第十二章 9
上空を見る。
何度かの攻撃により円盤は姿勢を崩している。その下部の球体から黒煙が上がり、数十メートルも刺さっている槍も見える。反撃している余裕がないのか、レーザーは止んでいた。
あれを討伐することが迷宮の目的なら、間もなく勝負は決する。
「ミノタウロス! 休みなく攻撃を!」
ミノタウロスは気配のみで同意を示し、鎖骨の傷を火花と共に修復する。そして両腕に出現するのは両刃の斧。
「持久戦を仕掛けるつもりか、死を超越した私に愚かなことを」
そして肉体と刀と、斧が乱れ飛ぶ乱戦。
私の蹴りを刀の柄尻が受け止め、振り下ろされる両刃斧が冥王の右腕と右足を斬り飛ばし、一瞬の間も置かず切り払われる刀が牛鬼の胴を薙ぐ。
鮮血と苦鳴、ミノタウロスが引くと同時に私が前へ、膝を抜いてから一気に体勢を落としての足払い、プルートゥは倒れつつも廻って刀を石板にぶち当てる。私のジャケットを刃がかすめ、上空に大岩を出しつつ後退。二人の間を岩が塞ぐ。
格闘技の心得があるとはいえ、私は達人でも何でもない、刀を持った相手と長くは戦えない。
対してプルートゥの刀は冴えを増している。それは生と死を超越した者の凄みか、カウンターを物ともしない不死者ゆえの技か。彼女はその刀を大上段に構え――。
「今!」
だがそれは私も同じ。この世界での真実の死はない。命がけの行動も取れる。
私はプルートゥに正面からしがみつき、大上段に振り下ろされる太刀筋を肩口で受ける。鮮血が吹き出すが、勢いが乗り切る間に止めた。切断には至らない。だがやはり、火箸で焼くような痛みが伝わる。
「うぐっ……」
「クリンチ? 無駄なことを……」
そうではない。
もう十分なはずだ。この石舞台に限界が来るのが。
「ミノタウロス!」
その腕は俵のように張り詰め、振りかぶる両刃斧は黄金の輝き。
稲妻のごとく打ち下ろす。
轟音と破局。石舞台の中央から亀裂が八方に突っ走り、分厚い石板が砕けて足元から浮遊感が襲ってそれが腰から頭まで駆け抜ける。
「何!?」
そして落下。支えとなっていた道路との接合部分だけを残し、無数の石片とともに落ちていく。
「くっ……愚かなことを、こんなことが何になる」
クリンチのまま落とすだけなら、プルートゥを倒すにはほど遠いだろう。だが。
狙い通り。真下にあるのは球状の構造体。そこだけは道路がやや赤黒く、密度が高い。
私はプルートゥにしがみついたまま落下軌道を調整。毛糸玉のようなその道路の塊めがけて落ちる。
落下。プルートゥが背中からぶち当たる形になり、背骨といくつかの臓器が砕ける。周囲の乗用車が私たちに反応して動きを止める。
「何を……」
そして想像と創造。この球体を包み込む球体の岩を。それはカルデラ地形のように、両手で包み込まれるような雄大な山系。
「龍哭!」
瞬時に形成される岩の塊。数億年も前からあるかのような、泰然自若たる静かな山。
それが赤黒い球体ごとプルートゥを包み込む。
「これは――」
封じられる一瞬、彼女の目がはっと開かれる。
彼女も察したのだろう。自分がどこに封じ込められるのか。
一瞬だけ、彼女は抵抗の意思を示そうと手を伸ばし。
だが何も掴むことは叶わず、その腕ごと巨大な岩の中に封じ込められた。
「……プルートゥ、そこは心臓よ」
周囲には竜巻の内部を連想するような、数え切れない高架道路の重なり。その中に浮かぶ大岩。マグリットの絵画のようなシュールレアリズムの光景だ。
ヘカトンケイル……これは一個の走破者だというが、あくまで肥大した人間であり、不死身ではない。
爆薬でもあの槍でも、プルートゥがこの岩を破壊して出てこようとすれば、この走破者が死ぬ可能性がある。
「プルートゥ、あなたはやはり無敵の走破者だった」
いかなる手段を用いても、拡張世界で彼女に死を与えることができなかった。
死の存在する巨人と一蓮托生にすることで、ようやく封印できたのだ。
彼女は間違いなく、神話の巨人よりも強かった。
「白夜封刻……暗い夜は来ず、刻が固定された場所。つまりは変化の拒絶。「永遠」の意味よ。あなたを封じるなら、相応しい場所でしょう……」
『……さん、ミズナさん、聞こえますか、30秒おきの呼びかけです。答えたら返事を』
「聞こえるわよタケナカ」
どうやら通信も回復したようだ。プルートゥは敗北を認めたか、抵抗はしてこない。
『ミズナさん、例の銃について鑑定結果が届きました』
「銃? それは後でいいわよ。それよりプルートゥを封印できたんだけど、もう一度上に上がりたいの、何か乗り物を……」
『いえ、この結果は今すぐに。銃に付着していた皮膚組織の遺伝子を解析した結果、銃を使用した人物は白人系。身長は成人時で165から175、髪は細くおそらくはゴールド。目の色はブルー。男性です。おおよその顔立ちも解析できていますが、そのすべての特徴に合致する走破者は……』
「……」
やはりそうか。
予想の一つではある。イカロに伝えるのは気が重いが、少なくとも天塩創一氏の死が自殺ではなかったことは判明したわけだ。
「分かったわ、イカロを見つけたら私から」
『いえ、この先が重要なのですわ』
亜里亜の声だ。いつもと違う緊迫した雰囲気がある。
「この先……」
『ミズナさん、この銃には二種類の血痕が付着していましたの。拭き取られてほぼ無いに等しい量でしたけれど、放射光鑑定で解析できましたわ。一つはイカロ様の遺伝子サンプルに酷似していた。これがイカロ様のお父様のものでしょう。そして、もう一つはミズナさん、あなたによく似ていますわ。自然界には存在し得ない、ゲノム編集者の遺伝子が』
「え……」
「手ぬるいな」
上空からの風切りの音。
とっさに頭をかばう。私を囲むように降りるのは十数本の影。それは両刃斧かと思ったが違う。墓標のように岩肌に突き立つのは黒い機械。それが緑色のランプを発光させ、岩全体から白煙が上がる。
無数の道路が食い込んだ大岩、その隙間から、高温のスチームが。
「なっ……」
そして私の真横に降り立つ影。牛面人身の怪物。
彼が数百メートルを落下してきたことに今さら驚きはしないが、なぜこの場所に。
「何をしたのミノタウロス!」
「マイクロ波を岩の中に放射している。電子レンジと同じ理屈。内部の温度は700度近くまで高まっている」
靴を通してすさまじい熱気が伝わってくる。たまらず私は停止したままの車の上に上がった。その車もタイヤが熱されて白煙を上げ、ホイール部分が真っ赤に染まっている。
「ネクタルを含めてすべてを炭化させるには少し足らない。だがそれが丁度いい。プルートゥは無限に融溶と再生を繰り返し、演算力を限界まで搾り取られる」
「やめなさい! もう決着はついている!」
ぴし。
「がっ……!」
背中に鋭い痛み。途端に手足の感覚が喪失し、胴がその重みで沈んでいく。私はボンネットの上にくずおれる。
「忘れたのか、雷霆、髪の毛ほどの導線を君の背中に張り付けておいた」
「あ、あな、た……」
声が。
先ほどまでのくぐもった低い声から、一変して……。
舌がまともに動かない、首だけが転がっているような感覚が……。
「ふむ、どうやらアダムスキー型円盤も崩壊したようだ。見えるかい、円盤が点になるほど縮んで、この手へと降りてくる」
ミノタウロスは片腕を上げてそれを受けとる。黒一色のゴールプレート、だがそんなことはどうでもいい。
視線だけをわずかに上げる。その先で牛の面相がほどけていく。
それは無数の紐状の組織の集合体だったのか、刺繍の糸を抜いていくように輪郭が欠け、その内部から現れるのは色白の肌。
その髪は色素が薄く、瞳は寒々しい冬の空のよう。何かに疲れ果てているように生気がなく、しかし目の奥が病的に光る剣呑な気配が。
「ゼウス……!」
彼は人工筋肉とビジネススーツを解除し、寒色のランニングウェアのような姿となる。そして私を静かに見下ろす。
「無理に動かない方がいい。この間合いでは僕の雷撃が確実に当たる。攻撃するだけ無駄だ」
『この卑怯者! 牛の中身はあなたでしたのね! ミズナさんを騙して共闘させたのですわね! 純情を弄んだのですわね!』
広域ボイスにてとどろく亜里亜の声。ゼウスはうろんげな目を虚空に向ける。
「あまり仲間をなじるようなことを言うものじゃない」
『え……?』
「彼女は一度、ノー・クラートの策略にかかって襲撃を受けている。二度も騙されるほど間抜けだと思っているのか」
『何ですって』
……。
「彼女は演算力で父親を探しただろう。だが見付けられなかったはずだ。演算力でも見つけられない状況とは、死んでいるか、同じ演算力で守られているかだ」
『どういう意味ですの』
そこにタケナカが言葉を挟む。
『……亜里亜さん、ミノタウロスは自分がミズナさんの父親、北不知蓮二氏であると仄めかして手を組みました。その通りであればよし。そうでない場合は、すなわち蓮二氏は既に死亡している、ということになるのです』
『あ……』
亜里亜が口をつぐむ気配がある。銃に付着した血痕が私のものと似ていた段階で、タケナカにはおおよその事態が見えたのだろう。
それは、私にとっては最悪であり、最低の結末。
「北不知ミズナ、彼女もうすうす分かっていたのさ。なぜなら彼女の父がミズナ君を一度捨てたとしても、ここまで来てなお正体を隠すのは不自然。彼女は必死に、正体を明かせない理由を考えていたようだがね」
――あなたは何者なの。どこかの政府機関が送り込んだエージェント? それとも正義の味方だとでも言いたいの。
「だが彼女は僕との芝居に付き合うしかなかった。拒めば、それは父の死を確定させることになるからだ」
――あなたの正体はうすうす分かっている! あなただって察しているはず! その上で正体も明かさずに頼み事!?
「葛藤は激しかったが、彼女は受け入れた。それが針穴を通すような極小の可能性だとしても」
――許せない相手なのに……。
「共闘するのが憎くてたまらない相手だとしても、だよ」
――もう逆らうことはできない。
――それは私の弱さだろうか。あるいは人間としての当たり前の反応なのか。
……そう。
すべてはゼウスの語る通り。
あるいは私ですら、明確にすべての可能性を思考できていたわけではない。それを具体的に考えることは恐ろしく、私はただ恐れと緊張の中にいた。
この薄氷のごとき邂逅が。父と共にいる時間が、どうか幻であってくれるなと、思いながら……。
『ミズナさん、そんな……』
「ゼウス、私はあなたに騙された訳じゃない」
喉の奥から声を振り絞り、苦々しさを込めて言う。
「……賭けに負けただけよ」
「賭けか、なるほど」
ゼウスは不安定な印象で瞳をさまよわせ、見えない引き出しから言葉を一つ二つと取り出すように、途切れ途切れに言う。
「だがそれも間違いだ。勝負する前からカードの役は決まっていて、どれほどカードチェンジを重ねてもブタしか来ない。君はテーブルに座った時点で負けている。君がいたのは最初からゴールなどない迷宮なのだよ。なぜならゴールとは僕にしかないのだから」
「……何を言っているの」
「スタートは何処だったと思う?」
スタート。
物語の始まり。私が迷宮に挑む切っ掛け。それはあの日の夜、怪人に扮したイカロと、夜の校舎で出会って。
いえ、それよりも前、イカロが孤島の屋敷で、私についての映像を見て……。
「まさか……!」
「僕にも分かった。彼女は走破者になれる器だとね。イカロ君も島を出たがっていたし、島を出たら君に会いに行くことは予想できたよ。だが一つ足りなかったのは動機だ。君には迷宮に挑むべき強烈な動機がなかった。演算力を扱うとは人の世の倫理を侵すこと。動機が無ければ踏み込んでは来ないだろうと思った。母親の病気というのもあったが、それは僅少の演算力でも解決できる問題だからね。君には遠大で困難で、絶対に解決できない動機が必要だった。イカロ君の手伝いではない、君だけの動機が」
だから、父をこの世から消したと言うのか。
私を走破者にする、ただそれだけのために。
「り、理屈に合わない……。なぜそこまでするの。あなたとはこの迷宮で、わずかに共闘しただけ。その為だけに、人生に介入なんて、そ……そこまでする意味が……」
「ミノタウロスが、無貌の存在だからだよ」
石や土について語るような、ゼウスの乾いた声。
「ミノタウロスは何者でもある。生き別れた恋人でもあり、倒すべき仇でもあり、誰かの肉親でもあるのだよ。君が初めてという訳じゃない。他にもたくさんの「正体」を使い分けた。走破者は演算力を手にしてからは手が出せないが、走破者になるまでは実に無防備だからね。柔らかく脆く、どのようにでも加工できる……それにね、ミズナくん」
彼は私のそばにかがみ込み、静かな、いっそ優しげな声を出す。その声に内臓がねじれるような嫌悪を覚える。
「僕については知っているだろう。僕は、コミュニティのみんなと心中を試みたが、その時には僕はすべてのメンバーと意思を同じくしていた。僕たちは家族であり、たった一つの人格だったのだよ」
「……? な、何を」
「それは、僕に関わってきた全ての人間について同じなのだよ。全ての人間が僕と同じ考えを持つべきだし、必ずそうなる。僕は天塩創一氏でもあるし、ケイローンでもあり、ポセイドンでもあり、北不知蓮二氏でもある。彼はアスリートとしての高潔さを持った素晴らしい人物だった。僕も彼のすべてを知って、その人生を取り込んで僕の一部とした。だからねミズナくん、君は僕の娘でもあるのだよ。そして君もまた、いずれ僕の一部となる。世界が僕の意思と一つになり、何一つ不完全な部分のない、完全なる平穏が訪れる……」
――ゼウスは常に仲間を求めていますからね。
――あれはこの世の生き物とは違います。話していると世界というものの整合性を疑ってしまう。人の世の倫理観の外側へ蹴り出されそうになる……。
ゼウスの手が、動けないままの私の頬を撫でる。
悪魔。
そのような言葉すら生ぬるい。こいつは一体今まで、何人の人生に介入してきたのだ。
走破者に仕立てあげ、味方を装い、いざという時の手駒にしようと狙っていたのか。
迷宮は、演算力はいつからこいつの玩具になっていたのか。あるいは、それは最初から……。
「龍哭!!」
瞬間、意識のすべてを演算力とリンクさせるような感覚。突き上がる岩盤が目の前のすべてを粉砕せんとして。
ぎいん。と。
その動きが止まる。
防いだのは盾。
私の眼がそれを認識する。虫のように小さなユニットが密集し、結び付いて絡まりあい、瞬時に構成された、黒一色の盾が……!
Tips 遺伝子で分かること。
人類における遺伝子情報はほぼ共通しており、個人での違いは0.1%程度である。
明確に分かることは人種、髪の太さ、目の色など。身長は80%ほどが遺伝的要因で決まり、残り20%ほどが環境要因と言われる。




