第十二章 7
『まさか、そんなことが』
私のつぶやきを聞きとがめて、タケナカが言う。
『あれが生命体だって言うんですか? ただのコンクリートの道路とスチール製の自動運転車ですよ』
「……人間だって顕微鏡で見れば似たようなものかもしれない。筋肉はタンパク質の連なり、骨はカルシウムの構造体、赤血球は栄養を巡らせるための微少構造物」
『しかし動ける道理がありません。あれは迷宮の創造者による大規模なギミックでは?』
そう、道路が血管だとしても、あれは常識的な生命からあまりにもかけ離れている。
しかし生命の定義を何に置くのか。あるいはそれが、移動して行動できることだとすれば。
「演算力よ」
『え?』
「走破者は演算力で何でも生み出せる。車でもコンクリートでも。プルートゥの例を出すまでもなく、自分の肉体すらも生み出せる」
何かを生み出し、または消滅させる。
移動というものを座標の変化と定義するなら、生成と消滅もまた移動であり動作なのだ。
私の目の前で巨人は動きつつある。動きに合わせて道路が水平を維持するようにねじれ、腕のように伸ばされる数千本の道路の集合体。
「あれは生命体であり迷宮の番人。そして演算力の使い手!」
影が生まれる。
黒一色の、天から地へと真っ直ぐに伸びる黒い影。数十のコンクリートの帯がそれを取り巻き、絡みつき、そして腕の中に青緑の閃光。柱が真上に跳び、衝撃波の白い風が迷宮を突っ走る。
「!?」
あれは、まさか槍。
高速で飛ぶその黒い槍が円盤表面に突き刺さり、周辺に小爆発を起こす。距離が離れているから火花程度に見えるが、実際には家屋が数件吹き飛ぶほどの大爆発だろう。
「タケナカ、あれは何かわかる?」
『おそらく超硬度の……特殊な物質としか言えませんね。ハイパーダイヤモンドか金属融合体か、ともかくあの円盤を突き破るほどの硬度の槍です。材料物性からして現代科学のはるか先を行くような……。接触する瞬間の速度はですね、推定ですが秒速3キロメートル以上』
上空の円盤、あれが宇宙を旅してきた船だと言うなら、高速度の宇宙塵にも耐えられる装甲なのだろう。隕石衝突に近いほどのスピードで超硬度の槍をぶつけて、ようやく機体を損傷せしめるのか。
「砲門でそれだけの威力を出せる? あるいはレールガンか何かで」
『じ、実験室程度の話ならともかく、質量兵器としては想像もできませんよ。接触部分の破壊力は核すら遥かに超えてます。歴史上のどんな兵器でも及ばないほど……』
「……双眼鏡をちょうだい」
それは手の中にすぐ出現する。覗き込めば、迷宮の中では数千台の自動車が道から転落し、道路それ自体も砕けて砂埃の落ちるような眺めだ。だが迷宮の規模があまりに大きいので、形成された腕には影響が見えない。
見れば車は道路に張り付くように動き続け、腕の中を循環している。
「……さすがに腕を振って槍を投げているわけではない。電磁誘導的に射出しているのね。ということは少なくとも槍は金属ではあるのか」
「プルートゥがいる」
ミノタウロスが言う。
私達がいるのは人体で言えば膝のあたり、迷宮の巨人は上半身だけを起こすような姿勢になっている。
「どこ?」
「脳のあたりだ。見え隠れしている。もう見えない」
この巨人があまりにも巨大な立体構造になっているため、視野の狭い双眼鏡で何かを見つけるのは至難の業だ。ミノタウロスは人工筋肉を纏った怪物らしいが、視力にも何か細工をしてるのだろうか。
「始末する、あそこまで行く」
「……行く、といっても」
この迷宮の全体像は見えてきた。
かつての「雷火蜂群の業邸」がサラ夫人と亡霊たちの戦いだったのと同じ。
これは巨人とあの円盤との戦いというわけか。あの円盤を走破者たちが破壊するのは容易ではない。だから演算力の使い手であるこの大地、迷宮の巨人を使って倒させる、と……。
おそらくスタートの段階。迷宮の巨人は傷つき、動けない状態だったのだ。それを修復することで味方につけ、上空の円盤と戦ってもらう……というわけか。あまりにも常軌を逸した規模だが、ストーリーとして理解はできる。
「……亜里亜、今どこ?」
「地上ですわ。巨人が身を起こして空地になった部分にいて……ものすごく大きな背中が見えてますわ。千階建てのビルみたい……」
「亜里亜、飛行機なら一気に脳の近くまで行けると思う。様子を見ながら準備して、ガチガチに装甲で固めた乗り物を……」
視線の端に影が。
「……?」
なんだろう、いま、巨人の体が膨らんだような……。
「あれは……」
いや、錯覚ではない。
その背面から生えている……というよりその場に出現しているのは腕だ。何もない空間にコンクリートの道が無数に生まれ、そこを走行する数万台もの車両も生まれる。
腕は次々と形成される。二本、八本、三十二……。
「ヤバいですわ!」
「亜里亜! そこから離れて!!」
瞬間。
世界を閉ざす檻のように無数の黒柱が生まれ、間髪入れずに打ち上がり、同時に上空の円盤からの光条。雲間からの光のような多連装の光が槍の一部を打ち落とし、残りが機体下部にぶち当たる。
「龍哭!」
眼前に出現する岩盤の列。車両を数十台吹き飛ばして居並び、足場としている車は音もなく停止する。
吹き付ける爆風。周囲の道路を揺らして車体表面を吹き抜ける衝撃波の風。津波の押し寄せるように吹き荒れる。
「ど、同時に数十本もの槍を……。五キロは離れてるのに、ここまで衝撃波が来るなんて」
迷宮それ自体も無事なはずがない。地面には死の世界のごとくコンクリート片と車が積もっている。だが破壊された道路は瞬時に再生し、車両もどこからともなく現れてまた走行を続ける。
「ヘカトンケイル……」
ミノタウロスが呟く。
ヘカトンケイル……それは確か無数の腕を持つ巨人。一度に三百の大岩を投げたと言われる神話の怪物か。
しかし何という攻撃。自らの体を破壊と創造の嵐に晒してまで槍を放つのか。あの超硬物質の槍を破壊する円盤のレーザーもかなりの威力……。
そして私たちに与えられるのは、絶望的な課題。
不死のプルートゥならば巨人の脳の部分に居続けられる。では私たちにそこまで行けと言うのか。複雑にねじれた道を、動き続ける足場から振り落とされず、兵器じみた威力の衝撃波に耐えて……。
「タケナカ……以後この道路の迷宮部分をヘカトンケイルと呼称するわ。これは一個の生物であり、演算力の使い手。演算力で手足を生やし、超硬物質を操る存在……」
『分かりました……し、しかしどうするんです。プルートゥが脳のあたりに居るとして、接近することなんか不可能ですよ』
『ミズナさん! 乗り物なら送れますわ!』
亜里亜の声だ、タケナカのすぐ横から聞こえると言うことは、ログアウトして現実世界に戻ってしまったのか。
「そうね……衝撃波に耐えられるもの……私じゃ飛行機の操縦はできないから、ラジコン的に操縦できる戦車で道を走っていくとか。でも数キロはあるし……」
「走るべきだ」
え、と私は脇のミノタウロスに問い返す。私たちは同じ車両に乗っているが、彼はボンネット部分にいる、それでも私より頭が上にある。
「走って脳まで行く。衝撃波はお前の演算力で防ぐ」
「……無理よ、直撃は防げても、あの衝撃波は車両をめちゃくちゃに引っ掻き回すし、道路も新体操のリボンみたいに揺らしてくる。胴体に近づけばさらに威力が増す。とても立っていられない」
「……」
ミノタウロスは、その牛の頭を私に向ける。
獣の黒い眼。人と獣の断絶を示すような無機質な眼に思えるのは、その頭が作り物だからか、あるいは私と彼の間にある溝のためか。
「俺が……」
彼は私に背を向け、そしてクラウチングのような姿勢となる。スーツに覆われた背中は丸く大きく、丘のようになだらかに見える。
「え……」
「俺が脚となる」
脚……それは、まさか。
「……可能なの? 失敗は許されない……」
「恐れるな、ミズナ」
ぎしり、と。心臓を捕まれるような感覚。それは挑まんとする迷宮への恐れ、あるいは彼に脚を任せることへの畏れか。
私たちにそれができるだろうか。まだ私は揺れ動いている。名を呼ばれるだけで、心が乱れて仕方ないのに。
「……走破して、そして何を求めるの、ミノタウロス」
彼は答えない。
私は彼の背に腰をつけ、首を跨いで両脚を下ろす。
私は深くうなだれて、ミノタウロスにのみ届かせるように言葉をこぼす。
「答えてミノタウロス……。なぜ、かつて私たちを捨てたの。なぜ今、ここにいるの。この出会いは偶然なの。どんな運命のいたずらが……」
「偶然はない」
彼が立ち上がる。二メートルを優に越すミノタウロスの背にあると、かなり遠くまで見渡せるように思えた。視線の彼方でヘカトンケイルが崩壊した腕を再生し、再度、黒柱を生成する。
「迷宮には、本来は枝道はない。折れ曲がった一本道だ」
「? ええ、そうね……聞いたことがある」
「あるいはあっても同じこと。道に迷って歩き回っても、いずれは終端に至る。運命は枝分かれしているように見えて、いつかは必ず終わる。解かれるべき道、終わるべき物語性、それが迷宮の宿命だ」
いつかは、終わる。
迷宮とは、本来は深い思索のためにあるのだという。
そこを歩きながら己の内面に向き合い、過去を振り返り、未来のことを考えるための場所なのだ。
では私の、私たち家族の物語も、やがてどこかに帰結するのか。
迷い、別れ、嘆き悲しんだ日々も、それもどこかに辿り着くための必然だったのか。
ならば、最後まで走り続けよう。
一夜の悪夢のように短くもあり、嫌になるほど濃密だった私のこれまでの日々。
走ることだけは、一度も止めなかったのだから。
「行くぞ」
そして牛面人身の怪物は疾走る。
一瞬、体が放り投げられるような、重力の軛から解き放たれる浮遊感。
とてつもない跳躍力で道から道へと渡り、車体を凹ませながら短距離走のような速度で走る。意識が後方に置いていかれそうになるスピード感。足場の不安定さを物ともしていない。
それはまさに四足の獣、あるいはそれ以上に確かな踏み脚で怪物が駆ける。
私も眼を見開く。感覚を外側に開いて巨人の全体に眼を走らせる。いつでも演算力を想起できるように、心を静かに。
そして黒柱が発生。打ち上がる槍と青緑の閃光。
目測で距離を見極め、ギリギリのタイミングで演算力を励起させる。
「龍哭!」
Tips 衝撃波
音速を越えて伝播する急激な圧力変化の波。
物体が音速を越えて移動するとき、空気の流れる速度より進行速度の方が早いため、空気を後方に流しきれなくなり前方に溜まる。このとき大きな圧力が生まれ、衝撃波が発生する。




