第八十三話:未知、あるいは既知との遭遇
旧き神を名乗る者が依頼をし、それを受ける。
受けるのは良いが、仲間にどう説明したものか。
神のような存在ならば自力でなんとかなるはずだろうが、奴が言うにはこの三次元世界? に現れるのは多大な力が必要となるそうだ。
それで、今は負担が少ない精神体の一部を依代を介して現世に顕現させている。
魔神パズズがやっていた事とまるで変わらない。
そも、神を名乗るものの話などまともに聞くべきではない。
当然の疑問も頭によぎるが、俺の目的はサルヴィの迷宮の主を打倒する事だ。
迷宮の各階層を踏破し、魔物を倒していかなければ先へは進めない。
依頼を受けても受けずとも、やる事は変わらない。
ならば受けるべきだ。
俺の死んだ後、数億年後に何を企んでいるのかは知らぬ。
その時になればまた心あるものがこの男を止めるだろう。
人間はどんな強大な化け物にも何時だって立ち向かってきた。
俺は信じて居る。
「よし。ならば他の仲間にお主を紹介せねばならぬ。ついてこい」
「うむ」
「あいや、やはり待て」
旧き神ことリーンハルトは全裸だった。
このまま街を徘徊すれば間違いなく捕縛されてしまう。
「お主、服は持ってないのか」
「人間たちが体の上にまとっている布か。他の生き物はみな自前の毛皮や鱗を持っているのに、君達はなぜそんなものを着けているのかね」
「人は毛や鱗を捨てたからだ。確かに捨てた事で脆弱になってしまったが、利点もある。気候に合わせて服を着替える事によって様々な環境に対応できるようになった」
「成程。人ならではの知恵と言うものか」
リーンハルトは手から黒い箱状の物体を生み出すと、そこから音もなく服を取り出す。
さらに服のみならず、本来のリーンハルトが持っていたであろう装備も取り出していた。
見慣れない長剣。
竜の牙を模したかのような形をしており、一見俺たちが使う刀にも似ている。
そして鎧は、うっすらと金色に輝き鎧の至る所には細かい金による装飾がなされている。
噂に名高い、君主の聖鎧ではないのか?
群青に染まった外套も装着され、なんとも豪華ではないか。
盾は飾り気のない武骨な作りであったが、鈍い青と灰色に輝く素材には見覚えがあった。
「この盾の素材、もしや青灰輝石か?」
「そうだ。何でも、別の金属と合金化すると驚くほど硬化するとこの男の知識にはあった。他にも、タイミングを合わせれば魔術を弾く事も可能だ」
魔術を弾く盾か。
中々に便利そうなものだ。
前に立つ者として、敵の魔術から如何に対峙するかは常に悩ましい問題だ。
この盾があれば、広範囲に及ぶ魔術は無理にしても単体を狙う強力な魔術に対する対抗手段となりうる。
これらの希少な武具をリーンハルトはどこから調達してきたのだろう。
それを聞く術は失われてしまったが。
もう一つ、俺は気になる物があった。
「その黒い箱はなんだ? 空間魔術を応用して作り出したものか?」
「ダークキューブだ。ワームホールを介して虚無の暗黒空間に通じていて、如何なる物質であろうとも収納できる優れものだ。もっとも、この三次元世界に生きる物が無闇に触れれば吸い込まれてしまい、命はない」
「何故だ?」
「虚無の暗黒空間は何も存在しない、時の止まった空間だ。物質は保存できても生物は生きていけるような要素がない」
どうやら三次元世界とやらに生きている俺には扱えぬ代物らしい。
これがあれば迷宮探索に何を持っていくか、あれこれ悩まずに済むというのに。
「君の言うように空間魔術とやらを究めた者ならダークキューブを使いこなすのは不可能ではないだろう。位相と幾何の何たるかを知り尽くした賢者ならば、いずれ理論化し我らの領域まで到達するのも夢ではない」
「成程な」
わかったような、分からないような答えだが人類はいずれ扱えるようになるのかもしれない。ただそれは、遥か未来まで待たねばならないのだろう。
服の問題も解決したので早速アーダルに説明しようかと思った。
しかし既に夜を迎えている。
「紹介するのは明日にしよう。今宵はもう遅い」
「何故だ。今すぐ迷宮に向かって信者を奪還したいのだが」
「夜は人は寝る時間だ。何より、迷宮を探索する時は準備も必要だ。準備もおろそかでは碌に探索出来ずに死ぬまでよ」
前回の冒険の褒美もまだ貰ってない。
褒美をもらい、それを元手に装備や道具を整えてこそ迷宮探索も捗るものだ。
「随分と面倒なのだな」
「お主は神を名乗るほど強大な存在なのだろう。ならば準備などせずとも良いのだが、残念ながら我々はか弱き存在だからな」
「ふむぅ。そういえばこの体、どうもふらついて意識がおぼつかぬ」
「眠気が訪れているのだろう。人の身に降りたのなら、肉体を持つ故の制約も受けねばならぬ」
「何とも……面倒な……」
「神々も眠りに着くのだろう。俺たちと同じように」
「全く意識を遮断するわけではない。意識を平穏に保ち、揺れ動かぬように務めて休ませるのが目的だ。意識を全て遮断してしまったら危険が訪れても気づかぬだろうに」
もうリーンハルトは目がしょぼついて体をゆらゆら揺らしている。
意識が落ちる直前だ。
「今宵はここに泊まればよい。寝床の藁はいくらでもある」
「やむを得ないな。やれやれ」
「おい、鎧を着けたまま寝ようとするな。翌日肉体が凝って筋肉や骨が悲鳴を上げるぞ」
「何? このままでは駄目なのか。本当に面倒臭い……」
いそいそと鎧を脱いで傍らに置き、敷き布を藁の上に敷いて横になった瞬間に、リーンハルトは早くも寝息を立てていた。
こうして見ると、普通の人間と全く変わらないのだがな。
と思った瞬間に、擬態が解けて徐々に例の蛸のような頭に戻り始めた。
前言撤回だ。
翌日。
リーンハルトを連れてアーダルの住居へと向かう。
アーダルは冒険者が集う宿の一つの部屋を借りて暮らしている。
この街に冒険者の宿は複数あるが、等級が一番低い安宿ではなく、もう少し良い宿らしい。
安宿は胡乱な輩が泊まる上に、殆どの部屋は一部屋に数人が泊まり込む形式のものが多い。
個室はあっても壁が薄く、寝台も粗末で快く休める作りではない。
多少実入りが良くなった冒険者なら等級が高い宿を選ぶのは当然だ。
アーダルの住んでいる宿を訪れ、主人にどの部屋に居るかを尋ねる。
するとスイートルームなる部屋に居ると返された。
宿の二階に上がり、部屋の扉を軽く叩くと声が返って来た。
「どなたでしょう?」
「俺だ。三船宗一郎だ」
すると、部屋の中から騒がしい音がしばらく鳴り響いたかと思えば唐突に扉が開いた。
息が上がった状態のアーダルが笑って出迎えてくれる。
慌てて掃除をしたのだろう、ちらと中を窺うと綺麗には見えるがゴミを一か所にまとめたような部屋が見える。
「ノエルさんが治るまでは各自自由行動のはずでしたが、どうしました?」
どのように奴を紹介すべきか、実はまだ迷っていた。
素性を隠して普通の人として紹介すべきか、包み隠さずに言うべきか。
いや、どのみち奴の目的を話せば素性を疑われるのは仕方ない。
包み隠さずに言った方がいいだろう。
「実は依頼を受けてな。この男が依頼主だ」
「君がアーダルなる人か。我は旧き神の化身。我が信徒が攫われてしまったので、是非とも君達に力を貸してほしい」
言われたアーダルは、一瞬にして怪訝なものを見た顔つきに変わり、次いで俺の方を見る。
その顔は困惑の色を隠さなかった。
一体こんな狂人を連れてきてどういうつもりなのかと言う感情がありありと分かる。
「ひとまず中に入れてくれないか。詳しく話をしたい」
「ええ、まあ」
部屋の中に入り、長椅子に座る。
部屋の調度品は長椅子の他にも長机、寝台が備え付けてある上に水道に雪隠まである。
なるほど、俺が時折泊まっているイブン=サフィールには及ばないが中々良い部屋だ。
「それで、一体なんですかこの人は」
「手短に言うが、地下四階にいた狂信者たちの御神体だ」
「はあ……」
納得が行かないのも無理はない。
しかし本当なのだから性質が悪い。
「降って来た隕石に乗ってやってきた連中が、こいつの信者を軒並み攫ってしまったので助けたいのだ」
「ミフネさん、受けるつもりなんですか?」
「無論だ。迷宮の最奥に辿り着くには、各階層を突破せねばならぬ。それならば、受けても受けなくとも同じだと思ってな。迷宮を進むにあたり、邪魔になるのは違いなかろう」
「それはそうですが……」
「得体の知れぬ者を仲間に引き入れるのは流石に不信があるか」
無理も無かろう。
実力も未知数。
神を名乗るとはいえ、どれほど戦えるのか全くわからない。
その上頭もいかれてるとなれば、いつこちらに牙を剥く事やら。
「落下した隕石には純度の高い金属も含まれているらしい。此方にも実入りがある依頼だ。
隕石に含まれていた金属は、古来から不思議な力を持つと言われている。迷宮深部を目指す上では、そのような貴重な道具は手に入れておきたい」
「と言っても、この人が言う事をどれくらい信用できますかって話ですよ」
「つまり君は、我が信用ならぬというわけか」
「誤解を恐れずに言わせてもらいますが、貴方は狂っていると判断します」
「狂人か。実に結構。我から言わせれば、危険を冒して迷宮に潜り、命を天秤にかけてまで宝や名声を得ようとする君達の方が狂っていると思うがね」
アーダルの額に青筋が浮かんだ。
懐から素早く苦無を取り出し、リーンハルトの首に突きつけようとする。
だが、リーンハルトは苦無を指二本で挟み込み、勢いを止めていた。
皮膚一枚の所で、刃は肉へ食い込まずに済んでいた。
「目を見張るほどに速いな。まだ我もこの肉体に慣れておらぬ故、危く頸動脈を傷つけられる所であった」
「頭はおかしくても、実力はありそうですね」
「依頼を受けるのに異論はないな?」
「ミフネさんの判断に従います」
アーダルは苦無を仕舞い、寝台に腰かけた。
その顔には若干の諦めが見られるが、承諾してくれたのは感謝しかない。
「ありがとう。さて、次はノエルか……」
彼女が何と言うだろうか。
きっと色々と言われるだろう。
その光景を思い浮かべると、少しばかり頭が痛くなった。
体が動かない時よりは完璧に治ってから言うべきだろうな。
ブリガンドに頼んだ物もそろそろ出来上がるだろうし、一緒に持っていくか。
「次はノエルなる人物への説明だな」
呑気にリーンハルトは笑っていた。
全く、人の気も知らぬ男だ。
いや、元々人の気などわからぬのだ。
元より人ではないのだから。




