初めての敵
……【剣聖】として無敗を誇ったセイムスが迎える敵は……果たして?
微風が暴風に変わる直前は、一瞬だけ風がピタリと止む瞬間が必ず訪れる。
目の前に立つその精霊崩れが全精力を費やして彼を亡き者にしようとした瞬間がまさにその時。辺りに散らばるように点在していた魔力がその一点に集中し、僅かな緊張感が途切れる寸前に、爆発的な開放を促すのだ。
……そして、大抵は二度目の方が被害が大きいのだ。
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迷宮の入り口は幾つかの隔壁を潜り、先にある警備所を通って到達する。初級と銘打たれたそこは警備兵も数人程で、隔壁を閉めてしまえばそれで終わり……といった風情である。
入り口から中を伺うと、灰色の通路は不思議と暗さは感じず、通路自体が淡く発光しているようで、松明等で手が塞がらない為セイムスは安堵した。
背後にドルクとイー(ゴーレムは何をしてもそれしか言わない)を引き連れながら、セイムスは一歩を踏み出した。
「アラミドさん、討伐してその……価値のある魔物ってのはどんな奴なんですか?」
歩きながら先輩のアラミドに尋ねると、彼は暫く考えながら口を開き、
「一概に、とは言えないが……過去に討伐された魔物で極稀少金属を多く含有していたって言うのは、ゴルゴンやヌエ……大きくて精強な連中だって噂だよ。まぁ、それはそうだろうね。藁みたいな細い奴じゃ、蓄積量もたかが知れていますしね」
そう結論すると、少しだけ前に進み前方警戒を始める。腰を屈めて下からやや上方を見ることにより、薄暗い中でもシルエットを浮かび上がらせて像を結ぶ。そうやって前方を注視していたアラミドは、
「……まだ、何も居ないね。その先に小部屋が有るからそこまで進んでみよう。ここは他と違って余程のことが無い限り、罠とかはないからね」
言いながら先を歩き、その小部屋まで進むと再度室内を警戒し、中へと入る。
中は単純な四角い部屋で、入ってきた反対側に出口の開口部が見えるのみ。その先は若干薄暗いながら何も見えなかった。
「罠?余程のことがあったら、罠があるのかい?」
セイムスは背嚢から水袋を取り出し一口含むと、アラミドに尋ねる。アラミドも同様に水を口に含ませた後、……一度だけあったよ、と前置きし、
「……糸を使った単純な罠が有ってね……それは一目で判る代物だったけど、部屋から出て直ぐに仕掛けられたそれを、笑いながら跨ぎ越した討伐者が、一歩進んだ瞬間……真上から魔物が落ちてきて首を刈って持って行ったさ……残るは哀れな犠牲者の身体だけだった……」
チラ、と出口を見てから、アラミドは背嚢に水袋を仕舞って立ち上がり、再度警戒をしながら部屋を出ようとしたが、リューマの様子に気がつき、
「……どうかしたのかい?何か気になるものでも見えたかな?」
「……いや、見えはしないが、良く似た奴に会ったことがある」
そう答えたリューマの雰囲気は一変し、ぎしっ、と音を立てて両手に持った巨大な籠手を握り直した。
「……不死者の甘ったるい……厭な臭いがしやがる」
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「……不死者?…………ゾンビみたいな奴か?」
セイムスが言うと、リューマは苦笑いしながら、そんな奴は恐れるに値しないが……と前置きして、
「俺は昔、吸血鬼のクソアマと殴り合いのケンカをしたことがあるが……嗤いながら俺と遊び半分で叩き合いしやがって……結局朝になって『眠くなったから帰るわ♪』とか抜かして逃げやがった。……ソイツは、血の匂いを消す為に匂袋をぶら下げてやがったが……」
そう言うリューマはしかし、楽しかった思い出のようにその話をしながら前を睨む姿勢は崩さずに、
「……だが、この先から漂ってきやがるのは、似てるが少しだけ違う……匂いの専門家さんよ?アンタは感じないか?」
「……いや、……ん?……なんてこった……リューマさん、これは……不死者じゃなくて精霊崩れかもしれない……しかも、近付いてきてる!」
素早く部屋の出口の端に取り付くと、小さな湾曲した金属片を足元に差し出し、反射する景色を見ながら、
「…………来た、……女……みたいだが、……一人だけだな……間違いなく討伐者ではないが……」
分析するアラミド、死角に入りながら警戒するリューマだったが、セイムスは小さく息を吐きながら、
「……会ってみれば判るさ……打って出れば白黒ハッキリとね!!」
止める間もなく出口から飛び出すと、低い姿勢を維持しながら猛然と駆け出す。アラミドはその加速に唖然としながら無謀な挑戦を見守るしかなかった。
「セイムスっ!!精霊崩れは……魔道こそ持たないが何をしてくるか判らんぞっ!!」
リューマは遅れて飛び出そうとするが、アラミドに止められる。
「……彼が負傷したら私が掴まえるから、その時は援護してくれ……それまでは私達は待機だ……」
「……そうだな、まぁ……【剣聖】がそう容易く倒れる筈が……ッ!?」
…………きいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃ~ッ!!!!!
長く尾を引く女の悲鳴、いや哭き声が迷宮に響き渡る。思わず身を低くしたアラミドとリューマは耳を塞いで口を開け、鼓膜を保護した程の強烈な【声の攻撃】だった。
「くっ!?……こ、こいつは……強烈だぞ……あいつ、バンシーか!?」
アラミドはクラクラする頭を振りながら、何とか立ち上がる。同様にまだ眩暈のするリューマも立ち上がりセイムスを見るが、
「……不味いな、セイムス……直撃したか!?」
立ったまま両手を垂らしていた彼が倒れるのを見て、アラミドは走り出す。遅れて飛び出そうとするリューマだったが、前方のバンシーが嘲笑う様が見えたような気がした後、その胸部が不気味な程に膨らんでいくのに気付き、危険を察知する。
狭い地下迷宮の通路でまた放たれれば、直撃は免れない。一か八かの賭けに出るしかない二人は全速力でバンシーの、そしてセイムスの元へと駆け出した。
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セイムスは駆け出した。彼の速度なら十秒もかからない距離に佇む女は、髪の毛の長いスラリとした容姿。顔は髪の毛で隠れているものの、その姿からは若いようにも見える。
(……こんな迷宮に一人で居る奴は……どうせ魔物の類い、情け容赦は必要無し!!)
彼は抜刀せず、抜き打ちを狙って全速力で走り出す。加速に伴い次第に狭まる視野の先に、青いドレスを纏った女を捉える。
あと五歩。粘り気を帯びた大気が耳元に固まり、うなじへと流れる。
あと四歩。女の口角が上がり、厭な嗤いを浮かべる。その様は明らかに哀れな犠牲者に向けた嘲笑であり、セイムスの神経を逆撫でする。
あと三歩。手にした柄を握り締め、抜き打ちから突きに変更した構えを取るべく抜刀し、左手を添える。
あと二歩。引き絞った右手に力を籠めてきいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃ~ッ!!
…………あっ、が…………。
一歩を踏み出せず、その場に凍り付く。全身から力が抜ける。頭部を直撃した悲鳴は彼の脳を容赦なく貫き、そして徹底的に揺らして抜けていった。
相手の破壊的な音声は、自分の頭を強烈に揺らして打撃を与えた。四肢は弛緩し、手にした剣を握り締めたまま立っているのもやっとであった、が……ついにそれすらも叶わず膝から崩れ倒れ伏す。
……ドクン、……ドクン、……ドクン、
耳に響く自身の鼓動が煩くて敵わない。煩い……静まれ……俺は立てない……。
耳と鼻から血が流れている。細かい血管が切れたのか、その量は少なくなく、横にした顔の下に溜まりだし、次第に意識も遠退いていく。
……ドシン、……ドシン、……ドシン、
地面に横たわる頭に響く、二つの足音の振動。片方は小刻みで軽く、もう片方は大股で重々しい。
そうか……アラミドさんと、リューマさんが救援に駆け付けてくれているのか……なら、大丈夫……
……すううううううううぅぅぅぅ…………
禍々しい呼吸音が続き、視野の端に見える女の胸部が不気味に膨らんでいく。
……この狭い通路で、あれをやられたら……二度目は……俺も、みんなも……死ぬ。
……死ぬ?……そうか……死ぬのか…………。
…………死ぬ?……ジャニスを残して?
………………冗談だろ?
セイムスは怒りを覚え、握り締めた柄を軋ませた。
久々の剣劇は、ゆっくりと……しかし、確実に決着へと向かいます。




