勇者アルク5
目の前の景色が、ぐにゃりと歪む。
蜃気楼というものはこんな感じなのだろうかと、場違いなことを考えてしまう。
現れたのはナタリアだった。
正直意外だった。
あの魔術師は大切なものを危険には晒さないタイプだと思っていた。
それとも暗にここは危険ではないと伝えたいのか。
と考えたところでありえないとやめる。危険で無いのであればだれかをよこす必要はない。誰かが来るという事はそれが必要だと、あの理屈バカが判断したという事だ。
であれば、安全なんてことは無いのだろう。
「あれからの、伝言は?」
ナタリアがじわじわと視線を逸らす。
「あの……」
「めんどくさい解説は全部除いた状況だけを教えろ」
言いよどむナタリアは、少しほっとした様に息を吐きだす。
それから「こちらの女の方は戦闘能力は恐らくない。こちらの男の方は所謂魔術人形の一種ですので破壊できる」そう言ってましたと言われる。
「ただ……」
懸念事項だろうか、ナタリアが一瞬間を置く。その瞬間男の方、いや人形の方と言った方がいいのだろうか、が突っ込んでくる。
慌ててナタリアが魔術で防御壁を作るがすぐに亀裂が入り粉々に砕ける。
「ただ?」
剣で攻撃を受けながら俺が聞くと「……できる事なら研究用になるべく綺麗な形でその人形がほしいと」ともごもごしながら続けて伝えられる。
「却下だな」
そんな面倒なお願い、聞いてやる理由が無い。
バラバラになってもそれこそ粉々に砕いていても、あれは嬉々ととして研究をするタイプだ。
無視だ、無視。
「で、破壊方法は?」
この前遭遇した魔術人形と同じだろうか。
人よりも随分固いという事だけ知っていれば何とかなるって事か。
「いえ、これは自律式ではないので受信装置を破壊すればいいと」
「どこだ?」
ナタリアは項の下あたりですと答えた。
女は話の邪魔さえしなかった。
壊されても別に構わないという事だろうか。
魔術師のヨミが外れてあれが人形ではないという可能性は除外していた。
自分でも珍しいと思う。
けれど、あの魔術師のことはよくは知らないが、この手の確認作業を怠るタイプだとは思えなかった。
女の考えていることが分からない。
預言とやらでここまで見越していて、人形を壊させるところまで計算ずくなのか、それとも別の理由があるのか。
止める方法が無いわけでは無いだろう。
極端な話言葉を発するだけでも邪魔はできた筈なのにそれをしないという事は、しない理由があるのかもしれない。
「考える役目は俺じゃないな」
考えても意味のない事を確認しても仕方がない。
「項だな……」
それであれば人間の急所でもあるので、動きとしては慣れている。つまり狙いやすいという事だ。
目を細める。
視界に見えているものと実際の地面は少し違っている。
ここが図書館のままという可能性も恐らくない。
あの魔術師が本を巻き込んでの戦闘を許すはずが無い。
写本がどうしたこうしたと昨日興奮気味に話していた魔術師を思い出す。
ここは図書館以外で見えてるものと実際は違う。そして多分魔法の類で作られた場所だ。
なら、壊してしまっても別にいいだろう。
ナタリアが呪文を唱えている、ふるった剣が鈍く光る。
それからナタリアがたどたどしく歌い始める。
それが魔法と呼ばれるものだという事は何度も練習風景を目にしたことがあるから知っている。
それに彼女がそれほど多くの種類の魔法を使えない事も理解している。
だから、この場でその魔法にその魔法が相応しいのか、効果がどの程度見込めるのかは知らない。
魔術師がペラペラとこの魔法についての説明をしていた気がするが、煩かった以外の記憶もない。
ただ、いつもの通り花なんだか木なんだかよく分からないものが伸びてくのが分かる。
地面がどこだかがこれで分かりやすい。
女が、舌打ちをする。
嘲り以外のもので、初めて女がまともに感情をあらわした気がした。
俺にできることは元々さほど選択肢はない。
魔術師にどんな意図があろうが、この女にどんな意図があろうが、ただ剣で打ち抜くのみだ。
けれど、その一撃は確かに項に当っていたのに男の動きは止まらなかった。
「……項と魔術師の馬鹿が言ったのはそこを壊すと機能が停止するって話ではなくて、そこを破壊するのが研究に一番いいからか?」
人のどこを攻撃すると死ぬのかは知っている。
項は頭のとの境目だ。
人の心がどこにあるのかに興味はないが、人は頭が無ければ生きていけない。
その大切な部分との接合箇所が項のあたりだ。
多分、そこを一発で遮断できれば動かなくなるし、綺麗な状態でこの男の体を検分できる。
そういう意図があるのか、魔術的にそこを確実に潰さないといけないのかの判断はつかなかった。
「何も聞いていません」
ナタリアは困惑したように答える。
目の前にいる男は人形だ。
人形であるのなら機能停止はあるだろうが、死は無いのだろう。
要は動かなくなればいい。
考えるのを放棄する。
動かなくする。頭の中で組み立てるのはこの一点だけだ。
突っ込んで、切りかかる。
男の左腕が吹っ飛んで接合部が露出する。
確かに機械人形だ。
魔術の類で再生するかと思った腕は、細かい部品が生き物のようにうねうねとしているが特に変化はない。
人形が、右手の平をこちらに向ける。
間は無かったように思う。特に魔方陣の様なものも見えない。
けれど、閃光が目の前に広がる。
反射的に両腕で体をかばう。
予測していた衝撃が無い事に驚く。
ナタリアのゼイゼイという息使いが聞こえる。
俺の目の前に細かな紋様の魔方陣が浮かんでいた。
彼女は防御系の術が使えたのだろうか。
このやり取りを見ていた女が再び舌打ちをする。
ナタリアが女の方を見てニヤリと笑った。
その表情の作り方が少しだけ、魔術師に似ている。
「口付けをして魔力を移すより、こっちの方があの人にはマシだったみたいです」
そう言ってナタリアは口を開いて、舌を出す。
舌に乗っているのは紙だろうか。赤い。
「血液入りの魔方陣を口に含ませるのはキスをするより簡単な事らしいですよ?」
ナタリアは困ったような笑みを浮かべて言う。
あの魔術師はそういう男だろう。
少なくとも出会ったときから、あいつはずっとそんなものだ。
自分が一生勇者なのだと信じていた頃、連携して戦ったことがある。
ナタリアも不慣れとはいえ、そのための動きをしようとしていることは分かる。
けれど師が悪すぎる。
あの魔術師は、そういうものに興味を持ったことすらほとんどないのだろう。
町が竜に襲われた時にも思ったが、最低限の知識を形にすること以外どうすればいいのかも分からないのだろう。
けれど、今回はその中では割とまともだ。
最終判断をしているのが魔術師じゃなくて、この少女だからなのだろう。
とはいえ別にどうでもいい。
破壊してしまえばいいという事は分かったのだ。
足を止め、動きを止めそれで、言葉も吐けないように、何も見ず、何も聞こえず、そういう状態にしてしまえばいい。
積み重ねてきた剣術が、鍛錬が、考えなくても体を動かしてくれる。
男の機能が止まる。
ガシャンと地面に崩れ落ちるのを見て、狙いを変える。
勇者というのは楽だ。
例えば、目の前の女を殺しても言い逃れが確実にできるという自信がある。
正しいとか正しくないとかそれ以前に、勇者だからという説得力があるのだ。
勇者でなくなったら、どのみち襲われるのだ。
それであれば女を殺したかどうかは何も関係ない。
勇者がいけにえだったとして、それはどうでもいい。
俺が知りたいのは、面倒ごとから遠ざかった静かな生活を送る方法だ。
「頃合いですわね」
残念そうに女が言う。
何故、残念そうなのかよく分からない。
ナタリアが何か魔法を発動させたらしく女の周りが光って、水晶の様な蔦が伸びる。
「またお話させてくださいね」
視界に映る景色にヒビが入っていく。
光がもれたと思ったら目に映るものすべてが粉々に砕ける。
魔術師が奇妙な顔をして地面に手を付いている。
地面に紋様があるため、何か魔術を発動していたことは素人でも分かる。
少なくともここが図書館じゃない。
「あれは、何だったんだ?」
明確な答えを求めて聞いてはいない。ただの最低限のコミュニケーションとしての確認だった。
「それを知りたきゃ、もっと、綺麗な状態でこれをっ!!」
もがれた人形の腕を抱えながら魔術師はこちらも見ない。
本気であれらが何だったのか俺が確認したかったと思ったのだろうか。
それとも、魔術師のこだわりが何かあったのか。
バラバラになった人形を見ながら目をらんらんと輝かせている魔術師はかなり気持ち悪い。
「調べなきゃ後で後悔すると思うか?」
今度は魔術師がこちらを見た。
「後で後悔? おかしな話だろ。
今調べたいって欲求でやってるんだよ。先の事なんぞ知るか」
いつもに比べて随分ぶっきらぼうなしゃべり方だ。
人形が夢中で、話し方がぞんざいになっている。
会話に集中しているときより、ぞんざいな時の方がまともな会話になっているのが馬鹿馬鹿しくてすこし笑える。
「こいつらがまた何か仕掛けてくるとか、何の意図があってとは考えないのか?
あの白い街の事も言ってたぞ」
「だとして、俺たちに何ができる。
俺が研究所の魔術師だとしたら意味がある話だが、俺たちは魔王討伐に向かった勇者ご一行だぞ」
どこかに留まり続けて、研究なんて不可能だろう。
何もかもが、知るとか知らないとかに関係なく転がり続けるしかない。
それを求められている存在なのだ。
「でも、お世話になっている王宮の方たちには、きちんと報告しておいた方がいいですよね」
ナタリアが言う。
「精霊は気が付いている筈、だから何かあれば言ってくるだろ」
魔術師は相変わらずあまり興味がなさそうに言う。
「あのひとは、ここから離れられない代わりにここで起きたことは概ね把握できる」
あの鎖はそのたぐいの魔術らしい。
ナタリアはオロオロと俺と魔術師を交互に見る。
「俺、これ持って部屋に戻るな」
もう彼の目は残骸しか見ていない。
「俺たちも連れていけ」
言わなけりゃどうせ忘れられる。
声を、かけると少し驚いた様子で「あ、ああ、勿論」と答えた。
まあ、忘れてるよなと気が付いたけれど、それは口に出さなかった。
そんな面倒臭いこと一々口に出したくはなかった。
魔王配下の軍勢がここからさらに東の平原に陣を張ったため、迎撃に向かうようにと自国から勅命が下ったと知らされたのは宮殿の一角に戻ってすぐの事だった。
「あの、これって断ることは?」
ヘラヘラと使者に向かって言う魔術師に困惑を隠せない様子で向き合う人間を見てため息をつく。
ここに来た人間に、許すとか許さないとかそんな権限があると思えるほど頭はおめでたくない。
「……宰相様からの伝言です」
言葉遣いがおかしい。まともな伝令すらよこさない程度に見下されていることに気が付く。
「『魔術師の足の件について、非常に憂慮している』とのことです」
はは、という魔術師の場違いな笑いがもれた。
俺の所為だと誰も言わないところが気持ち悪い。
「……なら、早いところ他の巻物とやらを見せてもらわないとな」
呟くように魔術師が言った。
魔王軍と戦わねばならぬことへの憤りでも不安でも無く、先行きに対しての言葉でも無く。
恐らく彼の知的欲求を満たすためだけの魔術書の事を言葉にするあたり、こいつらしいなとは思う。
「他に誰が招集されているんだ?」
俺が聞くと、使者はいったん惚けたようになった後、「各国から選りすぐりの精鋭が集結する予定です」と答えた。
精鋭というのはまあ、嘘だろうな。
自国に直接の脅威が無い時に送られる精鋭とやらはあてにならない。現に俺達に話が来る時点でありえないのだ。
だが、自分たちだけではないらしい。
適当に人に押し付けて、それから戦勝しても敗戦になっても世界は多分それほど変わらない。
最終防衛線でもなんでもない場所での戦いなのだ。
志みたいなもの、もう何も抱いていない。




