古の魔法
山を一つ越えたところで今日は野宿することになった。
もう少し進めたのかもしれないが、心配でまともに眠れなかったのだろう、ナタリアの疲労が後に響かない為にそう決めた。
アルクが、お前も相当疲れている様に見えると言ったが自分ではよく分からない。
食事の支度をする。といっても基本的に今日のメニューは街から持ってきたパンと干し肉だけだ。
ユナはそもそも食べない為三人で分ける。
ナタリアがパンを前にして手を組んで合掌する。ブツブツと祈りの言葉を捧げる姿を見て、彼女が山の民であると再認識する。
信仰が生活の前提となっているとは聞いていたし、彼女の村へ送って帰ってきた妖精の姿、それから追い詰められている様にしか見えないナタリアを見て厳格に自分達の宗教だけを守ろうとしていることは見て取れる。
恐らく彼女に教える魔術は古来から宗教と結びつきが強かったものに限るべきなのだろう。それで魔王達に対抗できないまでも、時間稼ぎができるようになればいいと思った。
それ以外の系統の魔術の場合、故郷へ帰った彼女は身の置き所が無くなりかねない。
パンをそのままかじりながらそんな事を考えた。
日はすでに暗くなり始めている。
火の番をしながらアルクが「お前らは先に寝ろ」と促す。
「結界っていうのは魔力の膜であたりを覆い隠す術だ。
魔力を指定範囲に広げるイメージで放つ」
ナタリアに向かって言う。
同時に術も展開する。
アルクの言う通り疲れていたのかもしれない、ぐらりとふらついて思わずしゃがみ込む。
「おい、大丈夫か?」
「ああ。……先に休ませてもらうな」
ゴロンと寝転がる。
思いの他疲れていたのかもしれない。
横にナタリアが横になっている。手を伸ばしても触れられないけれど視界には入る距離。息づかいは聞こえないけれど、囁き声は伝わるそんな距離で休んでいるナタリアは、思ったよりも小さい。
自分がナタリアと同い年位時何をしていたか考えようとして止める。俺はいつだって一人で魔術を覚えて研究していた事しか無かった。
ずっと一人で、一人だけで……。
瞼が段々重くなって、それ以上は何も考えられなかった。
* * *
目を覚ますと辺りは真っ暗だった。
結界を張っているといっても見張りは必要だ。
慌ててあたりを見回すがユナとアルクの姿は無い。意識を集中したところで少し離れたところにユナがいるのが分かる。
魔力の供給は平常通りだ。戦闘が行われている気配は無かった。
そこでようやく安心して体を起こす。それからナタリアが起きていることに気が付いた。
「寝て無くていいのか?」
そう声をかけるとナタリアはこちらを見た。
「大丈夫です」
「そうか」
会話が続かない。気の利いたことは相変わらず言えそうに無い。
「昨日の……」
「ん?」
「昨日の歌ですけど」
「音痴だっただろ?」
「いえ、そうじゃなくて」
ナタリアが息を吸って吐いてもう一度吸う。
苦情を言われるか、空気が読めないって怒られるかそんな当たりだろうと思っていたのにナタリアの口から出てきたのは歌だった。
今の公用語とは全く違う言語体系で歌われるその曲は全く聞いたことが無いのに懐かしい。何を言っているのか今の一回では理解できない。
けれどナタリアが何故突然この歌を歌ったかは分かった。
俺が昨日彼女の為に歌ったそれと少し雰囲気が似ているのだ。
「……村につたわる子守歌です」
歌い終わるとナタリアは言った。綺麗な歌声だった。
もう少し聞いていたかったという思いは横に転がしておいて多分ナタリアの聞きたかった答えを説明する。
「多分、ナタリアの村には昔巫女かそれに近い存在がいたんだろうな」
ナタリアは巫女と口の中で確認するように呟いた。
「そう、それで誰かの安寧を願うためか、自然を鎮めるためか知らないけれど子守歌の原型はそのために作られた。
村人たちが同じものを歌っているうちに今の形に変化したんだろう」
ちなみに意味は知っているか?と聞くと断片的に歌いながらナタリアが説明する。
子供が道なのか川なのか船なのか、センテンスで違うが兎に角、根源へと向かう話だった。
思わず笑いがこみ上げる。俺は運がいい。
ささやかに声を出して笑っているとナタリアが「なに笑ってるんですか」馬鹿にされたと勘違いして苛立ったように声をかけられる。
違うと否定してそれからナタリアの方をきちんと向く。
「君だけの為の魔法を教えよう。
ナタリアの村に伝わる古い魔法を」
歌は苦手だ。そんな事はもうナタリアも知っているだろう。
多分きっとこういうやつは、まともに歌えた方が効果も威力も段違いになる筈だ。加えて、伝承に残っているだけの古い魔法ってやつは血縁が関係しているものも多い。
だから、こんな下手くそな俺の詠唱より、きっとナタリアの方がいいに決まっている。
ただ、節を教えるためだけだけに、魔法を発動させる。
頭の中に響くのは水のせせらぎだ。ナタリアと同調した時に感じた景色によく似た風景が頭の中に描かれていく。
呟くように、けれど、ナタリアには聞ける声で歌う。
水の波紋が広がる様に、周りが水属性の魔力で満たされていく。
これだけで自分がこれから使う魔術でも仲間が使う水系の魔術でも確実に支援される場が作られる。
けれど、この魔法の真価はそれでは無い。
確信めいた気持ちがよぎる。多分昔ナタリアの村でこの歌を歌った人間はこれの為にその歌を山中で歌ったのだろう。
低音が響く。誰かと普段言葉を交わす事さえない俺の声は、実際には全く響いて等いないが、魔法として変換される瞬間にゆらいで響く。
水がぱちゃん、ぽちゃんと弾けるのが分かる。
地面から芽が出始める。小さな草花はすでに花が咲き始めた。
それから、木の芽だろう。少しずつ幹が伸び始める。
植物を急激に成長させる効果のある魔法だ。
「……すごい」
ナタリアが感嘆の声を上げる。
「先に、種を準備しておけば、戦闘の足場を作れるし、それに魔術用の植物と組み合わせれば戦闘にも応用できそうだ」
歌うのを止めて、ナタリアに言う。
「これは、私でもできるんですか?」
「たぶんな。きっとナタリアの方が上手く扱えるはずだ」
魔法というものはそういう風にできている。
魔術は公式に当てはめる技術だ。
元々魔術回路が体に存在するか、それの大きさ太さはどうかという生まれつきある程度決まってしまう部分もあるが魔法ほどではない。
魔法は血だと言われている。魔法に愛される資質を持った人間だけが魔法を上手く使えるのだ。
残念ながら俺は魔法の素質はあまり無い。
全くない訳ではないが、愛されているには程遠い。
唯一人並み以上に使える召喚術も魔法陣は使うがあれは魔術と魔法の変換機だ。基本的には魔術を魔法に変換している。
俺は魔術師ではあるが恐らく一生魔法使いにはなれない。
けれど、ナタリアはまだ可能性がある。
魔法使いは魔術師以上に希少価値がある。もしかしたら魔王討伐の任からパーティごと外される可能性すらあるのだ。
「ちょっと、何よこれ」
魔法の発動について教えようとしたところでユナがアルクと戻ってきた。
周りに突然生えている木々に訝し気な様子だ。
「ナタリアの為の魔法を教えていたんだ」
「だって、あんたこれ魔法でしょ?」
ユナが木を見上げる。残った残渣でそう判断したのだろう。俺が呼び出した妖精は思った以上に能力が高いらしい。
「まあ、この程度なら無理矢理発動できるから」
「無理矢理ってあんたどう見たって、この世界に愛されてないのに」
妖精には分かってしまうらしい。
「じゃあ勇者サマは世界に愛されているんじゃないのか?」
ユナが口をつぐんでしまったところでアルクが「後は明日にしろ」と言ってお開きになった。
夜寝ていると水の音を聞いた気がする。
体の中を流れていく水はナタリアと同調した時に似ている。
恐らく先程の魔法の影響なのだろう。けれどこういったことは初めてだった。
けれど、その日は不思議とよく眠れた。
* * *
翌朝、目を覚ますと木はまだそこに存在していた。
魔力の効果切れでもろく崩れていく魔術も多いというのに朝日を浴びて木々の葉が揺れている。
「あの、昨日の魔法を教えてください」
ナタリアが待ち構えていた様で声をかけられる。
簡単に旋律と詩、それから魔法の時の魔力の流し方を教える。
間違いなく相性が良い筈だ、同調の時の様な酷いことにはならない。
ナタリアが唄う。透き通った声が響く。初めてだというのに魔力の供給は申し分ない。
彼女のための魔法なのだと改めて感じた。
コプコプという水の湧く音がする。それから、地面がぼんやりと光る。
ナタリアの周りが花で覆われた。
色とりどりの花で囲まれる彼女は、やはりこの魔法と相性がいい。
けれどナタリアは浮かない様子だった。
「やっぱり、ギイさんの様に上手くはできませんね」
「いや、ナタリアの方がちゃんと出来ているよ
効果範囲や植物の種類は魔力の流し方に慣れれば応用が広がるし、種を持ち歩けばいい」
花を一輪取ってナタリアに見せる。
ナタリアは花をじっと見た後息を飲む。
「これ、クリスタル?」
「ガラスだろうな、やりようによっては鉱物の結晶化も可能かもしれない」
ナタリアが使った魔法は水とそれから土の属性だった。俺が使えたのは水だけだ。全く意味が違う。
「少しずつ練習していけばいい」
花を渡すと、ナタリアは頷いた。
「おい、そろそろ出発するぞ」
アルクに声をかけられて、ナタリアと出立の準備を始めた。




