外伝三十二話:竜の巫女
わたしとマクダリナは向かい合う形で対峙する。
壁と天井が破壊された領主の間には、砂漠のぎらついた太陽の光が照りつき、熱風が流れ込んでくる。
さっきまで散々冷やされてばかりだったので、今だけは砂漠の暑さが有難かった。
所詮魔術で作り出す吹雪は長続きせず、限定的な空間にしか吹き荒れない。
この直射日光と熱風の中にあっては効果はあまりないだろう。
天はわたしに味方をしていた。
「宗一郎、アーダル。悪いけど手出し無用でお願い。あの魔女はわたしの手で倒したいの」
「見た所、俺の羅刹降臨のように覚醒したのだろうと見受けられるが、大丈夫なのか?」
確かに、誰もが疑問に思う事だろう。
でも分かる。
わたしは今なら、例え宗一郎が相手になっても負ける気がしない。
それくらいに竜の祖との一体感を覚えていた。
「大丈夫。まあ見ててよ」
自信満々に言い放ったわたしの言葉に頷いて、宗一郎は刀を鞘に収めて下がる。
アーダルもそれに倣ってわたしの背後に下がった。
風とオーラで揺れる髪の毛の間から見える、わたしの長めの耳を見つめるマクダリナ。
別にハーフエルフくらいそんなに珍しい存在でもなかろうに。
やがて、吐き捨てるようにつぶやいた。
「貴方、本当にエルフだったのね」
「ルードが言ってたでしょ」
「この目で見ない限りは物事は信用しない事にしてるから。……エルフなんて、最低な種族よ」
それはわたしも同意する部分はある。
なんせエルフに村八分にされてたわけだし。
でも言いたい事もある。
「わたしはハーフエルフよ。純血のエルフじゃない。一緒にしないで」
「どっちにしろエルフの血が入ってるなら同じよ」
「なんでそんなにエルフを嫌うわけ?」
「私が学院に居た頃、教員がエルフだったんだけど、その教員が人間を見下すような言動を多々していたし差別する事も多かったわ。今思い出しても反吐が出る」
それは分かる。
エルフは長命だからか、他種族を見下す癖がある。
長く生きているから色々な事を知っているんだけども、だからといってその知識を鼻にかけて他種族をまるで知能に劣る生き物と見るのは間違っている。
決して他種族はエルフに知能で劣っているとは言い切れない。
むしろ成長の速度で言えば、他の種族の方が伸び率が良い。
エルフは長い人生を深い思慮に使うと言えば聞こえはいいが、時間を無駄にしていると思わざるを得ない部分があるとわたしは思う。
「学院にはエルフの魔術師も入ってたんだけど、エルフは魔術の素養だけはあるものだから余計に高慢になるし、本当にどうしようもなかった。だからこそ、私が早く卒業した時の顔は見ものだったけど」
エルフは自分の能力の高さを自慢するのもよくある。
自慢の仕方もまた婉曲的だから本当にわたしも嫌いだ。
「貴方がエルフに良い印象を持ってないのはよくわかった。でもわたしも同じエルフと同一視されても困るわね。そもそもわたしもハーフエルフだからって散々嫌がらせされたんだもの」
わたしだってエルフには散々恨み言がある。
だからそんな事を言われた所で知った事じゃない。
だけど、嫌いだから、憎いから滅ぼすなんてのは子どもの理屈だ。
その為に一つの種族を滅ぼそうなんて、思いあがりも甚だしい傲慢だ。
でもマクダリナには、聞く耳は持ってなさそうだった。
「エルフに連なる種族は全てこの世には不必要。だから絶滅させる!」
マクダリナは触手を床に付け、バネのように収縮し跳ねて一足飛びにこちらの間合いにまで踏み込んできた。
既に構えてる右腕には、雪の結晶のようなものが輝いて舞い降りている。
ルードに叩き込んだ、アブソリュートゼロを使うつもりだろう。
「凍り付いて砕け散れ!」
吹き抜ける風のように速度に乗った右手の一撃は、さっきまでのわたしだったら何も見えないまま喰らって凍り付いて砕け散っていたに違いない。
でも今は違った。
「……見える」
マクダリナの動きが、スローにでも掛かったかのようにはっきりと捉えられる。
宗一郎の動きを真似て、半身だけ体を翻すとあっさりと躱せてしまった。
「なっ」
目を見開いてこちらを見るマクダリナ。
「そんなに呆けてどうしたの」
わたしは伸びた手を払うように平手を繰り出したつもりだった。
瞬間、マクダリナの右腕を肩口から吹き飛ばしてしまう。
「あがっ」
肩から盛大に血が噴き出す。
ちょっと払ったつもりだったのに、腕ごと吹き飛ばすなんて竜の力は凄まじい。
竜にとっては、人間の相手なんてまるでアリを相手にするに過ぎないのかもしれない。
軽く前脚で撫でただけで吹っ飛んでしまうのだから。
そんな事を思いながら手を見ていると、わたしの爪が変化しているじゃない。
竜の爪のように分厚く、かつ鋭くなっている。
その上、腕の肌には鱗のような模様、いやこれは鱗だ。
触ってみればよりわかる。
鍛冶屋のブリガンドさんのお店に以前あった、竜鱗の鎧とかいう代物の感触にひどく似ていた。
ざらついてごつごつして、さながら岩を集めたみたいな見た目をしていた。
メイスで叩いてみても良いぞと言われ、思い切り叩いてみたら鋼を叩いた時の同じ甲高い音を立てて、逆にこっちが跳ね返されるくらいの硬さだったのを覚えている。
「ノエル、君の体、変化しているぞ」
「え?」
宗一郎に言われ、懐に備えていた手鏡で自分の顔を見る。
なるほど、瞳の色は金色に変化していた。
わたしの目の色は碧なのに。
『竜をその身に降ろしたものは、竜の特徴を備えた体へと変化するのだ』
降ろした竜の祖がわたしに告げた。
竜の祖の特徴がわたしに現れているという訳ね。
目の色は綺麗でいいんだけど、皮膚がちょっとごつごつしてるのは嫌かなぁ。
硬くて強いのはいいんだけど。
それで角まで生えて、牙も伸びてる。
これ、もしかして竜人って奴じゃないかしら。
「余所見してるんじゃないわよ!」
いつの間にか、マクダリナは右腕を付け直して襲い掛かって来る。
流石に寄生体と共存して再生力が上がっているだけの事はあるわね。
全く面倒な相手だわ。
今度は両腕に極低温を纏い、きらきらと輝く結晶を地面に落としている。
今度は掌底の一撃を繰り出してくる。
どこでもいいから触れば相手は凍り付くから、無造作に腕や肩、頭や胴なんかを狙ってきている。
魔術師は体術に優れているという印象も無いのだけど、竜の牙を得た事によって身体能力が向上しているからか。
わたしはその一撃を受ける。
腕で守り、当たったとマクダリナの顔は一瞬笑みが浮かんだ。
しかしその後、困惑の顔色にすぐ変化する。
そこから凍り付くはずなのに、一向に変化がないのだから。
返す刀で、わたしはお返しと言わんばかりに爪の一撃と、竜の咆哮を放った。
爪はマクダリナを守っている触手を容易く切り裂き、咆哮の衝撃波はマクダリナを吹き飛ばして体中に文字通り衝撃を加え、内部から破壊する。
いくら再生力が強いと言っても、何度もダメージを与えられれば少しずつ壊れていく。
「何故、なぜ凍り付かない……」
「わたしは親切だから教えて上げる。貴方の腕がわたしに触れる時、接地面の次元をちょっとずらしているの。だから当たったように見えても、実際は当たっていない」
『我らは自らの次元空間を持っている。そこに帰って体を休めたり、或いは現世に移動するといった空間移動はお手の物だ』
竜の祖は神と同位に見られる存在である。
空間を操るというのは神へ近づく第一歩なのかもしれない。
「くっ!」
マクダリナは状況を打開すべく、体を守っていた触手たちを解放した。
素肌を晒す事にはなるが、無数の触手があらゆる方向から襲い掛かって来るのはまさに脅威だ。
鞭のようにしなり、地を這い、あるいは空を斬り裂く無数の触手が襲い掛かる。
『中々に壮観な攻撃だ。ならば、我らも奥の手を以て迎え撃とう』
竜の祖がつぶやくと、途端に空に暗雲が立ち込めた。
暗雲から雷鳴が響き渡ると、やがて雲を切り裂く一つの光が轟音と共に領主の間に落ちて来た。
『我が名に於いて命ず。天におわす我らが創造神よ、我が御手にその輝きの力を貸し給え』
――召雷――
宗一郎とアーダルは雷撃に当たらないように地面に伏せた。
雷撃は次々と豪雨のように襲来し、正確に触手を撃ち落としていく。
マクダリナの体に繋がっているものだから、雷撃のダメージは彼女にも伝わっていく。
触手がいくらか自切して伝わらないようにしているものの、それは焼け石に水だった。
「ああああああああっ!」
雷撃は一度受ければ、常人なら無事では済まない。
しかし、度重なる雷撃を受けてもなお彼女はまだ生きている。
猛烈な速度で再生を重ねているのだろう。
そのせいか、触手の動きは鈍くなりはじめていた。
マクダリナの顔には焦燥の色が見え始める。
「こんな、こんな事があっていいものか! わたしは星の子を地上に広める使命があるというのに、こんな所で終わってなんかいられないのに!」
「冗談。そんな得体の知れない物を広められたら大迷惑だわ。だからここで貴方には終わってもらわないと困るのよね」
ばきり、という音が聞こえた。
マクダリナの奥歯が砕けた音で、彼女の口からは血が流れている。
無論すぐに再生するけど、それでもまだ彼女は歯を強く噛み締めていた。
「もういい。貴方達はもう星の子の器にもしてやらない。この世から滅してやる」
するとマクダリナはぶつぶつと何やら呟き始めた。
詠唱を必要とする魔術でも使うつもりか。
その詠唱を聞くなり、宗一郎はいかんと呟き刀を抜いた。
「あれは呪死の言葉だ。俺たちの息の根をまとめて止めるつもりだ」
「わかるの?」
「迷宮地下四階の、旧神教の信者たちの詠唱を何度も聞いていれば嫌でも雰囲気で分かってしまうものだ」
そういえばそうだったかも。
長らく聞いてないせいで忘れかけていた。
「その通り。貴方達の命の根っこを止めてやる。誰も逃れる事などできやしない」
「だったら、その詠唱を止めてやればいいのね」
わたしはマクダリナの下へと羽を動かして滑空し、近づいた。
一瞬の事で目を白黒させるマクダリナに対し、わたしはマクダリナの口に人差し指と中指を差して念じる。
「――――!?」
次の瞬間、マクダリナの詠唱は止められる。
「あ、はにをひは!」
「要は舌が回らなければ、正しい発音は出来ない訳でしょう。舌を動かせないようにその空間を固着した」
呪文の詠唱というものは正しくその言葉を発音できなければ効果は発揮しない。
奇蹟においても同じだ。
マクダリナは幾らかは無詠唱で紡げる魔術を持ってはいたが、流石にワードオブカースなどといった高位の魔術は歴史に名を残す大魔導士でもなければ無詠唱で唱えるのは不可能だろう。
舌の回らないマクダリナは、無詠唱で繰り出せる最高の魔術である氷の竜を複数召喚し、こちらに差し向けようとする。
しかし悲しいかな、その竜は形だけを模った偽物に過ぎない。
轟。
竜の咆哮の一声で氷の竜は粉々に破壊される。
成す術も無くなったマクダリナは、それでも氷の弾丸を放とうと集中していた。
だからわたしは、戦いを終わらせるべく彼女の額に手のひらを当てる。
『何度でも再生するのであれば、再生する元のものが失われてしまえば良い』
竜の祖とわたしは、ひとつのイメージを思い浮かべ念じる。
それは象徴。
誰もが畏れ、ひれ伏し、ただ荒れ狂うのが治まるのを待つしかない存在。
疫病であり、熱風であり、あるいは飢えでもあるもの。
人が古来より穢れとして避けてきた、忌み嫌うべきもの。
どうしようもなく訪れてしまうもの。
それは仄暗い闇の中から、今か今かと刃を研いで待ち受けている。
「あ」
マクダリナは呆けた声を一つ上げたあと、少し痙攣して白目を剥き、膝を着いて地面に倒れ伏した。
人は想像力に溢れている生き物だ。
だから目隠しをされて催眠を掛けられ、これは焼きゴテだと言われてただの棒を押し付けられたら、火傷の痕を皮膚に浮かべたなんて事例もあるらしい。
神に等しい竜の力を借りて強力な死のイメージを脳内に直接叩き込む事によって、マクダリナは自らが死んだと認識してしまった。
いくら元の物体が残されていても、それが機能停止してしまったら治しようはない。
やがてマクダリナの口の中から、寄生体の本体が飛び出して来た。
甲高い叫び声を上げながら、新たな宿主にとりつこうとわたしの腕に触腕をまとわりつかせている。
竜の鱗に変化した皮膚には、その触手など通らないというのに。
「灰になれ」
言葉と共に、寄生体の本体は一気に燃え出して悲鳴を上げた。
しばらく蠢いた後、やがて燃え尽きて灰になって動かなくなる。
大きく一つ、溜息を吐いた。
「終わったな」
宗一郎の言葉に、わたしは笑顔で応える。
「うん。やっとね」




