第四十六話:度重なる刺客、帰ってこない大僧正
馬小屋は今日も馬がいなないている。
神経質で気が荒い馬はお互いに喧嘩をし、激しい物音を夜の砂漠の街に響かせていた。
勿論、そんな音程度では俺は目覚めたりはしない。
もう慣れっこになっていた。
馬が立てる音も、虫が奏でる声も、時折吹く砂嵐も、降り注ぐ雨音も俺の安眠を妨げる要素ではなかった。
屋根があり、雨風が防げる場所であれば俺たち冒険者は何処でも眠れる。
悪意を持った侵入者が現れない限りは。
先ほどまで暴れていた馬が、一瞬でぴたりと物音を立てなくなった。
それで俺は目を覚ました。
物音が止んだと同時に、空気を斬り裂く何かの音が耳に届いたのだ。
俺は瞬時に藁の上を転がってそれを避ける。
藁に刺さったのは、投擲用の短剣だった。
刃を見れば、何か液体が塗られている。窓から差し込んでくる月の光に照らされたそれは、毒々しい紫に輝いていた。
短刀が外れたのを見越してか、侵入者は次の一手を既に打っている。
投げても当たらないのなら、近づいて刺す。
単純だがこれが一番効果が高い。
しかも体をそのままぶつけるかのように突撃してくる。
体重を乗せた体当たりに近い刺し方は素人でも出来る方法ながら、勢いに乗せて深く刺さるので致命傷になりやすい。
狙っている箇所は腹。
内臓は何処を傷つけられても致命傷になりうる。回復の奇蹟を唱えてもらわない限り、助かる見込みはない。
しかも暗殺者は常套手段として毒を必ず得物に塗っている。
持っている短刀も紫色の液体が滴っているのが見える。
寝転んでいる俺に覆いかぶさるように侵入者は襲い掛かって来る。
被さる瞬間に、俺は蹴りを腹に放つ。
後の先の形になった為、蹴りは深々と腹にめり込んで侵入者は悶絶し床に転がる。
吐瀉物が床にまみれて酸っぱい匂いが立ち上る中、俺はようやく立ち上がって侵入者を見下ろす。
もちろん、顔には黒い布の覆面をしていて誰かはわからない。
侵入者は苦悶の声を上げながらも立ち上がり、短刀を振りかぶって首筋に刺そうとするが、予備動作がわかりやすすぎた。
振り下ろすまでに俺は間合いを詰めて密着し、侵入者の心臓に脇差を突き刺した。
心臓を一突きすれば、苦しむ時間もほぼなく即死する。
口から血を吐きながら、侵入者は俺を見てずるりと床に倒れ込んだ。
倒れた侵入者に脈が無い事を確認し、俺はため息を吐く。
これでもう四度目くらいだ。
俺が暗殺者に襲われたのは。
「顔を拝んでみるか……」
覆面をはぎ取ってみると、その中からは見知った顔が現れた。
アル=ハキムの店の従業員の一人だ。
あそこは店員でも十分な給与をもらっており、副業として暗殺を営むような食い詰め者が居るようには見えなかったのだが。
そんな男がなぜ暗殺者稼業に手を染めたのだろうか。
今日はアーダルが冒険者の宿に泊まっていてよかった。
彼女が一緒に居て狙われたらと思うと、冷や汗が止まらない。
先週、なるべくアーダルと離れていたのもこれが理由の一つだ。
しかし、今後はアーダルとの行動も増えていくはず。
どうすべきなのか。
悩みの種がまた増えてしまった。
暗殺者を藁の上に寝かせ、ひとまず街の治安維持部隊の詰所まで行く。
俺が詰所に顔を出すと、すぐさま部隊長がうんざりした様子で応対してくれた。
「ミフネさん、またですか」
「またとはなんだ。これで四度目だぞ四度目」
「一体誰に恨みを買ったらこんなに暗殺者を送られる羽目になるんです?」
「俺が知るか」
冒険者なんぞ何時、どこで恨みを買ったかなんてわかったものじゃない。
先に迷宮を踏破し、主を倒したら他の冒険者には嫉妬される。
或いはいわれのない噂を流されたり、直接喧嘩を売られたりと様々な諍いに巻き込まれてきた。
俺の名が売れてしまった以上、こういう事だってありうる。
「しかし、これほど暗殺者が送られてくるのは異常だ」
「暗殺者を何度も返り討ちにしている貴方も異常ですけどね。私が治安維持部隊に配属されてから、貴方のような冒険者は見た事がありません」
大抵、暗殺者を送られた奴は殺されているからな。
俺に言わせれば、気配を殺す術を覚えた奴を送られたくらいで殺されるようではまだ二流だ。忍者の忍び足を気取り、潜めた息遣いを感じとるくらいでなければ俺の国では生き延びられない。
「そういえば、俺は以前、ディーンとアンナという暗殺者にハメられたことがあったな。そいつらは暗殺教団の手の者だ、とか言っていた気がする」
「アサシンギルドから狙われているんですか?」
暗殺教団という単語が出た瞬間に、部隊長の顔色は一気に悪くなった。青ざめを通り越して土気色になっている。
「恐らくな」
「……ミフネさん。貴方が倒した暗殺者は回収して調べはします。しかし、我々に何も期待しないで欲しい」
「どういうことだ?」
「アサシンギルドはこの国の支配者と手を組んでいます。事実上、彼らは国に守られた集団です。我々は治安を維持しているとはいえ、国のお偉方と繋がっている組織に手を出せるような権力はないのです」
「もみ消されるというわけか」
俺の声に対して何も答えなかったが、部隊長の額には皺が寄っていた。
なるほど、何処の国にもこういう事はあり、そういう組織は居る訳だ。
長い沈黙が続いたあと、絞り出すように彼は言う。
「何より、アサシンギルドの手の者を捕まえて処刑したとなれば、間違いなく彼らは報復に出ます。我が部隊に被害が出るのは避けたい。ただでさえ、過酷な仕事でなり手が少ないですから」
それはそうだ。
誰だって死にたくはない。
暗殺教団の者に襲われれば大抵は成す術なく殺されるだろう。
そうなれば辞める者が続出し、この街の治安維持にも影響が出るのは間違いない。
「アサシンギルドに狙われているのなら、この街を離れていた方が良いかもしれません」
「ほとぼりが冷めるまで、か?」
「ほとぼりが冷める事は恐らくないと思います。彼らは蛇のように執念深いので」
何度も暗殺者を送ってきているのがその証拠だろうな。
彼らの目から逃れるにはこの街から出るしかない。
いや、イル=カザレムから出るまで暗殺者を送り込まれるかもしれない。
まだこの国を出る訳には行かないというのに。
俺を待つ人の為にも、俺の体の中に居る奴を退治する為にも。
死体を片付けてもらったら、もう朝になってしまっていた。
酷い寝不足で、今にも寝床に転がってしまいたいがそうもいかない。
今日は待ちに待った日なのだから。
俺は馬小屋前の水道で干した米を戻して作った粥と味噌汁、干し肉を食べて朝食とし、すぐさまサルヴィの寺院に向かった。
今日はカナン大僧正が戻ってくる。
もう俺は、エサを待ちきれない犬のようにこの日を我慢しながら待っていた。
はやる気持ちを抑え、寺院へと向かった。
しかし、辿り着いた寺院の様子は何かおかしい。
僧の誰もが何だかそわそわして落ち着かないし、僧兵たちは顔を突き合わせて何かを相談している。武器を手に取って。
「何かあったのか?」
俺は受付に居た僧侶に聞いてみた。
彼の顔色は青ざめている。
「大僧正が帰ってこないんです」
「なんだと? 午後になったら戻ってくるとか、そういう訳でもないのか」
「朝早くに一旦寺院に戻り、昼には王に謁見する予定だったんです。大僧正は時間に正確な御方です。何かあったとしか思えません」
大僧正に何かあった、だと?
もしそうなったら、俺の計画が根本から崩れて台無しになる。
ノエルを蘇らせてくれる人を探す所からまたやり直しだ。
蘇生を行える奇蹟を習得した僧侶なんて、一体どこに居るって言うんだ?
カナン大僧正ですら、ようやく見つけた一人だというのに。
「あ、あの……大丈夫ですか。なんだか顔色が悪いですが」
言われて、俺は自分が酷くいら立っているのに気づいた。
額には汗が浮かび、血管も浮き出ている。
きっと悪鬼羅刹の如き酷い顔をしている事だろう。
「俺が探しに行く」
「は?」
「何か面倒ごとに巻き込まれているなら、俺が助ける」
「ほ、本気ですか……?」
「大事な人の命が掛かっている。本気も本気だ」
とはいえ、隣国に入るというのは手続きが面倒だ。
まず関所を超えねばならないし、超える為には通行手形が必要になる。
手形が発行されるまで二週間はかかるし、関所で難癖を付けられたらたまらない。
だったら、取る手は一つだ。




