィルフリッドは自然な所作で彼女の片手を取った。
(手……)
初めてウィルフリッドから手を握られた。ウィルフリッドを窺い見ると、彼と目が合う。
「きみは放っておくと、また転びそうだ」
「お気遣いありがとうございます」
もしかして、アリスのことを心配してくれたのだろうか。
きゅっと力を込めて彼の手を握ると、僅かに握り返された気がした。
(結婚式以外で夫と手を繋ぐのって、初めてだわ)
思えば、夫に服を見立ててもらうことも、手を繋ぐことも、庭園に二人で出かけるもの初めてだ。当たり前のように世の中にあふれた光景は、アリスにはとても遠い世界だった。
「どうした? 嬉しそうだな」
ウィルフリッドが怪訝な顔でアリスを見る。
「たくさんの初めてがあって、嬉しかったのです。陛下、ありがとうございます」
アリスは花が綻ぶような笑みを浮かべる。
なんだか心が温かくなったような気がした。
◇ ◇ ◇




