第八十六話:王の野心
ぼろきれをまとい、頭が禿げあがり白く胸まで伸びた長い髭をさすりながら、老人は手招きをして着いてくるように促す。
「後ろの者達がお主の仲間か。忍びと僧侶の二人は実に良い目をしておる」
しかし、とリーンハルトに目を向けると、一様に厳しい目つきになる。
「如何に人を模倣しようとも、お主の気配は禍々し過ぎる。一体なんの酔狂かね」
「御老体。貴方は人の身に在りながらその存在は既に高みへと登りつつある。我と共に自らの次元を一つ上がってはみないか」
「お主らのような異形の手を借りるつもりはない。儂らは独力でお主らの境地にまで辿り着いて見せるわ。うぬぼれるなよ、異界の者どもよ」
「威勢の良い事だ。しかし、我らは何時でも待っている。時間は我らの味方ゆえにな」
リーンハルトこと旧き神は、含み笑いをしながら老人を見つめていた。
「二人ともその辺りにしてもらえぬか。時にフォラス老。挨拶をしようとは思っていましたが、我々に何か用件でもあるのですか」
「地下七階へ進むのであろう。封印を解くには儂が居なければならぬ」
「封印ですか」
老人の行く先を着いていくと、やがてまだ訪れていない領域に踏み込んだ。
その先には、地下七階へ下る階段が見える。
階段には埃が積もっており、長い間だれもここへ辿り着いていないのを伺わせる。
階段を降りてゆく。
その間、魔物たちは現れなかった。
思えばこの老人と居る間は魔物と遭遇した事が無いように思える。
魔物もよほど知能が低い奴でもない限り、遭遇した相手の実力差を感じ取れるなら戦わないものも多い。
魔物とて自らの命は大事だと思っている。
この老人は、いったいどれほどまで強いのだろうか。
一度手合わせしてみたいものだ。
侍と魔術師と言う、異色の組み合わせだが。
「着いたぞ。ここだ」
地下七階の入り口は、錆びた鉄製の扉で固く閉じられている。
鍵穴のたぐいは見当たらないものの、明らかに違う一点がある。
緑色の力場が展開している。
指で少し触れようとすると、強く反発する力が発生し弾かれた。
「何故封印を仕掛けたのです、ご老人」
「かつては幾人かの冒険者が深部まで辿り着いていた。しかしここ最近は地下五階まで辿り着けない冒険者も多く、それどころか下から魔物が上がって来る始末。故に封印を仕掛けた」
迷宮の管理人を自負する老人は、嘆息して髭を撫でつける。
しかしこちらを見るや、目には光が宿っていた。
「今はお主らがいる。深部まで辿り着ける一縷の望みを得た」
「買いかぶりすぎでしょう。迷宮探索は何があるかわかりませぬ」
「儂は、お主らがきっと最下層まで行く事を信じておるよ」
ところで、と老人は話題を変える。
「迷宮の横に大穴が出来てから、エレベータなるものが作られたようだな」
「ええ。王の命によって。我らの探索の手助けの為に、だそうですが」
「何故王がお主らを支援するか、わかるかね」
「迷宮を鎮圧し、首都に安全を取り戻したいからではないのでしょうか」
「それは建前の話よ」
俺は王を疑うなど夢にも思わなかった。
王はこの迷宮をどうにかしたいと思っているのではないのか。
確かに迷宮があることで、冒険者たちが集い街は潤ってはいるが、同時に魔物がいつ溢れだしてくるかもわからない危険な状況ではある。
首都を統べ、国を治める者としては迷宮を鎮圧するなど当然ではないのか。
「この迷宮の最深部にはな、迷宮の主以外にも様々な物がある。それこそ王が喉から手が出るような代物がな」
「何故、その様な事を知られておいでなのです」
「言ったじゃろう。儂は迷宮の管理人、この迷宮の事なら何でも知り尽くしておる」
咳ばらいをし、老人は続ける。
「王の一族の初代は、最初の迷宮の主が最深部より居なくなったのを察知し、目敏く侵入して宝を漁っていきおった。そして宝の持つ様々な力を利用し、この国を建国したのだ。一族は次の迷宮の主が現れた後も、虎視眈々と迷宮深部へ再び入る時を狙っている」
「もしや、道化師が奪っていったとされる白金の護符も、元々は初代の主が所有していた宝なのですか」
「よく知っておるな。あれもまた深部に残されていた宝の一つだ。道化師なるものが盗んだとは知らなんだがな。盗まれた時の王の顔を見てみたかったわ」
にわかには信じがたい話だった。
しかし同時に、この老人が言うのであれば信憑性もあるかもしれないと俺の心の一部が囁いている。
「フェディン=エシュアなる者は一族の中でもっとも野心猛る男よ。彼奴の言っている事を全て鵜呑みにしてはならぬ。心せよ。時が来たらば、お主らの事など足蹴にするであろう」
仲間の誰もが固唾を飲んだ。
野心の猛る男。
そのような一面を俺たちには見せていないが、心中に秘める思いがあるのかもしれない。
夢は世界を統べる事か。
王ならば恐らくは誰もが願うものだ。
不死の女王ですらも世界を統べる夢を追い求め、命を長らえる為に不死となった。
ついぞ国の王にはなれなかった俺には途方もない願いだ。
不意に疑問が口に出る。
「何故、初代の迷宮の主は消えたのです。次に来た主と争う前に姿を消した訳は?」
俺の問いに、老人はしばらく口を閉ざしていた。
やがて老人は、ぽつりと一言だけ漏らす。
「開いてはならぬものを開いてしまったのだ。故にその場に居る事は叶わずに、立ち退かざるを得なかった」
後は何も言わずに、扉の封印を解いた。
硝子が床に落ちて割れたような音が響き渡り、展開されていた力場が消失する。
「これで迷宮深部への扉は開いた。行くがよい」
老人は上る階段へと消えていく。
俺は錆びた鉄扉に手を掛け、ゆっくりと体重を掛けていく。
久方ぶりに動こうとする扉は、けたたましい音を立てながらぎしぎしと時折開くのに抵抗しようとしている。
要約扉が開いたかと思うと、一つの人影がゆらりと姿を現した。
「お前は……」
リーンハルトが目を見開いた。
寄生された狂信者の僧侶が、うめき声を上げながら扉の前に立ち尽くしていた。
頭は既に寄生体に覆われており、触手が髪の毛のように頭から何本も垂れ下がっている。
その隙間からまだ人間の目が見えていた。
こちらの姿を伺うと、狂信者は自分の顔を両手で覆ってしまう。
「わ、私を元に戻してくれ……、頼む」
どうやら自我は保たれているようだ。
普段から異形の神を信仰しており、その領域にいるからなのか、他に寄生されていた者と比べると「馴染みが良い」のかもしれない。
「助かりたいか」
リーンハルトが一歩前に踏み込み、手を差し伸べる。
「あ、貴方は」
そして頭の擬態を解くと、狂信者は慄いて跪く。
この状態になると念話によって意思を伝える為、俺が通訳する。
「貴様らを助けに来た。安心しろ。助けた暁には、その汚らわしい寄生物を取り除いてやる」
「おお、おお……! 主が自ら手を差し伸べて下さるとは!!」
感激に打ち震え、目から大粒の涙を流している。
「奴らが何処へ居るのか、場所はわかるか」
「はい、勿論」
こちらです、と言おうとした時に狂信者の胸から何かが貫かれているのが見えた。
それは剣の刃であり、血に濡れててらてらと輝いている。
口から血をこぼし、ついで首と胴と足を瞬く間に切断される狂信者。
狂信者を切り刻んだ影は、生臭い息を吐いて血が付着した剣を舐め取った。
刻まれた体に群がり、その体を貪り始めるのはオークの集団だった。
ひときわ目立っていたのは、上等な鎧と剣を装着していた個体。
豚人君主と呼ばれる魔物だ。
奴に率いられた集団は、どれもが寄生体に寄生されていた。
「貴様ら……!」
リーンハルトの殺気が一瞬にして膨れ上がる。
「なるほどな、オークの集団にも寄生したのか」
この分では、地下七階の魔物はあらかた寄生されていると見た方がいいな。
俺たちは武器を抜き、構える。
「この代償は高くつくぞ!」
リーンハルトが怒りをあらわにして吼えた。




