第十三章 4
言葉というものは、口に出してしまえば何となく成立するような気がするものだ。
でも今のイカロの言葉はといえば、何にも反射せず、線香花火のようにちりちりと拡散していくだけだった。平たく言えば彼が何を言い出したのかよく分からなかった。
それはゼウスも似たようなものだったのか、小首をかしげて問い返す。
「僕に……何を託すと」
「これをご覧ください」
イカロが指先で示す。すると足元の灰のような薄片が舞い上がり、ジグソーパズルのように虚空に骨組みが生まれる。その空白を埋めるようにさらに灰が巻き上がり、巨大な塊へと組み上がっていく。
グラウンド全体が地下に大きく沈降したため、周囲は断崖絶壁の眺めだ。その空間の中で組まれていくのは巨大な円筒形の物体。周囲に八つの筒を抱え、全体はペットボトル型。胴部に電子基盤のような複雑な模様を刻んだ……。
「ロケット……?」
私が呟く。ロケットといえば乗り物というより燃料タンクのお化けのような印象があったが、これは少し違う。全体がメカニカルで、下部はエンジンを連想させるパイプワークがあり、全体がデコボコしていて空気抵抗が大きそうに見える。
流線型でないということは、空気抵抗などさほど重要でないほど推力が大きい、ということだろうか。
「核融合エンジンを備えた外宇宙航行船です。全長270メートル。居住区画の床面積は倉庫を含めて325平米。最高速度は理論上は亜光速に達します」
「イカロさま、これをどうしますの?」
亜里亜が話の方向が見えないという風情で問いかけるが、イカロはあくまで静かに、ゼウスへと視線を流しつつ言う。
「ゼウス、この世で最も価値のあるものは何だと思いますか」
「演算力だろう」
脳の大半を半導体に置き換えてるがゆえか、彼は淀みなく答える。
「違います。本当に価値のあるものとは、質量です」
「質量?」
問い返すのは私だ。イカロは腕を大きく広げて、組み上がっていくロケットを仰ぎ見る。
「そうです。演算力とは所詮は道具に過ぎません。我々は演算力という力を手に入れましたが、それを生み出すリソースとは質量です。質量は演算力に変換でき、それによって我々は資源を手に入れ、豊かさを手に入れ、友人や恋人のような人格すらも生み出せるのです」
そして空中に星が浮かぶ。それは脳への干渉によって幻視される映像か。恒星のまわりを周る惑星系のようだが、太陽系とはかなり違うようだ。
「演算力を手に入れた人類にとって、地球はあまりにも軽すぎるのです。我々は広い宇宙へと出ていき、異なる恒星系にて大いなる質量を得る旅に出るべきなのです」
つまり、それは……。
「ゼウス、これこそが真なる創造主の御座。万物を支配すべく、空から降り立つ創造神の御座なのです。あなたならこの旅が可能です。人間としての肉体と精神性、そして生命としての寿命を超越した貴方なら」
――ゼウスは。
しばらくはイカロの目をじっと見つめていた。そこに感情の色は乏しく、話をどのように受け止め、どのような思慮を重ねているのか。
彼が疲れているように見えるのはいつものことだったが、何だかあきれたような、面倒な仕事を突きつけられた若手社員のような、という形容が浮かぶ。
「なるほど。いいだろう」
のっそりと立ち上がる。その足元でプラモパーツの海のようだった地面が固まりつつあった。コンクリートのような質感になって、周囲も階段状に硬化していく。
「すぐに出られるのかい」
「はい、核融合エンジンを構成する超硬質材料。特殊な部品、液体燃料や冷却水、医薬品などは用意してあります。積み込みも迅速に行われています」
いったいいつから用意していたのか。私たちのいる足場はだんだんと形をなし、階段で構成されるすり鉢状の空間となる。目の前には佇立する大型のロケット。周囲を8つのエンジンノズルのようなものが取り巻いている。白い蟻が鎖状に連なって発射台となり、また足場ともなり、ベルトコンベアが内部に次々と荷物を運ぶ。数十の作業が並列的に行われ、ロケットはもはや打ち上げ間近のような存在感を備えつつある。
「高度1万メートルまではドローンによって輸送します。そこで時速1200キロまで加速。サブエンジンに点火して衛星軌道まで行き、第一宇宙速度を超える辺りで核融合エンジンに……」
「もういい、わかったよ」
ゼウスは頭を振り、ロケットのほうに歩み寄る。
「行こう」
私は、ゼウスのその時の声。
その感情のこもらない、空虚な響きに不思議な哀愁を感じた。
許しがたい相手ではあるけれども、その時のゼウスはあまりにも空っぽだった。怪物じみた残忍な気配は、悪魔のような冷徹なまなざしはどこへ行ったのか。あるいは最初から存在しなかったようにすら思える。彼が人工知能だと知ったためか、あるいは彼すらも圧倒するような演算力の極致を見たためか。
――宇宙への大いなる旅?
そうではないだろう。
何のことはない。これはただの追放刑ではないのか。
イカロの作り上げた外宇宙航行用ロケット、これでゼウスを宇宙の彼方へと追放すると言うのだ。ゼウスは逆らうことなくそれを受け入れると……。
「少し待って」
その発言。
最初は私の口から出たのかと思った。そのぐらい、私がそれを言おうとするのにかぶさって生まれた声だ。
今のは……。
「プルートゥ」
振り向く。コロセウムのような眺めになったグラウンドを、ダークスーツの彼女が降りてくるところだった。
「プルートゥ……あなた別の場所にいたんじゃないの? どうやってここまで」
「迷宮が生まれて、ゼウスがここへ来るまで一時間弱ありましたからね。私の本拠地からギリギリ来れるだけの時間はありましたよ。ケイローン様を頼って送っていただきました」
ケイローン……まだ演算力を残していたのか。
いや、それ以前になぜ彼女がここに。
「……プルートゥ、何か」
イカロが少し身構える気配をする。ここで場をかき乱されたくはないのか。
「私も行きましょう」
その発言に、場の全員が少なからず驚く。
「あなたも……ですか?」
「ええ、核融合エンジンの出力と、ロケットの大きさについてはこちらでもざっと計算しました。一人分の食料と水、その他物資を追加しても十分に余裕はあるでしょう。必要とあれば内部で冷凍睡眠装置ぐらいは作りますよ。この規模の外宇宙航行となれば、必要な機械を内部で作れる設備もあるのでしょう」
プルートゥは、ゼウスに歩み寄って背中をぽんと叩く。叩かれた方は何だかぼんやりとした顔になっている。
「……君とはあまり接点がなかったと思うんだが」
「いくら人間を超えたと言っても、長旅は辛いものですよ。あなたの痛みに寄り添えるのは私ぐらいなものでしょう。いかがですか、二代目の創造主」
「……」
言われた方のイカロは、少し顎を引いて感情を隠すような仕草をする。
イカロにとってプルートゥの登場は予定外だったのだろう。流れを変えたくはない、しかし彼女の提案を受け入れるのが正解かどうか、という葛藤が見える。
「……長く困難な旅になります。覚悟はおありですね」
どこか義務的な様子で言う。プルートゥが肩をすくめて「ええ」と答え、イカロは短い間に深い逡巡を見せたように思えた。
しかし提案を呑むしかなかったのだろう。彼は何かに矯正されるように、頭を押さえつけられるように短くうなずく。
「二代目の創造主。準備にどのぐらいかかりますか」
「……すぐにでも。このロケットは140億のユニットから構成されています。核融合エンジンから電力を得て、内部で有機物を除くあらゆるものを生み出します。ユニットは演算装置としても作用しますので、すなわちこれは演算力の結晶でもあるのです。旅の間のどんなトラブルにも対応できますし、長い時間の中で自己進化を続けることもできます」
「イカロ様、ユニットの集合って、それで大気圏突入とか耐えられますの? 摩擦熱でユニットが壊れるんじゃ」
「亜里亜、大気圏突入で外殻が高熱になるのは断熱圧縮のためだよ。核融合エンジンは自重を支える推力を十分に生み出せる。時間をかけて大気圏に降りていけば熱は発生しない。もっとも惑星によって突入条件は異なるけれど」
「そうですか、では行きましょうゼウス」
プルートゥはなぜか見せつけるようにゼウスと腕を組み。目の前に出現する階段を登っていく。
「ゼウス! ちょっと待って、聞きたいことが」
私がそう呼びかけるのを、ゼウスは振り向きもせずに応じる。
「僕が地上を去れば、演算力による隠蔽も消える。知りたいことがあるなら自分で調べればいい」
「……」
ゼウスはというと何だか気の失せた、投げやりな様子だった。二人はロケットに乗り込み、側面が音もなく開いて二人を飲み込む。
「吊り上げ開始します」
その巨体がゆっくりと浮かび上がる。上空では台風の吹き荒れるような音。おそらく数十基のドローン群によって釣り上げられているのか。ドローンと言っても一つ一つが輸送ヘリほどの出力があるのだろう。
「ゼウス……」
何だろう、この情景は。
二人は地上を去り、そのまま果ても見えない宇宙に旅立つ。その事がどこか戯画的に行われている。大仰な書割の中で行われる時代劇のような。あるいは酔っ払いの語るホラ話のような。現実感が喪失した眺めだ。
そう、無相真宮世界。
触れることも、感じることもできない世界。完成された存在であり、人の世界を超越した究極的な概念。それはイカロが支配する世界であり、演算力がすべてを統率する世界。
そして、人の手の届かない世界。
はるか星の海を征く船。この迷宮は、その船のことをも指していたのではないか。
これがイカロの真の目的なのか。
彼は迷宮の創造主となり、演算力の争奪戦を終わらせたのか。
彼は父親の仇であるはずのゼウスを排除し、ゼウスと私の因縁を排除し、走破者同士の争いを終わらせた。
あるいはイカロが消してみせたのは、人生の悲喜劇というものか。
彼はゼウスのすべてを否定したとも言えるのか。ゼウスは自分にとって宿敵に値しないのだと。ゼウスの生み出した悲劇も絶望も、そのすべてを宇宙に放逐するのだと……。
「ミズナさん、大丈夫です」
ふいにそんな声が聞こえる。
「ミズナさんのお父様はかならず見つけ出します。しかし演算力は人間には過ぎた力です。僕はもうしばらく、この力を封印すべきだと考えます。走破者によって生まれた世界の混乱も、可能な限り修復を……」
「イカロ、そんなことはいいのよ」
イカロは少し大人びて見えたが、その振る舞いと言動はどこか芝居がかって見えた。あの最初の夜。怪人デルタと名乗って私の前に現れた時と似ている。彼にとって大人とは謎めいていて、皮肉屋で、慇懃無礼なイメージなのだろう。
「イカロ、あなたの判断に反対はしない。あなたはもう子供じゃない。たとえこれが真っ当な結末でも、不当な独善でも私はそれを責めない。でも、やったことには責任を負わねばならない。分かってるわね」
「はい」
どれほど壮大で派手な眺めにしてみても、やはりこれは流罪。
ゼウスは甘んじてそれを受け入れたのだ。今の一幕はやはりイカロの復讐であり、ゼウスの償いでもある。有り体に言ってしまえば私刑でもあるのだ。
それを責める気はない。私たち全員が見送ったのだし、ゼウスは人間の社会で裁ける存在でないのも本当だろう。
問題はイカロの心ひとつ。彼がゼウスを裁いたという事実を受け入れ、それを心に留めて生きていけるかどうかだ。
「イカロ様、でもよろしいんですの? ゼウスがこのままどこかの星に辿り着いて、王様になっても」
「いいんだよ亜里亜」
幻影のイカロは亜里亜の頭に手を伸ばし、そっと髪を撫でる仕草をする。
「地球からもっとも近い恒星系はプロキシマ・ケンタウリ。ここには2つの惑星が確認されているけど、質量を演算力に変換できる環境かはわからない。きっと長い旅になるだろう。核融合エンジンに改良を加えていくとしても、おそらく数百年。あるいは数千年。ゼウスがどのように旅をして、どこに辿り着くとしても」
そしてイカロは皆を振り向き、せいいっぱいに笑う。
「僕らみんな、とっくに死んでるさ」
Tips 地球に近い恒星
地球からもっとも近い恒星はケンタウルス座の方向に見えるプロキシマ・ケンタウリ。地球からの距離は4.244光年。約40兆キロメートルである。
宇宙に点在する恒星系はそれぞれ移動しており、およそ136万年後、へび座のグリーゼ710が地球から1光年の距離にまで接近すると見られている。




