第78話 覚醒
村人であるアルマの裏切りはカーターに衝撃を与えた。
彼女は外から1人やってきたわけではなく、親もいれば兄妹もいる。
幼馴染だっているし、それこそ生まれた時から今に至るまで村の誰もがその生い立ちを知っている娘だったのだ。
生活を共にする親しい人まで完全に欺くことは非常に難しい。
たった一つのほころびが出来ればたちまちほつれた箇所から真実が零れ落ちていくのだ。
いつ彼女がそうなってしまったのかは置いておくとして、決して少なくない時間、村の者を騙していたということになる。
「アルマは……エイダンたちと幼い頃から……そんな、あり得ない」
裏切りもさることながら、ノエルに刃を向けた事実、あの身のこなし、ハルツの体当たりを受けて平然と立っている身体能力、どれもこれも信じられずただ呆然とするほかない。
彼女と今日もしくは昨日初めて会ったばかりの冒険者たちは比較的ショックは少なかった。
仲間の中にスパイがいた、ただそれだけだ、確率的に言えばそう珍しい話でもない。
しかし別の意味でアルマは彼らに衝撃を与えていた、そう、去り際に彼女が放った言葉のせいである。
ここレイテ村で、ノエルのクラスに関係した事件が発生することは想定外だったのだ。
このクエストはあくまでもハルツのパーティーが引き受けたもので、ノエルたちは関係ない。
そもそもFランクである2人が本来受けることのできない難易度のクエストであり、ハルツのパーティーに帯同する形で記録されている全く別の人員なのだ。
それでもここに剣聖のことに言及する敵が現れた。
ハルツにこのクエストを意図的に振り割ったとすれば、敵は冒険者ギルドに相当な影響力を持つことになる。
先日のノエルの誕生日会での一幕、フレディ・フリードマンが敵であることは明らかだが、こちらを調べてもきっと何も出て来やしない。
クエストを受けた以上、最低でもある程度言い訳できるくらいの成果を求められるわけだが、ここにいる以上何者かと敵対することは避けられない。
次の大公を決める大公選まであと約3年、ノエルの父であるシャノン・クレストが大公に選出されるために、クラーク家の人間として出来ることはやっておかねばならない。
こういうことが嫌で冒険者になったというのに、家と言うものは心強くも、時に煩わしくもあるのだなとハルツはため息をついたが、貴族の生まれだった故の恩恵も享受して生きてきた自覚もある以上、やるしかない。
そう諦めがついたところで、ハルツは今後どうするべきか話し合いを始めたのだった。
アルマの母親から話を聞いた結果、それらしい兆候は微塵も感じなかったということだった。
自白系のスキルを持つタリアが立ち会ったうえでの情報だったので、信頼できる情報としてそのまま信じることになったのだが、これでは何も分からないことと同義である。
アルマ本人が裏社会との接点を持っていたパターン、何者かがアルマに成りすまし生活を送っていたパターン、この二つに大別できるが細かい可能性を数え始めたらきりがない。
この手の裏切りの一番怖いところは裏切り者が一人ではないケースなのだが、短期間でそれを確かめるすべはない。
タリアがスキルで嘘をついているか分かるといってもかいくぐる手はいくつもあるし、この中の誰も目にしたことはないが『エクストラスキル』という特殊なスキルの副次的効果でレジストされることもある。
アルマの母親はスペック的にそこまでの力を持たないという判断の上で信頼を置いたわけだが、例えばパーティーの誰かが能力を隠していた場合それを見破ることはかなり難しい。
結局残る裏切り者の可能性は棚上げされ、今後の方針は魔物の対処を村人に任せ盗賊とアルマ、そしているなら猟犬を二人を含めた冒険者パーティーで迎え撃つということになった。
「なんでノエルは彼女が怪しいと思ったんですか?」
ノエルはアルマが背信していると見抜いた。
どうやって見抜いたかよりも、それによって明らかになった裏切りにどう対処するかという話になっていたから流していたが、もしノエルが裏切り者をあぶりだせるなら使わない手はない。
「なんでって……なんとなく違うなって」
「あれっ、あーそういう感じですか」
ノエルのことだから理屈ではないことは分かっていましたが、それにしてもまた抽象的な表現を。
まあいいんですけどね、あの場でアルマの提案に乗らなかっただけ良かったわけですから。
「それも剣聖の力ですか?」
二つ目の質問に移るがまたもノエルは難しい顔をしていかにもよくわかりませんという表情を見せる。
もはや何も言う必要はない、ノエルの中で力が曖昧に複雑に相互作用して自分でもどうなっているのか理解できていないのだ。
「うぅ~ん。まあ——」
「あ、大丈夫です。やっぱりいいですから」
「そうか、ならいい」
翌日の行動に備えてもう寝る。
2人に用意された部屋は村の中では上等なもので寝心地は悪くない。
しかしノエルの頭の中ではここ数日で起こった、言われた言葉と現象がぐるぐると廻り廻る。
『呪われた剣聖の少女』
『まだ第一段階』
今はなんとなく力のコントロールもうまくいっていて、初クエスト以来もう一人の自分が表に出てくることはない。
でもなんとなくわかる、もうすぐこの状態は終わって次に移ると、次の段階は今までが遊びに感じるくらいの困難に直面するのだと直感で分かる。
15歳になる前、数日前までこんなに感覚が研ぎ澄まされることはなかった。
もうこうなってしまってはクラスに目覚める前の自分がどんなものだったのか思い出すこともできない。
リーゼの息遣いが聞こえる、僅かに擦れるシーツの音が、集中すれば自分の心音だって。
アルマを自称する誰かに攻撃された瞬間、正確にはその少し前から世界がゆっくりと動いて自分だけがいつも通り動けるような万能感に包まれた。
隣からハルツ殿が来ていて、自分に向けられた剣に反射的に、でもゆっくりと引き抜いた剣を合わせていなして、本当にこの数日で私は別人のように強くなった。
積み上げてきた研鑽が無駄になったわけではない、日々の努力が私をここまで連れてきてくれた。
でもそれすら彼方に霞んでしまうほどの力をこの【剣聖】というクラスは持っている。
私が私でなくなっていく、そんな感じがする。
怖いな。
誰か。
助けてくれなくてもいい。
助けてくれなくてもいいから誰か側にいてほしい。
翌日、重装備に身を包んだハルツ達パーティー、そしてノエル、リーゼは村の入り口に集合する。
これから森に入りアルマの捜索、そして盗賊と猟犬狩りに突入するのだ。
「では行こう、出発だ!」
はハルツについて中衛気味の前衛、リーゼはタリアと護衛のレインと共に後衛で支援に入る。
捜索といっても既に目星はついていて、今はそこまで移動している最中だ。
従って探索のフォーメーションではなく、会敵即戦闘開始できる陣形を保って移動している。
森の中で盗賊は野宿をして過ごしているわけではなく、それなりに設備を整えた場所で生活しているのだがそれ故に場所は絞られる。
水が近くにあり襲撃を受けても逃走できる地形、他にも条件はあるがとにかく全員捕らえるには厄介な相手だった。
「ストップ」
「いたか?」
「はい、あと150mくらいです」
先行していたジーンが制止をかけると一行はぴたりと止まり気配を消す。
このレベルの相手で感知系のスキルを持っている敵がいるかは疑問だが、万が一持っていた場合勘づかれて逃走されてしまう恐れがある。
レインがタリアとリーゼの護衛から離れジーン、ルークと共に前衛としてゆっくりと先行する。
その間に後衛の二人は敵を逃さないための結界術の行使に入った。
戦闘用の魔術や結界術は、発動スピードと相手に種類を悟らせないことが優先されるため無詠唱で行使するものがほとんどであり、2人も使える術のほとんどが無詠唱魔術であった。
だが戦域全体に作用するような大規模なものを詠唱なしで行使する技量は2人にはなく、今回は護衛もついている。
小さい声ながらはっきりとした音で結界起動の準備を進めていく。
「いけます」
「行くぞ、2人は結界の外周で待機、レインは護衛、ルーク、ジーンは先行、ノエル様は私と一緒に」
ハルツはゆっくりと剣を抜き突撃のタイミングを計る。
しかしノエルから返事がない。
「ノエル様?」
「…………やっとだな」
次の瞬間ハルツの目の前を一陣の風が吹き抜けた。
風が先行する2人を追い抜いた辺りでハルツは何が起こったのか理解して脂汗が噴き出す。
「攻撃中止! ノエル様を連れて離脱する!」
「ハルツ! 結界は!」
「起動中止だ! 3人にかける支援魔術準備!」
「あはははは! さあ、誰から死にたい?」
近くの草むらから高笑いしながら突如現れた少女に、見張りの盗賊の動きが一瞬止まる。
ほんの一瞬、見張りとして咎められるほどでもない刹那の硬直、だがその一瞬で男の首は地面にゴトリと落ち、それにつられるように胴体が崩れ落ちた。
「へぇ?」
隣に立っていた男の胴と首が泣き別れになり、首が大地に落ちるほんの少し前、もう一人の見張りは目に映った光景を理解できず、間抜けな声を上げたがそれ以上男が声を発することはなかった。
「かっ、ひゅー、がは……」
横一文字にのどを掻っ捌かれた見張りは首を押さえながら崩れ落ちる。
両ひざを着きながらも倒れることなく、出血箇所を押さえ必死に敵襲を知らせようと声を出そうとする彼を見てノエルは恍惚とした表情を見せている。
声が出なくなった男が敵襲を仲間に知らせる手段は限られる。
男は左手でのどを押さえたまま右手で大きな音のなる雷撃を発動しようとした。
しかし結論から言って魔術は発動しなかった、できなかった、彼の右手は手首から先がなくなっていたのだ。
「ヒュッ! ヒ、ごぼぼ」
盗賊の男は今際の際に一体何を思ったのだろうか。
殺してきた、傷つけてきた人々に思いをはせたのだろうか。
それとも故郷にいるだろう親のことを思ったのだろうか。
はたまた何も考える間もなく死んでいったのだろうか。
ただ一つ、自分を殺したこの年端も行かない少女のこれからを考えると、その業の深さに同情し、憐れむ他なかった。
人殺しの素質があるこの少女の行く末を案じて見張りの男は死んだ。
盗賊の喉を切り裂いたとき噴出した血液を僅かにかぶったノエルは、服の袖で血をぬぐいどす黒く変色した血のシミを見てニヤリと笑う。
「まだだ……まだこれからだ」
その日、逃げ道があったにも関わらず、その場に居合わせた盗賊18名は全員死亡した。




