外伝二十七話:竜の成れの果て
意識が深く沈む中、脳に響いた声がやけにこびりついて残っている。
竜の巫女。
それが何だというのか。
わたしは只人とエルフのハーフでしかない。
遠い御伽噺の中にしか存在しない、竜の巫女。
竜なんてそもそもわたし達のような卑小な存在が意思疎通を取れるような相手じゃない。
他の種族なんて取るに足らないものと彼らは思っているに違いない。
そのくらい強大で、知能も高く、誇り高い生き物だ。
竜はエルフ以上の寿命がある。
二千年前に居たとされる竜の生存が現在になって確認されたという話もあった。
ある軍隊がとある島へ侵攻して火山まで入り込んだ時、運悪く火山に火竜の縄張りがあったと言う。
竜は無神経に縄張りに入り込んだものを決して許さない。
まして、自分に敵意を向けてくるならなおのこと。
結果、その軍隊は竜の火炎ブレスによって焼き尽くされ、わずかに住んでいた島民は改めて竜への畏敬の念を示したと言う。
ともかく、わたしは竜の巫女なんかじゃない。
ふと、母親の事を思い出した。
母は自分が竜の巫女の血筋に連なる家系であることを信じて居た。
その証拠となるものは何一つないというのに。
肩身の狭い故郷で暮らす中で、それを心の拠り所にして生きていたのかもしれない。
結局、母は故郷を捨てざるを得なかったけど。
母の柔らかな笑顔が懐かしい。
わたしは只人とエルフの混ざり物。
雑種。
竜の巫女なんて柄じゃない。
そんな大層な存在じゃないよ。
姿無き声にか細く答える。
返事はもちろん返ってこない。
やがて、暗闇の向こう側から何か音が響いてくる事にわたしの脳は気づき始めていた。
* * *
「ノエル、大丈夫かノエル!」
目を覚ますと、宗一郎の顔が視界に入って来た。
酷く狼狽し、わたしの顔の上に覆いかぶさるように居る。
心配してくれてありがたいけど、このままだと起き上がれないので笑って答える。
「うん、大丈夫だよ。だからちょっと下がってくれないかな。起きるからさ」
上半身を起こし、倦怠感や頭痛などがないかを確かめる。
体調自体は嘘のようにすっきりとしている。
倒れ込む前の目まいのような症状は、今はもう全く無い。
「本当に大丈夫ですか? 体調がすぐれないのであれば一度引き返した方がいいのでは」
「本当に大丈夫よ」
「ふむ、ひとまず無事であるならば、ドラゴンゾンビ討伐の方に向かおうか。もちろん、マクダリナなる魔術師には注意を払いつつな」
「戦ってる最中に乱入もあるやも知れぬしな」
ルードと宗一郎はそのような懸念を話した。
当然、漁夫の利を狙ってくる事は考えられる。
とは言いつつも、結局どのタイミングで来るかはあっちの考え次第でしかない。
わたし達にはどうにもならない事なので、周囲にも気を払うしかないという結論になる。
一方で、ムラクは浮かない顔をしている。
その原因が何なのかはおおよそ予測がついている。
「ムラク、マクダリナって子は一体どんな子だったの?」
「短い間の仲間ですけど、あんな性格じゃなかったんです。元々は探求心が強くて、魔術の研究と習熟に熱心だった、普通の魔術師学院の卒業生ですよ」
「どれくらい魔術は使えたわけ?」
「最近になって位階四段階目の魔術を覚え始めたと言ってましたね。あと、魔術師学院を三年で卒業したって自慢してました」
わたしも魔術師ではないので詳細はわからないが、魔術師学院は卒業までに六年くらいは要すると聞いている。
その半分で卒業したという事は、素養はかなりあったのだろう。
皮肉な事に未知の生物に対する適合性もあったわけだが。
「でも無詠唱で魔術を唱えるなんて、出来るはずもありません。あとプリズミックミサイルなんて魔術、ボクは見た事がないです」
この場に魔術師が居ないのが残念だった。
確かにあれは何となく凄いとは思うのだけど、どれ程凄いのかは図りかねた。
宗一郎とアーダルは魔術の事なんか知る由もないし、わたしだって奇蹟以外は素人だし。
ムラクだって錬金術が専門だから魔術はあまり知らないだろう。
すると、意外な所から意見が出た。
「プリズミックミサイルは最高位の位階に位置する魔術だ。マクダリナは寄生体と適合する事で飛躍的に魔術の技量を上げられたのだろう」
「ルード、わかるの?」
「悪魔にされてから魔術の知識も勝手に詰め込まれていた。全く、パズズとやらは自分の部下にはやたら親切で恐れ入るものだ」
「いずれにせよ、マクダリナは放っておくべき存在ではないな。彼女は寄生体の思考とも同調してしまっている。寄生体と人類の融合が目的になっている以上、止めなければならない」
「……やっぱり、殺すしかないんでしょうか」
ムラクが悲痛な顔で声を絞り出した。
「生きて取り押さえるのは難しいだろうな。ムラク、彼女を以前と同じ人間と思うな。もはや魔物と等しい存在になってしまったのだ」
「……はい」
ムラクは明らかにその事実を認めたくないように、眉をしかめた。
不条理や納得のいかない事でも呑み込まなければならない時はある。
そうやって乗り越えて、冒険者は強くなっていく。
「さて、では腐竜の寝床へ向かうぞ。奴は城の最奥で待っている」
宗一郎の言葉に皆が頷き、再び歩き始める。
盗賊団を蹴散らしてしまうと、城二階にはもはや敵らしい敵は居なかった。
広い空間と通路を交互に抜けていくと、やがて領主の間に通じる扉の前に立った。
ここまで来ると、鼻につく腐臭が強く漂っているのが感じ取れる。
領主の間の扉も宝物庫と同じように朽ち果てていた。
「準備は良いか。行くぞ」
宗一郎はまず扉をそっと開いた。
マクダリナたちが待ち受けていた時とは違い、まずはドラゴンゾンビの様子を伺いたい。
不死の魔物はヴァンパイアのような知能の高い魔物は例外として、大半は知能が低い。
獲物を探して当ても無く彷徨っているか、あるいはその場でぼんやりと佇んでいるものが大半だ。
しかし、中には生前の習慣に基づいて行動しているものも居る。
ゾンビはその代表だ。
そしてドラゴンは、自ら決めたルーティンを守って行動をする生き物だ。
その二つを考えると、必ず眠っている時間というものはあるはず。
手強い存在であるからこそ、先手を取れるならば絶対に取るべきだった。
「玉座があった場所に座り込んで寝息を立てている。好機だな」
宗一郎はそっと呟いた。
領主の間は今までの部屋で一番広い。
人々を集めて謁見したり、あるいは重臣を集めて会議などを行っていた場所なんだろう。
でも今は朽ち果てて見る影もない。
柱は崩れているものもあり、玉座はドラゴンの体の下に圧し潰されてしまっている。
今までは窓から太陽の光が差し込んでいる場所があったとはいえ、城の中は薄暗く、じめりとした空気が漂っていた。
でもこの領主の間だけは、ドラゴンゾンビが天井を圧し潰して入って来たせいで天井が三分の二くらいは落ちてしまっており、青空が仰げる空間になっている。
ドラゴンゾンビは太陽の光を浴びても全く気にせずに眠っている。
ドラゴンの寝息が酷く臭う。
明らかな腐敗臭が強くなり、不快極まりない。
わたし達は口に布を巻いて覆い、少しでも臭いを軽減する。
腐っている魔物はこれだから嫌いなのよね。
スケルトンや亡霊ならともかく、ゾンビは死臭と腐臭を撒き散らす上に臭い汁まで飛ばしてくるし、本当に相手したくない。
ゾンビより酷いのがキャリアーという魔物で、病原菌を持っている動く死体だ。
あれと戦ってしぶきを浴びて、あとで病に掛かってうなされる冒険者は数知れない。
そんな感じで、不死系の魔物というのは本当に嫌な相手だ。
とはいえ、只のゾンビならまだ臭いとかくらいで済むけど、ドラゴンゾンビの本当に恐ろしい所はブレス攻撃だろう。
ドラゴンゾンビのブレスは金属と生物を腐食させてしまうという恐ろしいものだ。
浴びればあっという間に骨になってしまうだろう。
それだけは是非とも喰らいたくない。
息と足音を殺しながらドラゴンゾンビに接近する。
わたしには一つの懸念があった。
「ドラゴンゾンビ、寄生されていないかしら」
寄生体は隕石に乗ってやってきた。
そして隕石が墜落したあと、すぐにドラゴンゾンビは迷宮から飛び出して来た。
ドラゴンゾンビは寄生体たちに群がられてたまらずに飛び立ったのではないだろうか。
「いや、触手の類などは見えないな。寄生されていれば体のどこかしらからはみ出しているものだが」
「あら意外。何でかしら」
「推測にすぎぬが、腐食息のせいかもしれぬな」
そういえばそうか。
寄生体も生物の一つには変わりないのだから、腐食ブレスを喰らったらひとたまりもない。
憑りついてブレスを貯めている臓器を破いたりして、自分が腐らされる訳にはいかない。
迂闊に近づけないわけだ。
「寄生はせずとも腐竜の背に便乗してここまでやってきたのだろうな。そうやって他の生物を利用して生息域を広めるつもりだろう」
「中々知恵が回るわね」
「それはさておき、今はどうやってこいつを倒すかだ」
「ゾンビになっても逆鱗付近は弱点なんでしょうか?」
アーダルが質問する。
「動く死体とて首を飛ばせば動かなくなる。竜でも変わらぬだろう」
「だったら、ミフネさんの一撃が一番有効でしょう。この中では間違いなく一番のアタッカーですから」
「道理。ならば俺がまず、竜に一泡吹かせてやるとしようか」
「その前に支援をさせて」
わたしはプロテクションとディバイン・エンブレイスを掛けた。
皆に柔らかな光が包み込み、穏やかな空気が纏われる。
嫌な臭いも軽減された。
わたしは臭いに辟易していただけに、これは有難い効果だった。
出来れば敵の防御力を落としたかったけど、それは流石に僧侶の奇蹟の領分には無い。
やっぱり魔術師も居ないとどうしても片手落ちになるなぁ。
魔術師、戻ったら改めて募集しないと。
そして宗一郎が、背中の野太刀を抜いて呼吸を整え始めた。
白い靄が体から立ち上り、刀にも白いオーラが纏われる。
「噴、破!」
竜は眠っているおかげで姿勢が低く、頭が下がっている。
宗一郎はそのまま走り込んで、顎の下の逆鱗の部分に野太刀を振るう。
生半可な刃を弾く竜の鱗を切り裂いて、皮膚に、肉に深々と刃は突き刺さる。
瞬間、ドラゴンゾンビはけたたましい叫び声を上げた。
「GUUUUUUUUUUUUUOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」
叫び声がそのまま衝撃として領主の間に響き渡り、びりびりと空気と建物全体が震えている。
同時に、お腹の底から恐怖が呼び起こされてきた。
吐き気と身の毛がよだつような恐ろしさ。
強大な存在を前にして、自分たちがまるで小ネズミのような気分になる。
臆するな。
ぐっと歯を噛み、恐怖を押し殺す。
そして牙をむき出しにして笑い顔を作る。
やっとここまで来たんだ。
悪いけど貴方は討伐させてもらうからね!




