第十三章 1
失われし過去からまだ見えざる未来へ、歩むその道は果たして唯一無二なのか。
迷い、ふらつき、枝道に分け入り、堂々巡りを繰り返した日々も、時の氏神の定めし必然なのか。
蟻のごとき余人の一生、哀楽混沌たる時代のうねり、まばゆき文化文明の興隆もそして衰亡すらも、等しく迷い子に過ぎぬのか。
では、いつの日か。
人々が迷宮から解放され、迷うことから赦される日も訪れるのか。
その時になれば、人はようやく。
自分自身を、心から肯定できるのだろうか。
※
「すでに迷宮に……?」
タケナカが呟き、部屋を見渡す。
違和感はない。私から見ても何も感じとれない。普段から潜っているダイダロスの拡張世界でもそれは同じことだが、空気の匂い、低い空調の振動、己の内臓の熱すらも、ここが現実であると訴えてくる。
「タケナカ、何か銃器を出してみて、拡張世界にいるときの感覚で」
「はあ」
彼も念じて。
そしてやはりというべきか、その手に木製のライフルが出現する。
「これは……」
「そんな、ありえませんわ。私たちはずっと画面を見てましたわ。Tジャックなんか使ってませんわよ」
亜里亜が肩をこわばらせ、大きく頭を振る。
「……Tジャックによる全感覚投入、あれは舌に電極を当てて、脊髄からの感覚に偽装したパルスを送り込む技術でしょ」
「ええ……」
「つまり脳をハックする行為とも言える……舌からでなくても、皮膚からでも可能なことは証明されてるはず」
舌に比べると精度は落ちるが、そのような研究もされているはずだ。
かつては頭蓋骨に穴を開けて電極を張り付けたり、延髄に16ピンコネクタのような大袈裟な機械を接続する技術もあったという。人道的な理由からTジャックによる方式が主流になった。
人道的なという部分はよく考えると論拠が曖昧な気がするが、かつてのロボトミー手術などを連想させる絵に、一部から強烈な拒否反応が起きたらしい。まあ分からなくもないけど。
「えーとですね……。でもミズナさん、私たちに電極なんかついてませんよ」
タケナカが首をかしげる。手を握ったり開いたりして疑問の表情である。
「……電波、じゃないかな」
「電波?」
「イージス艦をハックした時のことだけど、ダイダロスはたとえスタンドアローンのシステムであっても干渉して操作する。おそらく人間レベルでは潰しきれないセキュリティホールを見つけ、あらゆる認証を無効化してくる。そして人間の脳は、生化学的な仕組みで動く機械にすぎない……」
「まさか……」
電波にて人の脳に干渉し、全感覚投入を果たす。
とても可能とは思えない、それを実現するためにはいっそ子供じみた連想、SF的な発想の飛躍でもないと追いつかない。私だって信じてるわけではないのだ。
「催眠に近いことかも……音声や映像で人の認識をいじれるなら、あるいは電波でも……」
「待ってくださいますこと、それはおかしいですわ」
亜里亜が言い、己のゴスロリ服の裾をひるがえす。彼女のために特注された服は丈は短いけれども、その刺繍もドレープも一流品。空気を受けてふわりと広がるのに、どこか女性らしい腰のラインを見せている。
だがやはり、サイズは子供用だ。
「私は子供の姿のままですわ! ここが拡張世界なら、私はもっと成長した姿になるはず!」
……確かに。
「……もしかして、ここがイカロの作った世界だから、かもしれない」
そう言ってタケナカに水を向ける。
「イカロの作った迷宮ならプログラム的特徴でわかるんでしょ? どうなの」
「……えー、いま分析してますが」
ダイダロスの画面には黒曜石のかけらが映っている。いま私が出したものを映像に取り込み、三次元的に計測しているらしい。
「プログラム的な特徴が……見いだせません」
「どういうこと?」
「拡張世界で具現化するものは数学的にデザインされていますので、どうしても形状に癖と言いますか、規則性が生まれます。しかしこの石にはそれがない。まったく作為の感じられないありのままの形状とでも言いますか……。つまり自然石そのものなんです」
「……」
洗練されている。
すなわち、かつての拡張世界にあったバグや不完全性が根こそぎ取り払われている、と考えるべきだろう。
「イカロは亜里亜が拡張世界に潜ることに抵抗があったの。それはおそらく特異症例RVW-s、リップ・ヴァン・ウィンクル・シンドロームのため」
それは奇妙な現象だが、つまるところは拡張世界のバグだ、この世界ではそれが修正されたのだろうか?
「でも、子供の姿では走れませんわ……それでは私は……」
「……亜里亜、気持ちは分かるつもりよ。でもやはり、あなたは小学生でいるべきよ。心配しなくてもあなたはちゃんと成長する。将来はバイクにも乗れるようになる。それがイカロの望みでもある、そういうことだと思う」
「イカロ様……」
亜里亜は胸に手をあて、まだ動揺は残るものの、ここにいないイカロの意思を感じ取ろうとするようだった。
亜里亜は確かに重要な戦力だが、やはり優先されるべきは亜里亜の人生、拡張世界での奇妙な症状が治るのなら、そうすべきなのだろう。
そのとき。
「ミズナさん、もう一つの可能性についてはどうでしょうか」
アフロディーテが、舌に金属を乗せるようにひそやかに言う。
「もう一つ……?」
「この世界が、現実である、という可能性です」
「……!」
まさか……。
「ありえない、だって演算力で石を……」
「脳をジャックできるのでしょう? ならばこの場にいる全員に、そこに石がある、という情報を外部入力すればいいのです。全員が同じものを認識していれば、それが現実です」
「……」
私はしばらく考えて。
手に持った黒曜石を、部屋の壁に向けて投擲する。手首のスナップを効かせた雷速の一撃。
鋭角な部分を持つ石はモルタルの壁に衝突、ぱらぱらと粉状のものが剥がれ落ちる。
「あの石が幻なら、部屋の壁まで壊せるはずがない。たとえ壁の破壊までも認識させたとしても、実際には穴なんか空いてない、現実との齟齬が出てくるはず」
「……そうですね、今の仮説は否定されました、しかし」
アフロディーテはまだ納得できていないようだ。唇に指を当てて、何かを身構えるような姿勢で思考している。
「どうも信じがたいのです。イカロ様のことは赤子の頃から知っています。あの方が、私たちの同意もなしに全員を迷宮に引きずり込むなどありえるでしょうか。それではまるでデスゲームのイカれた司会者です」
「……それは、そうですけれど。でもイカロ様なら安全対策とかきっとちゃんと……」
亜里亜も困惑の顔である。
拡張世界に死がないとは言っても、人間には生理現象というものもある。肉体を見ててくれる人もいない状態で拡張世界に閉じ込められるのは、やはり恐ろしいことだ。
……何か、根本的に間違っているのだろうか。
「……私たちが現実世界にいるなら、このダイダロスの表示は何なの。無相真宮世界、この名を持つ迷宮にどうやってログインすれば……」
「違いますミズナさん。混同しないでください。迷宮にいることと、拡張世界にいることはイコールではありません。場合によっては現実を迷宮と成すことは不可能ではないはず」
……それは、つまり。
現実と迷宮の、垣根が消えつつある……?
それは何を意味するのだろう。あらゆる創造、あらゆる作品がメッセージ性を内包するならば、イカロはこの迷宮で何を伝えたいのだろうか。
「……そういえば、プルートゥとゼウスはどうなったの?」
最終最後の迷宮ならば、やはり競いあう形になると思うけれど。
「私ならここですよ」
ダイダロスに表示される小窓に、全員がはっと振り向く。
「プルートゥ!」
まさしくそれは彼女だ。ダークのパンツスーツと全身に巻かれた包帯。
背景は病室のような、白を主体とした簡素な部屋である。
「岩の中で耐えていましたが、演算力が尽きると同時にログアウトしたようです。肉体の蘇生については完了しています」
「どうやって回線を……」
「ダイダロスに通話アイコンが出ていたのです。どうやらゲームマスターからのサービスのようですね」
プルートゥは少し気だるげな気配を放っている。無数の死と再生を繰り返した余波か、それとも演算力を使い果たしたための、何かをやり尽くしたような感情の放散ゆえか。
「プルートゥ、そこは現実世界なの? 演算力で何かを出したりできない?」
「ええ、呼び掛けが遅れたので一分ほど前から会話を聞いてしまいましたが、私のいるここは、現実だと思うのですけどね。演算力が尽きているので確認できません」
……。
なんだか混乱してきた。いったい何が現実で、何が正解なのか。
「ミズナ様、余計なことを考える必要はありませんよ」
「余計なこと?」
「原則を思い出してください。迷宮は騙し討ちはしません。そして走破者は走ること以外の何も求められない。ミズナ様のやるべきことは何が起こったかを見極めることではなく、ゴールを探すことです。その迷宮にも必ずゴールがあるはずです」
「でも……さっき少し外に出たけど、何も不自然なところなんて」
私はタケナカの方に目を向ける。彼はすでに自分のタブレットPCを立ち上げており、マルチ画面に学園内部の様子が映し出されていた。
「えー、いま学内のカメラにアクセスしてますが、特に矢印ですとか、光の柱ですとか、ゴールゲートとかそういうのは無いみたいですけど……」
「……」
……よし。頭を切り替えよう。
私は深く息を吸って体幹から力を抜き、重心を腰骨からお尻の方に落とすイメージを持つ。走る前に行うメンタルコントロールだ。
「ちょっと外へ出る。タケナカとアフロディーテは学園内に異変がないか見張ってて」
「はい」
「それでは私はイカロ様のもとへ行きますわ。バイタルデータによるとまだ眠っておられるようですわね」
亜里亜はぱたぱたと廊下を西の方へ。私もシェルターを出て、いくつかの階段を登って三ノ須の中庭に至る。
すでに日は暮れている。季節はもう冬の入り口だ。風も肌寒く、私はジャケットの襟元を合わせて一番下のボタンを止める。
案ずるより産むが易し、とりあえず行動してみよう。学食で食事でも摂ってみようか、それとも拘束しているカストルとポルックスと話をしてみようか。
どうとも方針が定まらないまま、私は中等部から武道場の方へとゆっくり歩く。遠くから剣道のするどい掛け声が聞こえ、ランニングコースを走っている生徒とすれ違う。
わけがわからない、とばかりも言っていられないのだ。歩いてると血の巡りが良くなってきたのか、色々なことが思考できる。
仮定の積み重ねになるが、まず私達は迷宮の中にいるとしよう。
迷宮であるからにはゴールがあるはず。しかしどこにも見当たらない。
――ゴールが肉眼でしか見えない。
それはありえるだろう。しかしヒントすら見えないのは不自然だ。
空を見上げるが、光の柱が見えるとか、城が浮かんでいるなんてこともない。
――ゴールが地球のどこかに出現している。
突飛な想像だが、思いついてみるとありえる話な気もする。南太平洋にムー大陸が出現しているとか。イラクにバベルの塔が生えてきてるとか。演算力をフルに使えばどんな土木建築でも不可能ではない。それこそギリシャのクレタ島に大迷宮を作っているとか、そんな展開もありそうに思える。
いちおうダイダロスの情報収集を全世界規模にしておくべきか。
――ゴールがすでに見えている。
「……ん」
何だろう。さっき一度検討したはずなのに、なぜか気になる。
そう、確かに今までもそういう迷宮はあったのだ。スタート地点からすでに見えるものがゴール。
「でも、ゼウスはここにいない……おそらくは自分の本拠地にいるはず。三ノ須の敷地内か、ここから見える範囲がゴールになるなんてあまりにアンフェア……」
そうだ、この迷宮は何より私達とゼウスが決着をつけるための迷宮。どんな迷宮であれ対人戦の要素があるはずだ。
「……」
ゴールが、すでに見えている。
いま、私とゼウスの、両方が見ているものとは何か?
「まさか……!」
私は物陰に飛び込み、そこでジャケットと、灰色のアンダーシャツをまくり上げる。異変があるのはヘソの上。まずそこにあるのは砂時計のマーク。それに加えて。
「イカロ、冗談が言えるようになったじゃないの……!」
ガムテープを貼ったような、太い赤線。
GOAL、の文字が……。
Tips 三ノ須における課外活動
三ノ須学園のカリキュラムは学部や学年によるが、おおよそ16時までにはすべて終了する。
部活動は原則は21時までだが、申請すれば泊まり込みでの活動も許可される。泊まり込む場合、高等部までは寝具を借り受けて就寝すること、男女は別の部屋を用意することなど、いくつかの学則が設けられている。
なお、課外活動の制限は大学部以降には適用されない。




