第五章 5
「やめろ、ここは食事をする場だ。喧嘩なら外でやってくれ」
「こんな野蛮な奴らの誘いに乗るわけがないだろう。リヴィア、僕にも新作を」
「――っ、リヴィア様、おかわりをいただけますか!」
以前と変わらず犬猿の仲の二人に、リヴィアはやれやれと肩を落とす。
クラウディオに二杯目を持っていき、ラウルの元へと丼を運ぶ。テーブルに置きながら、ラウルに向けてこっそりと尋ねた。
「……どういうつもりだ」
「何がだ?」
「何がだ、ではない。私はあの時きちんと伝えたはずだ」
「ああ――『婚約の留保』の件か?」
「何なんだその、婚約の留保とは」
「簡単に言えば、『まだ諦めた訳ではない』ということだ」
「はあ?」
あの病院の日から数日後、リヴィアの家に手紙が届いた。
オルランド家からと言われ、リヴィアはようやくラウルが婚約を取り下げてくれたのかと、胸を撫で下ろす。
だが実際封を開けると、そこには『婚約の留保』という旨がしたためられていた。
「いまのお前たちはあくまでも『婚約』だ。婚約期間中、嫌になって破棄する男女などいくらでもいる」
「わ、私はそんなつもりは……」
「だから僕は、まだ婚約を取り下げない。あいつに飽きたら、いつでも僕のところに来ればいい。もちろんその時には剣も騎士の真似事もやめて、家で僕のためだけに菓子を焼いてもらうがな」
「断る!」
フリフリのドレスをひらめかしながら、ケーキを手に微笑む自分を想像し、リヴィアはぶんぶんと首を振る。
その様子に笑いをこらえていたラウルだったが、やがてはあと息をついた。
「……まあ、公爵家の二家が名を挙げていれば、余計な虫は来ないだろう」
「ラウル?」
「お前が気にすることじゃない」
いくら貴族の令嬢とはいえ、リヴィアは伯爵家だ。ラウルやクラウディオの公爵家とは格が違うのでは、という外野がいないとも限らない。
それに変に名前が売れると見込んだ格下貴族たちが、成立までにリヴィアに縁談をぶつけてくる可能性もある。
その点『この婚約がなしになったら、次はオルランド家と』という意味の留保は、そうした害虫を退けるのに効果は覿面だ。
リヴィアの家柄について言う女性陣も、背後にラウルがいると分かって口に出来るものはいなかろう。
複雑な表情を浮かべるリヴィアに向けて、ラウルは静かに告げた。
「リヴィア」
「な、なんだ?」
「……今度こそ、幸せになれ」
「あ、ああ」
ラウルの言葉に、リヴィアはよく分からないまでもとりあえず頷く。それを見たラウルは、いつになく柔らかく目を細めたのだった。
その後あらかたの給仕を終えたリヴィアは、空いたテーブルを拭こうと細々と動き回っていた。すると先ほどのラウルより大きなどよめきが、再び入り口の方から聞こえてくる。
(まったく、今度はなんだ?)
リヴィアは少々迷惑そうに顔を上げる。
だがそこにいた人物を見て、かつてないほど目を大きく見開いた。まるでそこだけ結界が張られているかのように、人が遠巻きになっている場所へ一足飛びに向かう。
「お、王妃殿下! な、何故、このような場所に」
「おおリヴィアか。いやなに、お前がここで働いていると聞いて、様子を見にだな」
はっはと朗らかに笑うのは、紛れもなくこの国の王妃殿下だ。相変わらず見事な上腕二頭筋にレースの扇子が絶妙に似合わない。
どうやらクラウディオとラウルも気づいたらしく、二人も慌てて駆け寄って来た。
「王妃殿下、よろしいのですか?」
「御用がありましたら、こちらから参じましたのに」
「クラウディオにラウルもか。よいよい、ちゃんと護衛も連れて来ておる」
(護衛の意味はあるのか……?)
身長は明らかに団長二人の方が高いのだが、前世の立場も今の立場もとてもかなうものではなく、迫力だけで王妃に負けている状態だ。
やがて王妃は白い扇子を畳むと、にかっと口を横に広げた。
「改めて感謝申し上げる。貴殿らの働きのおかげで、この国は大事に至らずに済んだ。陛下もとても喜んでおられたぞ」
「妃殿下、もったいなきお言葉で……」
だが慰労の感想もそこそこに、王妃はすぐにリヴィアの方を振り返った。
「それはそれとして腹が減った。リヴィア、おすすめはなんだ?」
「え、ええと」
「この新メニューの『肉肉丼・極』とやら、なかなかに美味そうだな。ではそれを」
「は、……はッ!」
何が何だか分からないまま、リヴィアはかつてのベアトリスばりの返事をすると、慌てて厨房に駆け込んだ。
一方クラウディオとラウルは、王妃殿下をどこにお連れすればいいのか、とテーブルの確保に奔走している。
(ええい、一体何が起きているというんだ……!)
ちなみに王妃はその後、リヴィアが震えながら差し出した丼を、うまいうまいと三杯も完食した。また来ると言って悠々と立ち去った後、その場にいた全員が一斉に息をつく。
だがよほど気にいったのだろう。王妃はそれ以降も、時々食堂を訪れるようになり――そのたびにリヴィアたちは周章狼狽するのであった。







